魔族大公の平穏な日常
目次に戻る | |
前話へ | 後話へ |
【第八章 魔王大祭 後編】
恩賞会は、六十八日から八十七日までの二十日間をかけて行われる。
褒賞を授与される者は、大祭主行事の勝者や成績優秀者、参加者が主だ。具体的にいうと、爵位争奪戦の勝者、音楽会や舞踏会の演奏者や特に評判の踊り手、美男美女コンテストの三十位までの入賞者、競竜の五位までの入賞者、パレードに参加した全ての者、である。
そのうち競竜の最終決勝戦と、美男美女コンテストは発表日は八十日目に予定されているので、その発表後の授与となる。ちなみに、コンテストの受賞該当者には前日に順位は知らされず、発表の場への召集状だけが届けられるそうだ。
その他にも大祭で特に活躍が認められた者はもちろん、この際に平時の働きが認められた者も表彰されることになっており、俺もこれにはサンドリミンを始めとする数人を推薦しておいた。
順序は主行事ならば音楽会をのぞいて、最終日を迎えた順番通りで行われる。
つまり本来なら最後に受賞するのは、魔王城へと最終日に到着するパレードの参加者たちである。だがパレードが魔王城へ到着するのは百日目。恩賞会が終わるのは、その二十日も前だ。
だから八百人のうちから八十人の代表者がやってきて、恩賞会の最終日に目録を受け取ることになっている。ウォクナンはこれを率いてやってくるが、彼自身はパレードに選ばれた参加者ではないので、褒賞は授与されない。
その後に大公位争奪戦が予定されているが、これに対する褒賞はない。その地位が何よりの褒美だとでもいうように。もっとも、そう感じるのは序列の上がったものだけだろう。
誰がどう上がり、下がる者が誰かは――俺はもちろん、ある程度の予想をたてられる。誰にも言わないが。
まあとにかく、そんなふうに予定されている恩賞会だから、一日目は爵位争奪戦の勝者への授与から始まる。
通常なら爵位の争奪をかけて戦った場合、手続きが終わり次第許可が来て、その地位に就くものだが、今回ばかりは手順が違った。奪爵に成功したものは、この授与式を終えて初めて新しい住まいへの転居が叶い、その地位を受けるのである。爵位争奪戦はとっくに終わっているから、待たされた時間が長いだけ、感慨もひとしおだろう。
その受賞者は、七百十九名。単純に参加者を割った数より減っているのは、一度は防衛したが、最終的に別の者に敗北したという者が、多数認められたからだ。それは、他の者との戦いで相手の実力を計った上で、改めて挑戦した者も多かったとということを示していた。
ところでその勝者の中にはもちろん、我が軍団長ティムレ伯爵も含まれているのだった!
もっとも、彼女の場合は挑戦を受けて退けたのであって、上位に上がった訳でもないから爵位も上がらないし、当然転居の必要もない。ただ、自分の地位を挑戦者からよく守ったね、と、表彰されるだけだ。
俺は当然、それを見届けてから帰るつもりだった。だというのに。
「えー。そんなわざわざいいよ。忙しいんだろ? 帰りなよ、今すぐ!」
ティムレ伯はそっけない。
遠慮している、というより本当に迷惑そうだ。
ちなみに今日の犬伯爵は、魔王様の御前に出るからだろう。ものすごく着飾っている。とはいえドレスを着ている訳ではなく、以前大演習会で誂えた軍服を基礎に、宝飾やらリボンやらを足して華美にしたような格好だ。
「……俺、ティムレ伯に何かしました?」
「なんで?」
「この間から、冷たいですよね……」
今だって「大きな声を出さないで!」とのたまうや、人通りの少ない、暗くてじめじめした階段下に、俺を引き込んだのだから。まるで俺と話しているところを誰かに見られでもしたら恥ずかしい、と言わんばかりの態度ではないか。
そのうえ話をしていても、ものすごく小声だし。
「あのさぁ、ジャーイル」
ティムレ伯も俺に負けじと大きなため息をつく。
「君はさ、もう大公なわけだよ。それなのに以前通りに接することなんて、できるはずないだろ?」
ぐ……。
「考えてもみてごらんよ。あたしより遙かに上位の魔族でも、君にはなかなか話しかけられないんだよ。なのに、その君があたしに親しげにしてるのをジ………………、誰かに見られてみなよ。反感買うのはこっちだからね。君だって、大公っていう地位の重みはわかるだろ?」
確かに、そうかもしれない。しれない……けど……。
「じゃあ、俺はもうティムレ伯には自分から話しかけちゃいけないんですか」
「できるだけね!」
まさかの即答だ!
