古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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17.闘技場の騒動2

 フラマディンは隊士を見下ろし、眉は寄せたが口は開かなかった。
「口をつつしめ! 殿下に奏上を願いでるなど、身の程をわきまえるがいい」
 アルシェードは立ち上がり、闘技場と貴賓席を隔てる太い壁の際まで進み出る。
 さすがに他国内では見逃してもらえるだろうが、オーザグルドの領内で皇太子に対して許可なく話しかけようものなら、たちまち不敬罪で牢屋いきだ。
 公爵自ら近隣の町村を回り、声をかけて回る女王国の国民からすれば「そんなバカな」と思えるかもしれないが、それがオーザグルド帝国での常識だった。
「では、少将閣下。どうかお聞きいただきたい」 
 歓声はいつしかやみ、男の大声はよけいに響く。聴衆は試合の行方よりも、今は突然始まった他国の少将と兵士のやりとりに興味津々だ。
 アルシェードはフラマディンを振り返った。何事も皇子の裁可が必要なのは、面倒だが仕方ない。
 すっかりいつもの不機嫌を半分くらい取り戻した皇太子が、小さく頷く。
 アルシェードは隊士に向き直り、命令した。
「まずは名を名乗れ」
「ケンホーシェル・アーボグル兵長であります。少将閣下」
 その名には聞き覚えがあった。副官の一人が、今度配属になった兵長は協調性がないうえに血の気が多く、扱いづらい、と、珍しく愚痴をこぼしていたからだ。
「言ってみろ」
 アルシェードに促されて、アーボグル兵長は口の片端をあげて笑った。
「私がこの斧の闘技で勝ち残ったあかつきには、皇太子殿下より褒美を賜りたいのですが」
 それは理解できない望みでもない。皇子の命令で国の威信をかけて戦えというのなら、成果をみせた臣下に特別の褒美があってもいいはずだ。だが、そうだとしても自分から言い出すのは誉められたことではない。
 もっとも、そういうふてぶてしい性格は、フラマディンの父である皇帝になら好まれそうだ。
「望みは何だ。昇進か、それとも報奨金か?」
「いいえ。昇進の約束も、金もいりません。ただ、フラマディン殿下……殿下のお手より、剣を賜りたい」
 昇進の約束はいらないといったその口で、剣を乞うてみせた兵長のおこがましさに、アルシェードはあきれた。なにせオーザグルド帝国では、貴人や貴婦人から男性に剣が与えられるというのは、寵の約束に他ならないからだ。ちなみに、贈り物を受ける相手が女性になると、剣は宝石に替わる。さらにその時身につけている衣服の一部や、宝石以外の装飾品、たとえば手袋やハンカチなどを異性に送るのは、相手に情愛を訴え、求める意味を持つ。
 要するに皇太子から剣を所望するのは、昇進を望んでいる、それも皇太子の後ろ盾を武器に、と言っているようなものなのだ。
 大それた望みを口にするな、と、兵長を一蹴にすることもできる。だがそれでは慣習を知らないウィシテリア女王国の人々に、オーザグルド帝国は兵士に剣一つ授けることができないのかと侮られかねない。この大会の勝者にウィシテリア女王国が用意した褒賞が、優れた武具であるだけ余計に。
「殿下からの御下賜は約束できん。が、そうだな……私の剣をお前にやろう」
 アルシェードは腰に吊した愛剣に手を当てた。初めて万の師団を率いた時に、ハフクレードから授かった大事な剣だ。正直、よく知りもしない兵長にくれてやるのは惜しい。けれど、他にいい代案も思いつかない。
「ありがたく存じます」
 頭を下げる一瞬、兵長の表情に浮かんだ不満顔を見て取って、アルシェードはこんなことになるなら自分が大会に出ているべきだったかと後悔した。
 観客が、このやりとりに拍手と歓声を送ってくる。自国の誇る竜騎隊隊士と互角をはるこの兵長は、それなりに称賛をもって迎えられているらしい。
 兵長は顔をあげ、今度は皇太子と女王に向かって再度深く頭を下げた。彼が無表情のまま控え室に続く入り口をくぐるのを見届けて、アルシェードは皇太子の前に片膝をつき、右の拳を床に当てて低頭する。
「部下の非礼をお詫び申し上げます」
「全くだ……」
 不機嫌な声でフラマディンは応じたが、サディーナをちらりと見ると、声のトーンを落とす。
「だが……悪くない対処ではあった」
「は……」
 上半身を起こしたアルシェードに、サディーナがにこやかに笑いかける。
「グラフィラス少将。万が一、あなたの部下が私の騎士たちに勝つことができ、その腰の剣を失ったなら、私が代わりの剣をあなたに授けましょう」
 これを聞いて驚いたのはアルシェードだけではない。
「待て。それは駄目だ」
 フラマディンは心底驚愕したような表情で、サディーナににじり寄る。
「剣をくれてやると簡単に言うが、我が国で剣を授けるということがどれだけ重い意味を持つか」
「オーザグルド帝国の風習は知っているわ。けれど、私は帝国民ではないもの。その例には当てはまらないでしょう」
「そうはいかん……下手に勘ぐる者もいるだろうし、第一、私が我慢できぬ」
 フラマディンは勢い余ったのか、椅子から立ち上がる。
「陛下。差し出がましいようですが、進言いたします」
 女官長がサディーナとフラマディンの席の間から顔を覗かせた。
「わたくしもフラマディン殿下のご意見に賛同いたします。代わりの剣ならば、グラフィラス少将がお受けくださるならば、記念品という名目で官に用意させましょう。ですが、陛下自ら下賜なさるのはおやめください」
 通常は女官長がサディーナの対応を疑問に思っても、注意は裏でなされる。それをこうして堂々と進言してくるからには、サディーナの発言はよほどまずかったのだろう。
「ええ……でも……」
 自分に向けられたとまどいの視線を感じて、アルシェードは自信満々に笑って見せた。
「女王陛下。私などにお心配りいただき、ありがたく存じます。ですが、ご心配は無用です。私も武人ですので、剣はこれきりしか持たないというわけでもございません。他にいくらでも、良い剣を所持しておりますので」
 良い剣を他にも持っているのは本当だ。だが、今腰に差している剣ほどのものは、一本もない。
「それに、私がこう申すのもなんですが……まだ部下が勝ち抜けると決まったわけでもありません。なにせこの国の方々は、どなたも武勇にすぐれた方ばかりです」
 アルシェードは立ちあがり、試合会場を見る。正直なところ、こんな面倒が起こらなかったとしても、彼は自分で大会に参加できなかったことを口惜しく思っていた。そう思いおこさせるほどに、目の前の戦いは武人の気魂を奮い立たせる。

