魔族大公の平穏な日常
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【第五章 大祭前夜祭編】
「あの、閣下……私にお話とは……」
ジブライールは、どこか……困惑気味だ。
そう、困惑気味に見える。間違っても、迷惑そうではない、と思いたい。
「話というのは他でもない、先日の件で……」
「先日?」
イースのやつ、預けた鞄をどこに置いてくれてるんだろう。
少なくとも目に付くところにはない。
俺は執務室の引き出しや、部屋に備え付けられた戸棚を開いてみる。
「何かお探しですか?」
「ああ、うん……鞄をちょっと、な……」
だが、ない。
なぜ?
確かにイースに手鏡の入った鞄を預けて、後で届けてくれと……はっ!
あれか。もしかして、セルクが帰ってから、と言ったのが不味かったのか?
試用期間を今日からにしたせいで、結局まだいるからな、セルク。
それで届けに来ないんだろうか?
……そうかもしれない。
俺はエンディオンを呼び、イースを探して届け物をしてくれるようにと伝言を頼んだ。
実行委員会が始まるまでに、間に合えばいいんだが。
「悪い、手違いがあった。とりあえず、座って待とうか」
手鏡が届くまで黙って突っ立っているのもなんだし、ジブライールには他に話したいこともある。
それで執務机ではなく、その前の応接セット……この間、不覚にも俺が眠り込んでしまった長椅子に深く腰掛け、ジブライールにその正面をすすめた。
よし、もう大丈夫。
二人きりで近くにいても、内股になったりしてないぞ、俺!
だが、彼女は椅子に腰掛けようとはせず、俺に向かって深々と腰を折る。
「まずは、魔王陛下の新居城の築城現場監督……そのような大役をこの私にお与えいただきましたこと、心の底より感謝申し上げます」
相変わらず真面目で堅いな。
「いや、正直、一番面倒な仕事を割り当ててしまったかなと思ったりもするんだ。礼なんてされると、かえってこちらが恐縮してしまう。だから、顔をあげてくれ、ジブライール」
「面倒だなどと、とんでもございません!」
ジブライールは勢いよく頭を上げた。その両手はぐっと胸の前で握りしめられ、葵色の瞳は明るく輝いている。
「他の大公閣下を差し置いて、魔王城の築城を一任されるなど、いかに閣下が魔王陛下の寵を得ておいでか、下々にもわかろうというものです」
うん、まあ、確かに俺、魔王様の寵臣だけどね!
「その大事なお仕事の、現場監督を私におまかせいただける。これほどの栄誉はありません。なぜなら、それは閣下の……わ、私に対する……ち、ちょ……………………信頼の証、ではないかと……う、自惚れ……でしょうか」
「いや、自惚れではないけど……」
確かに信頼はしている。誰とは言わないが、まあ小動物二匹より、その性格に対しては。
が、割り当てた役割の重要度については、どれも同じだと思うんだが。
まあ、せっかく喜んでくれているんだから、水を差すのはやめておくか。
「それより、ジブライール。最近、何か変わったことはないか?」
「変わったこと……ですか?」
あ。失敗した。変な聞き方をしてしまった。
さっきまでちょっと嬉しそうだったジブライールの表情が、また怪訝さでいっぱいになっているではないか。
「たとえばその……変な噂話を聞いた、とか……」
「…………」
なんだろう。沈黙が怖い。
あと、目が据わってきている気がする……。
その状態で見下ろされているのは、あまり好ましくない。
「とりあえず、座ってくれないかな? 立っていられると、どうも落ち着かないというか……」
「も……申し訳ありません! 閣下を上から見下ろす、など……」
ジブライールは、ようやく俺の正面に腰を降ろしてくれた。
「それで、あの……」
「閣下に関する噂話であれば、耳にしました」
ジブライールの声はいつにも増して固い。
「俺に関する……」
「はい」
短い肯定は、深いため息と共に吐き出された。
「近頃、ジャーイル閣下が特定の女性と公私にわたって親しくしている……という噂話でございます」
やっぱり、か。それで怒っているわけだ、ジブライールは。
ここはさっさと謝ってしまうべきか。
「正直に申しますと……そのお話を聞いた時は、ショックでした」
膝の上で固く握られた手が、ぶるぶると震えている。
そこからは、怒りしか感じない。
そりゃあジブライールにとっては、迷惑千万な話、だもんね……。
「まさか、ジャーイル閣下がベイルフォウス閣下と同じせい…………ご趣味をお持ちだなんて……」
……ん?
