古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第七章 魔王大祭 中編】

85.美人が悩む姿には、そそられるものがあるといいますが



「だいたい、お加減が悪いんじゃなかったんですか!?」
「ああ、悪いとも。部屋にこもりっきりで配下の勝手を見逃すほどにな。じゃが、主が共寝をしてくれればそれもたちまち解決じゃ」
「そんな馬鹿な」
「なんじゃ。相変わらず肝の据わらぬ対応じゃな。今の我では食指が動かぬというのなら、この間のようにか弱い状態になってやっても、よ……い……」
 やばい、もう後じさる床がない!
 固い壁を背中に、柔らかい手の平を胸に感じながら、観念しかけたその時だった。
 何かを思い起こしたように、ウィストベルはピタリとその歩みを止めたのだ。

「弱い……私?」
 ウィストベルの表情が、見る間に青ざめていく。
 ただ白いだけじゃない。今度は本当に、青ざめていったのだ。

「大丈夫ですか、ウィストベル」
 俺はとっさに彼女の腕を支えた。
 一瞬、そのままふらりと倒れこむのではないかと錯覚したからだ。
 だが、ウィストベルはニヤリと口の端をあげると、俺の背に腕を回してきた。
「もちろん、大丈夫じゃ。こうして主が抱きしめてくれればの」
「ウィストベル……」

 いいや、違う。いつもとはやっぱり違う。
 軽口だけ聞いているといつものウィストベルのようだが、普段の覇気が感じられない。
 俺に抱きついているのだって、誘惑するためじゃない。それは、全身に伝わる震えで知れる。
 ウィストベルは何かに怯えているのだ。
 でも何に?
 この世にウィストベルが怖れる必要のあるものなど、一切ないというのに。

 だが、この場でその問いを口にするほど、俺も無神経ではない。
 とにかく彼女が落ち着く助けになればと思い、俺はその華奢な体を抱き返した。
 共寝はさすがにできないが、抱きしめるくらいなら大丈夫だろう。どうせもうウィストベルからは密着されているんだ。俺が自分の腕をその背中に回したところで、何ほどの違いがあろうか。そう、魔王様にばれさえしなければ問題ない。
 ばれさえしなければな!

 そのままゆっくりと、絹糸のようになめらかな髪を撫でつける。
 瞬間、ウィストベルは驚いたような表情を浮かべたが、すぐにほっとしたように目尻をゆるめると、抱きしめる腕にいっそう力を込め返してきた。

「ルデルフォウスのために、少しでも魔王城へ行ってやりたいとは思っておるのじゃ」
 ひたすら頭をなでていると、ようやく気分も少しは落ち着いてきたのだろう。ウィストベルはポツリポツリと口を開き始めた。

「けれど、他ならぬ三百年の大祭とあっては……」
 震えは止まったはずが、ぶるり、と悪寒が走ったように背が震える。
「もうこんな感情は忘れたと思っていた。克服したと思っておった。実際、大公についてからのこの三百年間……魔王城で恐怖を感じたことなどなかったというのに……」
 恐怖? このウィストベルが?
 魔王城でいったい何に恐怖を感じたというのだろう。
 彼女より強い魔族が魔王城にいたとでもいうのだろうか。いいや、まさかそんなことはあり得ない。
 だがあの日……邪鏡ボダスを使って魔力が百分の一になったウィストベルと比べるなら、それに勝る魔族がいたとしても不思議ではない。
 実際、大公の何人かはあのときのウィストベルに勝っていた。
 まさかそのうちの誰かに、恐怖を感じた?

「あの後……俺と別れたあの後、何かあったんですか? 誰かに何か嫌なことを言われたとか、乱暴されたとか」
「いいや。誰にも、何も、されてはおらぬ。ただ、視ただけじゃ」
 みた?
「いったい何を見たんです?」
「おかしいであろう……私は真実、誰より強い。今となっては、間違いなくそうなのじゃ……だというのにあの日……主と別れたあと、私は自分の弱さに耐えられなかった……」
 やはり邪鏡ボダスによって弱体化したあの日、何かがあったのだ。ウィストベルに恐怖を抱かせる、何かが。
「わかっておる……わかっておるのじゃ。もうエルフォウンストはあの城にはおらぬ。今はルデルフォウスがあの城の主なのじゃ。頭ではそうわかっていても」
「エルフォウンスト?」
 確か先の魔王がそんな名だったはず。

「そうじゃ……もうおらぬ。あの下種は他ならぬ私のこの手で葬ったではないか」
 ウィストベルは俺の背に回した腕をほどき、両手の平をじっと見つめた。
 それからよろよろとした足取りで長椅子にたどり着くと、崩れ落ちるようにその身を沈める。
「葬ったって……」

