魔族大公の平穏な日常
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【第五章 大祭前夜祭編】
「うふっ。うふふふふふ」
なんだろう。
変な笑い声が聞こえる……。
「ふふふふ。お兄さま、可愛い」
俺は飛び起きた。
「マーミル!?」
「はい?」
妹がにんまり顔で、俺の寝台に頬杖をついていた。
「……この間、お兄さまがなんといったか、覚えているか?」
ため息とともに頭を抱える。
「もちろん、覚えていますわ。だから、添い寝はしてませんわ」
ぐっ……。そういえば、添い寝はだめだ、としか言わなかった……のか。
「そうか、わかった……」
今後、寝る前には扉が外から開かないように、封印を施すことにしよう。そうしよう。
「お兄さま、今日からは朝食をご一緒できるんでしょう? もう、お忙しいのは終わったのでしょう?」
マーミルが期待のこもった目でみつめてくる。
そういえばこのところ、食事を一緒にとる時間もほとんどなかったからな。
「むしろ、仕事は以前より忙しくなりそうだが、まあ、今日は朝食くらいなら一緒に食べられるだろう」
そう言って頭を撫でてやると、妹は紅玉のような瞳を、いっそうキラキラと輝かせた。
「たまには二人っきりでお食事したいわ! いいでしょう、お兄さま?」
二人っきりで?
スメルスフォたちを抜いて、ということか。
「それはかまわないが……」
「じゃあ、一階のテラスでお食事しましょう! お庭に咲いた百合が、それは見事なの。用意ができたらいらしてね。私、エンディオンに伝えてきますわ!」
そう言って、マーミルはぴょんぴょん跳ねながら、俺の部屋から出ていった。
***
さて、昼前には大祭実行委員会がこの城で開かれる。
運営委員会の翌日に、その結果を受けて自領での運営を話し合ったり、独自の催しを企画したり、確認したりする重要な会議だ。
が、俺は不参加で、結果の報告を受けるのみ……つまり、魔王城での運営会議における、魔王様みたいな立場ってことだ。
そうなると会議を総轄する者が必要になるわけで、それを副司令官に――具体的に名をあげると、フェオレスに、と思っている訳だが。
「……にいさま、聞いてらっしゃる? お兄さまってば!」
「あ、悪い。なんだって?」
考え事をしていたら、マーミルの話を聞き流していたらしい。
妹は生クリームの乗ったプリンに、デザートナイフで切り込みを入れた状態で、頬を膨らませている。
「この縁がほんのりピンクに色づいた百合ですわ! とても綺麗ねって!」
なんだ、そんなことか。
「いま、そんなことかと思ったでしょう」
だって本当にそんなことだからな。
「私の紋章にどうかしらってお話ですのに!」
マーミルの紋章?
「お父さまもお母さまも、お花だったと聞いていますわ。お兄さまも薔薇ですし。私の紋章も、お花から選ぼうかと思って」
「ちょっと待て」
俺は右手を挙げた。
「なんですの?」
「お前……いくらなんでも、それは気が早すぎだろう。紋章を決めるようになるまで、まだ四、五十年くらいはあるだろうに」
身長だってまだ伸びきっていない子供の時分から、紋章の話とは……。女の子ってのは早熟なのか?
「あら。こういうのは早めに決めておいた方がいいって聞きましたわ。お兄さまは紋章官がやって来てから、お考えになったそうですけど」
やって来てから考えたっていうか……うん、むしろ考えもしないで、目の前にあるものを適当に描いただけなんだけど。
「なににするのがいいのか、早くから決めておけば、それだけ練習する時間も長くとれますもの!」
ああ、自分で描くつもりなんだ?
「と、いうわけで、私、絵画を習いたいですわ」
……なるほど。そうきたか。
「今度は三人でそういう話になったわけか。もちろん、スメルスフォも賛成なんだろうな」
さすがにもう俺も、ちょっとわかってきたぞ。
「あら……いいえ……」
マーミルが、珍しく複雑そうな表情を浮かべる。
「絵画は……私、一人の意見ですわ……双子は関係ありません」
なんだろう……妹にいつもの元気がない?
「私、先生にはデーモン族の方がいいですわ。男の方でも女の方でもかまいませんけど、そこだけはお願いします」
いや、絵を習わせると決めた訳じゃないんだけど。
だが、種族の指定?
今までマーミルはデヴィル族とかデーモン族とか、区別なく接していたと思うんだが……何かあったのか?
