魔族大公の平穏な日常
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【第五章 大祭前夜祭編】
手元の書類の文字が見えにくくなったので、ふと顔を上げてみれば、窓の外にはいつの間にか紫紺の空が広がっていた。
部屋が簡素なせいで、かえって仕事に集中できたのだろう。こんな時間になるまで、全く気づかなかった。
ジブライールはまだ仕事が終わらないのだろうか。
ミディリースはどうしているだろう?
隠蔽魔術の施行はもう終わっただろうか?
俺は書類の上に医療班の報告書を置き、ペン立てにペンをさして立ち上がった。
ミディリースの様子をうかがうべく、廊下に出て彼女の部屋の扉をノックする。
「ミディリース? また、寝てるのか?」
返事はない。
まあ、寝てるのだろう。
だが寝ているということは、魔術が無事に終わったということだ。……たぶん。
結果は、俺は中にいるからわからないけど……だいたい、隠蔽魔術って隠すための魔術だよな。どう判別するんだ?
あ、待てよ。俺のこの目で見ればわかるのかな?
結界なんかでも誰がかけたものか一目瞭然だし、隠蔽魔術も判別できるかもしれない。
そう思って、廊下の窓から外に身を乗り出し、空を仰いでみたが……。
わからなかった。
これは隠蔽魔術だから、隠されているという事だろうか。
それとも、中から見ているからわからないのか?
まさか、まだ魔術が終わっていない、ということはないよな?
そういえば、ウィストベルはどうやってミディリースが隠蔽魔術の使い手だと知ったんだ?
文通するうちにミディリースの方から明かしたのか。
それとも、二人きりの時に逃走しようとしたミディリースが……あ、変な想像をしてしまった。やめておこう。
「あ、閣下……」
扉の開く音がしたので振り返ると、ミディリースがとても眠たそうに目をこすりながら立っていた。
やはり、寝ていたようだ。
「ご苦労様。隠蔽魔術は……」
ミディリースはぶるんぶるんと顔を左右に振る。
「やってない」
え?
は?
「それはどういう……」
ミディリースは難しそうな顔をして、ことんと首を傾げる。
「考えてみた……です。……中に隠蔽施しても、意味がない……外からかけないと……」
え……いや……え?
いや、そうなの?
そうなのかもしれないけど、え?
「でもこの間、開かずの間を隠すときには中からやっていただろう?」
俺の魔力を取り戻した、あのときだ。
そうだ。確か、そうだった。
別にミディリースは、いちいち部屋の外に出なかったはずだ。
「あのときは、閣下の結界、先になかった。今は、ある……です。隠蔽魔術、結界の外には出られない……です」
あ、そうなんだ。
でも、そうとわかってたのなら、もっと早くに言ってきてくれたらよかったのに!
なんで今まで寝てたの?
「ミディリース……」
「だって……疲れた……起きたら言おうと……今、言ったですよ?」
いや、今更言われても!
「じゃあ、今から結界外に出てやるか?」
少し、意地悪な質問をしてみる。
「……明日、でも……いいです? よっつまとめて……」
上目遣いで見てくるミディリース。
俺はため息をついた。
「仕方ない。明日四箇所できる体力があるのなら、結果は同じだし、まあいいだろう」
無理矢理つれてきた、っていう事情もあるから、ここは許してやることにしよう。
「あ、ありがと……ございます」
ミディリースはぺこりと頭をさげた。
六百年も引きこもってたくせに、意外にふてぶてしいと感じるのは俺だけだろうか。それともこれが年の功というものなのだろうか。
「俺はそろそろ食堂に行こうかと思うんだが……ミディリースも行くだろ?」
「しょ……食堂……人、多いですよね……?」
「まあ、そりゃあ多いな」
ぶるぶると顔を振るミディリース。