 先の魔王をウィストベルが?
 いや、なんとなくそうじゃないかと予想はしていた。
 そのエルフォウンストという魔王を見たことがないので、その正確な強さは知らない。だが倒した者は不明とされていたし、実際にルデルフォウス陛下がウィストベルによって魔王の座に就いているのを知れば、自ずと正解は導き出されるというものだ。
 だが本人の口から聞くと、こう……腹にズシリとくるものがあるではないか。

 しかし、なぜ今更――三百年も経った今になって、ウィストベルは先の魔王のことなんて言いだすんだ。
 そう言えばさっき、「みた」
と言っていたが、たとえばエルフォウンストとかつて深い関係のあった臣下や愛妾を魔王城で見かけでもしたのだろうか。そして嫌な思い出が蘇ってきたとか?
 それともまさか、ウィストベルは魔王城で自分が殺したはずの先の魔王、エルフォウンストの亡霊を視たとでもいうのか。

「ウィストベル」
 俺は彼女の横に腰掛け、今度はその華奢な肩にそっと手を置いた。
「奴が……エルフォウンストが私を見つけたのは、奴の三百年大祭……その時だったのじゃ。沿道にたって魔王を見送る私……。隣に両親と兄がいたのを覚えている……。ああ、だがあの日、この目の前で彼らは……」
 紡がれなかった言葉が「惨殺された」という事実に結びつくのは容易に想像できた。

「それから七百年間、私は囚われ続けた。あの魔王城の暗くて狭い……血の臭いに満ちた部屋の中で」
 七百年も囚われ続けた?
 魔王城の一室で?
 まさかそんな……このウィストベルが?
「その間、我を知るものはほとんどおらず、成人を迎えても紋章すら与えられず、私は……」
 つまり、囚われたのは幼いころ、ということか。それなら納得できる。ウィストベルは弱かったのだろう。他の魔族の幼少期がそうであるように。

「だから……だから、殺してやったのだ。力を蓄え……圧倒的な力を得て、末にあの下種を……なのに、なぜ……」
 ウィストベルは俺に背をむけたまま、肘掛けにすがりついている。
 俺を拒絶して、独白してるようだ。
「なぜ、今さらこれほどに恐怖を感じねばならぬ。しかもあれはエルフォウンストではない……黒獅子など、もういないのじゃ。そうであろう?」
 ウィストベルは振り返り、震える手で俺につかみかかってきた。
「ええ、そうです。エルフォウンストはもういません。この世のどこにも」
 俺は出来る限り強い口調で彼女に同意した。
 一時、ホッとしたようにその目尻がゆるむ。

「その通りじゃ……そう、おらぬのじゃ。なのに……行けぬ。こんな恐れを抱いたままで、魔王城には行けぬのじゃ。行きたくても足が……いうことを聞かぬ」
 こんなウィストベルは初めてだ。
 彼女は強い。これほどの魔力を所持している者など、かつて見たことがない。その実力は、彼女を除く七大大公が全員で一斉にかかっても敵わないほどなのだ。
 そのウィストベルの背が、まるでただのか弱い女性のように小刻みに震えている。

「貴女より強い者などこの世にはおりません。大丈夫、もう何も起こりませんよ」
 俺は彼女の背をゆっくりと撫でた。
 だが、震えが収まる様子は一向にない。
「ルデルフォウスをこの城に迎えるその日には、全身全霊を尽くして歓待すると誓おう。だが、魔王城には行けぬ。悪いが、ルデルフォウスには主の口からそう伝えてくれぬか」
 もちろん、それがウィストベルから魔王様への返答だというのなら、伝えはする。
 だが「そうですか」といって、このまま帰る訳にはいかない。
 ああ、魔王様が心配したはずだ。
 今のウィストベルは痛々しくて見ていられない。
 魔王城へ足を運んでもらうまでは無理でも、多少なりとも元気は取り戻してもらわないと。

 現状、把握している事実といえば、ウィストベルが現魔王城に対して先代魔王がらみの恐怖心を抱いており、足を踏み入れることはおろか近づくことさえ拒否している、ということだ。
 ただでさえ心の弱っているウィストベルに、これ以上根掘り葉掘りその理由を尋ねるわけにもいかないし……。

