魔族大公の平穏な日常
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【第五章 大祭前夜祭編】
エンディオンだけ先に執務室に向かってもらって、俺はいったん自室に戻った。
これから必要になるものがあるからだ。
というのも、今日はジブライールと公式に顔を合わせる機会があるのだ。
そのついでに、魔力を返してしまいたい。
そう、必要なものとは、例の四十枚の手鏡のことだった。
それと医療班からの分厚い報告書。さすがに合間にでも読み進めていかないと不味いだろ。
そんなわけで大きな鞄にその二つをつめこみ、自室を出る。
そうして住居棟から本棟へと向かっていたら、途中でイースに出くわした。
「旦那様。お荷物、お運びいたしましょうか?」
この申し出を受けるのは、イースで十人目だ。
ありがたいが中身が中身だけに、渡すわけには……いや、イースならいいか。
大きな鞄を持って登場、というのも格好がつかないし、ここはイースに甘えることにしよう。
「そうしてくれると助かる。実は今、来客があってな。客人はセルク子爵なんだが、彼が帰ってから、執務室に届けにきてくれるか?」
「お任せください!」
俺が鞄を渡すと、イースは嬉しそうな表情で受け取った。
「中はお前も知ってる四十枚の鏡だ。割れないように保護はしてあるが、扱いには気をつけてくれ」
「はい、旦那様」
そう言うと、イースは鞄を大事そうに抱きかかえた。
そうして俺はセルクの待つ応接室へと、手ぶらで向かったのだった。
***
「このような早朝からお邪魔し、無理を申して閣下の貴重なお時間をいただいてしまい、申し訳ありません!」
部屋に入るなり、セルクの頭頂部を見せつけられた。
禿げてはいないようだ。
「まあ、構わない。そう気にするな」
エンディオンに目をやると、家令は執務机の横に控えたまま苦笑を浮かべている。
俺が執務椅子に座ると、セルクは顔をあげて机の前で直立した。
「それで? 火急の用ってのは、一体なんだ?」
「閣下。噂を耳にしました」
セルクは歩み寄ってくると、机の上に両手をついた。
「筆頭侍従を公募なさると……なぜですか?」
ああ、まあその件か。
「なぜ? どういう意味だ?」
「先日の面談で、私の採用をきめていただいたのだと……」
「そんな話題は全く出なかったはずだが」
本当はそんな考えもあったんだが、ジブライールとの噂に気を取られて、それどころじゃなくなったからな。
「まさかワイプキーの地位を奪ったからと言って、役職まで自然に引き継げると思っていたわけじゃないだろう?」
「ええ、はい……それはまあ……さすがにそこまでは……」
思ってないのに、文句を言ってくるのもおかしなもんだが。
「ワイプキーに何か言われたか?」
あの親父、ちょいちょい勘違いで事をすすめようとするからな。
「小父さん……ワイプキー殿がおっしゃるには、お前は閣下に気に入られただろうから、遠からず筆頭侍従としてお召しがあるだろう、と」
いや、別に嫌な奴だと思いもしなかったけど、とりたてて気に入ったという態度をみせた覚えもないんだけど。
「そう思った根拠は?」
「何度も感心したように、頷いていらした、と」
ああ……。
「確かに感心はしたな。エミリーに対する思いの強さに」
セルクは眉根を寄せた。
だがこの間のように、俺に対して邪推しているとか、怒りを感じているというわけではないようだ。
「くそ、またか! あの妄想親父め!」
エミリーの妄想に対しては<夢見がち>という表現だったのに、その父親に対しての認識は容赦ないんだな。
だが、「またか」
というほど何度も迷惑を被ってるんなら、簡単に信じるなよ、と言ってやりたい。
「ですが……ですが、閣下」
セルクはふんぎりをつけたように頷くと、まっすぐに俺と視線をあわせてきた。
「勘違いがあったとはいえ、私は閣下との面談以来、ワイプキー殿の指導の元、筆頭侍従としていつでもお役に立てるよう、訓練に励んでまいりました。どうかお願いです閣下! ごく短い期間で結構です。せめてその成果を、お試しいただけませんでしょうか!」
セルクは力強くそう言うと、数歩あとじさって床に片膝をついた。
「その結果、閣下が不採用と判断なさるなら、それについて決して不服は申しません。ですからどうぞ、機会をお与えください」
軽く、頭をさげる。
セルクの動作には、隙がない。無駄を排除した動きで、優雅を極めたようなフェオレスの対極にあるようなキビキビした印象を受ける。
