古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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12.皇太子との対話

「女王のお相手は、一人一曲と決まっているそうだ。一晩に二曲はご遠慮願いたい」
 オーギュスト六世は自分の腕を強く掴んできた相手を見て、驚愕の表情を浮かべている。いや、彼だけではない。サディーナ女王も微妙な表情を浮かべて、彼女と彼の間に割って入った人物をみやった。
「まさか、フラマディンどの」
 信じられない、という声音がオーギュスト六世の声から、表情から、にじみ出ている。
「確かに、私はフラマディン・アインアードだが」
 皇子は怪訝な表情でアルシェードを振り返った。
「で、こちらの御仁はどなただ」
 アルシェードはなんとか顔を引きつらせないよう努力して、暗い声で答える。
「エヴァンテ王国のルイ・オーギュスト六世殿下でいらっしゃいます、フラマディン殿下」
「ああ、貴公があの、湖が資源とかいう国の」
 相手が誰かわかっても、フラマディンは引き下がるつもりはないらしい。いや、彼の性格からすると、相手がわかったからこそかもしれない。なにせオーザグルド帝国と、その隣国であるエヴァンテ王国は、今はほとんど敵国同士といっていい関係だったからだ。その程度は、この皇子でも知っているのだろう。
「手を離していただこう。フラマディンどの」
 十歳近く年若の皇子に高慢な態度を取られ、オーギュスト六世は怒りに満ちた目で彼をにらみつけている。
「そちらがサディーナ女王の手を、お離しいただければ。オーギュスト六世どの」
 舌打ちしそうな勢いで顔をゆがませ、けれどオーギュスト六世はサディーナから手を離した。
「サディーナ女王陛下。失礼いたしました。今回は引きますが、また明日にでも会談のお時間を設けていただきたい」
「秘書官に確認しておきましょう」
 サディーナ女王の返答を肯定と受け取ったのか、オーギュスト六世は満足そうな笑みを浮かべると、彼女の右手をとってその甲に口づける。
「では、陛下。また、明日」
 オーギュスト六世は威嚇するようにアルシェードに鋭い視線を投げかけつつ、彼女の側から離れていった。

 サディーナはため息をつき、フラマディンを見た。
「とりあえずはお礼をいっておくべきかしら」
 あの粘着質の王子があっさりと引き下がったのは、フラマディンと同じ場にいるのがよほど嫌だったからだろう。結果として明日に持ち越されただけにしても、二曲も踊らなくてはならない事態より、ずいぶんましだった。なにせ明日は密着しなくてもいいし、会うのも二人きりでもないのだから。
 さっきまでの険のある高慢な態度はどこへやら、フラマディン皇子はサディーナに礼を言われたのがよほど嬉しいのか、今は満面の笑みだ。
「言葉はいらないから、ぜひ次の一曲は私に付き合っていただきたい」
 この先の時間をずっと、と言い出さないだけの分別はあるらしい。
「もちろん、お誘いはお受けするわ」
 サディーナが右手を差し出すと、それを受け取ったフラマディンは、さりげなく彼女の手の甲をなでつける。オーギュスト六世の口づけを、拭き取ろうという意図が見えるようだった。
「ダンスは結構だ。私は踊れないから」
 サディーナは少し驚いたような表情を浮かべた。
 彼女は彼らの動向を窺って演奏を止めていた楽団にうなずき、周囲の人々がダンスに興じるのを見ると、フラマディンの手を優しくふりほどく。
「では、こちらへ」
 そしてフラマディン皇子を隣に、女王の休憩のために舞踏室の一角に用意された、豪奢な長椅子に座った。
 さっきは別の相手とダンスを踊っていた女官長が、静かに彼女の側に控え、アルシェードが三人を見守るように彼らの背後に立つ。

