古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第八章 魔王大祭 後編】

113.心配事は、ある日突然訪れるのです



 今日、パレードはいよいよウィストベルの領地に入る。
 ウォクナンがいらぬ要望を出したのではないかと心配だったので、ウィストベルにそれとなく尋ねてみた。
 だがさすがに念を押しただけあって、今回はリスゴリラも自重したとみえる。〈暁に血濡れた地獄城〉に、おかしな手紙などは届いていないようだった。

 もっとも酒宴を開けといったって、肝心のウィストベルはしばらく毎日、恩賞会で魔王城に日参していて、不可能ではある。
 とにかく俺は、ウォクナンが余計なことをしていないということを確認できただけでも、心の平安を得ることができたのだ。
 だがどういう訳か、俺の身近に悩みを抱えた者がいるようだ。

「はあ……ふう、…………はあ…………」
 ……。
「どうした、マーミル。ぼんやりして」
 いつもうるさい妹が、どうしたことかさっきからため息ばかりついている。朝食のパンケーキにナイフは入れるものの、細切れにするばかりで一欠片も減っていないのだ。
 しかも。
「マーミル?」
 返事すらない。いつもなら、瞳をキラキラさせながら、ガン見してくるのに。

 アレスディアが行ってしまって悲しいのはわかる。だが俺の領地でさんざんついて回った後は、最初の頃よりは落ち着いてきていたのだが。
 日にちがたって、悲しみがぶり返したのだろうか。
 いいや、これはそういう感じではない。

「大丈夫ですわ、ジャーイル閣下」
 ネセルスフォが言った。
 今朝はスメルスフォたち全員とでなく、俺と妹の他は双子のみが同席している。俺が長方形の食卓の短辺に当主らしく一人で座り、右手の長辺に妹が、左手に双子が座っているという配置だ。
「ええ、マーミルは患っているだけですもの」
 ネネリーゼが姉妹と顔を見合わせ、頷き合っている。
 二人はどう見ても、冷静だった。

「患っている?」
 それって、病気の時に使う単語だよな?
「まさか……また熱でもあるんじゃないだろうな? サンドリミンには診せたのか?」
 俺は席を立ち、妹に歩み寄った。
 その狭い額に手を当てる。確かに熱い。だがいつもの妹の体温だ。異様な熱さは感じない。
 そこまで近づいて、赤い瞳はようやく俺を捉えた。
「あら、お兄さま」
 一応こちらを見てはいるし、認識はしているようなのだが、それでも視点が定まっていない感じだ。

「まさか、また赤い飴を食べたとか言いださないだろうな。拾い食いは止めろとあれほど……」
「ジャーイル閣下。違いますわ」
 双子のどちらかが、ため息をついた。
「マーミルが患っているのは……」

 それに続いて双子から語られた話に、俺は呆然とする他なかったのだった。

 ***

「はあ……ふう、…………はあ…………」
「……閣下、どうした、の?」

 そう。
 今ため息をついていたのは、マーミルではない。俺だ。
「なにか、悩みごと?」
 数冊の分厚い本を胸元に抱き、ちょこんと花葉色の頭を傾げて聞いてくるのは、大祭が始まっているというのに相変わらず図書館に引きこもっている我が城の司書だ。

 最近ミディリースは、俺が図書館に出向くと、いちいち名前を呼ばなくても姿を見せてくれるようになった。最初の頃よりずっと、心を開いてくれているようだ、と勝手に解釈している。
 ところでここにやって来たのには、もちろん理由がある。ただ息抜きのために来たわけではない。

「聞いてくれるか、ミディリース」
「……聞くだけなら」
 俺は隣の椅子の背もたれを叩き、着席を促す。ちょっとだけ嫌そうな顔をされたが、それでも一応そこに腰かけてくれた。
 ……少しだけ、距離を離されはしたが。

「実は、俺には妹がいてな」
「……さすがに、知ってる」
 ああ、知ってたか。世の中のことは、領主が変わったくらいしか認識していないのかと思っていた。
「その妹が……妹が、だな……」
「うん」
「……妹が……」
「……」
 俺は左手を額にあて、読書机の上に肘をついた。
「まだ小さいのに……」
「…………」
 聞いてくれと言ったものの、この先を口にするのは躊躇われた。心情的に抵抗が……。

