古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第四章 大公受難編】

33.大公城の図書館にはいろんな本があります



 俺は四人の人間たちを離れに置いて、執務室に向かった。
 もちろん、休憩室の奥に封印した例の三面鏡……邪鏡ボダス、その背面を確かめるためだ。
 二度目に姿を映した時も、全く魔力に変化はなかったから、今度も大丈夫だろう。が、用心にこしたことはない。
 俺はすべての鏡面が下を向くように、三面鏡を机の上に開き置く。
 それから魔術で周囲の木製の囲いを切断し、取り除いた。
 その結果、三枚の裏の真ん中、そこに術式らしき図と虫の這うような文字を発見した。間違いない、手鏡にあった文字と同じ種類のものだ。
 やはり邪鏡ボダスと聖宝鏡とやらは、同一とみて間違いないのだろう、という思いが強くなる。

 この数日の鬱々悶々とした気分を省みれば、この発見がどれだけ俺の心を励まし喜ばせたか、思いやっていただけると思う!
 俺はその図と文字を丁寧に、一字一句違えることなく書き写すと、もう一度しっかりと三面鏡に封印を施した。

 結局、ガストンは古代文字を読めなかった。手鏡の装飾をはずし、鏡面の裏に彫られた踊る虫のような文字を読ませてみたのだが、全く、一文字も解読できなかった。
 ではなぜ、鏡の装飾に彫られていた呪文を唱えることができたのか。
 手鏡にはもともと、発動の呪文や解除方法などが書かれてある説明書がついているのだという。

 まあ、全員が同じ呪文を口にして、マーミルたちの魔力を奪ったのだというんだから、発動の呪文をあらかじめ知っているのは当然だ。
 しかし、まさか説明書なんかがあるとは。なぜ情報を小出しにするんだ、ガストンめ!
 まだ何かたくらんでいるんじゃないだろうな、と、怪しんでしまう。
 もっとも、今はその説明書を持っていないそうだ。しかし当然ながら、町には手鏡の数だけ説明書が存在する……というので、俺はとにかく出かけることにした。まあ、一枚二枚あればいいんだけれども。
 だが、せっかく行くのならば、やはりベイルフォウスの魔術もなんとかしてしまいたい。

 そんなわけで、俺は執務室を出ると、今度は図書館へと向かった。

 ***

 なぜ、図書館に?
 答えは簡単だ。
 図書館には、いろんな本がある。当然、術式の文様辞典なんかもあるのだ。
 ならば、これを利用しない手はない。術式の解明のために一つ一つを展開して確かめるよりも、辞書を紐解く方が安全だし、魔力の消費も気にしなくていいのだから。

 俺は図書館にたどり着くと、辞書・辞典類がまとめられた本棚の一角に立った。
 魔術の文様に関する辞典は、四冊ほどある。分類が違うだけで、いくらか内容がかぶっているとはいえ、この中からいくつもの文様を探し出すのは困難だ。
 なので、俺はつぶやいてみた。
「術式を解読するのも手間だな……本も四冊もあるし、それに古代文字だとかいうのなんて、本を探すところからだからなぁ。手間だなぁ……。誰か手伝ってくれないかな……一人でやるより、二人でやった方がきっと早いと思うんだよな……急いでるんだけどなぁ」

 以前なら、エンディオンに一緒に本を探ってくれるよう頼んだところだが、図書館には常に司書がいるのだから、これを利用しない手はない。
 だが……。
 俺はちらり、と視線を動かして周囲を探ってみたが、人の気配はない。
 やっぱり無理か?
 つぶやいただけでは、助けに出てきてはくれないか?

 仕方ない。
 俺があきらめて四冊の辞典を手に、読書机に腰掛けた時だった。

 目の端を、黒いものがかすめる。
 本棚を伝うように、それは徐々に距離を詰めてきて――、読書机にもっとも近い本棚の向こうで、ぴたりと止まった。

「やあ、ミディリース。助かるよ」
 俺は自分の目の前の席を、手で示す。
 手伝ってくれること、前提だ。彼女には強引にいかないと駄目なのだと、本能が囁いている。どうせ嫌われてるんだ。いっそ開き直ってやる。
 ふっふっふっ。そうとも、テンションがあがっている今の俺に、怖いものなどないのだ。

 影はためらいを見せた後、そろそろと本棚から姿を見せ……姿を……。

 ミディリース……そんなに俺の側に来るのが、嫌なのか。俺に見られるのが、耐えられないのか。
 開き直ったつもりだったけど、さすがにちょっと傷ついた。
 なにせ彼女の姿ときたら。