「みんな仕事に来てるんだから、この部屋に食事を持ってきてほしいとかいうわがままを聞くのは無理だぞ」
「そんなこと……言わない」
しゅんと顔を伏せている。
「ちょっと待ってろ」
俺は自分の部屋からマントを取ってくると、それでミディリースの頭からすっぽり覆ってやった。
まあ、無理矢理つれてきたんだから、これくらいは気を使わないと。
「これで少しはましだろ? 歩くときは俺の後ろに隠れていいから」
「じゃ、じゃあ……」
ミディリースは右手でマントの首元を一掴みに絞り、左手で俺の上着の裾を握りしめた。
「これで……」
……ミディリースの両親は、さぞかし大変だったろうな。
呆れつつも、俺は彼女と食堂に向かった。
ジブライールは俺のところへやってくると言っていたが、来なかった。まだ仕事が終わっていないのだろう。
食堂にいると伝言をやって、待つことにした。
それから結構経つのだが、まだこない。
さすがに何も食べないで、食卓に居座るのもなぁ。
千五百人の賄いを一手に引き受けているというだけあって、かなりの敷地面積を占めた三階建て、まるまる一棟が、食堂に充てられている。
長い工事期間中になるべく味があきないように、と、三階とも趣向を変えている。
一階は、八百人を収容できる大食堂。一人の料理人が主体となって数人に指示をだし、量に重点を置いた種類豊富な料理を提供している。
二階はゆったりとした時間が流れている。三人の個性的な代表料理人がいて、五から三十人くらいまでが収容できるさまざまな広さの個室が、合計で百室ほどある。食べながら仕事の打ち合わせをしたり、内輪だけで盛り上がるにはもってこいだ。
そして三階も一階と同じ大食堂なのだが、なぜかこちらは大人数で利用することが多いらしい。食事時になると、歌い出したり踊り出したりする者たちで大騒ぎが始まる。
最終的には料理人たちも歌い出すのだから、まあ、賑やかな場所だ。
内装はどこも簡素だが、出てくる料理は一級品。
一日の終わりに疲れを癒やす場になるのだからと、こだわってみた。食事をしている者たちの笑顔をみていると、正解だったと思えてくる。
ちなみに俺とミディリースは一階の大食堂の、隅っこの四人席に腰をおろしていた。
「あ、ジャーイル閣下。いらしてたんですね、こんばんわ」
「ほんとだ、閣下だー」
何度か現場に足を運ぶうち、話をするようになった幾人かが、挨拶をしてくる。
そのたびに壁を向いて座ったミディリースが、体を震わせるのが実はちょっとツボだったりする。
「なんでそんな壁際に座ってるんですか? もっと、真ん中の方にいらっしゃればいいのに」
「いや、ジブライールを待っているんでな……わかりやすい位置の方がいいかと思って」
「へえ」
誰も不思議そうな反応を返すが、マントをすっぽりと被った小さな人物のことには触れようとしない。
ちらちらと視線を送ってくる者もいるが、俺に対する遠慮があるからか、これは何だとは聞いてこなかった。
そうでなければミディリースの隠蔽魔術の成果なのかもしれない。
「か……閣下……。まだ、ですか?」
さすがに半べそかいてるミディリースが可哀想になってきた。
「そうだな、ミディリースだけ先に食べてていいぞ。俺はジブライールを待つから」
約束したんだから、先に食べるわけにはいかないだろう。
「でも……」
「大丈夫。食べ終わったら、ちゃんと部屋まで送ってやる」
そう保証してやると、ミディリースは決心したようにうなずき、俺を通して給仕に注文をしだした。
それからゆっくりと食事をしたのだが、それでもジブライールはまだ来ない。
俺は給仕にジブライールがやってきたら、ここで待っているようにと伝言をして、それからミディリースを部屋まで送っていった。
そうして再び食堂に戻ったのだが、それでもジブライールの姿はない。
何かトラブルでも起きたのか?
