古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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15.叡覧試合の開始

 人というものは、これほど印象が変るものなのか、とアルシェードは感心せずにはいられない。
 国元にいるときにはフラマディン皇子のことは、噂でしか聞いたことがなかった。その噂も、横暴だ、わがままだ、と、最悪なものばかりだ。そして、実際に彼のお供をしてわかったことは、その噂が真実であったということだけだった。
 常に不機嫌な皇太子は、その美貌と相まって、余計に高慢で近寄りがたい雰囲気をかもしだしていた。
 けれど、今はやたらと弛緩した表情ばかりを目にしている。そうでなくとも、少なくとも不機嫌ではない。
 目元はすっきりと、晴れ晴れとして、いつも冷たく曇りがちだった瞳は、年相応の若者らしい輝きに満ちている。
 それがたった一人の少女のせいだというのだから、アルシェードは立場も忘れて感心してしまう。
 そして何より、唐突に発揮された行動力には、彼でさえ脱帽させられた。
 なにせフォルム公爵に同行するのは、皇子よりずっと竜には慣れているはずのアルフォードですら、きついものがあったのだ。
 最初こそ、竜の乗り心地に不機嫌そうにしていたフラマディンだったが、フォルム公爵と合流し、彼と話すようになると、みる間にその言動に対して興味を示し始めたのだ。
 それも意外だったが、もっと信じられなかったのが、公爵が皇子を気に入ったらしいことだ。昨日今日とずっと二人を見ていたが、どうしてこうも正反対な二人が意気投合するのか、彼には全く理解ができなかった。
 いや、正反対だからこそ、お互いに興味を抱いたのかもしれない。

 そうして今、フラマディン・アインアードはサディーナとの昼餐を棒に振って、闘技場の貴賓席の一角を占めていた。
 本当なら今頃皇子の一行は、オーザグルド帝国への帰路についていたはずだ。それがサディーナが壊した寝室の扉が直っていないからと、滞在を延長するはめになってしまった。
 数日前から女王の派遣した船大工が修理を申し出てきていたらしいのだが、情報が侍女のところで止まっていた。彼女たちは、身も知らぬ他国の人間を大事な御座船に乗せるわけにはいかないと、フラマディンの採決を得なかったのだ。修理が遅れたのは、材料の調達せいではないのだった。
 随員には事務方も足りない。さすがにすべてをアルシェードが取り仕切るには、仕事が多すぎた。
 だがそのトラブルは、フラマディンにとっては不幸中の幸いだったようだ。彼はどちらにしても、日程通りにウィシテリア国を去るつもりなど、毛頭なかったのだから。

 午前には闘技場で竜の品評会が行われていた。慣れてみれば最初は恐怖の対象でしかなかった竜も、可愛く見えてくるから不思議だ。もっともそれも、隣に座ったガウルディ・フォルム公爵の、竜への愛に満ちあふれた解説のせいかもしれない。
「なぜ、ガウルディどのはそんなに竜が好きなのだ?」
「好き、といいますか」
 ガウルディ・フォルムは柔和な笑みを浮かべる。
「好きにならざるを得ないといいますか」
「ならざるを得ない? 誰かに強制されでもしているのか?」
「ええ、強いていうなら本能というものにですが」
 ガウルディの答えを聞いて、フラマディンは首をかしげている。この二日の間、後で聞いているアルシェードにとっても、公爵の発言の七割は不可解だ。
 彼らが席を占める貴賓席は円形闘技場の観客席の一階にある。屋根のかかったその場所を使用できるのは女王家とフォルム公家、それから国公賓に限られるらしい。その左右を貴族の席が囲み、二階に役人や兵士と彼らの家族が、三階以上に一般市民の席が用意されている。そのすべてが埋まったときの収容人数は、二万人に及ぶ。
 観客席を去る貴族たちはフォルム公に退席の挨拶を、あらたにやってきた貴族たちは同席の断りを、述べにやってくる。この一事だけとっても、フォルム公爵が単なる貴族ではないことは、よくわかる。
「さて、午後はどうなさいます」
 品評会が終わった後は、人間の戦士による試合が催されるのだという。
 オーザグルド帝国にはこういった、身分違いの者が一同に介して共に楽しむ施設はない。それにフラマディンにせよアルシェードにせよ、群衆を見るのは高い場所からであることが多く、下から見上げるという経験は初めてだった。暖かい空気は上昇するはずだが、人々の熱気は逆に下に降りてくるようだ。
 わき上がる歓声を聞いているだけでも、疲れがたまる気が、フラマディンにはした。
「ガウルディどのは残るのだろう?」
「私には褒賞を授与する役目がありますので」
「では、私もそれを見ていよう」
 剣を打ち合うのを観覧する趣味はフラマディンにはなかったが、目的はフォルム公爵の観察なので問題はない。
「飛び入り参加は認められるのだろうか?」
「ええ、身元が確かな者であれば」
「では、アルシェード・グラフィラス。お前も参加してはどうだ?」
 そう薦められて、正直なところアルシェードの心が揺れなかったわけではない。だが、いくら部下が他にいくらでもいるとはいえ、これほどの人が集まる中で、彼自身が皇子の側を離れるわけにはいかなかった。
「いえ、殿下。私は殿下の護衛ですので」
「では、誰か他の者を参加させよ。ぜひ、この国の騎士たちに、我が国の戦士が劣らぬ事を証明したい」
 無茶なことを言う、と、アルシェードは眉をひそめた。
「お前の次に腕のたつものを選んで、参加させよ」
 上官だからと言って、部下の誰より武芸に優れていると決まったわけではない。将官に求められるのは大軍を指揮する能力であって、すぐれた剣技ではないからだ。
 もっともアルシェードの場合は部下の誰が相手であろうと、弓以外なら勝つ自信はあった。若くして将官まで昇りつめるには、次々と武勲を挙げられるほどの強さが必要なのもまた、事実だ。もっというと、剣でなら全軍の誰を相手に戦っても、引けをとるとは思っていない。
「仰せの通りに、殿下」
 気が進まなくても命令では仕方がない。アルシェードは彼の副官に、腕の立つ隊士を参加させるよう申しつけた。
 のちに、皇子の側を離れることになっても自分自身が出るべきであったと、アルシェードは後悔することになる。

