魔族大公の平穏な日常
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【第十章 大祭 後夜祭編】
「ジブライール、血迷ったか!?」
まさか、奪爵!?
ここに及んで奪爵なのか!?
「血迷ってなど……いえ、そうかも……」
否定しないのか!?
なにこれ。なにこのジブライール。
今までに見たことのない、嗜虐的な表情を浮かべて、俺の両肩を押さえつけて見下ろしてくるんだけど、なにこの状況!?
「今日はなんだか、気分がよくて――」
ジブライールはそういいながら、舌なめずりをした。その扇情的なこと――
まさか……まさか、ジブライール!
まさか、俺!
押し倒されてるのか!? もしかして、普通に!?
え、ちょっと待って! おかしくない!?
百歩譲って、逆じゃないか!?
呆然としている間に、気づけばジブライールの顔が、吐息がかかるほど、睫が触れるほどの距離に――
「ジャーイル様……」
ちょ……!
危機一髪! 危機一髪でジブライールの顔を避ける。
今、間違いなく、ジブライールは俺にしようとしたよな、しようとしたよな!?
「なぜ、避けるんです!? 私のことが、そんなに嫌いですか!?」
ジブライールは身体を起こすと、激怒の言葉と共に一層、俺の肩を強く押さえつける。
「そんなに嫌い……きら……い……うっ」
しかしその表情は、見る間に気弱に崩れ、目尻に透明な滴が浮かび上がってしまった。
それがぽたぽたと、俺の頬に落ちる。
「いや、好きとか嫌いとか、そういうことじゃなくて……えっ、なんでこんな急にっ! 絶対、おかしい、おかしいって! 毒かなにかを盛られ……」
その瞬間、俺はハッとした。
そうだ、ジブライールはおかしい。最初は毒かと思ったが、そういえばこの症状は――
そうだ、あの酒……ジブライールが一気に飲み干した、あの、酒――
確か赤くなかったか!?
「まさか催淫ざ……」
しばし呆気にとられていた隙を、ジブライールは見逃さなかったらしい。俺は最後まで、その問いを口にすることができなかった。
なぜって、ジブライールに唇を奪われたからな!!
俺は覚悟したが、しかしジブライールの口づけは、あっという間に終わった。
……え?
え? なに今の?
あれ?
一瞬だったんだけど、あまりにも一瞬だったんだけど……。
え?
見上げると、さっきまでの強気な様子はどこへやら、急に顔を真っ赤に染めて、恥じらう乙女が一人……。
「えっと……」
戸惑って見上げる俺の肩からジブライールはそろそろと手をのけ、俺の上からどいて横にちょこんと座り直す。
そうしてもじもじしだしたかと思うと、真っ赤になった顔を覆って、寝台に突っ伏したのだ。
「恥ずかしい……」
消え入るような声と共に。
……えっと……。
待って。逆に俺が恥ずかしい。心の中で大騒ぎした、俺が恥ずかしい。
とりあえず、いつまでも寝ているのもおかしいので、身体を起こす。
だいたいなんだ、男が押し倒されるって!!
ばか、俺のばか!!
「と……とにかく、毒でもなんでもないのなら、よかった……」
催淫剤でも飲まされたのかと思ったのに……。
だいたい、この気分がころころ変わるハイテンションっぷりは、あの薬の副作用が表れたようだったではないか。
酒も赤かったし。
だったらまだ、本能に負けて、手近な俺を襲ったのかとも思えたのに。
だが、催淫剤を盛られたのなら、こんな程度ですむはずがない。
そりゃあ考えてみれば、母親が一人娘の貞操を危機にさらすようなことを、いくらなんでもするはずがないよな。
そうだとも……。
だが、しかし……。
っていうか、じゃあ、逆に今のはなんだったんだ?