なぜ目をそらす、ジブライール。しかもなんか、気まずそうに……。
それにベイルフォウスと同じって、どういう意味だ?
「はっきり言ってくれ。ベイルフォウスと同じという、意味がわからないんだが」
ジブライールはやや逡巡を見せた後、意を決したように、俺を見つめてきた。
「ジャーイル閣下が……花葉色の髪をした幼い少女のもとを、頻繁に訪れているばかりか…………」
え?
花葉色?
え?
それってミディリース?
それでベイルフォウスと一緒ってことは、まさか。
「先日などは……ウィ……ウィストベル大公と、三人で……一晩をあかされ、朝食をご一緒なされた……と……」
なに、ちょっと待って。頭がついていかない。
なぜかジブライールは涙目だ。
だがそんな噂が本当に流れているのなら、俺のほうこそ泣きたいくらいなんだが!
「確かにウィストベルは一泊したが、彼女はその花葉色の髪の女性と一晩中、二人きりだったはずだ。俺はその間、執務室にこもっていただけで、もちろん彼女たちとは一緒じゃなかった。翌日の朝食を客人……それも、同盟者であるウィストベルととるのは当然だろう。それに、ミディリースは幼い少女じゃない。ただ背が低くて、童顔なだけだ。あと、別に通ってない。会ったのもまだ三度ほどだし、顔を見たのなんて、この間が初めてと言っていい。朝食に同席したのも、ウィストベルと彼女が知り合いだったからだし、他意はない」
一気にまくしたてた。
「では、そのような事実はなかったと……」
「当然だ! あるわけがない!」
思わず肘掛けを叩いてしまう。
この長椅子の上でのできごとが頭をよぎったが、瞬時に忘れることにした。
「今の噂、誰から聞いた? 誰がそんなことを言っていた? そんな風に、はっきり言っている奴がいたのか? この城の中で? ジブライールはそのでたらめを、信じたのか?」
俺の詰問口調に、ジブライールはとまどいを見せている。
だがこれは看過できない問題だ。
なぜって、俺がちょっと女性と部屋で二人きりでいるだけで、妙な噂がたつというのでは困るからだ。
まして、ベイルフォウスと同じ趣味とされては……好みの女性と知り合う機会が、よけい遠のいてしまうじゃないか!
「でたらめ……」
「当然だ。はっきり言うが、俺はこの城に移って以降、そういう風に女性と親しくしたことは一度もない」
一度もない。
一度もない……。
一度もない…………!
あれ?
