魔族大公の平穏な日常
目次に戻る | |
前話へ | 後話へ |
【第九章 大公位争奪戦編】
「これより大公位争奪戦を始める」
いつものような、平和的な主行事開始宣言は、今回はない。
大公位争奪戦の担当であるベイルフォウスが緊迫した雰囲気の中、戦いの開始を宣言をするだけだ。
戦いの場となるのは旧魔王城。一辺が二十キロにも及ぶ広大なその敷地、すべてである。
戦いが始まると、ベイルフォウスは一般観戦席と対戦場の間に緩衝地帯として定められた前地にあって、常時審判を務める。もっとも、審判といっても戦いの内容に口を出す訳ではない。
どうしても決着のつかないときや、誰が見ても明らかに勝敗がついた状態であるのに、一方の大公が我を忘れたように破壊を目論むときにだけ、強引な判定を下す必要がある程度だ。
だが現在のこの大公の顔ぶれで、勝負のつかない戦いなど一、二戦あるかどうかだろう。やりすぎる方はもっといるかもしれないが……。
ちなみにベイルフォウスが戦うときは大祭主として、その任を俺が代わる。そして俺たち二人が対戦するときは、魔王様ご自身がその役を果たされるのだ。
「第一日、第一戦目、ウィストベル対ジャーイル。双方、用意はいいか?」
「先に行っておくぞ、ジャーイル。手は抜かぬでもよい。私もそうするつもりじゃ」
「……本気でこの状態でやるつもりですか?」
俺がそう問うたのも当然だ。
ウィストベルがその身にまとう魔力は、いつもの――そうだな、だいたい十分の一くらいになっていたからだ。だが、十分の一?
邪鏡ボダスを使用したなら、もっと減っているはず。少なくとも、前回の彼女の魔力は、これより遙かに少なかった。なにせあの鏡は、対象者の百の魔力のうち、九十九を奪うのだから。
ウィストベルがもし百分の一の状態であれば、さすがに大公としての地位は保持できても、実力的には他の六名のほとんどに劣るものとなっていただろう。
だが今は――
「当然じゃ。主が何を思っておるのか、察することはできるが、今は答えぬぞ。そのような時間はあるまい?」
ウィストベルはベイルフォウスを見上げた。
「私はよい」
いつも以上に嗜虐的な色を双眸に煌めかせた親友は、急かすように俺を見下ろしてくる。
「……ああ、俺もかまわない」
仕方ない。今更どうすることもできないではないか。
俺としては相手が大公という実力者である以上、誰であろうが全力でやるだけだ。今回ばかりは、そう覚悟を決めたのだから。
「では、始め!」
開始の言葉とほぼ同時にベイルフォウスが城門から緩衝地帯に退くと、ウィストベルがすかさず天高くその身を舞い上がらせた。
次に何が行われるか察した俺は、上空に巨大な術式が現れるのを待つまでもなく、地上を離れる。
天上に黒光りする百式の展開から、発動までは、わずかの間もない。
「いきなりこの量かよ!」
予想はしていた。
ウィストベルのことだから、開始早々、魔王城の破壊をもくろんでくるだろうとは予想してた!
