魔族大公の平穏な日常
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【第七章 魔王大祭 中編】
魔王様と七大大公、それから魔王城に勤める者の代表だけを引率し、今はもう結界の側だ。円形の結界全体が目に収まる場所で竜を降りて、揃って北を向いている。
「本当に、不自然な光景だね」
サーリスヴォルフがぽつりと言った。
確かにそうだろう。
北のわずか後方にこんもりとした小さな森や湖がある他は、誰の住居も城もなく、大祭中であってもなんの催しも開催されていない、静かな平原。
その穏やかな風景の中に、もやのかかった不自然に大きな結界の存在だけが浮きあがっている。
本来ならこの光景は建築の始まった時からずっと、見受けられたものであったはずだ。ミディリースの隠蔽魔術がなければ、中が見えないのを承知で見学にやってくる魔族が大祭中、列をなしたことだろう。
だが今はまだ、ウィストベルを除くと大公たちでさえその中身を知らない。
「一体、こんな場所に、何を用意なさったんです? もちろん、この大祭のための趣向なのでしょう? 我々七大大公にまで内緒にされるとは、よほどのものなのでしょうね」
デイセントローズが期待に満ちた表情で俺を見つめてくる。
そういう質問なら、俺じゃなくて魔王様にしろと言ってやりたい。
「人間の町でもあったのかしら? やはり、虐殺を楽しむことにした、とか?」
さらりと言ったのはアリネーゼだ。
いやいや、それは無しになったじゃん。そういえばそもそもその案にしつこいこだわりを見せていたのは彼女だったか。
「ジャーイル」
魔王様がゆっくり頷かれる。
俺は一同から進み出て、結界解除の術式をその天頂に展開した。
もやのかかった円形の境界が術式近くから徐々に薄まり、中の存在を露わにしていく。
それにつれて内部に無知な大勢の息をのむ様子が、顔を見ない状態でも伝わってきた。
「陛下……こちらは……」
いつもはどこか冷たく感じるプートの低い声でさえ、熱を帯びているようだった。
魔王様は改めて同行した数十人に悠然と向きなおる。
「予が今後移り住む、新しい城だ」
「では……」
さっきまでは不機嫌に、しぶしぶここまでやってきていたという体だったアリネーゼの瞳も、今は興味でキラキラと輝いている。
「ここは魔王城……ですのね。それにしても、まあなんて巨大な……」
それはそうだろう。
一度は城の正面近くに立ったウィストベルの表情でさえ、全容を目にして再び驚愕に彩られている。
ここは周囲を見てわかるように、もともと何もない平原だった。
そこへ直径およそ十キロに及ぶ円形の丘を築き、頂上を標高百五十mに定めて北寄りに東西約九キロ、南北約七キロをならして平地を造った。その平地へ魔王城の本棟である<御殿>を初めとする、公的・私的な建物を東西南北に配置したのだ。
「一同、ご覧いただきたい。
南を真正面に捉え、最前列に見えるのは王座が置かれる<御殿>。ルデルフォウス陛下麾下のイタチ顔、ニールセンが設計した政務を執り行うためのこの城は、はるかに広大な敷地のほんの一部を占めるにすぎないが、みっつの尖塔を配し、世に存在する全ての光を欲して幽玄に輝くその姿は、剛剣を手に世界を睥睨するルデルフォウス陛下さながらの威容を誇って見えるのではないだろうか。遠方より眺めては重厚さに勝るその壁面は、実は微細な彫刻で飾られており、見る方向によって様々な場面を表現している。またその凹凸によって光の加減も変化する、繊細な趣も持ち合わせているのだ。
その向かって右後方、東にずれて<御殿>よりやや屋根の低い建物は、ニールセン同様に陛下に属する黒豹男爵・カセルムが設計した私室の置かれる<東の宮>だ。左右は後方に延びて内庭を含んでおり、内装には魔王様の趣味が反映されて華美というよりは重厚だが、細工が微に入っている。いかに外装が黒一色とはいえ、中は落ち着いた象牙色が主だって採用されており、統一感をかもしだしている。
逆の向かって左後方である西に見えるのは、俺たちのような大公を初めとする高位魔族が滞在するための<西の宮>だ。ここを担当したのは我が配下であるキリン顔のフェンダーヒュー。一階の広間の数々こそ豪奢だが、その他は彼の趣味を反映してか、先の二つの建物に比べてあっさりとしている。もっとも、配下にもいろんな趣味の者がいるから、誰にとっても不快に感じないように、という配慮もあってのことだ。
