古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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7.即位の宣明

 翼竜の背で風を受けるのは大好きだ。
 物心がついたころからフォルム公爵にせがんでは、彼の翼竜の背によく乗せてもらっていた。今では独りで騎乗もできる。
 だが、しばらくそんな機会はもてないだろう。新しい女王として後継の居ない今は、少しの危険からも、できるうる限り遠ざけられるだろうから。
 だからサディーナは、少しでも高く、長く飛んで欲しいと、あらかじめ公爵にお願いしてあった。
「よい天気ですが、これ以上高くあがると凍えてしまいますよ」
 兄というには年の離れた公爵は、優しげな口調でサディーナに言った。
 女王家に並ぶ絶大な権力と立場を保持するフォルム家だが、その当主である公爵に野心家がいたことはない。少なくとも世俗的な野心を持った当主は、と表した方が正しいのかもしれないが。
 特に現当主のガウルディなどは、歴代の公爵の中でも特に温厚で人格者であると言われている。とてもではないが、世界に名だたるウィシテリアの全軍を率いる元帥とは思えない、柔和な雰囲気の人物だ。
「ええ、もう満足ですわ」
 本当は全然満足していない。もっと飛んでいたいが、時間と距離がそれを許さなかった。
 即位式はまだ終わっていない。それどころか、戴冠式という一番最初の儀式をすませただけだ。

 国外からの要人や重臣が集まる北端の広い露台、そこから広い昇り階段が伸びた露台に、翼竜はゆっくりと降下する。
 俗に『顔見せ台』と呼ばれるそこは、階下の露台を避けて城前広場から直接見上げることができるよう、造られている。普段から女王や重臣が広場に集まった人々と、距離があるとはいえ直接相対する場所である。
 四隅に儀仗兵が長い槍を持って立ち、中央では黒い翼竜が大きな羽根を畳んで頭を垂れ、うずくまっている。
 石造りの高欄には、毛足の長い布で作られた分厚い国旗が掛けられており、彼女はそこに左手をおいて眼下の城前広場を臨んだ。

 これほど人が集まるのは、半年前に行った母の大喪儀以来のことだ。あのときは彼女自身も、そして集まった国民たちも暗く沈んでいた。だが今、人で埋め尽くされたこの広場は、昂揚と歓喜にあふれている。サディーナの即位を祝わぬ国民は、一人としていないかのようだ。この半年の、沈痛に満ちた空気を追い払いたいという、国民たちの想いの表れでもあるのだろう。
 彼女はひとしきり手を振って歓声に応えたあと、高欄に一歩近づき、両手を国旗に置いて背筋を伸ばした。
 その姿を合図に鐘が鳴らされ、儀仗兵が高らかに女王の発言を宣言すると、広間は再び静まりかえる。
 サディーナはフォルム公爵を振り返り、彼が頷くのを見るとにっこりと微笑んだ。群衆に向き直り、大きく息を吸う。

「今日、この神聖なる良き日に、こうして大勢の国民が女王の即位を祝うために集まってくれたことは、私にとって大きな喜びです。
 我が国はこの広大なアルファイスト大陸の中では珍しく、建国以来領土の拡張も縮小もありません。つまりは他国を侵略したこともなく、また、されたこともない、平和な国ということです。このような国をわが女王家が五百年に渡り、維持できているのも、ひとえにフォルム公爵に代表される多数の竜と、賢明で堅実な国民の支えによるものと自覚しています。
 母が病に伏せてのち、私はこの一年を摂政として政治に関わってきましたが、その想いはますます強まるばかりです。
 さればこそ、私はあなたたちの上に君臨するつもりはありません。若輩の身ですが、あなたたちの母として、兄弟姉妹として、友人として、世界有数の賢民であるあなたたちと共に、この国を守るために歩んでいきたいと思っています。
 本日、私は戴冠し、女王位を継承しました。あらためて、いかなる時であれ、我が母がそうであったように国民と苦楽を共にし、昼夜を問わず働き、法を遵守して犯さず、我が民の庇護者としてその責務を全うすることを誓います。
 ここに、私、サディーナ・アル・ウィシテリアは、即位を内外に宣明いたします」

