魔族大公の平穏な日常
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【第四章 大公受難編】
「ふーふー」
ミディリース。
相変わらずだな。俺が図書館を出た、そのときそのままの姿、席、状態だ。
息苦しいのか、肩が大きく上下している。仮面を外していないせいだろう。
俺に顔を見られたのが、そんなに嫌だったのか?
「主が、ミディリースか」
ウィストベルが近づくと、ミディリースはビクッと肩をふるわせて、顔をそろそろとあげた。
「あう……?」
「ウィストベルじゃ」
「ウィ……?」
自己紹介?
なんか、ウィストベルにしては珍しくご機嫌だな……。
「それとも主には、<暁の支配者>と名乗った方が通るかの? <凡俗の司書>殿?」
……ん?
なんか今、とても恥ずかしい呼称が聞こえたような?
「ふげ!?」
ミディリースが変な声をあげて勢いよく立ち上がる。
「あ……<暁の……支配者>!?」
ぷるぷると震える指が、ウィストベルに向けられる。
「私に指を向けるな。折るぞ」
ウィストベルがミディリースの指を握り、ぎゅっと……。
「いだっ! いだだだだ」
え? 折ったの?
ねえ、折るぞといいながら、折ったの??
「それより、なんじゃ主のその暑苦しい格好は」
「ひょ? ひや、え? ……え?」
ウィストベル一人が冷静だが、俺とミディリースは混乱中だ。
どういうことだ?
なんでウィストベルはミディリースにこんなに親しげなんだ?
「しかも、なんじゃこの仮面……」
ウィストベルによって、仮面が外される。
「ひいいい……」
必死に仮面を取り戻そうと、手をのばすミディリース。が、ウィストベルはその仮面を床に放り投げると、露わになったミディリースの頬をがっしりと両手で挟んだ。
「あああああああ」
ウィストベルの美貌が間近に迫った状態に、人見知りの激しいミディリースは涙目だ。
「別に隠すほど醜くないではないか」
うん、隠す意味がわかりませんよね。
「しかし、臭いの……。まさか、風呂に入っておらぬのではないだろうな?」
風呂? ああ、ずっとそのままだろうから、入ってはないだろうな。
というか、そんなことよりも。
「あの、そろそろ俺にも説明をしてもらえませんか?」
置いてけぼり感ハンパない。ちょっと寂しい。
ウィストベルはミディリースの頬から手を放し、俺を振り返った。
「説明はあとじゃ。このように不潔な者と、大公が同席するわけにはいかぬ。この娘の部屋はどこじゃ?」
「えっと……」
俺は資料庫を指さす。
「ぎゃ」
ウィストベルに首根っこをつかまれるミディリース。
「え? ウィストベル?」
「しばらく席を外す。主は休んでおれ」
え?
俺の魔力の回復が、先決だったのでは!?
「いやあああああ、ひいいいいいい」
呆然とする俺の目の前で、涙目のミディリースは資料庫の奥へと引きずられていったのだった。
そして、一人図書館に取り残される、俺。
ええっと?
……何が起きているのだかちっともわからないので、誰かに説明を要求したいんですけれども!!
とりあえず突っ立っているわけにもいかないので、ミディリースが座っていた席に移動して、机の上の情報を整理してみる。
俺がこの場所にいた時点で、未だ不明だったのは二つの単語だけだ。書き付けを見る限りでは解明されている。
解明されている……。
なんだって!?
解明、されているじゃないか!!
よし、これで……これで俺の魔力が元に……!!!
二人の様子はなんだかよくわからないし、休んでいろと言われてもいるんだ。ここで待つ必要はないだろう。
今すぐやろう、今すぐ!!
そうして俺は、邪鏡の裏面の文字を解読したミディリースの書き付けを手に、執務室に駆け込んだ。
邪鏡ボダスを前にレイブレイズを一閃して、魔術による封印と岩を一度に砕く。封印を解くにはこの方法が一番楽だと、最近気がついたのだ。
マーミルの時と同じように、邪鏡を魔術で空中に固定して自分の姿を映し、それからは翻訳の通り。
“鏡に対象の存在を映して、術式を足下に展開し”
よし、足の下に二層五十式の展開。
“願いを込めて、術式を唱えよ”
願い? つまり、こうか?
(俺の魔力が無事戻りますように!)
「サスティアーナ エル エターナ ヴィア ブラディアー レイブ レイディア
ラサスティアーナ メル ファターナ ディア フルレイン ジイル モレーディア
サスティアーナ メル レレイウム ファタ ヲクタリーブ
ネレス レレス ジーク ウォクナ!」
か ん た ん だ !
実に簡単だった!
手鏡よりずっと簡単に、俺の魔力が……。
魔力が……あれ?
もど……戻って……ない?
え?
もう一度、じっくりと書き付けを見てみる。
術式に誤りがあったのか?
