古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第七章 魔王大祭 中編】

間話5.残念美人に犬の手を



「軍団副司令官ジブライール公爵閣下がお待ちです」
 城に帰るなり、デーモン族の執事からそんな台詞を聞いたときの、あたしの気持ちがわかるだろうか。
 くつろげるはずの我が家が、まるで断罪の場に変わったかのように感じたあたしのこの気持ちが。

「な……ななななな、なんで!? なんで、ジブライール公爵が?? あたしなんかしたっけ、あたしなんかしたっけ!?」
「さあ。家の中でのことならともかく、お嬢が外でやらかしたことまでは、俺にはちょっと……」
「やらかしてないよ! なにもやらかしてないよ!」
「さあ、どうだか」
 執事とは思えないような口をきいてくるのは、こいつ――モーデッドが、フェオレス同様あたしの幼なじみであるからだ。
「おい、どこ行くんだよ」
 とりあえず逃げよう。そう決意したあたしの肩に、褐色の五本指が置かれる。
「あ……あたしは、お前の主人だぞ。その主人が逃走すると言ってるんだから、執事としては黙って見逃すのが筋ってもんじゃ……」
「お戯れは困ります、ティムレ伯爵」
 偉そうに言ったことに対する反撃だろう。モーデッドは急に丁寧な口調になって、にっこりと笑った。

「今いらしているのは公爵閣下です。しかも、この大公領においては軍団副司令官、という、大公閣下の右腕とも言えるお立場の方。いかに主人とはいえ、伯爵を見逃したことが知られでもしたら、責はこちらにも追求されましょう。そうとわかっていてまさか伯爵は、我らを罪人になさるおつもりか」
「大げさだよ! 大丈夫、そんなヒドいことにはならないって!」
「適当なこというな! 相手はあのジブライール公爵だぞ!?」
「だからこそ、こうして逃げ」
「誰から?」

 血の隅々までをも一瞬で凍えさせるその声に、あたしとモーデッドは文字通り凍り付いた。
 どちらも一歩も動かない。というより、動けない。
 あたしは逃げようと半身を捻ったまま、モーデッドはあたしの肩に手を置いたまま。
 二人で「お前が先に動け」「いや、お前が反応しろよ」と、目で会話するのが精一杯だ。

「逃げる、という単語が聞こえた気がするが、いったい誰から逃げるというのか、聞かせてもらいたいものだが」
 階段を降りてくる靴音が、玄関ホールに響く。まるで死刑執行の秒読みが鳴り響いているかのように。
 ジブライール公爵を目にしているはずの、モーデッドの表情がだんだん強ばっていくのが地味にプレッシャーを増加させる。
 二十歩、十歩……五歩、あと、三歩!
 そして、ついに。
 モーデッドが肩から手をのけたその瞬間。
 入れ替わるように、別の手が。

「ティムレ伯爵」
「ひゃ、ひゃっい!!」
 舌まで噛んだ! さんざんだ!!
 あたしは目をつむり、えいっと覚悟を決めて振り返る。
「なにもしてません!」
「……」
 沈黙だ!
 あたしの弁解に対して、絶対零度の沈黙だ!!
「本当です、何もしてません!」
「なんのことだか、よくわからないが……とりあえず、目を開いてきっちりこちらを向いてはどうか?」
 おお、なんてこったい!
 こんな身近でその怖い目を直視しろというのか!
 これって新手の拷問?
「こんな近距離で、ジブライール閣下の美貌を目にするのは恐れ多いです!」
 オヤジか!
 あたしはデーモン族のオヤジか!