食堂へやってくる者たちの表情は、平和そのものなのだが。
俺は作業現場の方へ、副司令官を探しにいくことにした。
探す、とはいっても、監督官であるジブライールの居場所は常に現場事務所が把握している。だから先に居場所を確認してから、彼女の元へ向かった。
食堂にいったり、ミディリースを送っていったりしている間に、すっかり日も落ちてしまった。
だがそんな中でもジブライールの居るであろう場所だけは、煌々とした明かりによって、昼間の明るさが再現されている。
そこは魔王様の私室が置かれる予定の、居住棟の一角だ。
今は土台と少しの壁だけができあがった状態の、その広い場所の真ん中に、ぽつんと大きな机が置かれてある。
その机をジブライールと十人ほどが取り囲んで、喧々囂々やりあっている。
十人の内訳は、デーモン族三人、デヴィル族が七人。全員が男性、そして建築士だった。
だが、全員が別々の現場を担当しているはずだ。なぜ集まっているのだろう。
「違う。わしが納得いかんといってるのは、そこではない。確かに陛下ご自身が、その場を見られることはほとんどないかもしれん。だが、皆無とは言えぬではないか。であらば、造形には最大の努力を尽くして美を追求し、施工するが道理。それに、陛下がご覧になられぬからといって、手を抜くなどあり得ぬ。細部にまで気を張って、意匠をこらすことこそ、陛下に対する忠誠の証ともなるのではないか」
「その通り!」
“わし”と言っているのは黒豹顔したデヴィル族だ。
頭には五つに枝分かれした立派な鹿の角が生えている。その角は、やっぱり一年ごとにぽろりと落ちるのだろうか?
賛同者はデーモン族一人と、デヴィル族三人。
確か彼が、この居住棟の担当者であるはずだ。
「その考え方がもう、古いというんですよ。見た目にばかりこだわって、機能をおろそかにすることほど、使用者に不便を強いることはありません。主役は扉ではないんです。あまりその存在を主張するようなデザインにするのも、いかがなものかと思われるのですが。これは決して手を抜くとか、そういう話ではないのです」
「そうだそうだ」
反論したものやはりデヴィル族で、首の長いキリン顔だ。
もっとも、そのキリンの下唇からは、野太い猪の角が天に向いて延びていた。
彼はかなり高い位置から他を見下ろすようにして、熱く語っている。
……のはいいのだが、唾が飛び散るのはなんとかならないのだろうか?
みんな気にならないの?
机の図面が水分でしわしわになったりしないのだろうか。
彼の賛同者は、残りの四人らしい。
内容はなんだかよくわからないが、何かについての意見が二分しているようだ。
その調整のために、ジブライールはここを動けなかったのだろう。
「問題が起きたなら、俺を呼んでくれればいいのに」
「閣下!」
双方の間で難しい顔をしていたジブライールが、ハッと顔をあげて俺を見た。
「ジャーイル大公!」
「これは、大公閣下」
ジブライールをのぞく全員が、そろって敬礼をしてくる。
しまった。敬礼禁止法とか出しとけばよかった!
「閣下。なぜ、こちらに」
「なぜって……夕食を一緒に、と、約束してたろ? だから迎えにきたんだが……」
「わざわざそんな……」
そこまでいって、ジブライールは周囲の暗さに気がついたようだ。
「申し訳ありません。まさかこんな時間になっているとは……」
彼女だけではなく周囲の十人も、仕事を終える時間がとっくに過ぎているということに、ようやく気づいたらしい。
強烈な明かりがあるせいで、時間がわからなかったのだろう。みんなで驚いているのだからおもしろい。
「夢中になってましたからね」
「そうですな」
「楽しいですね」
「全くですね」
「いや、実に楽しい仕事ですな」
楽しいんだ! あんなもめてた風なのに、楽しいんだ!
「続きは明日にして、みんなで食事にいきますか!」
そう言いながら、イタチ顔の設計士が図面をくるくると巻いている。
切り替え早いな!
「閣下もご一緒されるでしょ?」
大勢でわいわいか。
大公になってからと言うもの、格式張った会食――ただし、途中で喧嘩が始まる――が多かったからな。
たまには気軽な雰囲気を楽しむのも、ありだろう。
「ああ、せっかくだし、お邪魔しようか。ジブライールもいいだろ?」
「ですが、あの……ミディリースは……」
極度の人見知りである司書のことを、心配してくれているようだ。
「悪いが彼女だけ先に食事はすませた。今頃、部屋でぐっすりと、眠ってるだろ」
「……眠ってる?」
「よし、じゃあ参りましょうか! 大公閣下!!」
キリンが俺の肩に狼の手を置き、長い首を輪をかくように曲げて、顔を近づけてくる。
近い。
と、思った次の瞬間には、ぐいっと首をもたげて宣言した。
「今日の禍根は明日に残さず! 明日は明日で、また楽しみましょう!!」
「おー」
ずいぶんと、和気藹々とした連中だ。
そうして俺たちは、食堂へと揃って繰り出した。
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