わずかのためらいもなかった……。
「絶対とは言わないけど、話しかけるならせめてもうちょっと、固い感じにしてくれない? ほら、さも軍務上の用事だ、みたいにさ。あと、人目のあるところではもうちょっと遠慮してくれない?」
なにこれ。なにこの拒絶。
ものすごくグサグサくるんだけど。
やばい。繊細な俺は本気で落ち込みそうだ。
「君は知らないだろうけど、すでにあたしは多大な迷惑を被ってるからね。この間だって、副司令官に屋敷まで押し掛けられて――」
「副司令官が?」
ティムレ伯の屋敷に、副司令官の誰かが行ったって?
それでっても迷惑をかけている、だって?
「一体、どの副司令官が、何をしに?」
うっかり口が滑ったのだろう。ティムレ伯はしまった、という表情で口を塞いだ。
「いや、なんでもない。今のは忘れてくれ」
「そういう訳にはいかないでしょう。迷惑をかけているってなら、尚更」
「迷惑じゃない! 表現を間違っただけだよ! 迷惑じゃないって!」
「……まさか、内緒にしろと脅されでもしましたか?」
「違う違う! そんなんじゃないって!!」
焦る様子がとても怪しい。
しかし、俺の件でティムレ伯の屋敷に行くかもしれない副司令官、となると。
「ヤティーンですか?」
「誰がとか、そんなことは問題じゃないんだよ。わかるよね? そういうのはよくない! 犯人探しみたいなのは、よくないよね! お願いだから、察してよ!」
そこまで言われては、強引に聞き出すのも気が引ける。
俺が無理を通して、ティムレ伯を追いつめては本末転倒だ。
「わかりました。でも、本当にこれはひどすぎる、と感じたら、絶対に訴えてきてくださいね」
「ああ、ありがとう。そうするよ。……っていうか、なんでヤティーン隊長」
そう、隊長だ。ヤティーンは現在治安維持部隊の隊長なのだ。
なぜそのヤティーンか?
なぜならば、俺とティムレ伯が親しくすることで、いざこざが起こるとする。今ならそれを平定するのは、ヤティーンの仕事のはずだ。それであらかじめ釘を刺しにでもいったのかと思ったのだが。
「だいたいさ、あたしの受賞を待つって、前に何人いるかわかって言ってるの?」
「……いや、正確には」
「だろ? 爵位を護った者から、それも上位者からの表彰とはいえ、伯爵なんて中途半端な地位じゃ、今日中には呼ばれないかもしれないのに」
ティムレ伯がそういうのも、当然七百余名への受賞を一日で終えることなどできはしないからだ。なにせほぼ同じ規模のパレードと違って、爵位争奪戦の受賞者は代表者にではなく、全員がきっちり表彰されるのだから。
いちいち名前を呼ばれて長い広間を誇らしげに縦断し、魔王様の前に跪く。そうすると係の者が一人一人の名と概要、褒賞の目録を読み上げる。その後に魔王様が王座から立ち上がって、褒賞そのものか目録を手ずから授与される。
ウィストベルは、担当者としてそれを横で見ているだけに留まるはず。もっとも、踏んで下さいと特別にお願いしたら、叶えてもらえたりはするかもしれない。
「君は大公のうえ、大祭主だろ? こんなところで一配下の、いつになるかわからない受賞の瞬間を待っている暇なんて、ないはずだ。わかったら、誰かに見られる前に帰りな」
「……はい……」
なんて正論だ。ぐうの音も出ない。
「あたしももう行くから! じゃあね」
俺の肩を叩きながらそう言うや、ティムレ伯は言葉通りにあっさりと行ってしまったのだった。
ちょっとだけ……ちょっとだけ、しゃがみ込んでいじけていいかな。
俺がしゃがみ込もうと、壁に手をついたその時。
「誰かに見られる前に、ね……」
聞き覚えのある声が背後からかかる。
「見ちゃったけどね」
振り向くと、そこにはあふれる好奇の目を隠そうともしない、一人の大公の姿があった。
「サーリスヴォルフ。なぜここに……」
「君さ、もしかしてデヴィル族専門なの?」
は? なにその質問。
どうしよう、意味がわからない。
「ウィストベルから迫られても、ちっとも応じないし、デーモン族の女性との噂はたまに聞こえてくるけど、実態はないみたいだし」
聞き捨てならないな! ウィストベルは怖いだけだし、怖くないウィストベルから迫られれば、俺だってぐっとくるんだが!
