魔族大公の平穏な日常
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【第五章 大祭前夜祭編】
今は準備期間中だが、大祭に突入したとして、魔王城の建設に携わる作業員たちは、自分の作業が終わらないうちにはこの建築予定地でほとんどの時間を過ごすことになる。
その総数は、自領・魔王領の技術者・職人を集めて約千五百ほど。大人数だ。
とはいえ、建てるのは魔王城だ。そんな数でいいのか、と聞いたほどではあるのだが。
そして、職人たちの代表による答えは、「十分です」だった。
となると当然、それだけの人数を収容するための、宿泊施設が必要になってくる。
だから彼らがまず取りかかったのは、その仮居住区の建設からだった。
さすがに人員も千を越えるとなれば、建物も一つ二つですむわけがない。
仮住まいだから普段の住居ほど贅沢はできないものの、身分に応じて多少は部屋も少しは広くしたり豪華にしたりもしなければいけない。
だが、彼らはその仮居住区を、あっという間に整えてしまった。おそらく一日もかかっていないだろう。
その結果、現地ではいくつもの大小さまざまな建物が、広い通路を挟んで整然と並んでいた。
一見したところ、人間の町にも似ている。
「うわ……まるで……」
おそらく、俺と同じ感想を抱いたのだろうミディリースは、俺のマントを握りしめ、俺の影に隠れるようにして後ろをついてくる。
まあ……慣れてくれたのは嬉しいが、これはこれで……ちょっと鬱陶しいな。
当然、結界の中に入る前にミディリースにも魔術印を施しておいた。
その作業を見守るジブライールの視線が厳しかったのは、もしかしてその時に使った術式を、解読しよう試みていたからなのだろうか。
その後ため息をついていたから、無理だったのかな?
それはともかくとして、ミディリースもこの仮居住区が気に入ったらしい。目がキラキラと輝いている。知り合ってから、始めて目にする喜びの表情だ。
もっとも、まれに作業員たちとすれ違うたび、その視線におびえたように俺の後ろで縮こまるのだけれど。
「とにかく、部屋を決めてしまうか。それから作業に入ろう。でないと、落ち着かないだろう」
俺の言葉に、何度も頷くミディリース。
人目のつかないところに、早く行きたいのだろう。
「あ、ジブライールは仕事に戻ってくれていいから。忙しいのに、つきあってもらって悪かった」
「えっ。いえ、しかし……」
「部屋は適当に決めておくし、何度か来てるから、食堂とかトイレや風呂の場所はわかってる。心配いらない」
しつこいが、ここは簡易の仮住まいだ。そんなわけで、水回りは共同になっている。
それはどれほど高位のものでも変わらない。
もしも魔王様が視察に来られたとしても、共同トイレを使用してもらう。
「ですが……それでは、その……閣下とミディリースが……」
何が気になるのか、いつもの歯切れのよさがない。
俺とミディリースが?
……そうか。
「大丈夫。俺もここで処理できそうな書類を持ってきてるから、無駄に二人でうろちょろして、ジブライールの仕事の邪魔をしたりはしないよ。だから俺たちのことは気にせず、安心して仕事に励んでくれ」
そうとも。
まさかミディリースがずっと一緒にいてくれと言い出すとは、思っていなかった。数日かかるようなら、俺だけ先に帰るつもりだったのだ。
だが最初から、ある程度は見届けて帰るつもりではいた。
その時間つぶしのために、少しの書類と、例の医療班からの報告書はもっていたのだ。
俺が満面の笑みでジブライールにそう言うと、なぜか彼女は俺の背後に視線をやった。
それを受けて、ミディリースがビクッとしたのが、背中越しに伝わってくる。
「閣下がそうおっしゃるのであらば……ですが、夕食はぜひご一緒したいと思います。よろしいでしょうか?」
「ああ、もちろん構わない。君が宿舎に帰ってくるまで、待っていることにしよう」
「ありがとうございます。急ぎ仕事を終わらせて、閣下の元へ参ります」
いや、急がなくてもいいんだけど……。
「では、失礼いたします」
ジブライールはビシッと敬礼をすると踵を返し、颯爽と俺たちから離れていった。
「怖いけど……ちょっと、かっこいい……」
えっ!
あの敬礼がかっこいいって!?
あの、「いやん、来ないデー」が!?
そういう訳じゃないよな。ジブライール自身がかっこいい、ってことだよな。
「そう思うなら、ジブライールにお願いして友達になってもらったらどうだ? 向こうも仲良くなりたいと言っていただろ?」
「閣下、わかってない……あれ、本心じゃない……」
俺がジブライールをわかってない?
いや、六百年引きこもってた君よりは、さすがにわかってると思うんだけど。
なのにため息までつかれるとか、なんかプライド傷つくんだけど!
