古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第四章 大公受難編】

43.ついに長かった苦痛の日々を終わらせる時がやってきたのです!



「七カ所も間違っておるぞ」
 執務室のクッションふかふか長椅子に足を組んで座りながら、翻訳の書かれた紙と鏡の裏面を見比べ、女王様はそうおっしゃった。
「へ!?」
 俺の隣に座ったミディリースがその言葉に衝撃を受けて、大きな目をいっそうまん丸にしている。

「ど……どこが間違ってるんです!?」
 眼がギラギラと輝いているのは知識欲のせいか。
 そして、やっぱり喋りに淀みがない。
 ウィストベルが相手だから、とか?
 会うのは初めてでも、二百年も文通してたら――とても恥ずかしい匿名を使ってだが――やはり親しみも沸くのだろうか。
 それとも、この一晩で打ち解けたのか?

「ここ……“ブラディアー”は、“魔の王”ではない。“力の王”じゃし、レイディアは“夜にうごめく”、ではなくて“闇に棲まう”じゃ……」
「ほうほう」
 つまり翻訳が間違っている、ということらしい!
 ウィストベル、すごいな。いつの時代、どこで使われていたのだかさえわからない、こんな虫の這ったような文字を、本に頼ることすらなく解読できるなんて! 本当にすごいと思う。
 でも、白状しよう。
 俺は意味とかどうでもいいんです。音が……発音さえわかれば、それでいいんです!

「ジャーイル」
「はい」
「関係ないと思って、聞き流しておったな」
「いや、あの……」
 なぜバレた?

「まあ、よい。が、ここから先はよく聞くがよい」
「はい」
 俺は姿勢を正した。
「実践にあたっては、呪文の音はおおむねその通りでよいが、“レ”の発音の際には小さい“ェ”を挟むようにするがよい。そして、術式を足下ではなく、頭上に展開せよ」
「えっ」
 俺とミディリースの叫びが重なる。

「頭上!? 足下じゃなく、頭上!?」
「そうじゃ」
「おぅ、なんてこったい」
 言っておく。今のは俺じゃなくて、ミディリースの台詞だ。しかも、額を叩くという動作付きの。
 いや、今だけじゃない。さっきからずっと、ミディリースの相づちはどこかオジサン臭い。
「いったいどうして、こんな間違いをしたというのか!」
「解説が欲しくば、後でじっくりしてやろう。二人きりでの……」
「ひぃ」
 ニヤリ、と笑うウィストベルに、悲鳴をあげるミディリース。
 昨日あれから二人きりの密室で、なにがあったというのだろう。

「さて、では実践じゃ。まあ……そうじゃの。ミディリース。主はこの術式を、展開できるか……無理じゃの」
「え?」
 本人が反応する間もなく、早口で答えるウィストベル。
 あれだな……ミディリースも減少前の魔力ならできたんだろうが、今の総量ではたったの二層でも無理がある。本人は、気づいていないにしても、ウィストベルや俺からすればその実力は一目瞭然だ。

「では必然的に、私かジャーイルがこれを行うことになるが」
「もちろん、俺がやります」
 もともと俺の問題だ。他人に任せる気はない。
 だが、ウィストベルは嬉しそうに微笑んだ。
「では、主に任せるとしよう」

 仕切り直しだ。
 一度気を落ち着けた方がいいというので、本棟の小さな食堂で三人そろって朝食を摂り、風呂に入って衣服をただした。
 では、いよいよ実践だ。
「わ……私も?」
 しきりにスカートをいじったり、背を丸めてキョロキョロしたり、ミディリースはいつにも増して、落ち着きがない。
 そりゃあ六百年も引きこもっていたんだ。それなのに、なるべく人払いをしているとはいえ、朝食時には数人の給仕がいたし、移動時だってどうしても多数の目にさらされるからな。

「もちろん、主もじゃ。同じく鏡に映ったのじゃからな。一生その魔力量のままでもよいというのなら、好きにするがよいが」
「お供します!!」
 なに、その腹から出たような野太い声。
 未だかつて、こんなにはっきり喋るミディリースを見たことがあっただろうか。いや、ない。

 とにかく俺たちは、三人そろって広間に移動した。
 そこは舞踏会が開けそうなほど広い割に、出入りの扉が一つしかなく、窓もやはり小さく数少なくで、家具もほとんど置かれていなかった。
 ものすごく暗くて、陰鬱な雰囲気の部屋だ。
 ヴォーグリムが何に使っていたのかは聞いたことがないが、本棟にあって、開かずの間に近い扱いを受けている場所だった。
 もっともそういう部屋は、ここ一室ではない。

 だが掃除だけは怠っていないようで、埃なんかは積もっていない。
 エンディオンには俺たちがこの部屋にいる間は、決して誰も近寄らせないよう頼んである。そうはいっても念のため、結界を……。
「主がやる必要はない」
 ウィストベルに止められた。
「ミディリース。主の特殊魔術は隠蔽魔術であろう。わずかな間、この部屋を誰からも見つけられぬようするくらい、今の魔力でも息をするようにできるはずじゃな?」
 隠蔽魔術!
 え?
 なにそれ、なにその珍しい魔術。
 六百年、引きこもっていられたのはそのせいか?
 後で聞いたら、色々教えてくれるかな?

