古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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16.闘技場の騒動1

 闘技場で繰り広げられる緊迫感あふれる戦いに、客席の人々は夢中になって大歓声をあげる。
 予選を勝ち上がってくる選手といえば、だいたい面子が決まっている。だからたいてい、どの選手にもひいき筋といえるようなファンがついていた。
 だがサディーナは、未だ純粋に試合を楽しめないでいた。
 いつの間にやら彼女の隣に座ったセレナが、身を乗り出さんばかりに試合に夢中になっている。好みの戦士が現れるたびに歓声を上げそうになるので、サディーナはそのたび従姉を制止しなければいけない。
「セレナ、扇で口許を隠して。間違ってもよだれなんか、垂らさないでよ!」
「そんなに心配しなくても、理性をなくしたりしないわよ。でも、ちょっと叫ぶくらいはいいでしょ」
「だめよ。お願いだから、そんなことしないで」
 従姉を必死でたしなめる。フラマディン皇子の視線は感じたが、外聞を気にしている余裕はなかった。
「貴女は今だって、私になにかあれば女王を継ぐ立場に違いないのよ! 自覚して」
「自覚しているからこそ、戦士を奮い立たせようとこうして」
 セレナが扇を開いて口許にあて、声を張り上げようとしたところを、慌てて口をふさぐ。
「んんっ! んっん!」
 サディーナはセレナの口を押さえたまま、フラマディンを振り返った。
「フラマディン皇子、お願いがあるのだけど、聞いていただけるかしら!」
 それは質問というより、ほとんど命令に近い強い口調だった。だが、皇太子は特に気にした風もなく頷く。
「なんなりと」
「あなたのところの少将を、お借りしたいのだけれど」
 視線が一斉にアルシェードに集まる。
「ただ、セレナの横に座っていてくれればいいわ。お願い」
 瞳を潤ませて頼まれては、フラマディンが否と言うはずがない。皇太子はもちろん二つ返事でこの申し出を受けた。
 それでアルシェードは高貴な身分の三人と並んで、最前列に座るはめになったのだった。

「言っておくけど、隣に座ったからといって、何をしてもいいってことじゃないんだからね!」
「わかってるわよ、変態扱いはよして! さっきから失礼な従妹ね!」
 言葉だけ聞くと怒っているようだが、表情を見るとご機嫌なようだ。アルシェードには気の毒だが、サディーナはホッとした。
 子供時代にもこうしてセレナと闘技試合を観戦したことがある。その時も従姉は黄色い歓声を上げた。サディーナは隣で静かに見ていただけだというのに、話を聞いた秘書官――以前は彼女の教育係だった――に、従姉の暴走を止めなかったといって大層しかられたのだ。それ以来彼女はセレナが著しく羽目を外しそうな雰囲気をみせると、体を張ってでも止めることにしていた。
 安堵のため息を一つついて、左隣に座ったフラマディンに向き直る。
「ありがとう、助かったわ」
「護衛を差し出すぐらいで、貴女が彼女の独占から解放できるというのなら、いくらでも」
 きれいに爪を切りそろえられた褐色の大きな手が、サディーナに向かって伸ばされる。
「なに?」
 思わず身をひいたサディーナの髪を、フラマディンの手が優しくなでつけた。
「髪が乱れていた」
「あ、ありがとう」
「うん」
 そう頷く美貌の皇子は、他の若い娘なら脳髄までとろけるだろう笑みを浮かべている。
 だが、相手はサディーナだ。
「で、船はいつ直りそう?」
 サディーナの愛想もそっけもない質問に、甘くなりそうだった雰囲気が一瞬で霧散する。
「船?」
 フラマディンは何のことかわからず、目を瞬かせた。
「ええ。船……私が壊してしまった、扉の修理。それが終わらないから、滞在を延長したのでしょう?」
 少し、ばつが悪そうな顔をする。
「さあ、いつかな……」
 フラマディンは長いまつげで彩られた瞳を伏し目がちにして、闘技場を見おろした。
「ああ、我が国の隊士だ」
 抑揚のない声が示す先に、サディーナも視線を移した。

