古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第十章 大祭 後夜祭編】

間話14.人間も色々大変なんです その3



「あのー。そろそろ返してもらっていいですか? もう閉店なんで」
 今日もまた、朝からうちの店に来ては、閉店まで片隅の机でハンカチとにらめっこをしている人物に、あたしは声をかけた。
「待て。もう少しで何か、掴めそうなのだ」
「毎日、言ってますよね。でも、昨日も掴めませんでしたよね」
 あたしの言葉に、フードを目深に被ったその細身の人物は、眉だけをピクリとひきつらせる。その代わりに盛大な笑い声で反応をくれたのは、彼の正面にどでんと座った大柄な青年だった。

「イーディスは本当に容赦がないな! 見ろ、都じゃ偉そうにふんぞり返って可愛げのないオウイン様が、さも傷ついたとばかりに泣きそうな顔してるじゃねぇか」
 えっ。さも泣きそうな顔? どこが?
 あたしが見る限り、その人の表情には眉を動かしたほかの変化はない。初めて会った時から、無愛想で無表情でふてぶてしい……そうでなければ冷たいと感じるような表情を浮かべているところしか、見たことがなかった。
「……でたらめを言うな、ゾルグ」
 フードの下からオウインは目の前のマッチョな青年、ゾルグを睨みつけた。

 突然、訳もわからず地上を跋扈し始めた魔族たち。
 ある場所では軍団とも見える恐ろしい一団が、遙か見渡す限りの列を作って行進しているのが目撃されたという。またあるところでは、視線どころか魂まで奪われそうな美しく着飾った集団が、魔獣に引かせた馬車を何台も連ねて横断するさまが、恐怖と陶酔をもたらせたのだとか。
 空には頻繁に竜がその速さを競うように群をなして飛び交い、その背からは狂ったような笑い声や叫び声が響いてくる。

 軍団のような魔族の列が、町を襲ってくることはなかったが、それでも人間の国や町に全く影響がなかったわけではない。
 あちこちの国々で、最初こそはその恐怖に打ち勝たんと、いくらかの人々が魔族に戦いを挑んでいったらしい。けれどそれで対抗できた例は、わずかだったという。
 うちの国では聞かないが、遠くにはたった一体の魔族によって滅ぼされた町や村が、一桁では数え切れないほどの数となっている国もあるのだとか。

 結局私たち人間は、魔族の恐ろしさを数百年ぶりに魂に刻み込む羽目になり、極力自分の町や村や家にこもってその恐ろしい狂瀾が過ぎ去るのを祈るばかりとなったのだ。
 これはいよいよ、あたしたちが魔族のお兄さんに聞いていた魔王の大祭とやらが、始まったに違いなかった。

 けれど、そんなことを知っているのは事情を先に聞いていたあたしたちだけ。もっとも、偉いオジサンたちは話し合って、それを王さまとかには伝えておいたらしい。
 あたしには国の対策とか、偉い人たちの取り決めとか、そこら辺の事情はわからない。とにかくいろんな話し合いとかがあった結果として、この偉そうな特級魔術師のオウインと、冒険者ゾルグの率いる護衛団が、世界中が魔族の咆哮に脅えたように震えだしてから八日目を数えたその日、この町にやってきたのだった。
 彼がやってきた目的は、あたしのハンカチを研究するため。そのハンカチというのは、もちろんあの魔族のお兄さんがくれたバラの模様が入ったもののことだ。  それが魔族を退けると聞いて、国防のために量産できないか、と王様たちは考えたらしい。それでわざわざこんな辺境まで実物を見に、オウインが派遣されてきたのだそう。  本来ならあたしを都に呼びつければすむ話なのに、そうせずいてくださったお優しい王様の配慮に感謝しなさい、とは彼らの来町を請うたらしい魔術師ブレイズさんの言だ。  まあ、確かにその通りなんだけど……。
 で、肝心の量産についてはどうかというと、全くうまくいってない。
 このバラの紋を紙に寸分の違いなく模写しても、転写しても、刺繍をしても、オウインが魔術で写してみても、何をしてもとにかく効果がないのだ。
 複製したものを魔族に見せても、誰一人怖れおののき、退きはしなかったのだから。それどころか「人間風情が大公閣下の紋章を」と逆上した魔族もいて、本物を出すのが一歩遅れたら、危うかった場面もあったのだ。
 魔族たちに効くのは、このたった一枚のハンカチだけ。しかもなぜか、直接手渡しでもらったあたしが持っている時だけに限られるようだった。

