魔族大公の平穏な日常
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【第七章 魔王大祭 中編】
俺はいつになく、朝からドキドキしている。
何故かって? 愚問だ。
今日はパレードが俺の領地に到着する日なのだから。
その道程はもちろん決めてあるが、人間たちの住む辺りのような整地された道がどこもかしこもにあるわけではないので、割とおおざっぱだ。パレードは平原を、丘を、山を、森を、湖を越えてやってくるのだ。
もちろん領地の境界にしても、ここがそうであると明確に指し示す目印などはない。
それでも支配者によって、領地を覆う空気は大いに変わる。結界を張っているわけではないのだが、そこを越えた途端に魔族なら誰もがかすかな空気の違いを感じるのだ。
今もそうなのだろう。不自然に群衆が集まっている場所がある。
そこがデイセントローズ領と俺の領地の境で、向こうにはパレードの最後を見送りにきたデイセントローズの領民たちが集い、こちらには歓迎のための観衆が集っている、という具合だ。
俺はその領民たちに混じることにした。
大きな顔で存在を主張しないのは、領主だからという理由でこの場に来たわけではないからだ。
プートは出発地点が城だったから不問だが、ベイルフォウスだってアリネーゼだって、それからデイセントローズでさえ、わざわざパレードを領境まで迎えに行ったりはしていない。
だが俺はそうはいかない。
パレードの担当である、というのが万が一理由を問われた場合の表向きの理由。だがここにやってきている本当の理由は、説明せずともわかっているだろう。
なにせそう、俺が彼らに会うのはあれ以来――アリネーゼ大公領での酒宴の日以来なのだから!
だからこそ、観衆にこっそり混じって、リスを待っているのである。ふつうなら大公が混ざればたちまち目立ってしまうかと思うが、そこは俺。ここで得意の隠密技術を発動だ。
もっとも、ミディリースのような隠蔽魔術を使ってのことではないから、誰からも完全に見られないようにするのは不可能だ。ちらちらと、こちらを窺ってくる者たちも数人いる。
だがそれでも騒がれないところをみると、一応気配を消すことには成功しているようだ。
やがて、パレードの先頭が見えてきた。
煌びやかな衣装は、プートの領地で出発を見送った時に比べて、ずいぶん露出の多いものになっている。
さすがにこの間のアリネーゼの紐ほどひどいのはないが、それでもずいぶん際どい衣装が多い。
それが女性だけなら俺としてもまあ眼福だが、男性までそうなのだからちょっと辟易としてしまう。別に相手がどんな男前でも、たいして筋肉もついていない肉体なんぞ、見ても仕方がない。
後でウォクナンには、俺の領地では露出を少し控えてくれるよう、言っておこう。
デーモン族とデヴィル族の美男美女たちは、ある程度は種族ごとに別れて行進しているらしい。衣装にも、そのまとまりごとに共通のデザインであることが多く、その違いを見るだけでもおもしろかった。
それに彼らは単に歩いているばかりではない。
花をまき散らし、宙を舞い踊り、音楽を奏で、詩を吟じたりしながら、それでも隊列を大きく崩すことなく歩んでゆく。なんとも華やかで、美しい行進だ。
その様子をその場に立って行進を見送っているだけでも、かなり心が浮き立つのを感じた。
だが、そうしてリスの姿が見えるまで、と、観衆に混じってパレードを見送っていたら――
「あら、ジャーイル様。この間はずいぶんすてきな思いをさせていただきましたこと。近々ぜひ、あの続きを」
知らないデーモン族の美女から通りざまに、ウインクやら投げキッスやらをされた時の俺の気持ちがわかるか?
見覚えもない相手からうっとりとしたような視線を向けられたり、頬を撫でられそうになったり、しっとりした手つきで腕に触れられたりした、俺の気持ちがわかるか?
わかるはずがない!
気配を隠していてもこれだ。そうでなければ、どうなっていたことか……。
あああ、俺はいったい何をしたんだ!?
穴があったら入りたい!
その後も数人のデーモン族の女性から色つやめいた視線を向けられ、じっと立って待っていることに耐えられなくなった俺は、自らリスの姿を求めてパレードを逆走した。
「ジャーイル閣下じゃないか?」とかいう呟きが、何度か聞こえてきたが無視だ。
「ウォクナンは……」
「ウォクナン公爵でしたら、最後尾ですよ」
逆に男性からは呆れたような嫉妬したような感服したような視線を向けられた、俺のこの気持ちが……。
いいや、大丈夫。自分を信じろ、俺。
俺はベイルフォウスじゃない。
記憶を失っているからといって、衆人環視の中でそんな破廉恥なことをするわけがないではないか!
