魔族大公の平穏な日常
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【第九章 大公位争奪戦編】
ベイルフォウスくんの機嫌がやっぱり悪い。
「気に食わねえ。引き分け、だと!?」
医療班の治療を受けながら、俺を正面から睨みつけてくる。
一方の俺も、もちろん同様に治療を受けていた。
すでに日は暮れ、地平線には紫雲が垂れ込めている。
今日も治療に少し時間がかかりそうだったため、マーミルたちはヤティーンの護衛の元、先に帰してある。
「ぷーーーーーーくすくす! ベイルったら負けてやんのーー」
「負けてねえよ! 殺すぞ貴様」
「だめよ、ユーくん。ベールちゃんは貴方に厳しいんだから、本当に殺されちゃうわ!」
ベイルフォウスの治療台の横で、妙に明るい笑い声をあげているのは、魔王様に似た軽薄そうな男性。それをやたら可愛さを狙った仕草で諫めているのは、ベイルフォウスに似た赤毛美女だ。
ベイルフォウス……お前の両親って……。
「っていうか、ベールちゃん……」
「うるせえ、忘れろ。っていうか、聞かなかったことにしろ」
ベイルフォウスは俺にそう言うと、両親に向き直った。
「親父もお袋も、いてもイラッとするだけだから、とっとといちゃつきに家に帰れよ」
「まあ、ひどいっ。ベールちゃんがこんな乱暴な口を効くのも、もとはといえばルー」
「母上!」
夕暮れの中、どこからともなく魔王様がやってきて、赤毛美女の口を背後から塞ぐ。
なんだろう。まさか魔王様も、弟のようにルールーくんとでも呼ばれているのだろうか。
だとしたら、一度聞いてみたい。
「ベイルフォウスのことは私に任せて、どうぞご帰城ください」
「あらーん。そう?」
「はい、ぜひとも!」
「そうねぇ」
赤毛美女は長男に頷きながらも、俺の方に視線を向けてくる。
「じゃあ、最後にご挨拶をしてからね!」
そう言うや腰をフリフリ、俺のところへやってきたのだ。
そうして――
「よくもうちの可愛いベールちゃんを、ヒドい目にあわせてくれたわねーー。お仕置きよ、えーーい」
ぎゅっと握った小さな拳を、俺の肩口に軽く当ててきたのだ。
そのときの俺の心境を言い表してもいいだろうか。
なんだこれ。
なんだこの美女。
ベイルフォウス、お前の母上って……。
「やめろ、なんで俺だけそんなかわいそうな目で見るんだ。見るなら兄貴を見ろ」
だって母上はお前に似てるじゃないか。激似じゃないか。
「でもホント、さすがにベールちゃんを抜かして、一位に選ばれるだけあるわね。近くでみてもきれいなお顔」
「貴女こそ、とてもお綺麗です」
珍しく、お世辞を言ってみる。いや、本当のことではあるが、ベイルフォウスに似すぎてて、残念なことにそれ以上の感想は沸いてこない。
もっとも言っておくが、いくら本当でも、普段なら俺はこんなほめ言葉はめったに口にしない。
マーミルがいないことが、クサイ台詞を口にできた最大の理由。お兄さまが軽い、だなんて、妹には思って欲しくない。
理由はもう一つ。なんといっても、彼女はベイルフォウスの母であると同時に、魔王様の母上なのだから!
ご機嫌はとっておいたほうがいいだろう。
だが失敗したかもしれない。なぜというに――
「まあ、嬉しい」
「え、ちょ……」
うっとりとした表情で、赤毛美女が俺の頬に唇を押しつけてきたからだ。
いいや、避けなければ頬ではなく、口を塞がれていたに違いない。
「ああああああ!!!!!」
「母上!」
「……」
「ファルファル! おのれ、大公とはいえ、ファルファルを誘惑するとは許せん! 剣の錆にしてくれる!!!」
魔王様似の父上が、腰の剣を引き抜いて、俺をめがけて突進してきた。
「父上、落ち着いてください!」
「ええい放せ、ルデルフォウス!」
「兄貴、ほうっておけよ。それこそジャーイルに、痛い目あわせてもらえばいい」
兄弟の反応は対照的だった。
魔王様はいつもの冷静さをかなぐり捨てて、俺にとびかかろうとする父親をあわてた様子で羽交い締めにしているし、ベイルフォウスは飄々としたもので、父親の運命に冷たい判断を下す。
だがその事態を引き起こしたのが母親なら、見事、収めたのも母親だった。
「嫉妬してくれて、嬉しい。やっぱりユーくんは、私一筋ねっ!」
フォウス兄弟の母上――ファルファルさんは、感極まったように魔王様似のユーくんに飛びついたのだ。そうしてあろうことか。
「もちろんだとも、ファルファル! 君さえいてくれれば、僕の人生はいつだって薔薇色だ!」
俺たちのことなどおかまいなしに、二人は熱烈に包容しあい、口づけを交わしだしたのだった。
ほんっと、マーミルを帰していてよかった。
「だから言ってるだろ、兄貴。ほうっておけって」