 凜とした声が、拡声器もなしに響き渡る。
 そして一拍の静寂の後、国中を覆うかのごとき大歓声が沸いた。
 一斉に鐘が鳴らされ、飛竜が城の背後から列をなして飛び出し、港に整列した水竜が水を叩き、黒い城の向こうの平原から、地竜が足をふみならす音が聞こえてきた。
 大地は震え、海は波立ち、空は冴え渡る。
 それはまるで自然からの言祝ぎのようだった。

 ***

 今日より三日間、ウィシテリア女王国は女王即位祭で賑わぐ。 
 子供たちは学校が、大人たちは商いを営む者以外は仕事が休みとなり、全国民に女王から祝金が下賜される。道には露店がたち、あちこちの広場で人々は歌に踊りに興じ、未来への希望を胸にいだきつつ祝杯を掲げる。
 闘技場では剣や弓、槍を用いての武術大会が開かれ、劇場では女王家にゆかりの芝居や歌劇が上演されることだろう。
 サディーナはその熱気にあてられて、これ以上ないほどに気分を高揚させていた。母が即位したときはまだ生まれていなかったから、即位祭を経験するのは初めてだ。いつまでも『顔見せ台』に立って、手を振っていたい気分だった。
「女王陛下。そろそろ、ご列席の方々にもご挨拶を」
 喧噪の中でも、静かなフォルム公爵の声はサディーナの耳に届く。
 彼女は珍しく自分が我を忘れていたことを自覚し、どこか冷静にはなりきれないまま、公爵にうなずいた。
 この日のために選ばれた二人の子供が、女王の長いマントを左右から持ち上げ彼女に付き従う。この晴れの日に選ばれた少年はどちらも十歳の、有力貴族の子息だ。同い年の少年が何十人もいる中で選ばれた彼らは、誇らしげな表情を浮かべている。
 サディーナは子供たちが転ばないよう気をつかってゆっくりと歩を進め、広い露台へと階段を降りていった。
「陛下、おめでとうございます。謹んでご即位をお祝いいたします」
 彼女の臣民である淑女たちはドレスをつまんで膝を、紳士たちは胸に手を当て腰を折り、口々に祝いの言葉を述べる。
「ありがとう」
 国公賓はどちらかというと、今は遠巻きに彼女を囲んでいる。
 サディーナは階段を降りきると、周囲を囲む人々に向かって微笑んだ。
「どうぞ皆さま中へ。ささやかな祝宴を張っております。存分にお楽しみいただければ、これに勝る喜びはございません」
 北棟の一室では食事が用意され、別の一室では舞踏会が催され、また他の部屋では楽団が音楽を奏で、という風に、夜が明けるまでこの北棟では各々が楽しめるような趣向を用意してある。中には延々と、友好国からの進物を可能な限り展示し、目録や祝詞を読み上げるだけの部屋もある。
 もちろん疲れたら自室に戻って休むのも自由だ。
 とりあえずは全員そろっての昼餐会だ。席順は角が立たないように、国交を結んだ歴史の古い順と明言してある。
 要人たちは思い思いに談笑しながら室内に移動する。が、その波にさからって、一人の青年が近付いてくることにサディーナは気付いた。
「あら、フラマディン皇子。今日はご気分もよろしいご様子ね」
 宝石をちりばめた衣装を身にまとった皇太子は、黙っていれば麗しい美青年だ。その美青年がどこか夢見るような表情で頬を赤らめてやってくれば、ほとんどの女性は彼に見惚れるだろう。だが昨日のことを知るサディーナは、見かけにだまされる気にはならない。
 女王のお愛想にも答えず、かといって祝いの言葉を述べるでもない皇太子に業を煮やしてか、護衛隊長が何事かをささやいた。
「私は……」
 周囲の人々は、やっと口を開いた皇太子を、辛抱強く見守っている。
 だが、サディーナは彼が続けて言った言葉に首をかしげた。
「私はどうすればいいのだろうか?」
「どうすればって……何を?」
 彼女はとまどいの視線を周囲に送る。 
 けれど皇太子と一緒に居たアルシェードやシーモスにも、問いの意味はわからないようだ。
「それはもちろん、貴女を私の妃に迎えるには、どうすればいいのか、ということだが」
 予想しえなかった言葉に、誰もが言葉を失った。


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