***
「ジャーイル閣下もちゃんと男だったのですな!」
リスが親指を立ててくる。
折っていいかな、折っていいかな。
「アレスディア……」
俺は不安にかられて、この場では誰よりも付き合いの長い相手に助けを求めることにした。
このパレードで広く絶世の美貌と詠われることになった侍女は、目指すリスと共に最後尾にいた。赤い角を生やした、騾馬ほどの大きさの魔獣二頭がひく、豪奢に飾った六輪車の、まるで玉座のような幅広で背もたれの立派な椅子に、堂々と腰掛けていたのだ。
むしろその後ろの席にこじんまりと腰掛けるウォクナンの方が、彼女に付き従う下僕のようでさえあった。始終息を荒げ、前屈みに浅く腰掛けるその姿からは、副司令官の威厳などは全く感じられない。ただのスケベリスだ。
だが、今この場に至っては、そのリスに向けられる視線より、俺に向けられたアレスディアの瞳の方が冷ややかであることを、認めねばなるまい。
「左手に女性を抱き抱え、別の方と右手でしっかり指を絡ませて寄りかかられ、嬉しそうに鼻の下を伸ばしておいででした」
「冗談、だろ?」
「誰と朝日を一緒に見ようか、とか、二人でも三人でも、とかいう台詞も聞こえたような気もしますが、いかがでしたか? ウォクナン公爵」
ごめんなさい!! 朝日ならアリネーゼと見ました!
だから冗談だと言ってくださいお願いします!
「何度も耳にしましたな」
あああ、頭が痛い。
それより心が痛い。
ついでに胃も痛い。
「けれどまあ、あんまり気にしないことです。アリネーゼ大公以外は、たいていみんな喜んでおりましたよ。迷惑などと、とんでもない。男女問わず、身分によらず、親しげに声をかけていただいて、嬉しかった、と」
まさかリスに慰められるなんて!
「ええ、喜んでいましたとも。デーモン族の女性たちが特に!」
一方でアレスディアは容赦がない。
「あのまま放っておいてもよかったのでしょう。私などではとうてい旦那様に刃向かうことなどできませんし。ただ旦那様が、翌日知らない女性の隣で目覚めるだけのことですものね」
本当に容赦がない。
「けれどこのままではさすがにマーミル様に合わせる顔がなくなるだろうと、旦那様の制止をアリネーゼ大公にお願いすることにしたのですわ」
「そうか……本当に、迷惑をかけて……申し訳なかった」
「それはアリネーゼ大公におっしゃいませ。あんな態度をとられたのですから」
……ん?
アリネーゼに……あんな、態度?
「まさか、そのままアリネーゼにまで迫ったとかいわないよな?」
「さすがにそれは……けれど、もっと失礼な扱いをされてらっしゃいましたけど」
「えっ……それは、どういう……」
「ご本人からはお聞きではないので?」
「いや、あまり……詳しくは……」
さんざん苦労した、ということは聞いたが、具体的にどうはっちゃけたのか、とても聞く勇気はなかった。
アレスディアとウォクナンは、意味ありげに顔を見合わせている。
その間が怖い。
「可愛い犀だな、とかいいながらアリネーゼ大公の角を撫で」
「うわあああああ」
俺は頭を抱えてその場に突っ伏した。
今度アリネーゼに会ったら土下座しよう。
土下座して、誠心誠意謝ろう。
「あの……できればこの件は……飲酒の事実を含めて、せめてマーミルには内緒に……」
さすがに八百が参加するパレードだ。三十人やそこらと違って、箝口令を敷けるとは思っていない。
だが、せめて妹には……。いつかはバレるかもしれないが、とりあえず妹には……。
「旦那様。とにかくお立ちください。そんな風に地面に膝をついていては、旦那様まで私の美貌にメロメロで、まさか求婚でもしているのかと疑われかねません」
俺は慌てて立ち上がった。
これ以上の醜聞は、なんとしても避けねばならない。
「マーミル様といえば、代わりの侍女とはうまくやっておりますか?」
俺をさげすむような視線から一転、アレスディアの双眸に慈悲の色が宿る。
「まあ、マーミル本人は……」
俺はとても平静ではいられないがな、あの個性的な方の侍女には!