「妹姫、好きな人でも、できた?」
「!」
 まさか!
 妹のことを直接見知っている訳でもないミディリースが、事実を言い当てるなんて!
「読心術……?」
 ミディリースはぶるんぶるんと首を左右に振る。
「閣下、お父さんみたいだった」
 ミディリースは抱えていた本の束を机の上に置き、中から薄い本を一冊引き出して、ぱらぱらとページをめくった。
 そうして目当ての箇所を見つけたらしく、そこを開いて内容を示してくる。

 『か、母さん……本当なのか。ティアがあの若造を……あの若造とっ』
 『レルフォのこと? ええ、二人は恋人同士なのよ、あなた。とっくにね』
 『な、なんだってー! 許さん、許さんぞーーーー!』
 『あなた、落ち着いてあなた!』
 『あの若造めっ! 両手両足を引きちぎり、五臓六腑を尻の穴からかきだし、○○○をちょんぎってやるーーーー!!』
 『きゃああなたやめてー誰かー誰かー』

 ……いや、なんでこれ見せてきた、ミディリース。
 別に俺の状況と被ってないだろ。
 っていうか、なんだよこの駄文。もうなんか、文字を目で追うのも恥ずかしい出来なんだけど。こんなものが製本されて世に出ているっていうのは、由々しき事態――おっと。今はそういう話をしていたんじゃないな。

「とにかく」
 俺はその本を閉じた。
「まあそういう感じだ。ああ、本のことじゃなくて」
 もちろん、本に同意はしていない。あんなおかしな内容と、俺を同一視しないでもらいたい。
 ただ、ミディリースの言葉を反復するのには抵抗があったのだ。

「マーミル姫に、好きな人が」
「名前も知っているのか。そう、マーミルというんだ。見たことはあるか? 俺と同じ髪の色で、目は――」
「閣下、現実逃避、よくない」
 ……くそっ!
 くそ、くそっ!

 俺は頭を抱え、机に突っ伏した。
 小さな手が、肩をぽんぽんと叩いてくる。
「誰しも、通る道」
「……野いちご館というところで、子供専用の舞踏会を開いているんだが」
「それも、知ってる」
 大祭の行事も把握してはいるのか。しかしどうやって?
 エンディオンにでも確認したのか?
「どうやらそこで、会う相手らしい」
 なんか相手って表現するのも、特別な意味があるように思えて嫌なんだけど。
「マーミルよりは年上の……らしくて……」
 双子がざっくりと特徴を教えてくれた。

 髪は薄茶、琥珀色の双眸をした、上背のある少年だとか。
 見ない顔だと思っていたら、つい先日、父親が恩賞会を経て俺の領地に移動になったということらしい。つまり、今回の爵位争奪戦の勝者として、爵位を得て俺の配下に加わったということだ。
 ……ああ、もちろんデーモン族だ。それも随分と紳士的な振る舞いをする少年らしく――子供なのに、子供なのに!
 将来に甘い夢は抱いているが、実際に男子と話すのには慣れていないマーミルは、ちょっと優しくされてキュンキュン――双子がこう言ったんだ――してしまったらしい。

「子供だと思っていたのに……!」
 ベイルフォウスでなければまあいいか、とか思っていた自分を殴ってやりたい!
 まさか妹の初恋を実際に耳にしただけで、こんなにもショックを受けるだなんて……!
 違う。そうじゃない、ショックなんて受けていないとも! そうとも。だからこそ、俺はここにいる。

「閣下。気を、落とさないで」
 俺の頭を撫でてくる、ミディリース。
「ありがとう、ミディリース。でも俺はなにも、君に慰めてもらうためにここに来たんじゃないんだ」
 そうとも、泣いてもいないからな!
「実は……」
「嫌」
 まだ何も言ってないのに!
 こんな時だけ勘が鋭いだなんて、理不尽じゃないか?