まあいい。
とにかく、ミディリースの作業を始めないとな。三日しかないんだ。
開始が遅れたせいで、帰宅も四日、五日と延びてはたまらない。
俺は仮居住区の管理役に確認し、隣り合って空いている二部屋にミディリースと入った。
幅の狭いベッドと衣装ダンス、それから書き物机があるだけの、質素で狭い部屋だ。
俺だけならば、もっと広い部屋を用意できると言われたのだが、隣り合ってとなるとここしかなかったらしい。
まあ、予備の部屋なんてそんなに用意してないのだろうから、仕方ない。
それに、別に俺はどこでも構わない。なんだったら、みんなの集まる談話室の、ソファの上で寝たっていいくらいだ。
なんにせよ、部屋に入ったからといって、何か用があるわけでもない。
荷物と言えば、俺の書類だけ。
二人とも着の身着のままで飛び出してきたから、着替えの一つすらないのだ。
明日、着替える服どころか、今日の寝間着さえない。
仕方ない、誰かに借りるとしよう。
ミディリースの分はまあ……ジブライールに頼むかな。
サイズが違うだろうが、寝間着なら問題ないだろう。
だが、日中は……うん、体格の似た子の一人や二人、いるだろう。いなければ、魔王様のところにでもいって、借りてくるか。
最悪、魔術で洗って乾かせば、たった三日同じ服を着るくらいかまわないだろう。
俺は当然だが、これまでのことを鑑みると、ミディリースだって頓着ないと思う。
とにかくそんな細かいことはどうでもいい。
俺は書類を書き物机に置くと、部屋を出た。
隣のミディリースの部屋の扉をノックする。
だが、返事がない。
気味が悪いほど、静まりかえっている。
まさか、ミディリース! 逃走したか!?
「入るぞ」
俺が慌てて部屋に入ると、そこにはベッドに俯いて寝転がる、ミディリースの姿があった。
「……まさか、寝てるのか?」
返事がない。ただの就寝者のようだ。
「って、おい、ミディリース!」
俺は失礼を承知で、部屋にずかずかと入っていき、すやすやと寝息をたてる彼女の肩をゆすった。
「術には三日もかかるんだろ!? 寝ている場合じゃないぞ。滞在期間が三日から四日に延びてもいいのか?」
ミディリースは一刻も早く、この場での用事をすませて帰りたいはず……なんといっても、こじらせた引きこもりだからな!
そう思っていたのに、まさか寝ているとは!
「ふ……はへ?」
司書は目をそろそろとあけ、ぼんやりとした表情で大欠伸をしてみせた。
それからゆっくりと体を起こし、だらしなく座ったまま拳でごしごしと目をこする。
「ねむい……」
自由すぎるだろ!!
ここにいるのが魔王様だったら、頭を割られてるぞ。
「閣下が、無茶なことをするから、疲れた……」
別に眠くて夢うつつということもないようだ。ちゃんと、現状把握はできてるらしい。
だが、だとしたら、一気に打ち解けすぎだろ!
寝てるところを踏み入られても怒らないって、どれだけ気を許してるんだ。俺には君の距離感がわからないよ、ミディリース。
「まあでも、約束だから魔術する。えっと……」
のそのそと立ち上がり、部屋を横切ろうとする。
が、それこそ半分寝ていたのだろう。
二歩歩いて椅子につまづき、派手にこけた。
「ぎゃ」
「おい、大丈夫か。ミディリース」
「だいじょぶ……でも、鼻、痛い……」
床の上に体をおこすと、真っ赤になった鼻をすりすりと撫でている。
あと、関係ないが、慣れてもカタコトは変わりないんだな、ミディリース。
「とにかく、隠蔽魔術、実行する……ます」
「何か手伝うことはあるか?」
「ない……です。どちらかといえば、一人にしてほしい。範囲が広すぎるから、集中、したい……です」
「この部屋でできるのか?」
俺の質問に、ミディリースはこくりと頷いた。
「範囲、広いから……今日はここの辺り一帯。明日、あちこちいく。たぶん、あと三カ所。それから、今日かけたところの二度目の上書きをする。明後日は、三カ所を二度目……それで、全部隠れる。えっと、わかります……か?」
この広い範囲を全域隠蔽するのに、たった四分割でいけるのか。
なにが自分にはできない、だ。
でも……待てよ。
「なら、今日四カ所とも回れば、明日には終了するんじゃないのか? 三日目は必要ないだろう」
だが、ミディリースは眉を寄せながら、顔を左右に振った。
「無理……です。わたし、竜苦手……外出するの、もっと苦手……今日はもう疲れました。しんどくて、とても無理」
ちゃんと、自分の体力を把握しての三日必要発言だったというわけか。
自分自身に対する評価の、なんと正確なことか。
仕方がないので、俺はミディリースを彼女の望み通り一人にして、自分の部屋に戻ることにした。
マントをベッドの上に脱ぎ捨て、肘掛けもない固い背の椅子に腰掛ける。
そうして俺自身は自分の書類と格闘しながら、その日の夕暮れを迎えたのだった。
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