「ジブライール?」
俺は横で突っ伏しているはずの、ジブライールを見た。ところが。
彼女は恥じらうのはとっくに飽きたらしく、なぜかその、黄色いドレスを脱ぎはじめていたのだ。
「ちょ、ちょ!」
俺は慌てて、彼女の手をつかむ。
「なぜ、止めるんです?」
そう問いかけてくる目は、今度は座っている。
「なぜって、当然だろう。むしろなぜ、脱ぎ出すんだ」
「だって、ドレスが汚れたから……ベッドが汚れてしまいますし……」
ああ、なるほど……って、違う! いや、違わないかもしれないが、違うだろう!
「着替えなら、衣装部屋でやってくれ」
そういうと、ジブライールは俺のことを信じられない、と言いたげに、瞳を一杯に開いて見つめてきた。
「やっぱり……私のことなんて、嫌いなんだ……」
……なに?
「私のこと、そんなに嫌いなんですね……」
「いや、そんなこと一言もいってない」
「わ……私……わたっ」
またぽろぽろと泣き出す。
いや、やっぱりこれおかしいって! 絶対おかしいって!
「私はっ、はっ、はじっ、初めてお会いした時から……」
まるで子供のように、ぐすぐす泣き出すジブライール。
催淫剤だとしたら、あまりにもベイルフォウスが語っていた症状と、違うではないか。どちらかというと、マーミルのようだ。
でも、妹は子供だったから、ああなったのだろうっていってたし。ジブライールは大人だし。
これは一体……。
だが、もしも、だ。
もしもジブライールがあの催淫剤を飲んだのだとしたら……手はある。なにせ、俺はこんな時のために――まあ、想定とはちょっと違ったが、とにかく医療棟で色々仕入れてきているからだ!
「ジャーイル様のことが、こんなに好きなのにっ!」
…………え?
……。
……え?
……。
……え?
「今、なんて……」
俺が問いかけると、ジブライールはきっと顔をあげ、こちらを射抜くような瞳を向けてきた。
「お慕いしています。初めてお会いした時から……」
まるで命を奪う宣告をするような、重々しい声での告白。
だが、初めて会った日って……なんか、初対面からじっと睨まれていたような気がした、あの時から!?
え、俺のこと嫌いだったんじゃ?
だが確かに……確かに何度か、今までに何度か、そうかもしれないと思えたことはあった。
スプーンも取られたし、ぎゅっとさせられたし、照れているだけ、みたいな態度も何度か見た……ように思う。
でも……だがしかし……。
「閣下は以前、おっしゃいました。私の片思いには、望みがないと」
そういえば――そんなことも言ったっけ。でもあれは、あの時は――
「だから、かまいません。たった一日の、たった一夜のお相手でも……それでも……」
また感極まったのか、ジブライールの目の端から涙が流れる。
「それでも、私は……」
いやいやいや。
「待て、ジブライール。俺がああ言ったのは、あくまでもジブライールの片思いの相手が、魔王様だと思っていたからで……」
ん? いや、まあ、そうなんだけど!
でもだからといって――
「だったら四の五の言わないで、私の初めてをもらってください!」
ジブライールさんは、今度こそ止める間もなく怒ったようにドレスを脱ぎさる。
やだ、無駄に男らしい!
もちろん、全裸ではない。いきなり全裸ではない。
だが下着だ。透けてはいないものの、薄い下着姿なのだ。
だというのにさっきまでの恥じらいはどこにいったのか、完全に目が据わっている!