「それでそのご本人はどうなさったのです? てっきり喜び勇んで駆けつけてくるかと思ったのですが」
「ああ、いや……」
もちろん妹は一緒に来ると言っていたとも。
だがこんなことになると予想できるのに、俺が連れてくるはずはない。そして思った以上の惨状に、隙をみて置いてきて正解だったと思っている。
今頃は――。
「おにいさまああああ!」
轟く甲高い声。
噂の主の登場だ。
「ひどいわ、お兄さま! なぜ私を置いていったんですの!?」
ふと前方を見ると、沿道の見物客に混じって両手を天に向かって振り回し、わめく妹の姿が……。
「いいな、約束だぞ」
俺は六輪車から飛び降り、妹の元へ駆け寄った。
「マーミル、来たのか」
「まあ、来たのかってなに!? 当然来るに決まっているでしょう!」
確かに。
「ひどいですー旦那様。旦那様が置いていかれるから、私が魔獣の手綱をとるはめに! しんどかったですー」
ちょうどいい。ユリアーナも一緒か。
この実例を見せれば、アレスディアも自らの人選の失敗を悟るだろう。
俺は妹を抱き上げた。
「アレスディア!」
マーミルは身を乗り出すようにして、車上の侍女に手を振っている。
それまで女王然としていたアレスディアが、妹に向かってにこりと微笑み、手を振り返すと、それだけで見物客からどよめきがあがった。
「見ろ、あのアレスディア様の優雅で慈愛にあふれた振る舞いを!!」
興奮しながら叫ぶのは、例の〈アレスディア様の美貌を堪能するために可能な限り尽力する会〉のメンバーだろうか。
というか、この最後尾にずっと歩を合わせるようにしてついて行っている数十人の男連中が、全員そうなのだろうな。
「お兄さま、もっと近くに行きたい!」
「ダメだ。お前にそれを許したら、みんなも同じようにしたくなるだろ?」
「お兄さまはさっきアレスディアの側にいたじゃない!」
「お兄さまはあれだ……大祭主だし、このパレードの担当者だから……」
「ずるいー!」
ずるくない! ずるくないとも!
「マーミル様!」
アレスディアが車上の上から声を張り上げる。
「兄上様に我が侭を言ってはいけませんよ。後で時間をつくってあげますから、よちよちついていらっしゃい!」
相変わらずものすごい上から目線だな。一応、妹は君の主なのだが。
「偉そうに言うんじゃないわよ、このどくぜつじじょー」
そして文句を言いながらも絶対ついて行くんだろうな、この妹は。
「お兄さまは帰るが……」
俺は妹を降ろした。
「もう? 今日はずっと見ていかないの?」
「ちゃんと領内にたどり着いたのを確認できたので十分だ。お前もついて回るのはいいが、あまり遅くはなるなよ」
そう言うと、ジトっとした目で見られた。
「この間のお兄さまみたいに、朝帰りなんてしませんわ。ちゃんと、晩ご飯までには帰りますとも」
うっ……。
「ユリアーナ、妹を頼むぞ」
「言われるまでもありません!」
代理侍女は鼻を膨らませ、胸を叩いてみせた。それでも全く頼りがいは感じない。逆に不安が増した。驚きの効果だ。
ちなみに化粧については話し合って以降、彼女は以前よりだいぶ薄化粧にしてくれているようだった。でも、ビンビンに天を向いたつけまつげだけは、どうしても譲れないポイントらしい。
「旦那様。頼りないですが、私もおります。それに、フェオレス公爵が付けてくださったみなさまも」
「ん?」
ふと声のした方をみると、ユリアーナの背後にはイースの姿があるではないか。どうやら、彼だけではなく、魔術の教師と、それから数人の爵位持ちの護衛もいるようだ。
フェオレスがマーミルが侍女と出かけると聞いて、気を回してくれたのだろう。
これなら一安心だ。
「ああ、悪いが頼む」
俺は彼らに妹のことを任せ、城に帰ったのだった。
ただ、帰りがけに念を押すつもりでウォクナンとアレスディアに視線を送ったのだが、それに気がつかなかったのかシレッとした顔で視線を外された一時だけが気にかかったのだった。
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