なんだろう。
ものすごく……ものすごく、グサリときたぞ。
自分で言った事ながら、ダメージがハンパないぞ。
ちょっと泣きたくなってきたぞ。
「誰かがそう断言しているのを聞いたわけではないのです。閣下がそれほど強く否定なさるのですから、私はそれを信じます」
……とても複雑な心境だが、まあ、信じてもらえたことに関しては喜ぶべきかな。
「今回は、私が断片的な噂話を勝手につなぎ合わせて、早とちりをしてしまったまでのこと……。申し訳ございません」
気のせいだろうか。謝っているはずのジブライールは、なぜか嬉しそうに見える。
彼女があくまで早とちりだと主張するのなら、それでもいいが。
「ついでにいっそ、もう一つ言っておく。この間から俺が気にしている噂ってのは、俺とジブライールに関するものなんだ」
やっぱりきちんと話しておかないからダメなんだ。噂話だけが耳に入っても、また誤解するだけだろうから。
「私と、閣下……ですか?」
俺との間に噂がたっているだなんて、想像したこともないのだろう。ジブライールはキョトンとしている。
「前にも言ったが、発端は俺の不注意からだ。それに関しては、本当に申し訳なかったと思っている」
「そんな、閣下……」
「その噂って言うのは、俺が……その、君を……」
「閣下が……私を?」
「……なにを聞いても、驚かないでほしいんだけど」
俺が言いよどんだ瞬間、ジブライールは長い息を吐いた。
「はい、お約束いたします」
そう言って両手をしっかりと膝の上で握りしめる。
ジブライールが緊張しているのがわかって、俺も余計に気が張ってしまう。
「俺が君を……ジブライールを、寵姫に選んだのだ、と」
沈黙が返ってくる。
そうだろうとも。そんな話、現実味がなさすぎて、理解するのも難しいだろう。
「……もう一度、おっしゃっていただいて、よろしいですか?」
いや、理解以前の問題らしい。
聞き取りやすいように、ゆっくり言ってみよう。
「俺が、ジブライールを、寵姫として、迎えることに、決め」
「本当ですか!?」
本当ですか?
噂が広まってることが本当かって?
「うん、本当らしい」
俺がうなずくと、ジブライールは見る間に顔を赤くさせた。
さっきまではほんのり頬が色づいていただけなのに、今は首もとから額の生え際まで、全部朱く染まっている。
それだけじゃない。葵色の瞳は今にも大粒の涙がこぼれそうなほど、潤んでいる。
「あ、あの……私……」
しかも、恥ずかしそうにもじもじと指を合わせてたりする。
何この反応。予想外なんだけど。
と、いうか……あれ?
ちょっと待てよ。これはまさか……。
「ふ……ふつつかものですが」
困惑する俺の前で、ジブライールはおもむろに長椅子を立つと、床に両膝をついた。
「ひたむきに、閣下におつかえさせていただきたいと……」
は!?
「ちょっと待った、ジブライール! 違う、そうじゃない!」
俺は床に指までつきかけたジブライールに慌てて駆け寄り、その手を取る。
「落ち着け、ジブライール。いくらなんでも、そんなわけないだろう?」
「え?」
今の流れで、なんで誤解した?
早とちりといったって、ほどがあるだろう!
「俺がそう決めたとは言っていない。そういう噂が、一部で流れている、という話なだけで……」
「え……」
葵色の瞳が、大きく見開かれる。
「うわ……さ……」
「うん、噂だ。事実じゃない」
葵色の瞳が急にあちこちに動きだした。視点が定まらない。
必死に考えを整理しているのだろう。
「ジブライール。俺が、あんなことぐらいで」
蹴られたこと、だ。
「責任をとってもらおうなんて、考えるわけがないだろう」
いや、なんか……我ながら、変な表現だと思うけれども。
責任をとってもらうって……乙女か! 俺は乙女なのか!
「だいたい俺がそのつもりだとしても、ジブライールはちゃんと断っていいんだ。責任を感じて、言いなりになる必要はない。俺がそれを強制をするような男に見えるなら、話は別だが」
無茶な言い分だとはわかってるんだ。
大公が望めば、公爵といえど簡単にその誘いを断る事はできないだろう。それこそ、拒絶には命を懸ける覚悟が必要だ。
だからこそ、ジブライールも無理を受け入れる方向で結論づけたんだろうし。
「ち、ちが……わた、し……私、は……責任とか……そんな……」
普段が冷静だから、しどろもどろなジブライールはとても珍しい。
……とか、言ってる間に、待て。
頼む、涙目になるのはやめてくれないだろうか。
「……っ……」
「ちょ、ちょっと待った、ジブライール」
泣かれるのはやばい。子供ならまだしも、成人女性に泣かれるのはやばい。
というか、俺が泣かせたことになるよな、これ。
「……馬鹿……」
ああ、ごめん。俺は本当に馬鹿です。
「私の……馬鹿!!」
頭を机に向かって振り下ろしたので、つっぷして泣き出すのかと思ったら違った。
なにを思ったか、ジブライールは頭を机に激しく打ち付けだしたのだ。
「ちょ、待て!」
頭がっ!