今の告白が、真実心の底からのものだったとしよう。いや、今更そこに疑いは持たない。ジブライールの瞳にも言葉にも、本気がうかがえる。
だがそれにしたってどう考えても、今のジブライールはおかしすぎる。これを通常の状態というには、さすがに無理があるではないか。
いかに、たまにおかしくなるとはいえ、だ。
あと、いい加減にしないと、俺もそろそろ限界だ。
この状態で、この場で、取れる手はただ一つ。
「わかった。ジブライールは本当にいいんだな? 後悔しないな?」
「後悔なんて、するはずがありません。だって、私は本当に――」
ジブライールは再び頬を赤らめ、うっとりとしたような表情で、俺ににじりよってきた。最後の涙が、その頬を流れる。
俺はそれを指先ですくい上げ、そのまま彼女の頬に触れた。
「ジャーイル様……」
ジブライールが俺の手を、一回りも小さな両手で愛おしげに包み込む。
「大好きです……」
恥じらいのこもった心からの言葉を聞いた瞬間、下っ腹がぞくりとした。
「ジブライール……」
今度は、俺からだった。ジブライールの唇をふさぐ。
彼女からは一瞬だったが、触れるだけですませるつもりはない。
「んっ……」
ゆっくりとジブライールの身体を押し倒し、彼女の柔らかい唇を割って、口内に舌を差し入れた。
――やばい。これはちょっとやばい。
うっかりすると、理性をもっていかれそうだ。
目的を忘れるな、俺。冷静になれ、俺。
だが、しばらくは――
ジブライールは時々、苦しそうに息を漏らし、それから――
一切の反応を止めた。
いや、止めたのではない。できなくなったのだ。
「はあ……やばかった……」
俺は身体を起こし、口元を拭いながらジブライールを見下ろす。
やばかった、じゃない。今現在まだやばい。
ジブライールはただでさえ、美人だ。残念美人だけど、スタイルも抜群の美人なんだぞ!
それが薄着で迫ってきてみろ。
反応しない方がどうかしてる!
その美人が今、俺の下でぐったりと気を失っているんだ。現在進行形でやばい。
いや、別にジブライールは俺の技術の賜物で、気を失った訳じゃない。
そこはまあ、残念といえば残念だ。
さすがにいくらジブライールが望んだからといって、その希望を口にしたのが正気の状態ではないとわかっている上で、本当に手を出すわけにはいかない。
俺だって、今は相当混乱してる。
そんな勢いだけで、初めてをもらっていいわけない。だって、魔族なのに初めてなんだぞ!?
俺より年上なのに!
そうだとも……俺たちの時は長いんだ。急ぐ必要が、どこにある。
ジブライールを押し倒す前に、俺はこっそりと一錠の丸薬を口に含んでおいたのだ。
以前マーミルが催淫剤を飲んでしまったときに、我が医療班が作ってくれた対処薬。その丸薬を、口移しでジブライールに飲ませた。
……効いてくれてよかった。
となるとやはり、あれは――あの酒には、催淫剤が入っていたのか。
くそ、何を考えてる、リリアニースタ!
自分の娘だぞ!?
俺に、というならまだわかるが――いや、その方がやばいか。ジブライールが拒否しても、どうにもならなそうだもんな。
だが、なんだって一体――
……。
とりあえず、水でも浴びてこよう。
いくらなんでも、風呂くらいどこかにあるだろう。
冷静に――ここは、押さえきれなくなる前に、冷静にならなければ!
でなければ、何のために我慢したのか――
だが、俺は立ち上がることができなかった。
行こうとした瞬間、ジブライールが俺の腕をつかんできたからだ。
「ジブライール!?」
まさか、もう起きて――いや、寝てる。大丈夫、寝てる。
その手をふりほどこうとしたが――
「ジャーイル様……」
ほとんど呟くような、寝言が漏れる。
ジブライールが俺を、初めて会ったときから好きだったって?
だとしたら俺は割と色々、やってしまっていたのではないだろうか。
無自覚だったとはいえ……。
銀色の髪に、黄色い小花が散っている。
ああ、これはあれか……金木犀か。そういえば、いい匂いがするもんな。
俺がその香りが好きだと言ったから……。
ドレスは脱いだのに、俺が贈った腕輪は折れそうに細い腕にはめられたままだ。
罪悪感に胸が締め付けられた。
「はあ……」
息を吐く。
「これから俺たち、どうなるんだろうな……」
涙の跡が残る頬を拭い、俺は反省の意味も込めて、結局朝までその場で悶々と、自分の煩悩と戦うことにしたのだった。
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