古酒の隠れ家

このサイトは古酒の創作活動などをまとめたサイトです
※一部、一次創作同人活動などを含みますので
苦手なかたはご注意ください

女王陛下と皇太子殿下

目次に戻る
前話へ 後話へ

6.女王の戴冠式

 フラマディン・アインアードの機嫌は、今朝から最悪だった。
 原因はわかっている。昨夜、城のすぐ上空を飛んでいた翼竜の姿をみて、悲鳴をあげてしまったからだ。
 もっともこの皇子ときたら、故国の港を出た瞬間からこっち、機嫌のいいときなどなかったのだが。
 それにしても、とアルシェードは思わずにはいられない。
 どうして誰も今回の皇子の旅に、侍従の一人もつけようとしなかったのかと。
 皇子がいくら侍女を気に入っていても、他国の王族と同席する公式の場所にまで、彼女らを同行させるわけにはいかないのは明白だ。
 通常こういった席では、侍従が皇太子の側に付き従うものなのだ。皇太子の侍従ともなれば王族の一門か、高位貴族の子弟と相場は決まっているから、誰をはばかることなく皇太子の側に控えていられたはずだった。
 実際、他国の要人たちはそれぞれ侍従を連れている。なのに、彼らの一行だけは侍女と護衛である近衛隊士、侍医とその付き人、下働きのみだったため、地位として最も高位の近衛少将であるアルシェードが、皇太子の側に控えていなければならない。
 彼は護衛としてある程度は側にいる必要があったが、それでも侍従がいればこうして横からいちいち皇太子に話しかける必要はなかったはずだ。それというのも、皇太子があまりに無知だからで、アルシェードはいちいち他国の参列者の立場や名前を伝えなければならなかったのだ。
 要人の把握は護衛の仕事の一つだ。不審者を見分けるためにも、あらかじめすべての参列者や配置、即位式の手順は確認してあるとはいえ。
(おかしい。普通、こういう席に出るなら、せめて列席者の立場と名前ぐらい、自分でも覚えておくものじゃないのか……)
 しかも、教えてもらう立場の皇太子はぶすっとして、アルシェードがいくら説明をしても、聞いているのかすら怪しい状態だ。彼相手だけにそうしているならまだしも、他国の王族や大臣が話しかけてきてもほとんど生返事しか返さないものだから、アルシェードがフォローを入れなければならない。本来の彼の任務とは著しく異なるこの状況に、不満を抱くのは仕方のないことといえた。
(俺は侍従のまねごとはできねぇって、あれだけ言っておいたのに)
 わかっている、と言ったハフクレードの言葉はなんだったのか。一般に堅物と思われている上官は、あれで意外に型破りな事を平気でする。
(外交に影響しても、俺は知らないからな)
 いくらアルシェードがフォローを入れたとしても、肝心の本人が不機嫌なのは明白なので、今ではほとんど話しかけてくる相手もいなくなっていた。

 国賓として女王の即位式に招かれた人々や、ウィシテリア女王国の重臣たちは今、王城の北端、舞踏会が開けそうなほど広い露台に集まっていた。
 ここから女王の戴冠式を、城前広場に集まった彼女の国民と共に見守るのだという。
 広場は露台の端にでも立たなければ見渡せないが、わざわざ確認しなくともその歓声やざわめきの大きさから、隅まで埋め尽くされているだろうことは想像に難くない。
「いったい、いつになったらその戴冠式とやらは始まるのだ」
 ついに耐えきれなくなったとみえて、フラマディンが憮然とつぶやく。
「お待たせして申し訳ありません」
 人の良さそうな声が間近でして、皇太子だけでなくアルシェードまでがぎょっとした。
 シーモス公爵だ。
 この温和な公爵は、他人の気配に敏感なアルシェードにまで、その接近を感じさせない。暗殺者にでもなれば、さぞかし成功率は高いだろう。もっとも、仕事を終えた後に逃げ切れるのかは謎だが。
「鐘が鳴りました故に、もう間もなく……ああ、始まるようです」
 シーモス公爵が手を伸ばし、二つの城の間にかかる頑強な橋を指し示した。

