魔族大公の平穏な日常
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【第七章 魔王大祭 中編】
魔王城の遷城が発表されて、十五日が経った。
城内に入っても誰もおらず、何もなく、がらんとしていたかつてとは今はもう違う。どこをみても豪華絢爛な家具や調度品の数々が、デザインも仕立ても真新しい制服に身を包んだ家臣団が、来訪者を心からの歓迎の意を示して迎えてくれる。
そう、今日は〈魔王ルデルフォウス大祝祭〉が開催されて、五十日目にあたる日なのだ。
つまりいよいよ、魔王様自身が正式に新魔王城へと居を移される日だ。
それを祝した落成記念大舞踏会が、大祭の終了する百日目まで催されることになっている、その始まりの日なのである。
まあなんのことはない。
魔王城でもともと行われていた大舞踏会に、遷城を祝う意味が追加されただけのこと。行事の内容に変わりはない。
もちろんみんなのテンションはあがるだろうし、そうなると参加人数も増えて、より一層盛大な会になりはするだろうが。
そしてそれに伴って、俺たち七大大公には今までにはなかった役割が追加された。
その落成記念大舞踏会に、日替わりで参加をしなければならなくなったのである。もっとも、遷城初日である今日は、一人とは言わず当然のように七大大公全員がそろっている。
だが、今――現在の俺は、新魔王城の一室でアリネーゼと二人きりで顔を突き合わせていた。
彼女と会うのはあの朝以来だ。
あの朝――
「申し訳ありませんでした!」
俺はかねての決意通り正座して、床に額をこすりつけた。いわゆるあれだ……土下座、というやつだ。
「ちょっと。なんなの、一体!」
アリネーゼの声は不審な驚きに満ちている。
「本当にすみませんでした。気の済むまで殴るなり、蹴るなり……」
「やめてちょうだい! 気持ち悪い……一体なんだというの!? とにかく、顔を上げてちょうだい」
「その……」
俺は上半身を起こした。だが、アリネーゼのことは直視できない。
「君の角を……撫でてしまったとか」
いや、実際は撫でたことより、そのとき口にした台詞の方が問題なのはわかっている。
「可愛い犀だな」「可愛い犀だな」「可愛い犀だな」
ああああああ!!!
「ああ……そういえば、撫でられたかもしれないわね」
「!?」
うろ覚え!? アリネーゼもうろ覚えなのか!?
彼女も俺ほどではないとはいえ、酒に酔っていたようだし。それに、今の言い方だと、角に触れるくらいは大して気にしない? ただの動物扱いしたことさえ、バレなければ……。
「そういえば、コルテシムスが、あなたに挑戦を宣言したのですってね」
「ああ……」
角のことは大した問題ではないのだろうか。
「うちの副司令官は、みな私に忠実なのよ」
「もちろん、そうなのだろう」
「だから許してやってちょうだいね。私があなたを許したように」
……どういう意味だ?
「素面の時なら角に触れるだなんて、私だってもちろん許しなどしないのだけれど、あのときは酔っていたのだし、少しの無礼は仕方ないわ」
「アリネーゼ」
俺が彼女の寛大さに感動しかけた時だった。
「けれどまあ、お互い酔ってはいたと言っても、あなたの素行の方がひどかったのだし、それを申し訳ないと本気で思う気持ちがあるのなら」
右の口角だけが、ひきつったように上がる。
「誠意は大公位争奪戦で示してくれればよいのではなくて、ということよ」
「大公位争奪戦で?」
……今のはあれか。
「まさか戦いの場で手加減しろ、と言う意味ではないよな?」
そのコルテシムスを相手に? それとも、アリネーゼ自身も含んでのことか?