まあさすがにそうでも、魔王様に遠慮くらいはするけど。
他のデーモン族の女性との噂だって……確かに実体はないかもしれないが……。
でもそれは仕方ないじゃないか。今は仕事が忙しくて、そっちにまで気を回せないだけで、これでも普通に願望はあるんだ!
「陛下になれなれしいから、男色を疑ってみたこともあるんだけどね。まあ、そういう訳でもなさそうだし、不思議に思ってたんだよね」
「冗談でも気持ち悪い」
背筋を冷たいものが走った。いくら魔王様の寵臣とはいっても、そういう関係となると話は別だ。
それにしても、なれなれしい……。
ちょっとショックだなぁ。そんな風に思われていたとは。
「でもそうか、異種好きとなれば、納得はできるよ。今の犬の彼女に対する態度を見れば、ね。珍しくベイルフォウスと気が合うのも、そのせいかな? 茨の道かもしれないが、まあがんばって。応援するから」
サーリスヴォルフは訳知り顔で頷いている。
「納得するな! 確かにティムレ伯は好きだが、そういうつもりは全くない」
なにが嫌って、ベイルフォウスと同じ趣味だと思われるのが何より嫌だ。
「ならもしかして、あのアレスディアとかいう侍女が本命かな? あれほどの美女だものね。それになんでも君の可愛い妹御が、ずいぶん慕っているそうじゃないか。それも愛する兄上の大切な人であるからと考えれば」
「バカなことを言うな。彼女はそれこそ、マーミルの母親代わりだ。俺とは関係ない」
「へえ」
アレスディアがデーモン族だったなら、年も近いことだし、俺だってどうなっていたかわからない。だが実際に彼女はデヴィル族。もうその時点で、完全に対象外だ。
だいたい、サーリスヴォルフは常に相手をからかうような態度をとるから、どこまで本気の発言なのか正直怪しい。そんな相手のペースに付き合っていては、こちらが不利になるばかりだ。
こういう時は、話題を変えるに限る。
「そう言えば、パレードは今そちらだったな」
適当な話題を振ったのではない。サーリスヴォルフに会ったら、聞きたいと思っていたことだ。
あれ以降、宴についてサーリスヴォルフからの言及はない。念を押したかいあって、ウォクナンも自重したのだろう。
「実際に目にしたけど、驚くほどの美貌だったよ。まさかアリネーゼと張る美貌の主が、この世に存在するだなんて。しかもまた彼女とは違う魅力があって、ゾクゾクしたよ」
さすがサーリスヴォルフ。デヴィル族が相手なら、男女の見境はないらしい。
「あれほどの美女でなければ、食指は動かないとか?」
結局話はそこに戻るのか。
まあ、ぜんぜん関係ない話題を振らなかった時点で、俺の失敗か。
「俺にはデヴィル族の美醜はわからない。もちろん、アレスディアが本命だなんてことは、断じてない」
「つまり相手にこだわりはないと? なら、私が遊び相手になってみようか。なにせ体の大部分は君たちと変わらない。色々やりやすいと思うけど?」
「冗談はその辺でやめてくれ!」
今までと違う触れ方をされて、背筋が凍った。慌ててその手を弾く。
「その反応……やはり、犬の彼女が特別なのかな? それとも完全に動物体でなければいけないとか」
「バカ言うな。違うと言っているだろう」
ホント、なんなのこの人!
しつこいんだけど!
「からかうのもいい加減にしてくれ、サーリスヴォルフ。もしも俺の忍耐力を試しているのなら、そろそろ限界だ」
「はは。なら、止めておこうかね」
おい……おい!
「君がデーモン族しか受け付けないらしいことは、よくわかっているよ。この間、リリアニースタと踊っていただろう?」
「サーリスヴォルフも彼女を知っているのか」
っていうか、あの時近くにいたのかよ。なら助けてくれてもよかったのに!