 品評会目当ての客が席を立ち、武術大会目当ての人々がやってくる。そうしてすっかり観客が入れ替わって落ち着いたころ、会場を沸かせる一行が姿を見せた。
 女王の一行だ。
 その姿を見た観衆のみならず、貴賓席の二人も立ち上がって女王を迎える。
「いらっしゃるとは思っていなかった。サディーナどの」
 皇子がいて驚いたのはサディーナも同様のようだが、フォルム公爵の姿をみて、すぐに納得したように頷いた。
「私もですわ。そういえば、公爵に同行なさっているのでしたね」
 貴賓席の奥にいても目立っていたフォルム公と異国の皇子は、三人の美女を加えてますます華やかになり、人目を引いた。
 だが、フラマディンは他の二人の美女すら全く視界に入らない様子で、ちゃっかり最前列に腰掛けたサディーナの左隣に席を移してご満悦だ。
 その二人の後に女官長とフォルム公爵が座り直したのは順当だ。だがセレナは彼らに並んで座らず、立って警護をするアルシェードの隣にやってきて、彼を困惑させた。
「あなたも参加すればよかったのに、グラフィラス少将」
「いえ、私は皇子から離れるわけにはいきませんので」
「少しくらいよいのではなくて? この国で皇子が危険な目に遭うことなんて、ありませんわ。あなた以外にも、護衛の隊士はいるのだし。それに」
 セレナはそう言うと、アルシェードのたくましい二の腕に手を置く。
「わたくし、あなたの活躍を拝見したいわ」
 アルシェードは苦笑を浮かべた。
 彼は若さに似合わぬ高位にあったから、この手の誘惑には慣れている。もっとも、ここまで身分の高い女性に誘いをかけられたのは初めてだが。
「今回は私に次ぐ腕のものを、試合に参加させております。どうかそちらでご満足いただきたい」
「褒賞は我が国随一の職人の手による武器よ。宮廷では優勝者を祝う舞踏会が開催され、貴族同様の待遇で招待されるわ。それに優勝者たちは何でも一つ、フォルム公を相手に望みをいえるの。竜騎隊の隊士なら配属替えや昇進を希望することもできる」
「私はすでに名剣を佩しておりますし、舞踏もできぬ無骨者です。それに竜騎隊の隊士でもありませんので」
「そうね。でもフォルム公爵に手合わせを望むこともできるのよ。公爵の試合をみれば、あなただってきっと自分が挑戦したいと思うに違いないもの」
「フォルム公と」
 アルシェードは貴賓席に座った公爵の背中を見つめる。一日中竜を乗り回して平然としているところから考えても、体力は申し分ないだろう。だが、それがたちまち個人の強さにつながるわけではない。
 けれど確かに、常に穏やかなこの公爵がどれほどの剣技を誇るのか、興味のあるところではあった。
「ご期待に添えず、申し訳ありません」
 アルシェードはセレナの手をそっと自分の腕から引き離した。
「そう……残念ね」
 セレナは一瞬つまらなそうに口をとがらせたが、闘技場に動きがあったとみるや、すぐに瞳を輝かせる。
「戦士たちの入場よ。あなたの部下は、どの闘技に参加するのかしら?」

 行われるのは剣術、棒術、斧術、弓矢、格闘の五種だ。広い闘技場を三つに区切って最初に剣と棒と斧の試合が、それから二つに区切って弓矢と格闘の試合が、それぞれ行われる。どれも予選を勝ち抜いてきた少数精鋭の戦士たちが参加しているから、よほど腕に自信があるのでなければ当日参加などは考えもしないだろう。
 毎年、年始にも同じような試合が開催されるらしいが、勝ち上がってくるのはたいていは竜騎隊の隊士だという。
 自分が出るのならやはり剣か斧か格闘だろうと、アルシェードはぼんやりと考えた。彼はどちらかというと、接近戦の方が得意だ。
 副官に尋ねると、護衛隊士は斧の部門に参加するという。剣ならばともかく、斧を得意とするような部下は、アルシェードには思い当たらなかった。おそらく彼の知らない、下位の兵士なのだろう。集団の中にいても、身にまとった鎧の仕様ですぐにオーザグルド帝国の兵士と知れるはずだ。
 戦士たちは列をつくって入場し、貴賓席の貴人たちに頭を下げた。代表の選手から宣誓が行われ、第二試合までに出場する選手と審判だけが残される。
 空高くとどろく喇叭の音を合図に、試合は始まった。


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