「妹の」
「駄目」
「様子を」
「行かない」
「相手の」
「無理」
「人物を」
「探らない」
「……」
「……」
「野いちご」
「嫌い」
「子供専用の」
「子供じゃない」
「ミディリースなら」
「無理」
「潜入」
「嫌!」
「……」
「……」

「頼むから、野いちご館に行ってマーミルとその相手の様子をみてきてくれっ」
「無理無理無理無理!」
「ミディリースじゃないとできないんだっ! 大丈夫、君なら子供に見えるっ!」
「無茶無茶無茶無茶!!」
「頼むっ! 本ならいくらでも入れてやる! 今後はもう無理も無茶もいわない!」
「駄目駄目駄目だ…………ほんと、に?」
 おっと!
 ようやく、絶対拒否の姿勢が崩れかけてきたか。

「ほんとだ。約束する。この約束以後の件で、この図書館から君を無理矢理引きずり出そうとはしない。……この約束以後に無茶を言うことも、以後の件で強要することも、しないと誓う」
 正直に言おう。俺は今、ずるい言い方をしている。
 ミディリースに気づかれないように、ずるい言い方を。

「図書館に……こもってて、いい?」
「いい。なんなら、もっと引きこもりやすいように設備を増やしてやってもいい。私室に何が足りないのか、言ってくれればその通りにしよう。そうだ、以前から増築を考えていたんだ。そのついでに、君の部屋を広げるってのはどうだ?」
 まあ、そんなこと言っても俺は、ミディリースの部屋にお邪魔したことはないから、正確にはどこにどのくらいの規模でどんな設備が存在しているのか、全く見当もつかないのだが。
 ミディリースは腕を組んで暫く考え込んでいたが、ようやく思い切ったように腕を解き、まっすぐ俺に視線を合わせてきた。

「いい。見てきて、あげる……」
「本当かっ!」
「ただし、うまくできるか……わからない……」
「ああ、かまわない。できる範囲で見て、教えてくれ。ありがとうな!」
 俺はミディリースの頭をがしがしと撫でた。
「ちょ……荒い、荒い!」
「おっと、ごめん」
 手を離すと、ミディリースは口を尖らせながら、髪を整えだした。

 なんかつい、ミディリースには犬猫相手みたいな対応をしてしまう。だがしかし、よく考えてみよう。相手はむしろ、俺より年上のお姉さんだ。
 ちょっと反省しよう。
「じゃあ頼んだ。ドレスが入り用なら、エンディオンに言ってくれ。必要なものは、なんでも用意させる。結果はまた、後日聞きにくるから」
 そうして俺は、図書館を出た。
 そのまま足取りも軽やかに、執務室に向かう。

 わかってもらえただろうか?
 そうとも、ショックを受けているように見えたのは、実はフリだ。作戦……これは、作戦の一環なのだ!
 そう、ミディリースにも大祭を味あわせてあげよう作戦、のな!
 何かいい手はないかと考えていたところへ、マーミルの件だ。幸い、ミディリースはかなりの童顔。それを利用できないか、と思ってこういう手を取っただけのこと。ミディリース自身だって、大人相手より子供相手の方が、まだ気が楽に違いない。

 そうとも……胃がキリキリ痛むこともない。こんなのは気のせいだ。
 マーミルが……妹が、俺の妹が……。
 いいや。ミディリースの言ったとおり、こんなことはよくあること。ああ、誰にだってある。俺にだって覚えのある話じゃないか。
 だからいちいち、ショックなんて受けない。受けるはずがない。
 妹の理想が甘ったるいのは、普段から聞かされて承知しているしな。
 そうとも……。

「旦那様? いかがなされました。どこか具合でもお悪いのですか?」
 背中ごしにかかる、優しいエンディオンの声。
 でもちょっと放っておいて。落ち込んでなんてないけど、放っておいて。
「立てますか、旦那様。よろしければ、椅子をお持ちしましょうか?」
 立ってるよ。立ってるから、放っておいて。
 マーミルが、マーミルに、す……す……す――相手が、だなんて、そんなこと位で。そんなことを気にしたりなんて、するはずがないじゃないか。

 その後、ミディリースの身を張った調査の結果を俺が聞きにいけたのは、十日も後のこと――コンテストの発表も、競竜の決勝も終わった、その後のことだった。

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