「リリーのことは、一定以上の年齢の者なら、知らない者はいないだろうね」
ああ、前回の美男美女コンテストで入賞したんだもんな。
「成人してそれほど時間も経ずに侯爵位まで駆け上った実力と、その美貌で目立っていたからね。加えてすさまじい自信家で……私も当時は同位だったが、喧嘩を売られた覚えがあるよ」
……武闘派か。相当の武闘派なんだな。そうでもなけりゃ、同位相手にもめないよね、普通。
うん、彼女にはあまり近づかない方がよさそうだ。
その勝負の勝敗はどうなったのか、とかも聞かないでおこう。
「それが正式に一人を選んで結婚したとたんに姿を見なくなって……もうとっくに死んだものだと思っていたよ。彼女、随分丸くなったもんだね」
へえ……あれで丸くなってるのか。
「そんな彼女が出てくるくらいだ。そっちが君の本命だったのかとも疑っているんだよね」
「それもない。……っていうか、俺の恋愛ごとなんて、気にして楽しいか?」
サーリスヴォルフの俺に対する興味と言えば、色恋沙汰に関わるものばかりな気がする。俺自身のこともそうだが、マーミルに及ぶまで。
「そりゃあ」
満面の笑顔で頷かれた。
「君の反応が楽しい」
ちくしょう!
動じないぞ、もう今後一切動じないぞ!
もういい。今だって、こんな話をいつまでも続けていたら、余計サーリスヴォルフを楽しませるだけじゃないか。
「それで、今日は何をしに魔王城へ? 記念舞踏会に出席する日だったのか?」
俺はため息をついた。
「ああ、いいや。そっちの今日の担当は、プートさ。私は別の用事……美男美女コンテストの結果が出たので、魔王陛下にご報告に、ね」
サーリスヴォルフは懐から、結果が書かれているのだろう紙の束を取り出した。
そうか、集計が終わったのか!
「で、一位は誰に……」
「おや、さんざん知らんぷりしておいて、結局は興味があるんだね」
まあそりゃあね! なんのかんの言ったけど、やっぱり単純な興味は沸いちゃうよね!
「んーでもなぁ。いかに大祭主といえど、陛下より先に教えてあげるわけにはいかないなぁ」
ああ、そりゃあそうだよな。
「大祭行事の締めとして、どうせ発表の時には君にも同席してもらうんだ。いっそ、それまで愉しみにしているといいよ」
なるほど。俺が知れるのは当日か。
いや、違うよ?
別に前日に知らせがくるだろう――つまり、上位に入れるだろう、なんて自惚れてた訳じゃない。本当だ。
全魔族のうちでデーモン族に限るとはいっても、三十人のうちに入れるとはさすがに思っていない。
大祭主だから、先に教えてもらえるかな……と考えていただけなんだ。
「そういえば、君……何か知らないかな?」
「何かって、何を」
また色恋沙汰の話か?
「コンテストの投票数がね……」
えっ。
「ほら、普通は成人魔族は全員投票することになってるだろ? でもどうも、投票用紙を取りに来ていない者がいるようでね」
しまった!
通常は取りにいくんだっけ? 俺には係の者が届けてくれたから、うっかりしてた。
「知らない間に、亡くなってたとか」
「それはないね。紋章管理官が発行してるんだよ? その紋章符の有無に基づいて」
ですよねー。
紋章符は死ねば自然と消滅する。つまり、投票用紙を作成した時点では、必ずその者は生存しているのだ。
「なら、帰る途中とかにうっかり投票用紙をなくしてしまったとか?」
「そもそも取りにきていないのに?」
そうだった!
「いや、取りに行く途中で何かあったのかな? ほら、大怪我をしたとか、そもそも取りに行くのを忘れてしまっている、とか……」
作成後に亡くなったとか、とは冗談でも言いたくない。
「君……」
サーリスヴォルフは苦笑を浮かべた。
「まるで庇っているみたいだよ? 誰とも知らぬはずなのにねぇ」
ぎく。
「まあ万が一君の知り合いだったとしても、誰も罰則を与えるとは言ってないんだから安心して」
思わず弁解しそうになってしまったが、逆効果だと悟った俺は、それ以降は口を噤むことにした。
結局さんざん俺のことをからかったあげく、サーリスヴォルフは紙の束を見せつけるように振りながら行ってしまったのだった。
前話へ | 後話へ |
目次に戻る 小説一覧に戻る |