だがまさか、こんな避ける隙間もないほどの攻撃を、いきなり仕掛けてくるとは。
上空を仰ぐ暇すらない。天空をすっかり覆い隠して、辺りを闇に陥らせたほどの量の岩石が、すさまじい速さで大地に落下し始めたのだ。
その一石一石の大きさたるや、小さな竜ほどもある。
それが無慈悲にも旧魔王城の本棟に別棟、あちこちにある塔、屋敷、庭のすみずみにまで降り注ぎ、あっという間にすべてを砕いていったのだった。
どうやら女王様は、一度で魔王城を壊滅させるおつもりらしい。
俺はどうしても避けられないものだけを砕き、なんとか無傷でやり過ごした。
瞬く間に、かつて世界にあまねく威容を誇った魔王城は、自らを砕いた岩石と混じりあい、ただの瓦礫の山と化す。
残っているのは、そのぐるりを囲む城壁だけである。
「また、見晴らしのいいことで」
小さな塔の一つ、部屋の一室の残骸すら認められない。本当に見事な破壊っぷりだ。
瓦礫は中央がなだらかに盛り上がり、小高い丘を形成している。俺はそこへ着地した。
「あとは城壁さえなくしてしまえば、みなも我らの戦いを、直接その目で見られるであろう。言ってみれば、彼らに向けた気遣いじゃな。それに、これで終わらせるつもりはない」
城門の上に降り立ち、女王様はその赤金の瞳に憎しみをみなぎらせながらそう言った。
どうやら俺との戦いよりも、城の粉砕に気が向いているようだ。彼女のこの城に対する恨みは、それほど根深いということか。
さて、俺は相手の出方を待つべきか。それとも全力でいくと決めたからには、こちらから仕掛けるべきか?
十分の一といっても、ウィストベルは十分強い。百分の一なら一瞬で片は付いただろうが、今はちょっと器用なことをされると、手こずりそうだ。
さらに手を抜いたりすれば、こちらがうっかりやられかねない。
「遠慮はいらぬと言ったであろう」
背後で声が聞こえたと思うや、視界を細い生足がかすめる。
「ちっ」
自分の甘さを実感した。
とっさにあげた手にすさまじい衝撃が叩きつけられ、体が宙を舞う。
「お兄さま!」
マーミルの叫びが聞こえた気がした。
空中で身体をひねって両脚で城壁を蹴り、衝撃を吸収する。
そこから翻って城門の上に着地したが、ぼやぼや次の手を考えていられる余裕などあるはずがない。
いかに魔力が減ったとはいえ、相手はあのウィストベルだ。頭への直撃は避けたが、蹴りを受け止めた手は痺れているではないか。
「まったく、いったいその細い体のどこに、そんな力があるんですかね」
俺は城門を飛び上がり、腰の剣を抜く。ケルヴィスより借り受けている、その剣だ。
黒い柄はしっくりと手になじむ。レイブレイズに比べれば軽いが、振るうのに頼りないほどではない。
だが俺の力任せの斬撃を、ウィストベルはあっさりと交わした。避けざまの空中で、魔術で出現させた弓を引く。一本の矢が放たれたとみるや、それはたちまち途中で分裂し、数十本の火矢が一斉に襲いかかってきた。
そのいくらかを剣で弾いて、今度はこちらも術式を展開する。
いいだろう。少しウィストベルに協力してやるとしよう。
百式二陣を出現させたその魔術は、炎をまとった七つの竜巻だ。その竜のごとき姿が蹂躙した後は、巻き込んだ全ての物体が灰燼に帰す。
ウィストベルは薄い笑みを浮かべながら、竜巻を余裕の体で避けていた。城壁の上を、まるでダンスでも踊っているような、軽い足取りで優雅に跳ねる。
あっという間に、残っていた城壁が塵と失せた。
「また、派手じゃの」
肉感的な唇には、微笑が浮かんでいる。だが、その余裕もこれまでだ。
俺はさらに百式を追加する。
竜巻に続き、今度は稲妻がその隙を埋めるように踊り狂う。
俺の攻勢にウィストベルの表情が徐々に変化していく。
余裕の笑みはその美しい顔からいつしか消え去り、苛立ちが取って代わった。
それというのも、ウィストベルが俺の魔術に無効化するその速度以上の速さで、俺が百式を追加していくからだ。
解除に気を取られている今の彼女には、攻撃のための魔術を展開する余裕など全くないはず。
ああ、そうだとも。はっきり言おう。
今の状態では、俺の方が強い。だからこの戦いを、ウダウダと長引かせるつもりはないのだ。
だってそうだろう?
