古酒の隠れ家

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※一部、一次創作同人活動などを含みますので
苦手なかたはご注意ください

女王陛下と皇太子殿下

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5.王女の部屋

「やっと、このうっとおしいのを被らなくていいのね」
 この半年、毎日頭からすっぽりと被らなくてはいけなかった黒い薄布を、サディーナはベッドの上に放り投げた。
「それに、服も」
 シンプルな黒いドレスも嫌いではなかったが、それでも彼女とて年頃の少女だ。あでやかな色のドレスを着られるのは嬉しかった。
 特に今日は一生に一度の晴れの日だ。
 ドレスのデザインは決まっている。色は紅色であでやかだが、模様は雄々しい。
 裾の長いスカートには白と黒の二匹の竜が、左右から金色の王冠を見上げている絵が刺繍されている。そして肩から羽織る4メートルに及ぶ白いマントには、これまた数体の金糸の竜の姿があった。
 水面から顔を出しているのは水竜、地を駆けているのは地竜、翼を広げて空を飛んでいるのは翼竜だ。
 代々、ウィシテリア女王の即位式には、竜をちりばめた紅色のドレスに白いマントを身につけるものだと決まっている。

 サディーナは侍女たちの手を借りながら、誇らしい気持ちでその衣装を身にまとった。最後に長い白銀の髪を編み込んでまとめてしまうと、支度は終りだ。
 髪型がことさらにシンプルなのは、頭上に輝く黄金の冠を目立たせるためでもある。
「よくお似合いですわ」
 仕上がりを見ていた女官長が、満足そうに頷いた。
 女官長はヴェールを被らないサディーナを毎日見ていたが、それでもあでやかな衣装を身につけた今の彼女は、昨日までよりいっそう匂い立つように美しく思える。半年も彼女の素顔に接する機会のなかった者にすれば、余計にその変化には目を見張るだろう。
 一年前のサディーナは、まだどこか幼さを残した少女だった。けれど摂政として過ごしたこの一年間が、母である女王の死を経験したことも手伝ってか、彼女を一気に大人に近づけたように思える。
「穏やかな、いい天気になりましたね」
「ええ、本当に。まぁ、もとからあまり心配はしていなかったけれど」
 ウィシテリア女王国の王城は、高い崖の上に建っている。彼女は海に面した自室の窓から、外の風景をまぶしそうに眺めた。

 この国に海からやってきたものは、まずは左右の崖に建つ白い城と黒い城を見ることになる。二つの城は、頑強な石橋で結ばれていて、船はその下に流れる海峡を通って内海に入るのだ。
 外から見る白と黒の城はずっしりと、威風堂々とした姿で辺りを威圧して見えるが、一端内海に入って港から仰ぎ見ると、太陽を背にした二つの城は優しげで、その姿はまるで優美に舞う二羽の鳥のようでもあった。
 白い城の方が全容は広く大きく、坂を下って城下町のすぐ側まで伸びている。
 一方で黒い城から伸びる坂は、森と平原へと伸びていた。
 わずかに黒い城が建つ地所の方が低い。
 白い方が女王の住まうの王城、そして、黒い城がこの国にたった二人しかいない公爵のうちの、その片方が住む城だった。
 一人は、いうまでもなくサディーナの父、エルフォルト・シーモス公爵だ。彼はもともとシーモス伯爵家の次男であったのだが、女王の夫となることが決まった時点で公爵位を与えられた。そして、今は王城に暮らしている。
 黒い城に住むのは、もう一人の公爵……こちらは女王の夫であるが故に公爵位を叙爵されたのではない。唯一、ウィシテリア女王国の建国時から公爵家としてその城に居住が許された一家、その総領であるフォルム公爵だった。
 その地位は、建前では女王の下位となっているが、事実は同位といってもいい。少なくとも、女王家の人々や重臣たちはそう認識している。
「フォルム公爵の方はどう?」
「ええ、姫さま。殿方の準備など、大して時間はかかりませんもの。きっと、もう終わってらっしゃいますわ」
「そう」
 サディーナは満足そうに頷き、窓に近付いた。
 窓から見えるのは、なにも海ばかりではない。
 彼女もまた、それを見るために窓に近付いたわけでもない。
「竜たちも、機嫌がよさそうね」
 雲の間を高速でよぎる翼竜、あるいは海の波間に浮き沈みする水竜、そうでなければ黒い城の向こうの平原を駆け巡る地竜たち。ウィシテリア女王国に存在する、大きないくつもの影。
 この世界中のどこを探しても、他にこれだけの数の竜を、自然体でみることはできないだろう。女王国は別称を、“竜王国”ともいう。
「ああ、そういえば……」
 サディーナはふと思い出したように、女官長を振り返った。
「昨日、東の棟からけたたましい悲鳴が響いていたけど、何かあったの?」
 男の声と、女の声が一つずつ。
 だが、彼女は心配はしていなかった。何か大変なことがおきたのなら、昨日のうちに彼女の耳にはいっていただろうから。
「あれはオーザグルドの皇太子殿下と侍女どのの悲鳴だそうです」
「ああ、あの皇子の」
 そう返したものの、実は予想通りだった。なにせ、昨日まであんな悲鳴を上げるような者は、この王城に誰一人としていなかったからだ。
「竜の飛翔を間近に見るのは初めてだったようで、護衛隊長どのが騒がせたお詫びを申されていたようですわ」
 精悍な顔立ちの若い少将を思い出し、サディーナは苦笑した。
「船旅の間中、部屋にこもっていたんですものね。入港の時に首都の様子を見ていれば、竜があちこちにいたのに気付いたでしょうに」
「気付いたとしても、殿下。他国では竜は我が国ほど身近な存在ではありませんので、いきなり近くで見ては驚かれるのも無理はありませんね」
 女官長の評価は、ややきついと自覚のあるサディーナにとっていつも新鮮で、彼女の気持ちを優しく溶かせるものだった。
「それはそうかもしれないわね。彼らの国には“フォルム公爵”はいないものね」
 サディーナの言葉に、女官長が頷く。
「さようですね」
 もう一度、サディーナは外を飛ぶ雄々しい竜を見上げた。

 サディーナの着替えが終り、侍女たちが部屋を片付けて出て行ってしまうと、彼女は自室をぐるりと見回した。
「この部屋とも、今日でお別れね」
 生まれた瞬間から、彼女に与えられた部屋だった。だが、女王となる今日からは、海を見渡す南棟ではなく、城下町を臨む北棟に居を構えることになる。
 母の使っていた部屋の、そのすぐ隣……曾祖母が使用していた白い部屋を、彼女は新しい自室に選んだ。
 部屋を変るといっても家財道具はあらかた新しい部屋に移動されるし、そもそもが同じ王城の中を移動するだけに過ぎない。そうではあるが、やはり一抹の寂しさを感じずにはいられない。
 摂政の地位につき、女王の仕事を引受けたのは一年前。国の命運を左右する、気苦労の多い仕事だったが、それでもこの部屋に帰ってきたときだけはただの少女に戻れたような気がしていた。
 この部屋を出るということは、子供時代との完全な決別を感じさせるものだったのだ。
 
 鐘の音が、王城から城下町に鳴り響いた。
 いつもの時刻を知らせる鐘ではない。今日の日のために鋳造され、磨かれてきた真新しい鐘の音だ。
「さあ、時間ね」
 彼女は女官長に向かって、にっこりと微笑んだ。


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