古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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3.女王の乱暴

 サディーナは母が病床に伏して以降、摂政の地位にある。女王になったからといって、明日から劇的に何かが変化するというわけでもない。それでも摂政殿下と呼ばれるのと、女王陛下と呼ばれるのでは、その響きに込められた重さがまったく違うのだということを、彼女はよく識っていた。
 だから、同じ立場であるはずのオーザグルドの皇太子が周囲をはばからず、好き勝手に振る舞っているのが彼女には腹立たしく感じられた。
 せめて摂政として、王女としての最後の日にくらい、少し羽目を外してもいいだろう……彼女はそう思っていたのかもしれない。

 サディーナはドレスの下に忍ばせていたメイスを振り上げ、扉の取っ手に向けて振り下ろす。
 耳を被いたくなるような金属音が響き、中から悲鳴があがった。
「サ、ササササ、サディーナっ!!?」
 娘の暴挙を予想できていなかった父の悲鳴もまた、廊下に響き渡る。
 父は優しいのはいいが、気が小さすぎるのだ、と、彼女は呑気な感想を抱く。
 4度打ちつけたところで、取っ手が壊れた。メイスを廊下に放り投げ、扉に向かって足を上げる。
 サディーナが壊れた扉を蹴り倒し、中に入っていくのを呆然と見ていた二人の男性は、顔を見合わせた後、急いで彼女を追いかけた。

「なんですか、お前は! な、なぜ、こんな乱暴なことを……!」
 ルイザが金切り声を上げる。
 それ以外の侍女は部屋の隅で固まって脅えるばかりだったから、震えながらも皇太子の寝室の前に立ちふさがった彼女は、その忠誠心においてはさすがというより他にない。
「おどきなさい」
 サディーナが静かな声でいうと、ルイザはぴくりと体を震わせた。
「もう一度いいます。そこをおどきなさい」
 気圧されている、という以外にふさわしい表現はないだろう。ルイザはよろめき、膝から崩れ落ちた。
 その横を、サディーナは彼女に一瞥も与えず通り過ぎ、寝室への扉に手を掛ける。
 その頃になって、ようやくアルシェードは我に返った。
「お待ちください、殿下」
 彼は慌ててサディーナの手を上から握る。彼女を傷つけないよう、最小限の力で。
「失礼いたします、殿下。一体なにをなさるのか」
 詰問というよりは、ただ驚愕しているようだ。
 サディーナはヴェールの下で悪魔のほほえみを浮かべた。少将には見えなかっただろうが。
「おはなしなさい」
 彼がひるんだのがわかる。
「他にどうやって、ここからわがままな子供を引きずりだすというのです。いい大人たちが揃いもそろって、ただ三時間も機嫌が直るのを待っているだけとは」
 アルシェードは手を離した。
 百戦錬磨の彼ですら、このうら若い少女の気迫に気圧されていた。
 それに、彼女の言い分はしごく尤もだ。

 サディーナは扉を開いた。乱暴にしたのは、わざとだ。
「さあ、病弱な皇子さまはどちらにおいでかしら?」
 彼女は部屋をざっと眺めた。
 船内とは言え王族の部屋らしく、無駄に豪華で広い。机や長椅子がいくつも並んでいる真ん中に、天蓋付きの背の低い寝具が置いてあり、布団が丸く盛り上がっている。
 サディーナはため息をついた。
「この騒ぎの中でもまだベッドの中とは、ある意味たいしたものね」
 彼女はつかつかと歩み寄り、布団を剥いだ。

「あら、まぁ」
 今回即位式に招いた諸国の賓客に対する調査で、その人となりはある程度知り及んでいる。外見も、できうる限りのポートレートを集めてたたき込んだ。だから彼女はオーザグルドの皇太子が手のつけられないわがままな性質で、誰にたいしても横暴なこと、すぐにカッとなって物に当たる、臣下に乱暴を働く、という性質であるのも承知していた。だが部屋は暴れたもなく、綺麗に片付いている。
 おそらく本当に、気分が悪くてずっと寝ていたのだろう。彼は今もぐったりと部屋着のままで、ベッドに横になっていた。
 そして、その容色。ポートレートは小さかったから特徴があまりつかめなかったが、それでも彼女は彼が“顔だけはいい”のは知っていた。目の前でベッドに横になっている皇子は、鳶色の瞳を潤ませてどこか婀娜っぽくもある。だが彼女が驚いたのはその整った顔立ちのせいではなかった。肌の色が、彼女の国ではみたことのない色であったからだ。
「本当に褐色の肌なのね」
 サディーナは特に色が白い方だったから、手を近づけてみると余計に彼の肌の黒さが際立つ。
 ちなみに、アルシェードも侍女たちも、彼よりは彼女に近い肌の色をしている。広大な土地を領有するオーザグルド帝国は、多民族国家なのだ。
「触るな」
 オーザグルドの皇太子、フラマディン・アインアードは自分に向かって伸ばされた白い手を、乱暴にはじいた。
「下賤のものが、この私に……うぷ」
 彼はそう言い、口元を押さえて体を丸めた。
「あきれた」
 彼女はため息をつき、彼の腕を素早く引く。
 口元から強引に手をもっていかれて、フラマディンはもう一度白い手をはじこうとしたが、意外にもか細い腕は力強く、彼の思うとおりにはならなかった。
 皇太子フラマディンは怒りと不快の混じった瞳で、サディーナをにらみつける。
「だだっ子のようにいつまでも寝てばかり居ないで、外に出なさい」
 彼女は強引に皇子をベッドから引きずり出した。どこにこんな力があるのか、というほどにサディーナが彼を引く力は強い。
「ル……ルイザ、ルイザっ! この失礼な女を……うぷ」
 大事な皇子に呼ばれて我に返った侍女頭は、震える膝を叱咤し、立ち上がった。

「ま、待ちなさい! 殿下をどこに連れて行くつもりですか!」
 だがサディーナは彼女を一顧だにせず、その横を再び通り過ぎる。
「なにをしているのです、アルシェード・グラフィラス! それでも護衛隊長なのですか!」
 悲鳴のようなルイザの声はアルシェードに届いてはいたが、彼はサディーナの邪魔をする気はないようだった。
 それどころか少し感心したような表情で、大人しく彼女の後を追いかける。

 驚愕に満ちた船員や従者たちの間を、サディーナは目もくれず足早に通り過ぎると、下船したところでやっと皇太子の手を離した。それもかなり乱暴に、彼を投げ捨てるように。
 尻餅をついた皇太子は、衣服と髪を乱し、呆然としている。
「さ、吐きなさい」
 呆然としたまま、フラマディンは彼の目の前に立ちはだかる黒ずくめのサディーナを見上げる。
「気分が悪いのでしょう? 吐けば少しは楽になるわ」
 アルシェードは苦笑をし、自分のマントを脱いでついたて代わりに広げてみせた。
「気の利く少将だこと。ほら、人の好意は無にしないものよ」
「誰が……う……」
 それが限界だった。
 彼は海に向かって激しく嘔吐した。
 サディーナはその傍らに座ると、その背をさすってやる。
 暫くして口から何も出る物がなくなってしまうと、彼は息も絶え絶えにその場に崩れ落ちた。


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