「どうした。双子と喧嘩でもしたのか?」
そう言えば、以前ほど一緒にいるところを見かけないと思っていたんだった。
それに食事中にも、彼女たちとどうしたこうした、という話はほとんど出てこなかったし。
「喧嘩なんて……してませんわ……」
ずいぶん、含みのある言い方だなあ。
俺は自分のスプーンにプリンをすくい、マーミルに差し出した。
「ほら、あーん」
妹は気落ちした表情から一転、笑顔で円卓に身を乗り出すようにしてそれを頬張る。
「もう一回、もう一回!」
「ん」
要望に応えてもう一度プリンをすくってやると、今度はゆっくりと食らいついてきた。
「お兄さまの方が少なくなりましたわ! お返しに私も、はい、あーん!」
マーミルが綺麗に切り分けられたプリンを差し出してくる。
「いや、お兄さまはいい。全部お食べ」
「えー」
なぜそこでぶーたれる? 喜ぶところだと思うのだが。子供は甘いものが好きだから、食べられる量が増えたら嬉しいんじゃないのか?
「お兄さまのけちー」
え? なぜそこで「けち」
?
プリンをあげてるのになぜ「けち」
?
納得いかないんだけど……。
まあ、子供というのは理不尽なものだ。考えても仕方ないだろう。
「で、双子たちは一緒に習わなくていいのか?」
「そりゃあ、あの子たちが習いたいというなら、一緒でもいいですけど……どうだか知りませんわ」
ネネネセ呼びでもなく、あの子たち、か。
「どうしたんだ。あんなに仲良くしてたのに……」
「別に仲が悪くなったわけじゃありませんわ。ただ……私と双子は、本当の姉妹ではないんですもの。それにデーモン族とデヴィル族ですし。ずっとべったり、できるわけありませんわ」
喧嘩はしてないけど、仲良くもしていないのか?
将来は三人で男爵に就いて、近くの領地をもらって、お茶会やらお泊まり会やらをしあって楽しむのだと言っていたじゃないか。
もしかしてこの言い方だと、妹もついにデーモン族とデヴィル族の間に横たわる、価値観の違いに溝を感じてしまったのだろうか。
後でアレスディアにでも探りをいれてみるか。
「それより、お兄さま! そろそろ、筆頭侍従は決まりそうですの?」
あからさまに話題を変えてきたな。そもそも自分から絵の件を出してきたというのに。
「いや、まだだ。だが、早急に決めないと、とは思っている」
「前にも言いましたけど、ぜひ未婚の娘も妹もいない、まじめなデーモン族の青年をお選びくださいね!」
なにその限定的な条件。
「約束はできないな」
そう言うと、妹はまた口をとがらせた。
「お兄さまのけちー」
二回目だ。
もしかして、反抗期か。これが反抗期というものなのだろうか。
子育てについて、スメルスフォとかに相談した方がいいのだろうか。
「旦那様、お嬢様。お食事中、失礼いたします」
声をかけてきたのはエンディオンだ。
「いや、もう食事も終わるところだ。かまわないよ」
妹は口をとがらせたままだが。
「何か問題でも?」
この家令が食事中に話しかけてくるのは珍しい。急ぎの用なのだろうか。
エンディオンは俺の傍らに立つと、長い身体を折り曲げて、耳元でささやいた。
「来客がございまして」
「誰だ?」
「セルク子爵でございます」
セルク?
「こんな早くから、何の用だ」
「それが、用件は旦那様に直接お話ししたいと、申しております。謁見の時間にやってくるよう伝えましたが、一刻の猶予もない、と必死に訴えるものでございますから。いかがいたしましょう。やはり謁見までは待つよう、申しつけましょうか」
一刻の猶予もない?
なんだ。
今度は自分が下位の挑戦でも受けて、爵位を剥奪されたか?
しかし、あいつ結構地力はあったからな。
「いや、会おう。ただし、時間はそう取れないが」
俺はスプーンを置き、立ち上がった。
「お兄さま。もう? あと少しくらい……」
マーミルは口元をとがらせたまま、名残惜しそうに見上げてくる。
「夕食も一緒に食べるから、そんな顔をするな」
「本当ですの?」
「ああ、本当だ」
頷いてみせると、ようやく妹は口元をほころばせた。
「じゃあ、仕方ありませんわね。勘弁してあげますわ」
「許してもらえて、光栄だよ」
そうして俺は妹の頭を撫でると、朝食の席から立ち去った。
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