鏡の裏面を見て確認する。
いや。細かい文様まで、間違いはない。
唱えた呪文に誤りが?
いいや、ミディリースの解読してくれた音と、一字一句間違いはない。
だったら……解読に誤りがある……としか。
いや、待て。
俺の願いが弱すぎた? もっと真剣に願わないといけなかったのか?
それとも“願いを込めて”ってところが人間にとっては暗黙の了解的な、儀式を表す……とか?
たとえば、空を見上げて爪が食い込む勢いで両手を組みあわせる、とか、額を血がにじむまで大地にこすりつける、とか。
もしくは、この訳にある……“魔の王”とか“光をあまねく支配する者”とかに祈らなければいけないとか?
とにかく俺は、手をあげたりさげたり色々しながら、その後幾度となく術式を繰り返し展開し、抑揚を変化させて呪文を唱え続け……。
気がつけば夜は更け、明けていたのだった。
***
疲労困憊の末、いつの間にか気を失うように眠っていたらしい。
遠くで聞こえる「ひいいい」という悲鳴のような声……冷たいが、ほどよい弾力が気持ちいいこの抱き心地、それに、唇を覆う柔らかい感触に、喉を潤す甘い液体……。
え?
喉を…………なに……?
「痛いのも、愛情がこもっていると思えば、心地良いものじゃの」
はっ!?
目をあけると、間近にうっとりとした表情で舌なめずりをする……。
「ウィ……ウィストベル!? え、なんで……うわあ!」
ええええええ、何してるの俺、何この手、どこ回してるの俺、なに、ウィストベルを全力で抱きしめてるんだ俺!!!!!
「就寝中の行動は、本能に基づいているというぞ?」
「うわ、すみません!!」
今何してた?
今、何してた、俺!?
ウィストベルを抱きしめて…………だ、抱きしめてただけか!?
「今、なにを……」
「再現してやろうか?」
扇情的な笑みを浮かべるウィストベル。
「いや、いいです!」
落ち着け、俺。
まずは手を離すんだ!
ウィストベルの背に回した腕を離し、次いで体を離す。
そして、寝台代わりにしていた長椅子から、慌てて立ち上がった瞬間、後頭部に別の衝撃が。
「いだっ!!」
「うお、ごめん!」
誰かの顎に頭突きを食らわしてしまったようだ。
誰か……。
「じだ、がんだ」
顎を押さえながら、涙目になっている小さな女の子。
珍しいこの花葉色の髪は……もしかして。
「ミディリース?」
「そうじゃ」
本人でなく、ウィストベルが頷く。
「仮面を外したのか!」
っていうか、今日は随分まともな格好じゃないか。
髪はきちんと巻いたツインテールだし、うっすら化粧もしてる?
服もいつもの地味なワンピースじゃなくて、髪と同色のレースをふんだんに使った華やかなものだ。ちょっと少女趣味な感が強いが。
まさか、ウィストベルの趣味? いや、普通に考えて、ミディリースの趣味だろうな。彼女の服なんだろうから。
ちなみにウィストベルも、昨日の服とは違う……けれど、相変わらず露出部の多い、メリハリのある体型がよくわかるドレスを着ている。
あと、近づくとものすごくいい匂いが……あ、いや。
「くっ……」
ミディリースは耳まで真っ赤になって顎を押さえながら、俺から目をそらした。
あれだよな……単に、いつもの人見知りな態度をとっているだけだよな?
いつも以上の深い意味はないよな?
間違ってもその……俺と……ウィストベルが……ナニを……目撃……。
っていうか、むしろ、何してたか聞いていいですか?
「いだだだだ」
悲鳴があがったと思ったら、ミディリースがウィストベルに頭を掴まれ、俺の方へ無理矢理顔を向けられていた。
「いかにジャーイルが気安いとはいえ、大公じゃ。無礼な態度をとるでない」
「ご、ごめんだしゃい……」
なんだろう。初めて会ったときからの、ウィストベルのミディリースに対するこの親しげな態度は。
まるで親戚のお姉さん、とかみたいなんだが?
「あの……二人は知り合いなんですか?」
ミディリースは六百年間、引きこもっていたわけだから、知り合いだというならそれ以前のことになる。
「会うのは初めてじゃ。が」
ウィストベルはミディリースの頭から手を離した。
「ここ二百年ばかり、手紙のやりとりをしておる」
……え? ああ、じゃあ。
「ミディリースの魔道具に詳しい文通相手って、ウィストベルだったのか!」
「ま……まあ、そのうちの一人、というか……いいますか!」
じろり、とウィストベルに睨まれて、ミディリースは言い直した。
「もっとも、お互い正体は隠した上での文通じゃがな。本名も、所在も、何も知らぬ状態での」
所在も? それでどうやって、やりとりしてるんだ?
誰がどうやって、手紙を届けてるんだ?