「いっそ……いっそ、デヴィル族を滅ぼしてしまうか」
 それは地の底から響いてくるような暗い声だった。
 魔族が本能的に怖れるものがあるとするなら、それはきっと今のウィストベルだ。誰もが感じ取ることだろう。彼女が本気になれば、その恐ろしい台詞の実現も不可能ではないと。
「そうじゃ……もっと早くにそうしているべきだったのかもしれぬ。デヴィル族など……デヴィル族など、この世から抹消して……」
 俺はウィストベルの手を反射的に握った。
 手のひらに食い込みかけていた指を、それ以上の自傷に向けさせないように優しくほどく。

「ウィストベル」

 こうなった場合、俺ができることはただの一つだ。
 いいや。俺が、というか、実際には魔王様の秘策、というべきか。
 事ここに至っては、事情をつぶさに知るだろう魔王様の判断に賭けるしかないではないか。

「ご案内したいところがあるんですが」

 ***

 ジャーイル閣下がいらっしゃったようだ、と連絡が入るのは、もちろん珍しいことではない。
 閣下は魔王城を築城するという大事業への責任感はもちろんの事、さらに結界の外に出られぬ我らのことを思いやるお気持ちから――少なくとも、私はそう信じている――、三日と日を開けず様子を窺いにきてくださるからだ。
 だが、作業の手を止めてまで、結界近くまで誰かが送迎に行くことはない。
 他の大公であればいざ知らず、我が大公閣下はそのように仰々しい扱いを受けられるのを、好まれていないというのも理由の一つだ。

 けれど今日はいつもとは事情が違う。
 なぜならば、工事もほとんど終えてしまっており、近頃ではたいていの者が暇を持て余しているからだ。
 それでどうせなら手の空いているみんなでお出迎えしようということになり、私を先頭に数十人ほどで閣下のいらっしゃる場所までやってきたのだが――。

「あのぉ……ジブライール閣下。大丈夫ですか?」
 私を気遣う声に、意識が引き戻される。
 いけない。現実逃避してしまっていた……。
「だ……大丈夫、とは、なんのことだ」
「なんのことって……」
 その男は自分が悪いわけでもないのに、申し訳なさそうな顔で私を見ている。
 いいや、その男だけではない。気遣わしげに見てくるのは、デーモン族の男女を問わず、だ。その気遣いがかえって心を抉るとは思ってもみないのだろう。

「べ……別に私は、ジャーイル閣下が誰とこちらにいらっしゃろうと、それをただお迎えするだけであって……別に……そう、別に何も……」
 結界のこちらの様子を外から見るのは不可能だが、こちらから外は丸見えなのである。
 そして、そう……今私たちの目の前には、結界外でウィストベル閣下を大事そうに抱き上げるジャーイル閣下のお姿が……。
 私は思わず目の前の事実から、反射的に目をそらしてしまった。

「なんでとっとと入ってらっしゃらないんでしょうね」
 なぜか閣下とウィストベル大公は、結界の外で長らく立ち止まっている。まるで私に、その仲睦まじい様子を見せつけるように。
「うわ。閣下がウィストベル閣下の生足にさわったぜ。手つきがいやらしすぎんだろ! え、まさか内股まで?」
「あー羨ましい。俺もさわりてー」
「ばか、お前!」

 !!!

「解散!」
「え?」
 数人の声が重なる。
「ジブライール閣下?」
「聞こえなかったのか? 解散だ。ジャーイル閣下をお迎えするのは中止する」
「え? そんな急に。ここまできたってのに……」
「とにかく私はここに来ていないし、何も見ていないんだから!!」
「あ、ちょジブライール閣下!」

 閣下のあの、ウィストベル大公に向けられる優しい瞳――。
 こんな光景をずっと目にしなければならないなんて、我慢ができない!
 私は衝動的にその場から走り去り、行き当たった太い木の幹に隠れた。

 だというのに。
「うわ。降ろしたと思ったら今度は首筋だよ。まさかこんなところでおっぱじめるつもりじゃないだろうな、ジャーイル閣下」
 実況とか勘弁して!
「それにしても、さすがにデーモン族一の美女。たまらないな……あの、うなじ。あの至近距離であの色気を浴びちまったらもう、俺なんて人目も気にせずかぶりついちゃうね」
「私だってあんな風にジャーイル閣下にふれられたら、もうその場で腰砕けになっちゃうわ」
 もう聞きたくない!

