古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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13.皇子の作戦

(なんだって、こんなことに……)
 アルシェードは何度も首をかしげていた。
 彼はなぜかフラマディンに呼び出されて、皇子の部屋にいた。
 その部屋には初日に入ったっきりだ。いつもは侍女がたちがいる次の間の、そのまた次の間で、部下たちと警護をしている。
 それなのに今はあのルイザを部屋から追い出して、二人きりで顔をつきあわせている。
 ルイザがサディーナ女王に対して、いい感想を抱いていないのは明白だった。それで皇子は助言を、昨日までは同じ人間とも思っていなかった、下賤な相手に求めることにしたようだ。昨日のアルシェードの進言が、有効に感じられたということだろう。
 正直なところ、部屋を出るよう告げられたルイザの、驚愕に満ちた表情に、優越感を覚えたのは否定できない。
 隣の部屋に控えているだろう侍女頭は、今頃コップを逆立てて扉に張り付いていることだろう。

(恋は盲目とは、このことか)
 彼自身、身に覚えのない感情ではないが、それでもこの皇子の入れ込みようには、感心すら覚える。
「では、整理しよう」
 フラマディンは一人がけの椅子に腰掛けていた。両肘を肘掛けにおいて手を胸の前でしっかりと組み、前屈みになったその様子からは、いつもの横柄さは感じられない。むしろ、運命を思い悩む誠実な美青年とも見えて、アルシェードは複雑な心境だ。
 彼自身は両手を後で組み、皇子から数歩はなれた位置で直立している。
「彼女の愛情を、私に向かせるにはどうすればいいか、だが」
 ばかばかしい、と思いながらも、真面目な顔をして付き合わなければいけないのが、宮仕えの悲しいところだ。これが親しい友人や、部下からの恋の相談だというのなら、いくらでも親身になろう。だが、相手が傍若無人の皇太子では。
「まず、昨日申し上げた通り、やはり女王陛下には礼儀を尽くされるのが、一番有効かと存じます。殿下が陛下の手をお引きになるまでの、丁寧な応対を鑑みますと」
 皇子が殊勝顔でうなずくのを見て、アルシェードは居心地の悪さを感じた。期待のこもった目で見られると、昨日のようにバカ扱いされた方がマシに思えてくる。
「で、具体的にはどうすればいいのだ」
(そんなこと、俺が知るか。何をどうしたって、手遅れだろ)
 彼らは明日の午前中には帰国の途につく。再評価を望んでも、その時間がなかった。
 もっとも、時間にいくら余裕があったところで、フラマディンに希望があるとは思えない。彼がフォルム公爵のようになれるわけはないからだ。
 それとなく周囲に確かめてみたところ、女王は幼い頃からフォルム公爵が好きだと公言しているらしい。もっとも、公爵も周囲の大人たちも、真剣に取り合っている様子はまったくないが。
「そうですね……フォルム公爵を観察してみてはいかがです」
「なるほど、それがよいかもしれぬ」
 半ば投げやりに言ってしまい、フラマディンからの返答で我に返る。慌てて皇子を見ると、彼はキラキラと希望に満ちた瞳で、あらぬ方向を向いていた。
「よし、そうと決まれば、ゆくぞ」
「は、いや、殿下、どちらに!」
「何を言っている。お前がたった今申したろう? もちろん、フォルム公爵の城へだ! さっさと、ついて参れ!」
 勢い込んで飛び出した皇子を、ルイザが慌てた顔で出迎える。
「殿下、一体どちらに」
 手を後に回し、裏声で訊ねる侍女頭を見て、アルシェードはにやりとした。
「出かけてくる。護衛が一緒だ、心配はいらない」
 フラマディンの声が小さくなったのは、秘密を抱える罪悪感からだろうか。かつての乳母は臣下とはいえ、彼にとっては母に近しい存在なのだ。
「いけません、殿下」
 ルイザがすがりつくような声をあげる。だが、フラマディンが聞く耳を持たないのが分かると、今度はアルシェードに視線を定めてきた。
 しかし、困惑と苛立ちの混じったルイザの視線を、アルシェードは無視した。本来は自分が責任をもって皇子を止めるべきなのだと、彼自身もわかっていた。だが、それでも侍女頭と共闘する気にはなれなかったのだ。