額が大変だ!!
一度目で赤く腫れ、二度目で傷が生じる。
三度目が当たる前に俺は彼女の両肩をつかんで、なんとか額が机に激突するのを押し止めた。
たぶん、そのままいってたら、ジブライールの額も机も逝ってた。
机は別にいいんだが。
それにしても、抵抗する力がすごい。こんな華奢だというのに、さすがは公爵。
「誤解することくらい、誰にだってある! 早とちりとか、俺なんてしょっちゅうだ! だから、そんな気にすることはない」
俺の言葉にも、ジブライールは力を緩めようとはしない。それどころか。
「手を離してください! 私なんか……私なんか、もう……!!」
やむを得ん。
「ちょっと落ち着け、ジブライール!」
俺は彼女を前から抱きすくめた。
こうするより他に、彼女の勢いを止める方法が思いつかなかったのだ。
「大丈夫、わかってる、迷惑な噂話だってのは、よくわかってるから。だからちょっと誤解したくらいで、そんな風に自分を痛めつけるのはやめてくれ。当然、ジブライールが望むなら、公式に否定する声明を出してもいい。なんなら、今後一切、その話題を口にするのは禁止にして、破った者は俺が直々に手を下してもいい。俺がいいたかったのはそれだけで、誰も無理強いなんて……」
もう俺も焦りすぎて、自分がなにをいっているのかよくわからない。
とにかく、抱きしめる腕に力を込める。
その瞬間、ジブライールはビクッと体を震わせたかと思うと、いっさいの抵抗をやめた。
その結果、俺の力が余り。
「うお」
俺たちはそろって床に倒れてしまった。
俺がジブライールに覆い被さって、押し倒したような感じだ。
「悪い」
慌てて両手を床につき、上半身を持ち上げる。
そこで……。
脂汗がどっと吹き出した。
だって……ほら、この状況。
思い出さない?
思い出さない?
下をみれば涙目の上目遣いで見上げてくる、ジブライール。
そこへのしかかる、俺。
次にやってくるのは、下半身への衝撃……。
「うわああああああ」
俺は恐怖を感じて飛び退いた。
叫び声からして情けなかったのは、自覚してる。
だけど、だけど、わかるはずだ!
男にならわかってもらえるはずだ!
あの恐怖の再来を、恐れる俺の気持ちが!!!
「か……閣下……」
呼びかけられてビクッとしてしまったことについては、我ながら反省すべきだとは思う。
すでにもう十分、醜態をさらしているとしても。
俺はおそるおそる、侮蔑の色を浮かべているであろうジブライールを振り返った。
が、どうしたことか、身体を起こした彼女は、俺の醜態になぞ気づいた風もない。
それどころか、なんというか……。
押し倒したせいで……いや違う、そうじゃない。
うっかり倒れたせいで、いつもはきっちりまとまった銀色の髪が、乱れて華奢な肩や背中にかかっている。その様が、妙に婀娜っぽい。
「あの……閣下、わ、私……私は……」
そのまま潤んだ目で四つん這いになって、近づいてこられてみろ!
勘違いしても仕方ないよな?
これは、勘違いしても仕方ないよな!?
だが。
「あーおほん」
可愛い咳払いが、俺たちの耳に届く。
執務室の入り口を見上げると、そこには可愛い二匹の小動物がいた。
リスと、雀だ。
「失礼いたします、閣下。そろそろ、大祭実行委員会の時間かなぁ~なんて、思ったものですから……」
リスがニヤつきながら、そう言った。
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