長引けば長引くほど、ウィストベルを痛めつける場面を多くつくらなければいけない、ということになる。
わざと負ける? そんな選択肢は元よりない。ウィストベルが自分の力を下げてきたと言うことは、俺に勝てと言っているということなのだから。
そうであれば、むしろこれ以上痛めつけると、逆に後が怖い。それに不必要に手を抜けば、数人はそれに気づくだろう。
「これで終わりだ」
俺は最後にいままでの中で、最も大きな百式を追加した。
それはベイルフォウスがかつて人間の町で見せたものを、模してより強力にしたものだ。
一瞬――たったの一瞬で、全ての物体・事象が凍り付く。
それは俺自身の魔術でさえ、例外ではない。竜巻も雷も、瓦礫の塵、広大な大地の隅々まで――当然、そこに立つ、ウィストベルの身体すら。
彼女は何かを言おうと軽く唇を開いたその瞬間に、凍り付いた。まるでこの世にあるのが奇跡であるような、美しすぎる氷像。
だが見惚れている場合ではない。
間髪を容れず、俺は手に持った剣を振り上げた。
そうして一気に距離をつめ、ウィストベルめがけてその切っ先を――
「待て、それまでだ」
ベイルフォウスの制止の声で、俺は剣を止めた。
もっともあいつが声を上げなくたって、俺はそこでやめていただろう。
ウィストベルの全身を覆う氷には、斬撃による亀裂が入っている。あと少し力を込めれば、それはウィストベルの体をさえ浸食していただろう。それほどの力加減だ。
観戦者たちからは、ベイルフォウスの制止がなくば、俺の剣が氷像を砕いていたとさえ見えたはずだ。
「くっ」
次の瞬間、氷像はそう呻きつつ、生身の美女に変わった。
俺の剣や魔術が氷結を解いたのではない。ウィストベルが自力で溶かしたのだ。
だが、遅い。誰が見てもそれは明らかだった。
氷の溶けた今、俺の剣の切っ先は、ウィストベルの首にそのまま当てられているのだから。
勝者は俺だった。それも圧倒的な勝利だ。
「見事じゃ、ジャーイル」
俺が剣をひくと、その場に膝から崩れ落ちつつ、ウィストベルが声をあげる。そうしてギラギラと光る瞳で、俺を下から睨めつけた。
「ご期待に添えましたか?」
「期待以上じゃ。まさか主が、私を相手にそこまでやってくるとは思わなかった」
えっ!?
え、ちょ……ちょっと待って。
まさか怒ってないよな?
だって自分から弱くなってきたんだもん。それは俺に勝てということだろう?
それに手を抜くなっていったよな?
ズタボロにして勝つこともできる戦いで、なるべく傷もつけないような方法で、けど圧倒的な勝利を見せつけた、俺の判断が間違っていたとか言わないよな?
「勝者、ジャーイル」
「おおおおおおおおおおお!」
「六位のジャーイル大公が、四位のウィストベル大公を撃破なさったぞ!」
「きゃああああ! ジャーイルさまーーーー!」
ベイルフォウスが俺の勝利を宣言すると、始まりから戦いの様子を静かに見守っていた観衆たちは、この時初めて歓声をあげた。
「ウィストベル……怒ってます?」
ウィストベルに右手を差しのべると、彼女は微笑を浮かべて自分の手を重ねてきた。
「まさか。確かに最中は苛立ったが、今はむしろようやったと誉めてやりたいくらいじゃ……私はの」
ウィストベルは俺を支えに立ち上がると、耳元でこう囁いた。
「だが、しばらくはルデルフォウスに近づかぬ方が賢明じゃろうの」
もちろんですとも。
言われるまでもなく、近寄るもんか。
開始当初からずっと一点から発せられる殺気が、俺の頭をもう圧迫しているのだから。
とにかくこうして俺はめでたくも、一戦目を己の勝利で飾ったのだった。
前話へ | 後話へ |
目次に戻る 小説一覧に戻る |