古酒の隠れ家

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魔族大公の平穏な日常

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【第十章 大祭 後夜祭編】

155.いよいよ、例の相手からの招待状が届きました



 ある日のうららかな午後のことである。俺にその手紙が届いたのは。
 藤の花が派手に刻印された薄紫の封筒は、開けるまでもなく誰からのものか察しがついた。

「……」
「どうなさいました、旦那様?」
 封筒を見つめて動かない俺を前に、エンディオンが怪訝顔だ。
「いや、なんでもない」
 俺はデーモン族の侍従が差し出した盆から封筒を受け取り、それを食後の談話室ではなく、自室に持って帰って中身を確認した。
 マーミルが、誰からの手紙、ねえ、誰からの手紙? と、うるさくまとわりついてくるのをなんとかごまかして。

 いや、別にごまかす必要はないんだ。
 だって、手紙が届くのはわかってたしね!
 そう、もちろんの差出人はリリアニースタ。と、くれば、何のための手紙か内容も察せられるというものだろう。

 中には彼女に似合った優雅な筆跡の招待状が一枚と、その内容を詳しく説明した手紙が一枚、入っていた。
 魔王様なみのそっけなさだ。
 ミディリースと文通していると、四枚以下の手紙では物足りなくなってくる。慣れとは怖いものだ。

 日にちはちょうど、五日後。俺の予定はだいたい確認済みだが、都合が悪ければ言ってくれ、とある。うん……別にないな。
 迎えの竜など必要ないだろうが、案内人は寄越す、とのことだ。
 ……うん。竜を出して迎えにこられるのも、なんか嫁にいくみたいで恥ずかしいからありがたい。
 迎えは午前中らしく、昼食をご一緒に、とあった。その後、その日のうちに肖像画の制作にかかるようだ。

 そうか……。肖像画もその日なのか。
 自身で描くために、奉仕の時間のすべてを利用したランヌスとは違う。
 つまりリリアニースタは、俺とは昼食だけ一緒に食べればそれでいいわけだ。あとは画家にその時間を譲ると……。
 それでまさか、夜は共に……とは言い出さないだろう。
 その点は安心しよう。

 ……べ、別にちょっぴり残念だ、なんて思ったりしていない……本当だ。
 やましいことを考えていたから、マーミルに答えられなかったとか、そんなこともない。
 断じて。
 そうとも。もう気の強い女性はこりごりなんだ。
 ……。
 いや、本当だってば!

 しかしこの内容なら、どうしてわざわざ自分の名前を書いて投票したんだろう。
 意味がわからない。
 まさか誰かさんみたいに、俺の貞操を守るため、なんて言わないよな?
 まあとにかく、これで一安心だ。
 ただ……念のため、サンドリミンからいろいろ仕入れておかないと。
 自分の身を守るための、とか、相手の身を守るため……ごほっ、まあ、色々だ。念のためにな!
 今はとりあえず、談話室に戻る。

「ねえ、さっきのお手紙、なんだったんですの?」
 マーミルがやたらそわそわしている。その赤い瞳は不安半分、好奇心半分で輝いているようだった。
「ああ、リリアニースタからの連絡だ」
「リリアニースタって……お兄さまの奉仕のお相手ですわよね?」
 やっぱり! という表情が浮かぶ。
「ものすごく綺麗な方なんでしょう?」
「まあ……な」
 派手な美人だというのは否定しない。

「でも人妻だから、大丈夫よね?」
「ああ、心配ない」
 人妻だったらなにがどう、大丈夫なのかよくわからないが、とにかく俺は妹の頭を撫でつけた。
 ……なんか、でも……なんの心配もないっていうのも、あれだな……。
 男としてちょっと寂しいというか……兄としてはまあ、いいんだが……。

 とにもかくにも妹は一抹の心配を抱え、俺は一抹の寂しさを覚え、そうしてあっという間に当日を迎えたのだった。

 ***

 朝から風呂に入って身なりを整え、医療棟を訪れてサンドリミンから色々……まあ、それはいい。

 案内人としてやってきたのは、デヴィル族の青年。
 彼を俺の竜の背に乗せて、言われるままの方角に竜首を向ける。
 そうしてたいして飛ばないうちに、湖のほとりにある小じんまりとした屋敷にたどり着いた。