「……」
 また沈黙だ!!
 怖い……地味に怖い。
「それを、あなたがいうのか」
 え?
 そのらしからぬ気弱な声に、思わず目を見開いてしまう。だが。
「ジャーイル閣下のあれだけ近くにいて、平気でいられるあなたが、デーモン族の美醜をわかるというのか」
 うわああああ。
 やっぱりだ。やっぱり、どう考えてもこの御仁がやってきた原因はジャーイルだ!!
 ああ、わかっていたとも!
 だってそれ以外に、軍団副司令官がたかが伯爵の軍団長のところに来る理由なんて、他にないじゃないかーーーー!
 あたしは観念した。

 ****

「は? 今、なんとおっしゃいました?」
 なんか聞き間違えたかな。それとも、幻聴でも聞こえたのかな?
「だから……その……」
 今見てるのも幻かなにかかな?
 恐怖に対するプレッシャーで、脳内が現実とは違う風景をみせてくれているのかな?
 だって、今あたしの目の前にいるジブライール閣下ときたら――。
 まるで乙女のように顔を真っ赤に恥じらいながら、応接室のソファの上でこじんまりと座っているのだ。
 まるで乙女のように!

「ジャ……ジャーイル閣下の、昔の話を……ち、違う。そうじゃなくて、これは個人的な興味からじゃなくて、決してそうじゃないんだけれども」
 いや、完全に個人的な興味ですよね。そんなにもじもじして。
 だいたい、あなたがジャーイルのことを好きなのはバレバレなので、隠されても今更なんですけど……。

「今はこういう時期だから……閣下も大祭主として、大勢と接する機会が多いわけだから……だからその、昔の話を聞くことで、お側にお仕えする私が、閣下の意図を少しでも汲んで、その対処を……つまりそういうことで……」
 うん。たぶん自分でも何をいってるのか、わかっていないと思う。とりあえず、ジャーイルの昔の話が聞きたいということしか、伝わってこない。むしろ、その気持ちは痛いほど伝わってくる。

「えっと……なぜ、あたし……いや、自分に聞いてらっしゃるんです? それならもっと、かつての同僚とか、部下とか……男同士の仲間の方がいいんじゃないかと思うんですが」
「なぜって」
 さっきまでの乙女はどこへやら。顔をあげ、あたしを見つめるその目には、うっすらと殺気のようなものが滲んでいた。

「あなたはこの間も舞踏会で光栄にもジャーイル閣下からダンスに誘われたとか」
「は?」
 え? そんなことあったっけ?
「そんな大公閣下のお誘いを、すげなく断ったと聞いた。他の者ではとうていそんな態度はとれまい。よほど親しい仲でもなくば」
 ジャーイルにダンスなんて…………あっ!
 もしかして、あのときか。ベレウスの相手でやむを得ず舞踏会に参加したときの。
 あんなの、社交辞令を断っただけじゃないか。

「それに聞いたところによると、閣下の女性関係のもつれを仲裁しに入ったこともあるとか」
「なんでそんなことまでっ」
 反射的に言ってから、しまったと後悔した。ジブライール公爵から立ち上る殺気が、しゃれにならないレベルになっている。
「『そんなことまで』? ……つまり、それは真実だと?」
「あ、いやぁ……いえ……」
 しまった……しまったぞ、あたし。
 どうするあたし。どうごまかす、あたし。
「ぜひ、その辺りの話を聞かせてもらおうではないか」
 なんだってその場にいなかったはずの舞踏会でのささいなやり取りばかりか、かなり昔のエピソードまで聞き及んでるんだ、この人!
 なんなの? ジャーイル誕生からずっと調査でもしてるの!?

「で、本当のところはどう……なのだ」
 少し勢いが抜け、殺気が消えた。
 過去を知りたいという気持ちは強いけれど、題材が題材だけに、聞いてしまうのも怖い、というところなのかな。
「閣下が女性と……かなり……女性を、とっかえひっかえ……とか」
 ここは慎重に返事をしないとダメだ。本能が、そう囁いている。
 間違えるな、ティムレ。なんとしても、無事にこの試練を乗り切るのだ。

「いやー。どうだったかなー。まあ、モテてたのは確かですが……とっかえひっかえは、どうだったかなー」
 本当のことを言っていいのだろうか?
 ちらり、とジブライール公爵を盗み見てみれば、すがるような瞳でこちらを見ているではないか。
 ダメだ。これはダメだ。