「解釈はあなたの誠実さ次第ね」
「アリネーゼ!」
「あら、怖い顔」
人を食ったような笑い声が、耳障りで仕方ない。
俺が彼女の発言について、追求を深めようとしたときだ。魔王城の全域に轟くほどのラッパの音が鳴り響き、続いて堂々とした大音声が木霊した。
「魔王ルデルフォウス陛下、まもなくご到着! 魔王ルデルフォウス陛下、まもなくご到着!」
「ここでお喋りしている暇はないようよ」
アリネーゼが立ち上がる。
その報せの通り、魔王様が旧魔王城からこの新魔王城へ、正式に移ってこられるのだ。
七大大公はこれを揃って出迎えねばならない。
「では話はまた」
「ああ、それから言っておくけど、私はこれ以後は二度と――少なくとも、大公位争奪戦が終わるまでは、あなたと二人きりになる機会を持つつもりもないからそのつもりで」
あとはすべて含めて自分で判断しろ、ということか。いいだろう。
「――承知した」
そうして俺とアリネーゼは、他の大公の集まる場所へと向かったのだった。
***
ちょうど十五日前に、作業員と一部の配下を前にした高覧台。そこへ俺たち七大大公は、あの日と同じように並んでいる。
そうして西の空を見上げると、そこには雲一つない青空が広がっているに違いないというのに、今は竜によって日の光が遮られ、その真下はまるで夜の帳が訪れたかのよう。その喩えが大げさでないほどの、竜の大群が西からやってくるのだ。
率いるのはもちろん、魔王ルデルフォウス陛下。
我らが魔王陛下が旧臣を数多引き連れ、王城を移すために空を駆ってこられたのである。
群の中でも一際大きな体躯を誇る、青みがかった灰色の竜が、四棟を備える魔王城の上空で見事な空中停止を披露する。それに従う竜たちは、決して四棟の上にその身がかからないように、距離をとって輪を描くよう、旋回し出した。
「俺はこういう、勿体ぶった演出はあまり好きじゃないんだが」
ベイルフォウスがポツリと口にする。
「それでもあの中央にいるのが己の兄貴だと思うと、誇らしげな気持ちが沸いてくるから不思議だな」
ブラコンでなくともその気持ちはわかる。
なんといっても今日は魔族にとっての特別な日なのだ。
なにせこの新しい城は、今後数千年に及んで魔王の居城であり続けるのだから。たとえ今の魔王様がお倒れになっても、その後も魔族の歴史が続く限り、または次の新しい城が築城されない限り、この城はすべての魔族の統率者を、その身の内に抱き続けるのだ。
脈々と続く歴史の第一歩が始まる場所にいて、興奮を覚えない者はいないだろう。
「早く終わらぬかの」
……ウィストベル以外には。
「けれどまあ、眼下の風景には既視感を感じますわね」
続いてボソリと呟いたのはアリネーゼだ。もちろん、ウィストベルに話しかけたのではない。
「ああ、まあそうだね」
答えたのはサーリスヴォルフ。
なんだろうこの温度差。女性はこういう儀式に、興奮を覚えないのだろうか……。
彼らの感じる既視感というのは、おそらく先にお披露目会があった故のことだろう。
だが今この露台に立ち上ってくる熱気は、あの時とは比べようもない。なにせそもそも、集まっている人数が絶対的に違う。
四つの棟に至る平坦な庭は言うに及ばず、竜舎のある東の着陸場、大階段の最上段から遙かに見渡す前地まで、視認できる限りの大地を、魔族たちが埋め尽くしているのだから。それはもう、美男美女コンテストでさえ及ばぬほどの、臣民があつまっているのだ。
だいたい、君らからすると似た状況に見えても、俺にとっては大いに違う。
なぜならあの時ここにいたのは築城に関わっていた者たちがほとんどで、その意識は魔王様の挙動のみに注がれていたのだから。だが、今はそうとばかりも言えない。
ああ、聞くがいい、この声を!
「それにしても、大したお城ね! ここに登りつくまでの階段の立派なこと」
「階段から来たのか。なら、あちこちにある転移陣、とやらを見ていないんじゃないか? 一瞬で別の場所に移動できるんだぜ」
「ああ、竜舎から瞬きする間もなく、この場に移動したのにはたまげたよ」
「それより、西の大瀑布を見た? あちこちに虹がかかって、それは美しかったわ」
ふふふふふ。
もっと言って!!
もっと褒め讃えて!!
……ああ、もちろん俺のことじゃない。作業員たちの仕事を、だ!
「なにニヤついてるんだ、気持ち悪い」
ひたっていると、ベイルフォウスにそんな言葉を吐かれた。
「失礼だな」
「いいから、もうちょっとは表情に気を使え。大公の威厳が台無しだ」
なんだよ、その言い方。まるで人がアホ面をさらしているかのように。
だが、さすがに気を抜きすぎたか。
魔王様の到着は、気を引き締めて迎えないと。
広い前庭に居並ぶ音楽隊が、喇叭を吹き鳴らし、太鼓を叩いて聴衆の感情をより盛り上げる。
音楽が最高潮に達したところで、魔王様は竜の背からその姿を現し、それからゆったりと空中に踊り出られた。
その身はデーモン族であるにも拘わらず、その背にまるで翼でも生えているかのよう。そう錯覚するほど、降下のスピードはごく遅い。おそらく浮遊魔術を使ってのことなのだろう。
そうして左の腰には黒の剛剣を帯び、きらきらと輝く黒い衣装に身を包んだ我らが黒髪の魔王陛下は、比すべき者のない威厳をその身に纏いつつ、俺たち七大大公の待つこの高覧台までゆっくりと降りてこられたのだ。
「我が親愛なる臣民たちよ」
朗々とした声が胸に響く。
「いよいよ〈魔王ルデルフォウス大祝祭〉も今日で五十日目を迎えた。かつての宣言通り、予は我が生涯の終えるその日まで、この栄えある城を我が居城とし、ここより全ての魔族に慈しみを与え続けるであろう。これをもって、〈遷城の儀〉は終結を迎え、今よりは〈落成記念大舞踏会〉を開催いたす。今宵は無礼講だ。存分に楽しむがよい」
「新魔王城、ばんざーーい!」
「魔王様ーーーー!」
「おーーーー! 無礼講、無礼講だってよ!! 飲むぞ、歌うぞ!!」
魔王様の演説の終了と共に、耳をつんざく叫声があがった。天には色鮮やかな花火があがり、新しい魔王城はさながら〈魔王ルデルフォウス大祝祭〉の初日を再現したかのような賑わいで満たされたのだった。
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