 頭のてっぺんから足のつま先までを覆う、黒いローブ。唯一あいた顔の場所には、目の位置にごくごく小さな二つの点しかない真っ黒な仮面をかぶっている。極めつけに、ローブからでている二本の手には、やはり真っ黒な手袋がはめられて……。

「ふ……ふふ……ふ」
 変な笑いが漏れてしまった。
 平常心、平常心だ、俺。
 気にするな。気にするんじゃない、俺。
 気を取り直して、さっさと用事を済ませてしまうんだ。
「じ……実は、この術式を解読したいんだが……」
 声は震えていない。震えてなんかいないぞ。

 ミディリースは氷結の術式が描かれた用紙を受け取ると、仮面の前に持って行く。
 ものすごく近い。くっついているといってもいい距離だ。
「ほう……」
 くぐもった低い声が聞こえた気がした。
 ミディリースは用紙を上下左右に何度も何度も動かして、全体を舐めるように眺め尽くした後、それを机の上に置いた。

 それから俺の方をじっと見……うん、たぶん見ているのだと思う。
 妙に小刻みに体を動かした後、体の前に四角を描く。
 これは……もしかして、あれか? 紙がほしいとでも言っているのか?
 おもしろいのでちょっと意味が分からない、と、首を傾げてみせる。
「あうう……」
 じれったがるような声が漏れた。
「ううう……」
 彼女はうめきながら、踵を返すとどこかに行ってしまった。

 素直に白紙を出すのだったと、一瞬後悔しかけたが、ミディリースはすぐに戻ってきてくれた。その手にノートとペンを持って。
 それから無言で俺の前に腰掛けると、顔がほとんどノートにくっつくのではないかというほど前屈みになって、それから目にも止まらぬ早さでペンを動かし出した。

「いつもそんな姿勢で手紙を書いてるのか? 書き物をするときは背を正したほうがいいぞ。そんなにノートに近づいていると、肩や腰を痛めるだろう。目だって悪くするぞ?」
 話しかけたが、俺の忠告なんて無視だ。

 彼女は一心不乱に書いては頁をめくり、そうして四枚を両面とも真っ黒にしたところで、はじかれたように立ち上がり、ノートをビリリと一気に破った。
 肩を上下にはあはあ言わせて、その紙を突きつけるように差し出すさまは、鬼気迫るものがあって怖い。
 たぶん、仮面をはずしたらその目は血走っているに違いない。
「あ……ああ、どうも……」

 俺がその用紙を受け取ったと見るや、ミディリースは勢いよく頭を下げ、それから姿を見せた時のもどかしさが信じられないほどの勢いで駆け去ろうとする。
「え、ちょ……」
 一瞬、反応が遅れかけたが、なんとかその腕をつかんで逃走を阻止できた。
「ちょっと待って、ミディリース」
「あああああああ!!」
 焦ったような叫びと共に、またも回し蹴りが放たれる。
 俺はそれを軽くいなすと、彼女を強引に椅子に座らせた。
「乱暴にしてごめん。でも、頼むから待っててくれ。ミディリース。割と本気で緊急事態なんだ」
 少々強い口調で言うと、彼女はビクリと体をふるわせたが、大人しく椅子に腰掛け直し、それからこくりと小さく頷いてくれる。
「助かる」

 そうして俺はミディリースから手を離し、その隣に腰掛けて、渡された四枚の用紙に視線を落とし――驚愕した。
 なぜならば、そこにはなんと、ベイルフォウスの術式の文様の一つ一つについての詳細な解説が書かれていたからだ!

「まさか、全部?」
 術式と、ミディリースの書き付けを、一つ一つ比べてみる。
「ぜ……全部……解いた…………です」
 ミディリースのくぐもった声が、仮面の下から漏れた。
 言葉通り、俺の知っているもの、知らないもの含め、すべてが解かれてあった。
「すごいな、ミディリース!」
 まさか、こんなスラスラ解いてくれるとは思わなかった。二人で辞書を繰っても、かなりの時間がかかると思っていたのに。

 もちろん、解読できたからといって、すぐにそれに対応する術式を作れるかといえばそうではない。もともとが意味不明の術式だったのだから、その意味に対応する文様を選んで、配置し術式を構築するのには割と時間がかかる。
 だが、そんなことは、手がかりのないまま複雑な術式を解読する手間にくらべれば、なんということはない。
 町に向かう竜の上ででも、できる作業だ。