 黒い城から、目に鮮やかな青の衣装の上に白いマントをまとった背の高い男性が、巨大な黒い翼竜を背後に従え現れると、騒がしかった城前広場が水を打ったように静まりかえった。
 石橋は高く、遠すぎて顔までは判別できないが、それでも人々の視線を集めないではいられない存在感が、その男性にはある。
 翼竜を従え、両手に輝く黄金の冠を持ったその男性は、人々に見守られながら石橋を渡った。
 アルシェードは彼の後をいくその翼竜が、口輪をはめていないことを見て取って、知識はあったものの素直に驚嘆した。オーザグルド帝国に限らず、どの国でも竜は凶暴で御しがたい存在とされる。だから軍で保有する竜たちには、必ず口輪がはめられていた。
 さらにいうならば、橋を進むその黒い竜の手綱を握るものもいない。誰に強制されることもないのに、自分より何倍も小さな人間の後を、竜は大人しく歩いているのだ。
 彼らは石橋の中央にたどり着くと、そこで歩みを止めた。

 鐘の音が二重、三重に鳴り響く。
 白い城から紅いドレスの女性が現れた途端、広場は大地を揺るがすような歓声で満たされた。高い鐘の音すらかき消すほどの歓声で。
「我が娘ながら、神々しい」
 自然に口に出してしまったのだろう、シーモス公爵がぽつりと言った。彼はいつの間にか懐から取り出した、ハンドル付きの双眼鏡を目にあてている。
 見れば、シーモス公爵以外にも幾人かが、同じように双眼鏡を覗いていた。
「殿下もよろしければ」
 公爵が気を利かせて、自分の双眼鏡を差し出す。
「いや、私は……」
「ご遠慮なさらず、どうぞ」
 意外にもぐいぐいと、強引に双眼鏡を押しつける。
 アルシェードはその様子を見て、ああ、綺麗な娘の晴れ舞台を人に見せびらかしたいのだな、と思った。
 諦めたように皇太子は双眼鏡を受けとり、しぶしぶといった感じでレンズを目に当てた。
「宰相閣下。あの、黒い城から出ていらしゃった方は……」
 貴人は苦手なアルシェードだったが、昨日三時間もこの公爵と顔をつきあわせていたためか、彼には慣れていた。少しも偉ぶらないところが、余計に親しみを感じさせるのだろう。
「ああ、あの方はフォルム公爵です。ガウルディ・フォルム公爵……竜騎隊を率いる、我が国の元帥でして」
「やはり、そうですか」
「ああ、ご覧ください。戴冠されますよ」
 見ろと言われても、護衛としてはただぼうっと一カ所を見続けるわけにはいかない。だから彼は、目の端で儀式を捉えていた。
 城前広場が再びシンと静まりかえる。
 誰もが息を呑み、この世紀の戴冠式を注視している。

 アルシェードは会場を見回し、不審な動きがないことを確認して、最後に皇太子に視線を移した。意外にもわがままな皇子は、この儀式に心を奪われているようだった。
 眉間にあれほど深く刻まれていたしわが解け、興奮したように頬を赤らめている。
 様式が違うとは言え、自分もいつか経験するだろう儀式を目にして、思うところがあるのだろう。
 やっと少しは可愛らしいところをみせてくれたと、アルシェードは内心苦笑した。

 だが、事実は彼の想像とは少し、違っていた。
 彼は儀式に見惚れていたのではなかったのだ。
「あれが、本当に、あの……昨日の姫なのか?」
 心なしか、声が震えている。
「ええ。サディーナでございますよ、皇子」
 答える公爵は誇らしげだ。
「本当に?……あれが、あの、私を乱暴に投げ捨てた……」
 投げ捨てた? と思ったが、港に降りてから手を離された時のことをいっているらしい。昨日はとっさに娘を追えず、一部始終を見ていなかったシーモス公爵も、困ったように首をかしげている。
「別人じゃないのか?」
「いえ、間違いなく、私の娘ですが」
 皇子の疑問に、温厚な公爵は不服そうだ。
「間違いありませんね。背格好といい……、昨日の姫と同一人物でらっしゃいますよ」
 アルシェードはかろうじて「体つきといい」という下品な言葉を呑み込んだ。
 フラマディンの双眼鏡を持つ手がぷるぷると震え出すのを見て、アルシェードは首をかしげる。
 何か悪い物でも食ったのか、と思ったが、分別を働かせて口には出さないでおいた。
 彼は再び無言になった皇子から目をそらし、会場の様子を窺うことにした。

 黄金の冠がフォルム公爵の手から、彼の前にドレスを広げて跪いたサディーナ姫の頭上に冠される。
 戴冠したサディーナが立ち上がり、今度はフォルム公爵が彼女に跪く。
 そうした後にサディーナが民衆に向き直って手を振ると、広場は再び耳をつんざくような歓声に満たされた。
 サディーナが手を下ろしフォルム公爵に向き直ると、彼は立ち上がって彼女の手を取り、そうして二人は黒い翼竜の背を目指して歩いて行った。


前話へ 後話へ
目次に戻る
小説一覧に戻る
inserted by FC2 system