「はい、もちろんです、女王陛下!」
 ……なんなの、そのノリ。
「調子に乗るでない」
「いだだだだ。すみません、もうしません!」
 こめかみをぐりぐりされるミディリース。
 今日は随分表情がくるくる変わって、おもしろいな。

 とにかく、こんな風に騒ぎながらも、ミディリースは隠蔽魔術を発動し――た、らしい――、俺は改めて儀式に入った。
 まず、三面鏡を俺たち三人の前に空中固定し、術式を頭上に展開する。
 奪われた時は違ったとしても、同じ邪鏡には違いないのだから、返してもらうのは一度にでも大丈夫だろう。
 そして、呪文。“レ”を“レェ”にして唱えて。

 術式が頭上で薄く点滅しだし、それに呼応するかのように鏡面もまた、ぼうっと発光する。
 失敗した時には無かった反応だ。
 ならば今度こそ、今度こそ――。

「ほう」
 手鏡の時と同じ、ただし今回は裏ではなく鏡面からだ。
 目立った特徴のない魔力がじんわり浮き出ると、枝が広がるように俺たち三人に向かって線が延びる。ウィストベルへ向かうものがもっとも多く、ミディリースが一番少ない。どういう仕組みかはわからないが、やはり奪った分量が考慮されているようだ。
 やがてその魔力の束は、各人の魔力にたどり着くとそれに混じり合い、同化したのだった。
「うまくいったようじゃの」

 同化した……そう、同化したのだ!!!

 ひゃっほーーーーい!!

 ようやく、ようやく俺は……俺の魔力がっ!!
 すっかり元通りにっ!!
 長かった……ここまで、本当に長かった!!

 部屋の中にあらためて強力な結界を張り、百式を展開してみる!

 無数の雷撃が天井を覆いつくしたかと思うと、やがて二体の雄々しい獣の姿をとり、部屋中を駆けめぐる。
「ひいいいいいい」
 ぶつかり合い、混じり合う獣たち。
 二体は一体となり、一体は四体に別れ、また二体へと融合する。
 部屋中のあちこちで集まっては散りを繰り返す、眩いばかりの雷光!

 そこへ更に百式を追加。
 万の矢が間断なく広間に降り注ぐ!
 鳴り響く轟音に続いて、目を焼く光の波が広がり、結界を破らんばかりの振動が生まれる。

 ああ、見よ、この魔術の美しさ!
 獣の雄々しさ、矢の鋭さよ!
 余すところ無く百式を操作できるこの力!!
 体中にみなぎるこの魔力!!!
 脳をしびれさせるこの快感!

 気 持 ち い い !!!!

「各々間違いなく、魔力は戻ったようじゃの」
「ありがとうございます、ウィストベル!!」
 俺は我がことのように喜んでくれているウィストベルに駆け寄り、彼女を力いっぱい抱きしめた。
「あん……」
「ミディリースも!」
 ウィストベルを離し、次の目標と定めたミディリースを探すが。
 しかし、相手は視界に入らず……。

「あれ? ミディリース?」
 ぶるぶると震え、頭を抱えながら床に這いつくばるミディリースの姿が、そこにあった。

 ***

「ごめん、ごめんって」
「うっぐ……ひっぐ……」
 ミディリースが泣きやまない。
 百式魔術がものすごく怖かったらしい。
「ほんとごめん、思わずテンションがあがってしまって、つい……」
「つ……つい、で、すんだら……魔王様は……うえっぐ」
「あーごめん、ほんとごめん」
 床に崩れ落ちて泣きじゃくるミディリースの頭を、俺はできるだけ優しく撫でた。

「もうよい」
「いだだだだだだ」
「ウィストベル!」
 再び、ウィストベルに頭を鷲掴みにされるミディリース。
「子供じみるのは外見だけで十分じゃ! いい年の大人が、いつまで泣いておる。主が恐怖を感じたのは、己の弱さ故ではないか。大公がこうして頭をさげておるというのに、いい加減、臣下の分を思いおこすがよい」
 うわ、かわいそうにミディリース。涙と鼻水で、顔がぐしゃぐしゃなんですけど!
「ウィストベル……そう厳しいことを言わずに。俺が周りをみていなかったのが悪いので……」
「暴挙暴虐は強者の特権じゃ。主は弱者に甘すぎる」
 いや……それ、どうなんでしょう。