 竜騎隊の所属を表す赤・青・黄の鎧をまとった戦士が多い中で、その黒い鎧はとても目立っている。重厚な鎧の右胸と右の籠手に肩当て、丸みを帯びた四角い盾の中央に、オーザグルド帝国の国章が彫り込まれていた。
 護衛隊士はフォルム公爵やアルシェードほど背は高くないようだが、胸板は彼らより厚い。顔を見れば、まだ二十歳をいくらか越したばかりの青年だということがわかる。
 頭のとがった両頭斧を右手に、盾を左手に持ち、時々危うい場面はあるものの、順当に勝ち進んでいるようだ。
「我が国の竜騎隊を相手に、なかなかやるわね」
 アルシェードのおかげで、今や試合に集中できるようになったサディーナは、瞳を輝かせている。フラマディンと違って、彼女は武術大会の類を観戦するのは大好きだった。
「やはりサディーナどのは、ああいう……強い男が好きなのか?」
「それは……」
 サディーナはちらりと背後に目をやる。
「強ければなんでもいいというわけではないけど、嫌いじゃないわ」
「そうか……では、ガウルディどの」
 唐突に、皇子は背後の公爵を振り返った。
「はい?」
「明日から、私に稽古をつけてくれないか?」
「稽古?」
「そうだ。公はこの間、暇だとおっしゃっていた。だから、その暇な時間で私に武芸を教えていただきたい」
「あ……あなたね」
 サディーナはひくひくと頬を引きつらせる。
「公爵が暇なわけ」
「まぁ、昼からの数時間でしたら、かまいませんよ」
 あっけなく、フォルム公爵は許可を出す。だが、続いて彼はこう答えた。
「ですが私などよりよほど、殿下の近くにはよい師となり得る方がいらっしゃると思いますが」
「近くに?」
 フラマディンの視線が宙をさまよい、アルシェードの上で止まる。
「アルシェード・グラフィラスか?」
「ええ。そうです。申し訳ないが、私は人を教えるのは得意ではない。相手が皇太子殿下といえど、手加減をうまくできる自信はありません。負傷を負わせかねないと危惧いたします」
「少しのケガくらい」
「少しではありません。瀕死の重傷です」
 温和な笑顔を浮かべての言葉なので冗談にしか聞こえないが、その真実を知るサディーナたちは本気で背筋を凍らせる。
「そうよ。皇太子である貴方が、半身不随にでもなったら大変よ」
「半身……不随……」
 サディーナはフラマディンにできるだけ近付いて、小声でささやいた。
「冗談じゃないの、本気で言ってるの。よほど鍛えた人でなければ、フォルム公爵の相手は無理なのよ。本当に、公爵は加減が下手なんだから……ましてや、あなたみたいに普通の人間では……」
 少し不機嫌になりかけたフラマディンだったが、サディーナから接近してきたのが嬉しかったのだろう、再び笑顔が広がった。
「そうか。貴女がそうやって私のことを心配してくれるのなら、この話はなかったことにしよう」
 そりゃあ、心配せざるを得ないだろう。他国の皇太子を再起不能にする可能性が大いにあるのだから。
「そうよ。だから帝国に帰ってから、ゆっくりとグラフィラス少将に鍛えてもらえばいいわ」
「今のは、さっさと帰れと聞こえた……」
「帰らないといけないでしょう、貴方は」
 サディーナの返答は、とりつく島もない。
「さっきから、ずいぶん冷たい……」
 フラマディンは口をとがらせて、サディーナの側のひじかけに頬杖をついた。じっと恨めしそうな瞳で、サディーナの顔を見上げてくる。
 思わずため息が漏れた。
「私だって本当はもっとちゃんと、礼節を重んじた態度で接したいのよ。だけど、貴方がすぐそうやって、子供じみた態度をとるから……」
「子供じみてる? 私が?」
 フラマディンはサディーナに視線を向けたまま、ひじかけから体を起こした。よほどサディーナの指摘が意外だったのだろう。瞳を大きく見開いている。
「私より年上だとは、とても思えないわ」
 反論してくるかと思ったが、意外にも彼は黙りこくってしまった。目尻をさげ、肩を落とし、視線をうつむかせる。
 そういうところが子供っぽいのだと言ってやりたかったが、相手は他国の皇子なのだと自分に言い聞かせて、なんとか優しい声をかける。 
「ほら、貴方のところの護衛兵士、また勝ったわよ。あとで誉めてあげたら?」
 内心ではサディーナはかなり苛立っていた。
 フラマディンがいくら子供じみていたとしても、同じように返さなくてもいいではないか、という自分自身に対する苛立ちも含めて。
 女官長を振り返ってみると、サディーナの思いなどお見通しであるかのような、苦笑とも微笑ともつかないような笑みを返してくる。それから女官長は近くに立っていた侍女を呼び寄せ、一言二言ささやいた。
 すぐに冷たい果汁が運ばれてきて、貴賓席の人々に配られる。
 サディーナは精神的に疲れを感じていたが、その甘い汁を飲んで少し疲労が和らいだ気がした。
「わかった……」
 果汁の注がれたグラスをぐっと両手に持ったまま、ぽつりと皇太子が呟く。
「では私は」
 彼がサディーナに向かって、何か訴えようとしたときだった。

「フラマディン皇太子殿下にお願いがございます」
 大音声が闘技場に響き渡る。
 サディーナとフラマディンは会話を中断し、大声の発生源を見た。
 それはたった今、闘技場で対戦相手に勝利し、貴賓席に向かって一礼したオーザグルド帝国の護衛隊士から発せられた叫びだった。

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