「ありがとう、ミディリース。ものすごく助かった! 恩に着るよ!」
 俺は彼女に向き直り、手を伸ばしかけて――やめた。「ひい」と、小さな叫びをあげてのけぞられたからだ。  なんだろう、これ。グサリとくるなぁ……。

「と……ところで、実は、もう一つ問題があって……」
 咳払いをし、少し椅子をずらして彼女から距離を取った。近づくと、お互いダメージを被ってしまうようだし。
 今度は懐から例の裸になった手鏡を取りだし、外した装飾と共に、ミディリースにその背面を見せた。虫の這ったような古代文字。

 これも一瞬で解いてくれたりは……。
「傷? らくがき?」
 さすがにミディリースにもできないようだ。

「いや、古代文字、らしい。人間の……だとは思うが。実はこれも、解読しないといけなくて……」
「人間の……古代文字……」
 ミディリースの雰囲気が変わる。
 焦りと戸惑いからどこか浮ついた雰囲気だったのが、今は目の前の手鏡に集中するあまり、怖いほどピリピリとした雰囲気があふれている。
「いや、というか、本当はこっちが本命なんだが……」
 俺は手鏡の横に、邪鏡の写しを置いた。

 その瞬間。
「古代文字……! 人間の、言葉……! 新しい、術式……!」
 ミディリースは嬉々とした声音で立ち上がり、それから図書館の一角を目指して走り出す。
 一度逃走を阻止して気が抜けてしまったようだ。今度は彼女が去るのを、止められなかった。

「おい、ミディリース!?」
 慌てて追いかけ、奥まった本棚の間に彼女の黒い姿を見つけてホッとする。
 どうやら、逃げたのではないようだ。
 それどころか、役に立ちそうな本を思いついて、取りに走ってくれたみたいだ。
 なにせ、ものすごい勢いで、本棚から本を出しては中を確認し、確認しては手に持ち、元に直しを繰り返し、あっという間に片手に本の山を築いたからだ。

 あんな子供みたいに小さいのに、結構な怪力だな。
 まあ……そうはいっても、ウィストベルの謎怪力や、ジブライールの脚力ほどではないだろうが……。

 俺は彼女の腕から本を引き取ってやった。
 一瞬、ビクッとはされたが、流れるような作業は続いていく。
 あっという間に抜き出された本は三十冊をくだらない。
 それをすべて読書机に持っていくと、ようやくミディリースは口を開いた。

「あ、あの……閣下……」
 最初に比べれば、少しはなめらかな口調になっているような気がする。
「わ……私、まか……まか、される……解読……」
 いや、気のせいだな。
 やっぱり片言だ。

 それより今、なんて言った?
「まかされる? 解読してくれるのか?」
 ミディリースは深く頷く。
「まかさ……れる……だ…………ダメ?」
「いや、ありがたいが……」
 うーん。しかしどうだろう。内容がなぁ……。
 いや、もう本の選定を任せている時点で、割と事情を察しているようではあるんだけど。

「実は、これから俺、出かけないといけなくて……まあ、今日中には戻ってくるんだけど」
「あ……解読、時間、かかる……帰るまでに……間に……あわない……かも……と、思う……けど……」
 それなら、俺が帰ってから、一緒に解読できるか。後はミディリースを信用できるかどうか、だが……。
 まあ、引きこもりだしな。
 文通相手が複数いるとはいえ……。
「これは秘匿事項だということだけは、理解しておいてくれ」
 俺の念押しに、ミディリースはこくこくと頷いた。
「もちろん……了承……見つかったら……大変…………でも、私……誰にも、見つからない……」
 うん。見つからないんだろうな。そして、ああ、たぶん、いろいろバレてるんだろうな。

「手鏡の文字については、説明書があるそうなのでそれを今から取りに行く予定だ。だから、本格的な解明はそれからでもかまわない。まあ、少しでも解いてくれていたら助かるのは助かるが。そして、この手鏡の装飾に書かれたのが、その効果を発動するための呪文なんだ。こちらの読み方は、<アルファッスタラーラ>だそうだ。意味はわからない」
「<アルファッスタラーラ>」
 ミディリースが小さな声でつぶやいた。

「そんなわけだ、任せるよ、ミディリース。すまないな。俺もなるべく早くに帰るから」
 そう言ったとたん、彼女は激しく左右に顔を振る。
 いや、顔だけじゃない!
 胸の前で両手を交差している。

 え、なに?
 早く帰ってこなくていいってこと?
 むしろ、帰ってくるなってこと??

 俺は解説が書かれた四枚の用紙を手に握りしめ、逃げるように図書館を飛び出したのだった。

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