古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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4.皇太子の不興

 柔らかなベッドの上で、フラマディン・アインアードは目を覚ました。けれど頭がボウッとして、見慣れない天蓋をただ見つめているだけしかできない。
「ああ、殿下。ようございました」
 ホッとしたような声が、傍らから聞こえる。目尻をしわくちゃにしたルイザが、泣きそうな顔でベッドの脇に控えていた。
「ルイザ……そうか、ここは船の……」
 体を起こそうとしたとたん、頭を殴られたような痛みに襲われる。
「よくぞここまでご辛抱なさいました。ご立派でございますよ、殿下」
 彼女が自分を誉めるのはいつものことだ。それに今は頭痛が酷くて、その意味を考える余裕もなかった。
「あんなむごい目にあわされて……国元に帰ったあかつきには、皇帝陛下にこの無礼を訴えて、必ずやこの国の者どもに報いを受けさせてやりましょう」
「なんてことをおっしゃるものか……」
 あきれかえったような声が響く。それは、フラマディンには聞き覚えのない、男の低い声だった。
 いつもならルイザと数人の侍女しか、彼の部屋には入れさせない。
 視線だけを巡らせると、ルイザの遥かむこう、部屋の出入り口らしきドアの傍らに、剣を吊した立派な体躯の武人がいた。
 ぼんやりとした頭で、あれは数度みたばかりの護衛隊長だと思い当たる。

 だが、ついさっきもこの男の顔を見なかったか……
 そう考えて、彼は気を失う直前の記憶を取り戻した。顔さえヴェールで覆った、黒ずくめの女の姿を。
「あの、女」
 左手で頭を押さえながら、なんとか右手で体を支えて起き上がる。
「あの女を連れて参れ! 帰国してからといわず、今、この場で手討ちにしてくれる」
 珍しく、彼の言葉でルイザが戸惑ったような表情を浮かべた。いつもなら嬉々として賛成するのに。
「皇太子殿下。それはかないません」
 ルイザの代わりに、護衛隊長が答えた。
「かなわぬ? なぜだ! 女一人、連れてこいというのが、なぜできぬ!」
「殿下」
 ため息が混じった気がした。
「あのお方はウィシテリア女王国の次期女王、現摂政殿下のサディーナ姫でいらっしゃいます」
「あれが、姫、だと?」
 フラマディンは驚いた。
 彼の知る“姫”とは、にこにこしているか、おどおどしているか、そのどちらかだ。どちらにしても、彼に媚び、へつらい、従う弱々しい女でしかない。
「あんな乱暴なものが、姫? 次期女王だというのか。あんな、まるで獣のような荒々しい女が……」
「殿下は獣をご存じないと見える」
 小声のつもりだったのだろうが、はっきりと聞こえた。フラマディンは護衛隊長をにらみつける。
「医師を呼んで参ります」
 若い少将は皇太子の不興を気にした風もなく、むしろ声に揶揄するような響きを含ませて、部屋を出て行った。