 ***

 そして。
 フラマディン・アインアードは、たちまち自分の軽率さを後悔した。
 フォルム公爵の黒い城を訪ねると、彼は外出していて留守だった。
 何処に行ったのか、そこに連れて行けと言い張った自分の発言を、彼は深く反省することになる。まさか、翼竜に乗せられることになるとは思っていなかったのだ。
 彼は今まで一度も、竜の背に乗ったことがなかった。
 何度も軍を指揮して内乱を治め、他国を攻め、勝利してきた武断の皇帝を父に持ちながら、彼自身は未だ初陣すら経験していない。それどころか戦場に出るための教育すら、受けていなかった。
 そんなだから、彼は軍にしかいない竜には近付いたこともなければ、近付きたいと思ったこともない。いや、そもそもその存在を気にかけたことすらない。
 むしろ、そのワニにも似た鱗が覆う体躯、蛇のような無機質な目、大きな口に二重に生えたとがった牙、巨大な鋭いかぎ爪といった姿は、恐怖をしか呼び起こさない。
 それなのに、当たり前のように翼竜の背に押し上げられて、声を上げる気力すら失っていた。
 前で手綱を取るウィシテリア王国の空竜隊隊士と、後に乗り込んだアルシェードは、そんな彼の様子を気にかけもしないで、呑気に会話を交わしている。

 フラマディンがフォルム公に会うために遠出をするのは、王城にいるよりよほど、有益なことに違いなかった。
 少なくともアルシェードの精神と野心のためには、だ。
 女王に対して皇子が失言を繰り返すのを聞かなくてもいいし、フォルム公に近付くということは、女王国竜騎隊に対しての情報を得るチャンスでもあるということだ。
「美しい、立派な翼竜ですね」
「ありがとうございます。フォルム元帥の騎竜には巨躯こそ及びませんが、手入れの丁寧なことに関しては、せめて劣らないようにと日々気をつけて体を磨いておりますので」
「ご自分で竜の世話をなさるのか」
 アルシェードは驚いた。
 オーザグルド帝国ではそもそも竜の世話といっても、日常的には餌をやる係がいるくらいだ。竜の臭いが耐え難くなってやっと、眠らせるなり鎖でつなぐなりして、長い棒を用いて巨躯を洗う。もちろん口輪もした上でだが、それでもやるのは奴隷で軍人ではない。いつ竜が覚醒して暴れ出し、世話係が犠牲になっても、惜しくないようにだ。
 だが、そういえばこのウィシテリア女王国には、そもそも奴隷がいない。
「もちろんです。我ら、空竜隊に限らず、陸竜隊、海竜隊、みな自分の騎竜は食事の用意から巣の掃除まで、自分で世話をいたします。それは、元帥閣下とて、例外ではありません」
「フォルム公爵もですか」
 女王国の人々が竜の血脈というのは、噂ではなく真実なのかもしれない。そうでなくて、なんの枷もなく竜を大人しくさせておく方法が、あるとは思えなかった。
「竜に関しては、本当に驚くことばかりです……噂には聞いていましたが、実際にあれほどの数の竜と、質を目の当たりにすると……」
 その感想を受けて、隊士は苦笑を浮かべた。

 竜の背中は広く、安定していている。彼らの頼りにする鞍はちょうど胴の中央辺りに据え付けられているので、翼開長が二十メートルを超える幅広の翼が邪魔をして、真下の景色は見えない。
 それはいいとして、高所を飛ぶ翼竜の背にあっては、たとえ前後を二人に挟まれ、頭までおおう防寒着を借りて着てはいても、やはり寒い。手袋の中の手はかじかみ、吐く息は白く濁る。
 それなのに、前後を挟んで呑気な会話をする二人の軍人に、フラマディンは苛立った。
「まだフォルム公爵の居所にはつかないのか」
 思わず昨日までの不機嫌な自分が頭をもたげ、詰問するような口調になる。
 黒い城のたもとから飛びだって、もうかなりの時間が経っている。王都の上空をとっくに過ぎ、野生らしき地竜が駆ける平原の上を、翼竜はゆるやかな速度で飛んでいた。
「いえ、殿下。もう、間もなく……ああ、見えてきました。あちらに元帥閣下がいらっしゃいます」
 案内役の隊士が前方を指さす。
 平原を区切るような深い森の向こうに、小さな村が広がっていた。
 その村の中央広場らしき場所にうずくまる巨躯は、確かに公爵の黒竜に違いない。
「あんな村に、一体何のご用事が……」
 その村は、ただの平凡な小さな村に見えた。しかも、周囲を見回しても、他に同行の竜が居る様子もない。
「女王陛下からの御下賜金を、閣下自ら近隣の町村にお届けに回っておいでなのです」
「わざわざ公爵が、ですか?」
 フラマディンにはアルシェードが驚いた意味が、今イチわからないようだ。
「我ら、ウィシテリア女王国の者にとっては、公爵は特別な方です。それをご自身でもよくよくご承知なのですよ」
 特別だというのなら、余計にこんな小さな村に女王の下賜金を直々に届けにやってくる、というのがアルシェードには理解できない。だが、その隊士もそれ以上の説明をするつもりはないらしい。
 それで彼は言葉での解明をあきらめ、状況をよくみて把握することにしたのだった。

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