「確かに、モテてました」
 そこは誤魔化しても仕方ない。
「それで?」
「いやでも……ほら、本人あのとおりですし」

 まあ本当のところ、昔は今とはちょっと違った。とっかえひっかえは、さすがに語弊があると思うが、来る者は拒まずなところはあった。なんだったら一度は年上の肉感的な肉食美女と、婚約までしていた。
 あの傷心事件が起こるまでは、ジャーイルだってもうちょっとは色恋沙汰に積極的だったのだ。
 実際にジャーイルを巡っての殴り合いとか魔術対決とかもあったりした。しかもどう考えても、あれはジャーイルが悪かった。
 あたしは本人にデリカシーがなさすぎたのが、争いを大きくした理由と信じて疑わない。まあ本人にも自覚はあるんだろう。今の彼を見ていると、その時の反省が大きすぎてああなっているようにしか見えない。
 なんにつけ、ちょっと加減がわからない子なんだよなぁ。極端に走りすぎる、というか。
 でもたぶん、その話はしちゃダメだ。あたしの本能がそう言っている。

「どっちかというと、ジャーイルは……そう! どっちかというと、私の耳とかの方が好きですからね!」
「……」

 しまった……。
 しまったぞ、あたし。
 いくらごまかすったって、なにも自分を犠牲にする必要はないじゃないか!

 耳が熱い。
 ジブライール公爵の視線には、熱光線が含まれているんじゃないのだろうか。あたしの耳は、燃え出すんじゃないだろうか。

「いや、耳っていうか、肉球っていうか……」
 あああああ!
 墓穴掘ったー!
 死んだ……あたしはもう死んだ。
「さ……さ……」
 さ?
 ……殺害させろ!?
「触らせてもらっても?」

 ……はい?
 聞き間違えたかな。今、ジブライール公爵が、あたしに触りたいとか言ったような気がするんだけど。
「えっと……あの?」
「耳を、触らせてもらっても……いいだろうか?」
 いやいやいや。よくないでしょ。
 何言い出すの、この人。どうしたの、ジブライール公爵。

 あたしの怪訝な表情に気がついたのだろう。ジブライール公爵は、急に咳払いを一つして、いつものようにきりりと表情を引き締めた。
「ジャーイル大公閣下の配下として、閣下の嗜好を理解する必要がある」
 いやいや。ないでしょ。
 意味がわからないんですけども。
 今更表情引き締めても、もう手遅れな感じなんですけど!

「それで、耳は触らせてもらえるのか、もらえないのか」
 ちょ……逆ギレ?
 逆ギレですか、ジブライール公爵。
「さすがに耳は……でも、その……握手、くらいなら……ひっ」
 おそるおそる手を差し出すと、食いつかれるような勢いで握られた。
「なるほど……これが……」

 手の甲を撫でられ、肉球を撫でられる。ぷにぷにと押され、肉球と肉球の間の筋をまさぐられる。
 ぞわぞわする。正直気持ち悪い。
 あたしは今すぐジブライール公爵の手を弾きたい衝動にかられた。
 でもダメだ。我慢しないと。
 そんなことをしたら最後、腕を一本持って行かれかねない!

「た……確かに、気持ちいい……」
 ジブライール公爵はあたしの手をさんざんもて遊んだ末に、ようやく離してくれた。
「なるほど……つまり閣下は肉球がお好き、と。女性よりもむしろ、肉球が……」
 いや、それはどうだろう。
 さすがにそれだと、ジャーイルがおかしすぎるだろう。でも否定しないでおこう。怖いから。

 ジブライール公爵は、自分の手をじっと見つめだした。
「肉球……肉球……私の手にも肉球ができれば……」
 大丈夫か、この人。

 その後もジブライール公爵は一心不乱に自分の手を見続け、そうして「肉球、肉球」とブツブツ呟きながら帰って行った。
 それ以上のことはなかったのでホッとしたが、逆にあたしは副司令官のことが心配になった。
 その数日後のことである。

 大公城でジブライール公爵発案の仮装舞踏会が催されるという報せが我が家に届いてきた。
 面白そうだとは思ったが、たまたま用事があってあたしは参加できなかった。
 だが、その舞踏会にジブライール公爵自身が、精巧に造られた犬耳・犬尾・犬手を付けて参加したと聞き及ぶに至って、あたしは参加しなくてよかったと、ホッと胸をなで下ろしたのだった。

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