古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第八章 魔王大祭 後編】

間話8.パレードの一幕



 まあまあ可愛らしいところもあるマーミルお嬢様と離れて、今日で二十日が経ちました。あの子豚ちゃんのように愛らしいお姿の代わりに、近頃私の視界を遮るものといったら……。

「アレスディアどの! これっほれ、この果物もうまいですぞっ!」
 そう言って、今日も下品に自分の頬袋から、涎でべたべたになったバナナを取りだしてくるリスです。
 正直に言いましょう。大変不快です。
「結構です。何度申したら、わかっていただけるのでしょうか、ウォクナン公爵閣下。たいがいにしないと、いくら公爵でもその向こう臑に青あざを刻み込みますよ」
「むぶほぉっほっふぉ。相変わらず、怒ったお顔も可愛らしいですなっ」

 そう言って口の端から粘液をボタボタと、きれいに磨かれた水晶の床をめがけて垂らします。ことあるごとに滝のように流れる粘液のおかげで、茶色い髭はいつ見てもしっとりと濡れておりますし、色も初日に比べて薄まっていっているようです。
 それが床に広がって、川のようになっているのだから、たまりません。あといくらかたてば、きっと泉と見紛う様相を呈するに違いありません。
 そうしてそこから立ち上ってくる汚臭。それはなにも、あちこちに漂っている果物のカスが醸し出しているものばかりではないでしょう。

 けれどそのことについて不満を言うわけにはいきません。本来、私は身分から言えば、こうして公爵と並んで六頭立ての魔獣車に乗ることなどできない身の上。
 もっともこれは美男美女を集めたパレード。
 その美しさによって、魔獣車への乗車が認められるというのならば、私ほどこの席にふさわしいものはいないでしょう。
 ただ、こうしていつもふんぞり返っているのでは、当然他の方々――男性はともかくとして、女性の妬みを受けてしまいます。だから私は時々は魔獣車を降りて、歩くことにしていたのでした。

「ウォクナン公爵閣下。そろそろ、今日も下へ参ろうかと存じますが」
「おお。またですか?」
 ウォクナン公爵は、途端に表情を曇らせます。
 いかに私に向かって涎を垂らしたいからと言って、さすがに魔獣車を降りて徒歩での移動を受け入れる気にはならないようです。

「お寂しいですなぁ。できるだけ早く、帰ってきてくだされよ」
 ウォクナン公爵は側に置いた杖を取り、魔獣車の床をコンコンと叩きました。
 私たちの座っている場所の下が、御者の座席になっています。ウォクナン公爵の杖の一打で発進、二打で停止、三打で加速、四打で減速と、決まっているのです。
 魔獣車が停まると私は出来うる限り水たまりを避け、魔獣車の後ろから伸びた階段の、繊細な金細工が施された手すりを伝って大地に降り立ちます。
 私が無事魔獣車から離れるのを見ても、ウォクナン公爵は魔獣車を発進させようとはしません。私が前を歩くのを、待っているのです。
 そうなのです。降りるのはよいのですが、その間は近くにいないというだけで、公爵からの視線を感じ続けなければならないという状況に、代わりはないのでした。

「こちらへいらっしゃいよ、アレスディア」
 そんな中、声をかけてくれたのは、手に持った大きな日傘をくるくると回しているルメールです。彼女はほとんど毎日、私の行進につきあってくれるのです。
 それもその大きな日傘を持っている日は、必ずその中に入れてくれます。そのときばかりはウォクナン公爵の視線も遮られ、私はほっと息をつくことができるのでした。
「あなたも大変ね、アレスディア」
「仕方ありません。これも美しく生まれついてしまった者の、宿命です」
 ルメールの頬が少しだけひきつったのを、私は見逃しませんでした。
 彼女が善意だけで私を誘ってくれている、と信じられるほど、私自身も善良ではありません。彼女が一度、ウォクナン公爵のお手つきになったという事実を知った今では、なおさらのこと。

「ねえ、今日はこの方をご紹介しようと思っていたのよ」
 そういってルメールは、彼女が左手絡ませて歩く男性を、顎で指しました。
「こんにちは、アレスディアどの」
 モグラ顔の男性が、爽やかな笑みをこちらに向けてきます。
「御機嫌よう」
 ルメールの日傘に入ると、ウォクナン公爵からの視線は遮れて大変よいのですが、こうして決まって男性を紹介されます。それは独身の相手だけにはとどまってはおりません。
「この方が、あなたを十七番目の妻に迎えたいとおっしゃるのよ」
 どうやら、今回も既婚者のご紹介のようです。しかも十七番目とは!