「こちらはドルティカ伯爵夫人。私の腹心よ」
「お初にお目にかかります、フラマディン殿下。私はウィシテリア女王国の女官長を務めております、シンシア・フィーナ・ドルティカと申します。この度は、我が君の即位式のため、遠路はるばるお越し下さりましたこと、厚く御礼申し上げます」
 シンシアは柔らかな笑みを浮かべながら、ドレスをつまんで膝を折った。
 フラマディンは口を開きかけたが、何かを思いだしたように一端閉じ直した。それから一つうなずき、発言する。
「丁寧な挨拶、痛み入る。サディーナどのがお認めとあれば、さぞかし優秀な女官長であられるのだろう」
 明らかに作り笑いと知れたが、それでもこれまでとはうってかわった丁寧さに、サディーナは驚いて目を見張った。
 だが、その態度でフラマディンは自分の態度が有効であると判断したらしい。彼は今度は柔らかい笑みを浮かべながら、サディーナの瞳をじっと見つめる。
「まずは、昨日の無礼をお詫び申し上げる。船に酔って気分を害していたとはいえ、貴女を長らくお待たせしたこと、本当に申し訳なかった」
「女王陛下」
 あっけにとられた風の女王は、女官長に注意をうながされ、我に返って目をぱちくりさせた。
「ああ……いいえ、こちらこそ随分乱暴なことをしたと、反省……」
 女王はちらりと女官長を見る。
「……反省して……ますわ……」
 語尾が尻つぼみになったのは、実が伴っていないからだろうか。
「そして、まずはサディーナどのが女王に即位なされたこと、心よりお祝いを申し上げる。このような晴れがましい席に参列できたことは、私にとってもいい経験になったし、また、大変栄誉なことだ。官のほうから目録はお受け取りと思うが、私としてはぜひこれに個人的な贈り物を追加したい。何かご所望があれば、なんなりと」
「ええ、いいえ……目録は拝見いたしました。オーザグルド帝国の皇帝陛下には、過分なお心遣い感謝いたしますと、どうぞよろしくお伝えください」
 実際、帝国からの進物は、他の国からの進物に比べて群を抜いて豪華だったし、量も多かった。皇子の外交能力をあてにせず、竜を手に入れるという目論見が透けて見えるとも言える。
 サディーナはいつもの冷静さを取り戻し、にっこりと営業スマイルを浮かべてみせる。皇子の態度が王族にふさわしいものと判断して、彼女からも礼をつくすことにしたようだ。
「ご遠慮なさるな。私としてはこれを好機ととらえ、是非とも女王とよしみを結びたいと思っている。そのための記念として、何か贈り物を」
「いいえ。本当に、もう十分いただきました。これ以上、いただくわけにはいきません」
 わざと触れないでおいたのに、なおも個人的な贈り物をすすめてくる皇子に、サディーナはきっぱりと断りの言葉を口にした。
「そうか……」
 皇子は少し気落ちしたようだった。大きな体をして上目遣いで必死に残念さを訴えてくるさまが、物欲しげな表情の犬を思わせる。
 それがおかしくて、思わずサディーナは愛想笑いではない笑みを浮かべてしまった。
 それが通じたのか、皇子が少し瞳を輝かせる。
 やぶへびを怖れて、サディーナはすぐさま表情をひきしめた。
「では、フラマディン殿下。そろそろ曲が終わりますわ。楽しい一時でした。こののちも、殿下にとって実入りの多い時間でありますよう」
 立ち上がろうとしたサディーナの手を、フラマディンが意外に強い力で掴んで座らせる。
「では、サディーナどの。せめて私にもお約束いただきたい。オーギュスト六世としたように、私とも会談の席を設けていただけると。明日、二人きりで会っていただけると」
「は?」
 サディーナは怪訝な表情を浮かべた。
「会談は、二人きりでするものではないわ」
「うん。オーギュストとは二人きりで会わなくていい」
 けれど自分とは二人きりで会って欲しいと、言外に訴える。なんともあからさまな態度の皇太子に、シンシアが声を出さずに笑っているのが、サディーナにはわかるようだった。
 いったいさっきまでの紳士的な態度はなんだったのか、と、サディーナはため息をつく。
「オーギュスト六世どのとするのは外交上のお話。でも、貴方は違うでしょう?」
 そう指摘されて、フラマディンはきょとんとした表情を浮かべる。
「それで会談なんて、できるはずがないでしょう」
「じゃあ、会談はいい。個人的な話を、二人きりでしたい」
「余計、応じるわけがないでしょう」
 サディーナは頬をひくつかせながら、フラマディンの手を振り払って立ち上がる。
「少し見直すところだったわ」
 サディーナは扇をまっすぐにフラマディンの眼前につきつける。
「一つ、ハッキリ言っておくわ。私の理想は、ガウルディ・フォルム公爵なの」
 これは常々、公言していることだった。だが公爵も周囲の大人たちも、あまり真面目にとらえてくれない。それもそうだろう。自分で覚えているだけでも五歳ぐらいからずっと、そう言っているのだから。
「では、私がフォルム公爵のようになれば」
「絶対に、無理!」
 怒鳴るように言ってしまい、サディーナは慌てて扇子で口元を押さえた。
「と……とにかく、今日のところは、これで、失礼いたします」
 咳払いをし、声を整えて言うと、サディーナはフラマディン皇子の元から離れていった。
 うしろで誰かが大きなため息をついた。

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