俺とほぼ同時に治療の終わったベイルフォウスが、台から降りて兄の傍らに立ち、その肩を叩く。
だが魔王様は弟にはかまわず、殺気だった様子で周囲を睥睨した。
「治療は終わったようだな。ではとっとと帰るがいい」
地の底から届いたような、低い声が響く。
どうやら魔王様は、両親をこの場から追い出すのは諦め、俺たちの方を追い払うことに決めたようだ。
「今見たことはすべて忘れろ。そして、とっととこの場から去れ。命が惜しくば、決して振り返るな」
大丈夫。内緒にしてあげますからね、今日のことは。
俺はフォウス兄弟に若干の同情心を覚えながら、その場から立ち去ることにしたのだった。
***
一夜明け、気分は妙にすっきりとしている。なんというか、久しぶりに落ち着いた心持ちだ。
これもそれも、俺の戦いが昨日で終わったから――そうして、大祭が今日で終わりを迎えるからかもしれない。
「百日も続いた大祭が、いよいよ最終日を迎えると考えますと、感慨深いものがございますね」
最後の衣装を一緒に選んでくれているエンディオンの表情も、どこか穏やかだ。
「ほんとになー。俺もようやく、大祭主の役目から解放されると思うと、ホッとするよ」
「ええ、本当に。我々〈断末魔轟き怨嗟満つる城〉の家臣と致しましても、旦那様の戦いが昨日ですべて無事に終了されたという事実に、安堵いたしております」
どうも大公位争奪戦が始まってからというもの、城内の空気はピリピリとしていたらしい。
「なにより、公明正大なフェオレス公爵にはもちろん不満などございませんが、やはり旦那様が城にいらっしゃる日常を取り戻せるということが、家臣としてはもっとも喜ばしい事実でございましょう」
エンディオン……君が女性だったら、俺は惚れていたかもしれない。
「しかし、これで旦那様の序列は、大きくあがりましたね」
感服したようにいいながら、家令は蒼いマントを羽織らせてくれた。
「まあ、まだ一二戦が残ってるから、何位とまではっきり決まった訳じゃないけどな……」
そう答えてはみたが、結果はもう見えたようなものだ。
俺の勝敗は、今のところ四勝一敗一分け。ベイルフォウスとプートの戦いも、おそらく今の序列のままの結果をはじき出すだろう。そうなるとプートは全勝、ベイルフォウスは俺と同じ、ということになる。
いいや。まだ大公位争奪戦は終わったわけじゃない。ベイルフォウスが俺の予想を裏切って、プートに勝利しないとも限らないではないか。
それに、仮に大公位争奪戦が終わったといっても、大祭までもがそれですぐ終了、となるわけじゃない。
自分の戦いがすべて終わったからって、気を抜いたらダメだぞ。あと少し、緊張感を保って行こうじゃないか。
「よし!」
俺は最後の仕上げに、レイブレイズを腰に挿した。
万が一、一二戦が終わった後に誰かが挑戦してきたとしたら、そいつには気の毒だと言うほかない。今日はこの魔剣で相手をすることになるだろうから。
エンディオンや妹に見送られながら、俺は今日も大公城を後にしたのだった。
最後の戦いは、プート対ベイルフォウスだ。
これが午前の間に行われ、それからいつものように大公への最後の挑戦を受け付けた後、魔王様と俺たち大公は旧魔王城の跡地を出て、現魔王城へ向かうことになる。
そうしてそこでパレードを出迎え、ひとしきり騒いだその後、いよいよ俺と魔王様の宣言で長かった〈魔王ルデルフォウス大祝祭〉は終了を迎えるのだ。
ちなみに、百日間と決めてはじまった大祭は、実は今日の時点でもう百一日目を数えている。さらにいうと終了宣言がなされるのは明日の明け方、ということになるので、百二日をもって終了ということになるのだった。
最初の予定からずれてしまったのだが、まあ魔族なんだからそんなもんだろう。
さて、最後の戦いの判定人をつとめるのは、もちろんこの俺だ。
「全力で戦うのはいいが、この後まだ行事があるのを忘れるなよ」
俺はプートとベイルフォウスの間に立って、二人にそう注意を促した。
もちろん口だけだ。結果は期待していない。
大公同士の戦いで――それもこの二人が、適度に手を抜いてやり合えるわけがない。どちらも医療班の長い治療が必要な状態になったというのなら、無慈悲に置き捨てて移動するまでだ。
そして十中八九、そうなるだろう。なぜって二人とも、俺の方なんて一瞥もせずにらみ合っているのだから。
「では、はじ――」
最後まで言い終わる前に、ベイルフォウスの手元から火矢が放たれた。
それは俺の鼻先を掠め、まっすぐプートに向かっていく。
後で覚えているがいい、ベイルフォウスめ!
熱くなった鼻面を抑えながら、俺は緩衝地帯に飛び退いた。
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