「有力な侯爵でいらっしゃるから、今よりもずっといい暮らしができるはずよ。ねえ、いい加減決めてしまいなさいな。いいお相手のはずよ。あなたもそろそろ、デーモン族の子供の面倒なんて、見飽きたでしょうから」
 あらあら……これは聞き捨てなりません。
 今まで彼女は、こんな暴言を口にしてはこなかったというのに、いったいどうしたことでしょう。毎回断る私に対して、そろそろ我慢も限界を迎えたのでしょうか。
 だとしても――だとしても、今の発言は許し難いものです。私が子豚ちゃん扱いするのは許せますが、いくらまだ力のない子供であるとはいえ、マーミル様はそんな風に侮蔑を含んで語られるべきお子さまではないからです。

「あなたもそうお思いですか、侯爵閣下」
「まさか! 君を見飽きるはずもない。もしも君が望むなら、私は他の十六人の妻を全て離縁してもよい」
 どうやらこちらの方は、他人の話を聞かないタイプの方ようです。
「申し訳ありませんが、侯爵閣下。私自身にその気持ちはございません」
「私は侯爵であるのだが?」
 名も知らぬ侯爵閣下は、私を威嚇するように、歯をむかれました。

「ウォクナン閣下は公爵閣下でございます、侯爵閣下。ですが、そのように私の意志を強制しようとなさったことは、ございません」
「む……」
 さすがの侯爵も、圧倒的な上位者である副司令官の名を出されては歯ぎしりするより他ないようです。
 こういうとき、副司令官という高位の方が無理矢理を好む方でなかったのは幸いでした。引き合いに出してやんわりお断りできるからです。
 もっとも、ウォクナン公爵が力にお任せにならないのは、私の主である旦那様をはばかっての事かもしれませんが。

「そんな風に男性につれなくするものではなくてよ、アレスディア」
 まるでダメな子豚ちゃんでも見るように、ルメールは私に対してため息をつきます。
「この方は、強制なんてされてないでしょう? 命令なんてしなかったわ」
「上位の脅迫が強制に入らぬのであれば、よけいお断りしても問題ないでしょう」
「いいから、落ち着いて聞きなさいな。他の妻を捨ててもいいとおっしゃっているのに、それをお断りするなんて、愚かもいいところよ」

 捨てるとはまた、事実ですが容赦のない言いよう。ルメールの本性がかいま見れるというものでしょう。
 今まではこんな乱暴な口の効き方はしなかったのですが、さすがに私に対する我慢が限度を迎えたのかもしれません。
 私が無視していると、ルメールは日傘で周囲からの視線を遮断し、侯爵の腕をはなして逆の手で私の手首をつかんできます。

「私はあなたの為を思っていっているのよ? そのくらい、わからないはずはないでしょう? 美しさでもてはやされているのも今のうち――どうせ後少しでコンテストの発表があって、あなたはアリネーゼ大公に大差をつけて負けるのだから! そうなればもう、誰もあなたの事なんて――」
「私も一つ、忠告しておきましょう。あなたの為を思ってです」
 私はルメールの手を払い、彼女を冷え冷えとした思いを込めて見つめました。相手が本性を現したのであれば、こちらも当たり障りのない風を装う必要はありませんから。

「私をどなたかに無理矢理にでも嫁がせたいと思っておいでのようですが、そのお話を正式にすすめたいのであれば、ジャーイル大公閣下にお話をお通しなさるよう、ご忠告申し上げます。ただその際は、間違っても『デーモン族の子供の世話に飽きたであろうから』などとはおっしゃいませんよう。旦那様は、あなたが思っているよりずっと、妹君のことを大切になさっておいでなのですから」
「私、そんなこと……」
 私の言葉を聞いて、ルメールは自分の発言の不用意さに気づいたようでした。

「まさか……告げ口したりしないわよね?」
「どうでしょう」
 当然私は告げ口などいたしません。けれど、わざわざしませんよと言って、相手を安心させてあげる義理もないではないですか。
 それに本当のところ、旦那様は誰かにマーミル様のことを「デーモン族の子供」と言われただけでは、お怒りにはならないでしょう。言い方に険さえなければ、それは真実だからです。
 もっとも彼女が口にするのであれば、険がこもらずにすむはずはありません。

「侯爵閣下におかれましても、同様でございます。私のことを、真実お気に入りで奥様方と別れても、とおっしゃるのであれば、私自身にではなくジャーイル大公閣下にそうお話ください。私は所詮、大公城の侍女にすぎません。その去就の決定権は、かの大公閣下にあるのですから」
「いや、そこまでは……」
 さすがに七大大公の名を出されては、侯爵といえど余計に畏れる気持ちがわき上がるのでしょう。
 さっきの強気な態度はどこへやら、モグラ顔には焦りが浮かび、彼はそれとなく私たちから距離を取り出しました。
 ある意味賢明な方です。
 旦那様はネズミ大公からの奪爵時の噂話で、近しいもの以外には割に恐れられているのですから。
 それに本当に、怒ると怖いですしね。

 ただ実際には、私の縁談の話などもってこられても、旦那様はお困りになられるだけでしょう。たいそうご迷惑極まりない話であると思います。私はマーミル様の侍女であって、家族でもなんでもないのですから。
 けれどここは勘弁していただきたいものです。
 私にはすでに頼る家族もなく、自分の身を口先だけで守るためには、旦那様のご威光にすがるほかはないのですから。

 その日を境に、私はどうせ恨まれ絡まれるならと開き直り、魔獣車を降りて行進しようとは考えないようになったのでした。

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