「弱さはすなわち罪。弱者は生きることをさえ許されぬ。それがこの世の摂理。生き残りたければ、すべてをかけて強くなるしかない。そうであろうが」
 つまり、ウィストベルは強くならねば生き残れなかった、ということか?
「それはあの……俺の知ってる世界とは、ちょっと違うような……」
 確かに残虐と非道は魔族の習いだけども、だからってそこまで殺伐としてはいないと思うんだけど。
「主にとって、世界はもっと優しいものだと申すのか?」
「そうですね……弱いからと言って、たちまち死が訪れるほど、厳しくはないとは思います」
 俺とウィストベルの間に、緊張感を持った沈黙が流れる。

「脆弱な言い分を、我は好かぬ。察するに、主の世界は随分と、生ぬるく優しいものであったようじゃな」
 怒っているのかと思ったが、ウィストベルが浮かべたのは笑みだった。
 それも嘲笑ではなく、随分と優しい……いいや、どこか頼りなげにも見える笑みだ。

「ウィストベル?」
「興が逸れた。我が城に帰るとしよう」
 ふっと、ウィストベルの表情から一切の感情が消える。
 完璧に整った美貌のせいで、まるで氷の彫像のようだ。

「え? もうですか? せっかくいらして下さったんですから、ゆっくりと……」
 自分のことばかりで忘れていたが、我が城にとっては久しぶりの同盟者の訪問だ。
 それもウィストベルに限れば、まだたった二回目の訪問なのだ!
 今回の恩も含め、ぜひにでも盛大に歓待せねばならないだろう。

 だが、ウィストベルは頭を左右に振った。
「いいや。私も少し疲れた」
 その言葉は真実なのか、いつもに比べて雰囲気が随分と弱々しい。
「これ以上の愉しみは、先に送るとしよう。ミディリースに道理を言い聞かせるのも」
「ひいいいい」
「主との朝寝に酔うのも、な」
 だが彼女は、最後にいつもの高慢で嗜虐的な笑みを浮かべて、そう言ったのだった。

 そうしてウィストベルは、邪鏡ボダスだけを携え自分の城に帰っていった。
「せめて昼餐くらい」という俺の言葉をさえ、聞き入れることもなく。

 今回のことでなんとなくわかったが、彼女は随分な幼少期を過ごしてきたようだ。
 少なくとも、俺みたいに両親が揃った上で保護され、成人するまでは何一つ不自由なく――ただ、友達はいなかったけれども――ぬくぬくと育った訳ではない。それだけは、よくわかった。
 それも、俺と同じこの目……魔力を見られる、この目のせいで、なのだろう。
 だからこそ、ウィストベルは気付かざるを得なかった。この目のもう一つの能力に。
 俺が未だ気付かずにすんでいる、誰よりも強くなるための能力に。

 あの女王様が一瞬とは言え、弱々しい姿を見せたんだ。気にならないはずはない。
 だが……俺に何ができる?
 その秘密を聞く勇気もない、今の俺に。
 魔王様ならあるいは、彼女の生い立ちを知っているのかもしれないが……。

「なんにせよ、旦那様のお力が戻られて、ようございました」
 考え込む俺を、慰めるような優しい微笑みで迎えてくれたのは、エンディオンだ。
「ああ、ありがとう。エンディオンにも随分心配かけたな」

 とにかく、気持ちを切り替えよう。
 しばらく魔力の回復に集中していたから、やらないといけないことが山積みになっているはずだ。
「ミディリースにも礼をしないとな。そういえば、本をいくらか入れる約束をしたから……もし、要望があれば、聞き届けてやってくれ」
「かしこまりました」
 ちなみに司書は、ウィストベルを一緒に見送った後、気づけばもう姿を消していた。あっという間にいなくなっていたのだ。
 それも彼女の特殊魔術の賜物なのだろう。

「ああ、それからこれ」
 プートから預かった六枚の紋章の写しを、エンディオンに手渡した。
「プート麾下の六名が、行方知らずらしくてな……一致しないとは思うんだが、一応あの……ほら、例の……」
「旦那様に挑戦してきた、六魔族の紋章との照合でございますね」
「うん、まあ一致しないとは思うけどね!」
 エンディオンは六枚の紋章が書かれた紙を、一枚ずつ丁寧に確認している。

「紋章録で確認したものと似通っているように思われますが」
「いや、六名は全員が公爵らしいんだ。昨日までの俺は、一人の侯爵にすら負けるほど弱体化してたからね! なのにそれ以上の実力者である公爵を、一度に六人も退けることなんてできるはずがない。偶然、数が合っただけだろう」
「公爵……」
 エンディオンの表情が、険しさを増す。
「プート大公閣下麾下の公爵……が、一名というならわかりますが、六名もが一度に旦那様へ挑戦してくるとは……。なにやらきな臭い話でございますな」
 えっと……偶然だと思う、っていう俺の主張は聞いてくれてたかな?
「とにかく、至急照合してみてくれ」
「かしこまりました」
 エンディオンは紋章の写しを手に、執務室を出て行った。

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