 なんで私はこんな近くで隠れてしまったのだろう。もっと遠くまで走り去るべきだったのだ。
 今のうちに、あの洞穴まで……。
「あ、おい、入ってくるぞ。散れ」
 慌てて木陰に身を潜める。

「うわっ」
 ジャーイル閣下の驚いたような声が響いた。
 ああ、どんなお声でも、本当に、なんて……。
「なんだよ、お前たち……」
「いや、別に……」
 解散といったのに、かなりの人数が残っていたのだろう。いつもこんなことはしないから、閣下が驚かれるのも理解できる。
 お迎えしようとした意図が、ばれてしまわないだろうか。
「俺たちは何も見てませんよ。ええ、見ていませんとも」
 何そのわざとらしいごまかし方!
 余計なことは言わなくていいから!!

「おかしな奴らだな……」
 ジャーイル閣下が鈍か……いや、純真な方でよかった。
「まあ、いいや。ここにいるってことは、仕事は終わってるんだろ? なら誰か、竜を頼む」
 結界の出入りを禁じられている私たちは、作業の終わるその日まで竜すら手許においていない。だからこの結界をくぐれる竜は、ジャーイル閣下が術印を刻まれたご自身の竜と、魔王陛下の竜の二頭だけなのだ。
 ああ、本当なら今すぐにでも出て行って、その手綱を直接受け取りたかった!
 けれど今さら、出て行く訳には……。

 私はジャーイル閣下の足音が通り過ぎるまでその場にひっそりと身を沈め、通り過ぎた後はウィストベル大公を大事に抱きながら歩み去る閣下のお背中を、物陰からじっと見送ったのだった。

 今は一人になりたい。

 とりあえず、部屋に帰ろう。

 そう思って物陰から出ようとしたが、配下たちが集団でやってくる足音にまた、反射的に身を潜ませてしまう。

「かわいそうになぁ、ジブライール公爵も」
 何? 私!?
「ああ。あれだけ周囲にはバレバレなのに、肝心の本人には全く通じてないからな」
 え……バレバレって何が!?
 まさか……まさか……!
「そうは言っても、まさかジャーイル閣下だって、ジブライール公爵に嫌われてると思いこんでる訳でもないだろ。だったら、あれだけの美人だぞ。オレが大公閣下の立場なら、絶対いくね。今だって駄目もとで攻めてみるかと考えてるところだ」
 !?

「あーやめとけ。あの方もあの方で、本当にジャーイル閣下しか目に入ってないから、まず気付かれないぞ。オレがいい例だ。何度もおきれいですね、とか、恋人は作らないんですか、とか、オレもフリーなんですよね、とか、散々アピールしてるのに、世間話だと思われて終わりだ。いつまでたっても、ただの部下としかみてもらえない。出会ったのは俺の方が先なのに!!」
 この声には聞き覚えがある。
 確かそう、私の直属の部下で……よく話しかけてくる……名前は……。
 なに……いったい彼は、なんの話を……。

「あー。お前、結構頑張ってたよな、そういえば」
「まったくだよ。でもまだあきらめた訳じゃないけどな!」
「人にはやめとけといいながら、それかよ」
 なぜ彼らは陽気に笑っているのだろう。
 駄目だ、絶対にもう出ていけない。
 私はいっそう身を固くして、彼らが通り過ぎるのを待った。

「それにしても、問題はジャーイル閣下だよな。なんであんな鈍いんだ。もしかしてあの噂は本当なのか?」
「噂?」
「実はジャーイル閣下は女性に興味が無く、フォウスご兄弟と仲がいいのもあっちの気がおありで……」

 な……なんだと!?
 そんなフザケた事を言う馬鹿どもは、どこのどいつだ!
 ジャーイル閣下が女性に興味がないなんてとんでもない!
 今だって、見ろ! あんなにウィストベル大公を大事そうに抱えて……。
 大事そうに……抱いて……。
 大事……抱く……。

 ああ、地面と同化してしまいたい。

「それはないと思うがなぁ……」
「そういえば、お前は昔、閣下と同じ軍団にいたんだっけ?」
「ああ。閣下が男爵になりたての頃にな。あの容姿だからな。当時は結構モテてたし、割ととっかえひっかえ遊んでたはずだぜ? それで何度かもめて……確か、最終的にはティムレ伯爵までかり出されて、仲裁役をつとめてた記憶がある」
「詳しいな」
「当時の俺の彼女も、ジャーイル閣下に鞍替えしやがったからな……忘れられんさ」
「まあ、なんというか……頑張れ」
「……おう……」
「だけど、それだったらよ……」

 ……。
 とっかえひっかえ……何度ももめた……。
 ……。

 そ、そりゃあ閣下はあれだけす…………す、す、素敵……なんだから、女性は放っておかないだろう、とは思っていた。
 思ってはいたけど……とっかえひっかえ……。

 ああ、地面の冷たさが心地いい……。

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