副司令官の中ではジブライールに一番近いかな。
当然、印象は悪くない。
それにワイプキーの指導、か。
まああの親父、性格はともかくとして、仕事自体はきちんとこなしていたからな……。
「そうだな……」
エンディオンを一瞥してみるが、どう思っているにせよ、家令からの反応は全くない。
少しくらいは参考にしたかったんだが、まあ仕方ないか。
と、すると……。
「そこまでいうのなら、試用期間をもうけてやろう。短ければ数日、長くても十日間ということで、どうだ?」
「ほ……本当ですか!?」
実際の働きを試してみるのも悪い手ではない。
公募したところでエンディオンに匹敵するほどの人材なんて、簡単には見つからないだろうし。
「いつから始めれば、よろしいでしょうか」
「もちろん、今日からだ」
「本日、これからですか?」
「何か問題でも?」
「いえ、誠心誠意、勤めさせていただきます!」
セルクは深々と、頭を下げた。
どうやら、本当にやる気はあるようだ。
「エンディオン、指導してやってくれ」
「かしこまりました」
やはり家令の表情には、可も否も浮かんではいない。ただ、俺に対する全幅の信頼が確認できるだけだ。
「では一度失礼して、手続きにまいります」
「ああ、頼む」
エンディオンはセルクを連れて、執務室を出て行った。
二人が戻ってきたのは、謁見の始まる頃だ。
魔力が減少して以降、時間を短縮しはしたが、行事自体は取りやめていない。
やってくる顔ぶれはいつもとほとんど同じ、そして話題もいつもと同じ、平凡なものだが……。
まあ、たまに重要な情報ももたらされるからな。
「お初にお目にかかります、ジャーイル大公閣下」
どうしたことか、この台詞を言ったのは彼で五人目だ。
その挨拶に続いて、たいていは自分がどこの誰かという自己紹介が始まる。
彼らの共通項は三つあった。
まずは、誰もが子爵であるということ。
二つ目に、現在、または以前、それなりの屋敷で侍従かそれに近しい役を勤めていた経験があるということ。
そして、三っつ目に、その侍従としての能力が、いかに優秀であるか、ということだ。
ああ、この状況には覚えがある。
以前は独身女性ばかりだったが、今はそうとは限らない……五人は全てあのときと同じくデーモン族。そして、そのうちの二人はやはり女性でもあったが、あのときとは目的が違う。
そう、彼らは一様に、筆頭執事としての価値をアピールしにきているのだ。
公募の発表前に、少しでも印象づけたい、あわよくば……ということなのだろう。
セルクだって知っていたんだ。他にも漏れていないはずはなかった。
「明日はもっと多くなるでしょうね」
「やっぱりそう思うか」
エンディオンの言葉に、思わずため息が漏れてしまう。
公募すると決めてはいたものの、実際にこう……立て続けにガンガンこられるのは、結構疲れる。
「とはいえ、本日の五人の印象は、いかがでした?」
「まあ、悪くはないが、とりたててこれぞという特徴もなかったしな……決め手に欠ける」
特別気の合いそうな者もいなかったし。
彼らはみんな、同じように自分がいかに優秀であるかをアピールしてきたが、その内容に大きな差は認められなかった。
一人残らず俺より年上ではあったが、さすがにエンディオンほど長命な者もいない。五百歳が一番上、だったかな。
この状況に不安そうな顔でもしているかとセルクを見たが、案外肝が据わっているのか、少なくとも表面上は平然としている。
「もしかして、君が謁見の時間まで待たなかったのは、この状況を察していたからか?」
「否定はいたしません」
なるほど。彼らに混ざって印象が薄くなることを危惧して、先んじようとしたわけか。そうして今のところ、セルクの作戦勝ちといった状況なわけだ。
まあ、抜け目がない性格は、嫌いじゃない。
「とりあえず、セルクが侍従見習いについていることを公式に発表して、明日からその目的で謁見に来るのは禁じてくれ」
「かしこまりました」
「ありがとうございます、旦那様」
さすがにセルクも、少しはほっとしたようだ。
やれやれと立ち上がると、すかさずセルクから声がかかった。
「軍団副司令官四名、執務室にて旦那様のお戻りをお待ちでいらっしゃいます」
どうやらエンディオンは、初日からセルクにきちんと仕事をさせるつもりらしい。
「ああ、なら執務室に向かうか」
俺はそう告げ、謁見室から執務室へと移動したのだった。
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