 それで安易に量産を試すのはやめ、オウインはこの絵柄を研究することにしたらしい。
 けど、それも言い出してから今日で五日目……まだ、成果は一つもあがっていない、というのが現状だった。

 オウインは王都では相当高位の魔術師らしかったが、ここに来てからはその実力を発揮できないとあって、もともと無愛想っぽいのに、ますます本人の醸し出す雰囲気は重く、感じも悪かった。

「こんばんはー。オウイン様、いらっしゃる?」
 今日もそんな辛気くさいオウインの帰宅を見越して、明るい迎えの声が響く。ミナだ。
 お城の豪華さに惹かれて魔族でもいいと言い放ったミナが、王都の特別な地位にあるお金持ちを見逃すはずはないのだ。
 もっとも……全く相手にされてないんだけどね。
 それどころか。

「毎日お仕事でお疲れだろうと思ったので、今日はレモンの蜂蜜付けを作ってもってきました」
 おいおい、ミナ。ここは食堂ですよ。
 ほぼ毎回のことだけど、食べ物持ってきてどうするのよ、と突っ込んでやりたい。

 オウインはハンカチの角をきっちりあわせて四つ折りにしてあたしに返してくると、差し出された容器に一瞥もくれずにミナの前を通り過ぎる。そうしてその後ろを歩くゾルグが「いつもありがとうな! ミナちゃん」とか言って、鼻の下をのばしながら、代わりに贈り物を受け取るのだ。
 そのゾルグに容器を押しつけるように渡し、完全無視をものともせず、「あん、待って」と、ミナが猫なで声をあげて無愛想なオウインを追いかけるまでが、いつもの見せ物。

 けれど、それが今日は違った。

 あたしのシャツの胸ポケットから、かすかな光が放たれたのだ。
 それはガストンさんから借りている魔道具の一つ。魔族の接近を知らせる羅針盤。
 ブレイズさんを始めとする魔術師たちが、町の周りに探査用の結界とやらを張ってくれている。それにひっかかった魔族がいれば、羅針盤が光を放ち、その針で位置を指し示してくれるのだ。
 これがあるおかげで、あたしはいつもの仕事を休まなくてすんでいる。

「行ってきます!」
 あたしはハンカチを握りしめ、店を飛び出た。
「あっ、行ってらっしゃーい!」
 ミナの声は、あたしに向けられたものではなかった。このところの彼女の眼中に、あたしの姿はない。
 もちろんそれはあたしと一緒に走り出した、オウインに向けられたものなのだ。

「イーディス、どっちだ」
「南」
「よし」
 ゾルグが一緒に駆けつける時にはいつもそうするように、あたしを担ぎ上げてくれる。
 最初は驚いて抵抗したりしたけど、こっちの方が速い、と言われて今ではありがたくそれに甘えるようになっていた。
 ぶっちゃけ、走りながら羅針盤を見るのはしんどかったし。

「あ、イーディス! ハンカチー」
 向こうの通りからぶんぶんと手を振るマリーナの姿が見えた。「い つ か 譲 っ て ね ー」と叫ぶ彼女は、ミナと違ってあたしに釘付けだ。
 正確には彼女の言葉通り、あたしの持つハンカチに、だけど。
 どちらもほんと、毎日すげなく断られてもめげずによくやるものだわ。

 そんな風にあたしたちは南の門にたどり着き、いつものように魔族をこのハンカチで撃退するのだった。

 けれど途中からは何か変化があったのか、狂瀾を示す音と地鳴りと光と魔族や竜の姿は相変わらず見かけたけど、町に向かってこようとする魔族の数は極端に減った。
 結局あたしたちの国はその模様を量産することができない状態でも、ほとんど犠牲を出さずにその百日間を乗り切ったのだ。
 思い起こすとその変化があったのは、お兄さんのことを「ジャーイル」と親しげに呼ぶ、白い犬の顔をした魔族が現れた、その日以降のことであったかもしれない。

 とにかくこの魔族による大騒ぎの日々は人類に籠居を余儀なくさせ、結果的に数年後の人口増加をもたらしたのだった。
 偉い人は言ったという。
「生命はその危機に瀕して、本能を燃え上がらせるのだ」と。


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