「これが侯爵城?」
 ずいぶん、狭い。部屋なんてあっても一フロアにせいぜい二部屋ほどじゃないか?
 うちの医療棟だって、これより何倍も立派だぞ。
「我が主、リリアニースタ侯爵所有の、別荘でございます」
 ああ、本邸ではないのか。だよな。
 でも……ってことは、なに?
 本邸ではないってことは、もしかしてそうなのか?
 つまり、この屋敷に愛妻家の夫はいないと……。

 ……。
 …………。
 ………………。
 いや、ちょっと待て俺。
 まさかそんな事があるわけないだろう。
 まさかあんな素っ気ないリリアニースタが、実は俺との一夜……ごほっ、一泊二日を期待して……とか、そんなまさか!
 俺はガラにもなく、ドキドキワクワ…………いや、不安を抱えながら、その屋敷に足を踏み入れたのだった。

「ようこそいらっしゃいました、ジャーイル大公閣下」
 扉をくぐるなり、リリアニースタがいた。
 彼女一人が、だ。

 待て俺。まだわからないぞ。ここは玄関ホールだ。正面奥には二階へ続く階段があり、左手には扉が一つある。
 そのどちらからか、愛妻家の夫が登場するかもしれないではないか。
 そんな俺の物思いなど意に介さぬように、リリアニースタは俺の右手をとり、両手で包み込んだ。
「歓迎します。今日は日頃のなにもかもを忘れて、ぜひ、この屋敷でくつろいでいってくださいね」
 なにもかもを忘れて!?
 つまりそれは……それは!?

 いつものどこか偉そうな態度は影を潜め、ただ艶やかで優しい笑顔が浮かんでいる。
 ちょっと待て。ほんとうにまさか……。
「さあ、こちらへどうぞ」
 藤の花飾りがよく似合う女侯爵は、そのまま俺の手を引いて、奥の部屋へと移動した。
 そこにはもちろん、愛妻家の夫の姿が――なかった!
 だが、なかったのだ!
 まさか! 本当に!?

 中は食堂だ。詰めても長辺に三人ずつ、合計六名がかけるのがやっとの細長い食卓に、白いレースのテーブルクロス。その中央には花が飾られ、酒の入った瓶と空のグラスが山と置かれ、ぐるりと周囲を囲むように肉や野菜や料理がそのまま載った大皿や鍋が所狭しと並べられている。
 扉は俺たちの入ってきたものが一つきり。上部の丸い窓が右手の壁に並び、その間には風景画が飾られてある。
 左手の壁には低い食器棚が並べられており、よくわからない形の粘土の造形物や、おもちゃが置かれてあった。子供の作った物なのだろうか。
 本当に狭い、家族だけの食卓、といった家庭的な風景だ。

「給仕もいないものですから、ご容赦くださいね。そのかわり、今日は礼儀も忘れて楽しんでいただければ、招いた甲斐もあるというもの」
 給仕がいない?
 ちょっと待て。
「リリアニースタ。確認させてくれ」
 ちょっと声がかすれていたかもしれない。だが、許して欲しい。

「この屋敷に、俺と君以外の者は――」
 案内役のデヴィル族の青年は、玄関扉をくぐりもしなかった。彼がこの別荘に入っていないことは、間違いない。
「あら……」
 色っぽい流し目が、俺をとらえる。
「野暮なことをお聞きになるのね。もちろん――」
 もちろん――

「侍従や侍女もおりません。料理人も、執事もね。洗濯係も掃除係も……家族と閣下以外は全員、誰一人として」
 全員!? 一人もいない!? 誰一人として!?
 ……。
 いや、待て。今なんていった?
 家族以外は?
 ……なんだ。そうだよな、やっぱりそうだよな!
 俺は息を吐いた。
 別に、残念に思って出たため息ではない。そうとも。

「じゃあ、その……愛妻家の夫とやらを、紹介していただけるんだろう?」
 気が抜けた。そんなことだろうとは思っていた。
「あら、いいえ」
 リリアニースタは、何が楽しいのか朗らかな笑い声をあげる。
「夫はおりません。こんな状況に、呼べるはずもありません。だってあの人がこのことを知ったら、年甲斐もなく閣下の前で悔し涙を流しかねないもの」
「ちょっと待て」
 俺は何度目かの言葉を、今度は声にのせた。

「まさかリリアニースタ。君は――」
「父親っていつまでたっても、それこそ娘がとっくに成人しても、やっぱり相手の男性には嫉妬するものでしょう? 少なくとも、うちの夫はそうだわ」
 ん?
 父親? 娘?