北にあたる場所にも同じように屋敷が造られているが、こちらは正面から見ることはできないし、規模ももっとも小さい。一階は全て厨房と食堂になっており、魔王城に供給されるすべての食事が、そこでつくられる。二階以上を利用するのは主に城で上級の役職にあるものたちで、それぞれの身分に応じて部屋を割り当てられている。この建物を<裏屋敷>と呼び、四棟を総称して<魔王城>と呼ぶ。
平地にならした頂上に、これ以外の大規模な建物はなく、四棟は空中回廊を備えて行き来できるようになっている。もっとも、その出入り口には近衛が立ち、使用できる者は限られていはするが。このように、四つの棟は近くでみればそれぞれ独立しているのだが、遠くから見ると一つのまとまった建物のようにも見えるのがわかっていただけるだろうか。中庭と、そのぐるりを囲む空地には、趣の異なる庭園がいくつも造られているが、統一感はもたせてあるので雑然とした感じを受けることはないはずだ」
「ジャーイル」
魔王様のため息ともつかない声で、俺の熱弁は中断された。
「まさかこの場で魔王城の隅々まで語り尽くすつもりではないだろうな」
……はっ!
今まで誰にも喋れなかった分、語るのがあんまり楽し過ぎてそうしてしまうところだった!
っていうか、語りたい!!
これから……これからなんだ、まだ。
物語でいうと、こんなのは序章の一行目くらいに過ぎない。
だが魔王様も大公たちも……この時点で辟易としてみえる。
ベイルフォウスなんて欠伸してやがる!
だが俺は逆に問いたい。これほどの城を目の前にして、なぜそんな平然とした態度をとれるのか、と。
一方で実際にこの城で働くことになる面々は、あふれ出る好奇心を押さえられない、といった表情をしている。
ああ、君たちだけでいい。大公とかもうどうでもいいから、君たちにこの城の隅々まで案内して回りたい! いいか、見えてるところばかりじゃないんだ、と説明して君たちの驚く顔が見たい!!
だが……。
「では、説明は案内しながらおいおい、ということで……」
「そうしてくれ」
俺が心の声を押し込めそう言うと、ベイルフォウスがうんざり顔で同調した。
仕方ない。説明が長引くことで、じっと待つはめになるのはなにも魔王様や七大大公だけではない。
「この正面の<大階段>で、我らを歓迎してくれているのが今回の功労者たちだ」
この新魔王城の築城に関わったおよそ千人、その全てがこの正面の階段に整列している。
蹴上げ十五cm、踏み面三十五cmのこのゆったりした階段の段数はおよそ千。左右に別れて一人ずつ立ったのでは、列は途中で終わってしまう。だから一段おきに左右たがいちがいに立つことで、最下段から最上段まで人員を途切れず配しているのだ。
ジブライールだけは階段下で待ってもらっている。一緒に頂上まで登ってもらう予定だ。
いつものように姿勢正しく直立する彼女の表情は、どこか固い。侯爵に攻撃された件で、イラッときているからだろうか。それとも、単に魔王・大公を迎えて緊張しているからか。
俺は<大階段>に歩み寄ろうと一歩を踏み出し――かけたところで、アリネーゼに肩をつかまれ、その足を止めた。
「お待ちなさい。まさか、この階段を一段ずつ歩いてあがれというのではないでしょうね?」
「そうだが……何か問題でも?」
え? ここでなんでその質問?
こんな階段、頂上まであがるくらい、なんでもないよね?
いくらアリネーゼが女性だからといったって、この程度なら登り切るのに十五分もかからないよね?
「大した段数でもなかろう」
「そうですとも。一段ずつゆっくり登って周囲の景色を楽しむ……そういう趣向と楽しめばよいのでは?」
筋肉が自慢のプートと、発言の真意を疑われるデイセントローズの賛同を得られても、なぜか素直に喜べない。そこら辺が、俺の器の限界なのかもしれない。
「心配しなくても魔王城は大きく三層に別れていて、この<大階段>も途中で大きな踊り場を二つもうけてある。そこには簡易の施設もあって足を休めたり茶を飲んだりできるようになっている。万一疲れたならば、そこで休憩しながらあがればいいだろう」
そう提案してみるが、アリネーゼの表情は晴れない。
「ジャーイル、まさか本気で? 私もこうして全容を眺めた後は、当然竜で頂上まで行くと思ってたんだけど」
サーリスヴォルフまでアリネーゼに同意らしい。
「わざわざそんな非効率なことをして、無駄に時間を費やすなど……これが若さというものなのかしらね」
二人はやれやれ、といった表情で顔を見合わせている。
「ジャーイル、主……」
ウィストベルが他の大公から進み出て、俺の前に立つ。
俺の味方をしてくれるんだろうか!