「あの男、名はなんという……」
「アルシェード・グラフィラス少将でございます、殿下」
 ルイザが嫌いな相手を呼ぶときの声音で、皇太子に告げる。それがまた、彼の心証に影響した。
「嫌な男だ……帰国したら打ち首にしてくれようか」
 ルイザの瞳が少し明るくなったのを、フラマディンは見て取った。
「ルイザ。本当に、あの女がサディーナ姫だというのか?」
 馴染みのない護衛隊長の言葉だけでは信じられなかった。
「はい、殿下……信じがたいことに、そのようでございます」
 フラマディンは頭を押さえていた自分の腕にアザがあるのに気がついて、あんぐりと口を開ける。
 サディーナに掴まれた箇所だ。
「女のくせに、なんて馬鹿力だ……」
 か弱いはずの女性を相手に、抵抗できなかった自分のふがいなさは、彼の脳裏には浮かばない。それも当然ともいえた。彼は一応は剣の稽古をしていたが、講師が誰もバカに誉めるばかりで真剣に打ち合わないので、おべっかを本気にして自分のひ弱さを知らなかったのだから。
 彼はすっと差し出された水を飲み干した。
 吐いて空になった胃に新鮮な水が染み渡り、彼はホッと息をついた。心なしか、頭痛もマシになった気がする。
「殿下、おかげんはいかがでしょう。何か、お食べになりますか?」
「そうだな……」
 フラマディンは周囲を見回した。
 ここは御座船ではないらしい。
「ここは……」
「ウィシテリア女王国の王城でございます」
「ふぅん」
 フラマディンはベッドの上であぐらをかいた。
 彼の国では寝台の高さは低い。二十センチあるかどうかというくらいが一般的だ。その分面積が広く、庶民でもたいてい二m四方、皇太子の寝台ともなれば六メートルを超している。
 だが、このウィシテリア女王国のベッドは膝を超す高さだ。そして幅は、国賓に与えられたこの部屋にあるのでも、オーザグルドの庶民が使用する寝台より小さいようだ。
 船の寝台ですら、これよりは広かった。これでは寝ている間に落ちてしまわないのだろうか、と不安になる。別に彼は寝相が悪いわけでもないのだが。
「籐の長椅子は持ってきていないのか?」
 寝室のどこにも、彼のお気に入りの椅子が置かれていない。
「わたくしはもちろん、旅具のリストにのせておいたのですが、ハフクレードどのが弾いてしまったのですわ」
 ルイザは不満げに一人の男性の名を挙げた。帝国武官の最高位である近衛大将、その地位にあるハフクレードは、アルシェードの上司で彼を今回の旅に推薦した張本人でもある。
「あいつか……」
 フラマディンは初老にさしかかった近衛大将が好きではなかった。父は彼を実直だと気に入っているようだが、フラマディンに言わせるとハフクレードは無骨すぎて愛想がない。
 要するに、他の重臣たちのように、彼の機嫌を取ろうとしないのだ。
「まったく、武官というのは揃いもそろって気の利かないものばかり」
 フラマディンは足を崩してベッドから降りた。少しふらついたところを、ルイザが横から支える。
「今は何時なのだ」
 日はすっかり落ちてしまっているようだ。他国では日の入り方も違うから、夕刻なのか夜更けなのか、さっぱりわからない。
「先ほど鐘が6つなりました。我が国でいうと、暮れ一刻ほどかと……」
 フラマディンはルイザに支えられながら、露台へ続く扉をくぐった。
 露台は広い。椅子を4脚そろえた正方形のテーブルセットを置いても、まだ部屋のベッドを2台は置けそうなほどの空間が設けられている。
 そこここに観葉植物が置かれているようで、月光に照らされた緑が空気を和らげてみせている。

 即位式に合わせたというわけではないだろうが、明日は満月だ。露台も手燭がいらないほど明るい。
「この国は、私の国よりは暖かいようだ」
 フラマディンの王宮では、今頃の夜だと上着を羽織らないと外には出られなかった。
「ここは南にあるのか?」
「ええ、さようでございます、殿下」
 ルイザがよくできましたとばかりに微笑む。
「少しばかり我が国より南にございます。我が国の南端と、この国の北端にはロックユーズ王国があり、そちらとは国交を結んでいないため、どうあっても船でしか入国ができないのです」
 アルシェードが聞けば、即座に補足を加えたくなっただろう。たとえロックユーズ王国が友好国であり、その領地を通ることができたとしても、また、たとえかの国がなくウィシテリア女王国と国境を隣にしていても、彼らは船でしかこの地にやってくることができないのだと。
 ウィシテリア女王国が他国と境界を接する辺りには、深く流れの速い大河と、人の進入を拒む深い森が横たわっているのだ。
 もっとも、人の行き来を拒んでいるのは自然のせいだけではない。そこに棲まう生物が、なにより両国の陸路での往来を制限していた。

 だが、質問はしたがフラマディンにはウィシテリア女王国に対する興味はほとんどなかった。だから彼はそれ以上、質問を重ねたりはしなかった。もっとも、その点においてはルイザも同様だったから、それ以上のことを聞かれても彼女も答えられなかっただろう。
 つまり二人には、ウィシテリア女王国に対する基礎知識が欠けていたのだ。
 だから彼らは、目の前を突如としてよぎった巨大な生物の影に、大きな悲鳴をあげることになってしまったのだった。


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