「……つまり?」
 俺が悩んでいる様を面白がるように、リリアニースタは勝ち気な笑みを浮かべた。
「ご紹介いたします、ジャーイル大公閣下。今日、私が肖像画の制作を任せる相手――我が娘を――」
 娘に肖像画を任せる? 肖像画を?
 まさか、まさか……まさか…………。

 俺の脳裏に画聖と呼ばれるランヌスをも唸らせた、ひどい……失礼、才能ある、らしい、一人の女性の姿が浮かぶ。
 そういえば、名前の語感もちょっと似ていないか?
 知り合った時期もほぼ同じだし――いや、それは関係ないかもしれないけど。
 でも、まさか……。
 いや、仮に彼女なら、休暇をとるという報告などなかったではないか。
 しかしそもそも、一侍女の予定なんて、俺のところまではあがってこないよな?
 じゃあ、ほんとにまさか――

「入っていらっしゃい。いつまでもジャーイル大公閣下をお待たせするのも、失礼ですよ」
 リリアニースタが手招きすると、それが合図となったように扉が開く。
 そこに立っていたのは、母に似た色の瞳をもった娘――つまり、俺の予想した我が城の侍女・ユリアーナではなかった。
 そのことにホッとした次の瞬間、また、別の驚きが生じる。
 艶やかな黄色い小花の髪飾り――。同色のドレスに身を包み、左手首には俺の贈った紫色のブレスレットをはめている。
 そう、そこに恥じらうように立っていたのは、我が副司令官――ジブライールに相違なかったからだ。

「えっと……これはどういう……リリアニースタの娘? ジブライールが?」
「あ、あの…………」
 ジブライールはおずおずといった雰囲気で部屋に入ってくると、訴えかけるような視線を向けてくる。
「冗談じゃなくて? 本当に?」
「あら。美人なところが似ているでしょう? 私に」

 確かに……リリアニースタに初めて会ったとき、どうも初対面ではないような感覚には襲われた。誰かに似ていると、漠然と思ったのだろう。こうして並んでいれば、特にその目と口の形が似ていることは認められる。
 姿勢の良さに関しては、瓜二つだ。
 だが、それでも、二人は印象が全く違う。そうと言われるまで、思いつきもしなかった。

「さあ、お料理が冷めてはいけないわ。ぼうっとするのは止めて、食卓につきましょう」
 リリアニースタが手をたたき、俺たちの間に割ってはいる。
「さっきも言いましたが、今日の食卓には給仕がおりません。だからジブライール、あなたがジャーイル閣下の給仕をなさい」
「わ、私が!? でも、お母様。私は――」
 ジブライールが不満の声をあげるのもわかる。公爵であるジブライールは、普段は給仕される立場だ。
 そもそも誰かの屋敷で仕えたことなんてないだろうから、給仕などしたこともないだろう。

「黙りなさい。今日は公式の場所ではなく、あなたはただの私の娘なんだから、地位を理由にしての逃げ口上は通用しませんよ。母の家では、母の命令に従いなさい」
 まさに女王様の言い分だ。
 あっけに取られたように、ジブライールがぽかんとしている。
「で、でもそんな……それじゃ、ジャーイル閣下に……」
 どうやら、さすがのジブライールも母親には弱いらしい。いつもの気の強さがないではないか。
 よし。ここは上司として、部下の援護に回ろう。

「いや、さすがにそれは横暴じゃないか? 娘にだって、自分の意志で母に逆らう権利はあるだろう」
「閣下もお立場をお忘れになられませんよう。今日は私に奉仕するのでしょう?」
 やぶ蛇だった!
 だが、ここで退いては男が廃る。

「奉仕する、は、諾々と従う、と同義ではないと思うが」
「ふふ……まあ、そうね。いいでしょう。では自分で選びなさい、ジブライール。閣下のお世話をするか、それともその権利を、私の夫に譲るか――」
「くっ――」

 ジブライールはフルフルと拳をふるわせ、母を睨みつけた。
 お母さん、あなたの娘は公爵ですよ? あなたより強いですよ!?
 しかもたまにキレますよ!?
 今もだいぶ怒ってるみたいですよ!
 大丈夫ですか、そんな挑発して大丈夫ですか!?
 でも俺も、愛妻家の夫の給仕なんてうけたくない!

 俺の心配をよそにジブライールはぎゅっと目をつむると、観念したように口を開いた。
「私が、お世話いたします――」
 俺のこの、いたたまれない気持ちはどうすればいいというんだ?

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