「先日、やってきた時にも私を抱いてここを登ったのか? そのように何段もあがった気はせぬだが」
ちょ……ウィストベル!
そんなみんなに聞こえるような声で「抱いて」とか言わないで!
「なんだって? 今、聞き捨てならない台詞が聞こえた気がするが」
反応したのはベイルフォウスだが、むしろ俺は無言でいる魔王様が怖い。
魔王様は俺がウィストベルを抱き上げて移動したことは知っていた。そしてそれさえも、水に流すと言ってくれたはず。
なのにこの肌をピリピリと焼く殺気はなんだ?
「いやいやいや。違うから! 誤解するなよ、ベイルフォウス」
弟に弁解すると見せかけて、聞いて欲しいのは兄の方だったりする。
「誤解ってなんだよ」
「別に特別な意図があってのことじゃないんだ。つまり」
「そうじゃとも。私を大切に思うたあまりのことなのじゃ。他に特別な意図はない」
ウィストベル!!
いや、そりゃあ大切ではあります。でもはっきり言って、俺は自分の命が一番大事なのです!
うかつなことは言わないでください……お願い。
「ベイルフォウスがひっかかったのはそこなのかな? 私が聞きたいのは別のことだけどね」
サーリスヴォルフが意味ありげに笑う。
「今の発言によると、ジャーイル。君は我々には内緒にしていたこの城のことを、ウィストベルにだけは明かしていた……ということになるよね?」
あ、そっち?
「それは……」
「まあ、いやらしい! そうやって目に入る男性なら全員たぶらかすのかしら? とんでもないやり手だこと」
アリネーゼの矛先がウィストベルに向かう。その言葉が暗に示しているのは、魔王様との噂のことなのだろう。
誰も本人たちの前でその話題にふれないので安心していたというのに、こんなところでやめてくれ! せっかく機嫌の持ち直したウィストベルが、また「デヴィル族など滅ぼして」とか言い出したらどうするんだ。
だが魔王様はいつもの通り、二人の間に割ってはいるつもりはないようだ。
「これはこれは。主のお家芸をとって悪かったかの? それとも主にはなびかぬ者がおる故、嫉妬しておるのか?」
よかった。ウィストベルは今のところ上機嫌だ。
……いや、落ち着け俺。よくはない。
あきらかに喧嘩が勃発する一秒前ではないか! 思いっきり、売り言葉に買い言葉ではないか!
「おお、そういえばこのところ、主のご高名はかすんでおるようじゃの。なんと申したか……ジャーイルのところの侍女とやら。ずいぶんな美女らしいではないか」
その侍女がアレスディアのことを指すのは、名を言われなくてもわかる。
アリネーゼも同様なのだろう。いつもは気だるげに伏し目しがちな犀の瞳を大きく見開き、たくましい歯がギリギリと音を立てるほど強くかみしめている。
サーリスヴォルフの予想通り、アリネーゼはアレスディアの噂を耳にして、その名声を無視できない心境になっているようだ。
だが侍女という単語に反応を示したのはアリネーゼだけではない。
さっきまでの厳しい顔はどこへやら、その後ろでニヤついた笑みを浮かべた獅子顔に、俺は苛立ちを感じた。
仕方ない。
「わかりました、こうしましょう!」
険悪さの一掃を図って両手を打つ。
「右手を見てください。東の丘陵はこんもりと木々が生えて、森のように見えるでしょう? あそこがご希望の竜の着陸地点です。さあ、各自竜に乗って、あそこまで一気に行くことにしましょう」
ウィストベルとアリネーゼの喧嘩が本格的なものに移行する前に、そうしてプートが興奮してアレスディアのことを話し出す前に、俺は大慌てでそう提案した。
それから階段下のジブライールに計画変更の指示を出してから、大公全員を引き離してそれぞれの竜へと向かわせたのだった。
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