まさか、鳩? 文書鳩とか言わないよな!?
「文章のくどさから受ける印象と、実際の人物像とはえらく違ったがの」
ええ、そうでしょうね!
あの長文だらだらの文章を読んで、こんな口べたで人見知りな小さな女の子をなんて、誰も想像しませんよね!
「ウィストベル大公は手紙でも尊大……あ゛ーーーー」
っていうか、二人とも……さっきの呼称……<暁の支配者>と<凡俗の司書>……だっけ?
あの恥ずかしい名前でやりとりしてるのか?
もうちょっと……匿名でやる必要があったにせよ、せめてもうちょっと普通な感じの呼び名にすればよかったのに。
「ジャーイルからの手紙は届かなかったが、ミディリースからの手紙は届いたのじゃ。魔道具に関しての、知識の有無を問い合わせる手紙がな。それほど急ぎとも思わなんだから、返事を書いたのが三日前での」
ああ、文通相手に問い合わせたって言ってたもんな。それがウィストベルだったとは。
「昨日届いた。さんざん待ったあげくに、“詳しいが、何か?”みたいなそっけない感じで、ちっとも役にい゛ーーーーーー!! ご、ごめ、ごめんなさい!!」
貴重な喋るミディリースだが、話している最中にウィストベルの指導が入るので、語尾が必ずといっていいほど悲鳴に変わっている。
「主の質問が具体的でないのが悪い。私とて、ジャーイルがこんな目にあっていると知っていれば、何をおいてもすぐに飛んできてやったものを……」
女王様の必殺技、流し目だ。今日はなんだか頬も唇も血色がよく、色気がいつにも増してハンパない。
……さっき、目が覚める前のこととか……は、つきつめなくてもいいかな。
「まあ、そこら辺は俺が秘匿だと念を押したせいなので、ミディリースを責めないであげてください。素性がわからないまま、事情を明かすわけにもいかなかったんですよ。っていうか! そうだ、ミディリース!!」
思い出した!!
のんびりしている場合ではない!
「魔力が戻らないんだけど!!!」
悲鳴のような叫びが執務室にとどろいたのだった。
――俺の。
「そんなバカな」
「ミディリースの解いてくれた、この紙の通り……えっと……」
書き付けを探す。
あ。寝て下敷きにしていたみたいだ。長椅子の上に、くしゃくしゃになった紙があった。
「何度もやってみたんだけど、ぜんぜんダメで……」
皺を丁寧にのばし、二人でのぞき込む。
「で、この鏡がそれか?」
声のした方に視線を向けると、ウィストベルが机の上に裏向けて置いた邪鏡を、持ち上げているではないか!
「ダメです、ウィストベル! それは姿を映しただけで魔力が……!」
一歩、遅かった。
ウィストベルが鏡面を、自身に向けたのだ。
今度は自分のことじゃないから、はっきり見えた。
ウィストベルと、一緒に映ったミディリース。その二人から魔力が引きはがされるように剥離し、鏡に吸い込まれるところが。
当然、二人の魔力量は百分の一になっている。
「ウィストベル!! 貴女ともあろうものが、なんて軽率な!」
しかし、慌てているのは俺一人のようだ。
当の本人は、どこか余裕の笑みを浮かべている。
まあ、そりゃあ……ウィストベルの場合、百分の一と言っても……。
「なるほどのぅ。これは不安にもなるな」
……わざとですか?
もしかして、わざとですか!?
「しかし、ちょうどいいとは思わぬか? 大公位争奪戦とやら……この魔力量であらば、ちょうど今の地位を無理なく維持できよう」
今の地位って……大公四位の?
「そのためにはもちろん、主にもきちんと、実力通りの力を出してもらわねばならぬがな」
えー。
俺に地位をあがれっていうのか。
ウィストベル、本気で言ってるのか?
……本気なんだろうな。
それに確かに……百分の一でも、四位なら維持できますよね。全員が一切手加減せず、実力を出し切って本気でぶつかり合うならば。
だが、わかっているのだろうか……ウィストベルは。
そうなると少なくとも三人からは、本気で負ける悔しさを味わわされることになるというのに。
「この鏡、主の魔力が無事戻った暁には、私がもらい受けよう。きっちり管理して、決して表には出ないようにすると誓う。どうじゃ?」
「できればこんな物騒なもの……粉々に砕いて、塵も残らないよう消滅させたいと思っていたんですが」
正直、見るのもイヤだ。今すぐ粉々にしたい。この世から抹消してしまいたい!
「そうじゃの。それは大公位争奪戦の後に、考慮しよう」
「そこまで言われては」
そうでなくとも、俺に拒否できる訳がないですよね。
「よかろう。それで決まりじゃな。では一つ、解読を試みてみるかの?」
力強い言葉と共に、女王様は嫣然と微笑んだのだった。
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