 彼は再度、女王と皇太子にむき直ると軽く頭をさげ、再びセリアの隣の席に戻った。
「サディーナは女王だから駄目だというのなら、わたくしから受け取ればいいのよ」
 セレナの呑気な声に、アルシェードは苦笑で応じた。
「ありがとうございます」
「あら、本気よ? 私は本来の意味で渡してもいいのだから。それとも、ハンカチを渡す方がいいかしら」
「殿下。私ごときをそこまで買いかぶっていただけるのは、大変光栄ですが」
「あなたって、意外に堅物よね」
 アルシェードは自分自身を特別堅物だとは思っていない。だが、甘い汁に対してほんの少し慎重なだけだ。そうでなければ今の地位まで昇り詰めることはできなかったろうと、自戒している。
 彼とて女嫌いではない。それなりに遊んではいるし、セレナが町の娘だというのなら、ハンカチでも手袋でも受け取った上で懇ろな関係を築くだろう。だがさすがに貴婦人、しかも他国の姫からの好意を簡単にほいほいと受けるわけにはいかない。
「ねぇ、それで本心はどうなの? あの隊士が勝ち残ると思う?」
 セレナは扇を広げ、小声で訊ねてくる。
「そうですね……」
 斧の戦士たちは全員登場していた。その試合を見るに、兵長は参加者の誰にも劣ってはいないだろう。
「運が他の戦士に著しく味方しなければ、その可能性は高いかと」
 それでも彼は、自分が兵長と戦って負ける想像はできなかった。
「そう」
 セレナは闘技場を見下ろし、舌なめずりをした。
 アルシェードが隣に座り彼女の会話相手となることで、歓声こそ上げなかったが、時々こうして艶然とした雰囲気をかもしだす。
 顔が似ているだけに、余計にサディーナとの相違を感じずにはいられない。そうわかってみれば、なぜ初対面の時にこの雰囲気の違いに気付かなかったのかと、自分の見る目を疑うほどだ。
 その点ではやはり、サディーナに恋情を抱いている皇子の目は、確かであったということだろう。
 その皇子はよほど今の一件が気に入らなかったのだろう。このところには珍しく、不機嫌な表情が続いていた。
 フラマディンは一気に果汁をあおる。そうしてその甘さが気に入らなかったのか、少し口許をゆがめた。
 そうして彼は不機嫌な表情のまま、サディーナに顔を向ける。
「騒がせてすまない。だが、お願いだ。貴女から護衛に剣を……いや、剣だけではない。他のものを授けるのも、ご遠慮いただきたい」
「安心して。もうそんなことは言い出さないわ。うかつだったと自覚したから」
 その答えを聞いて、フラマディンはやっと相好を崩した。

 試合は滞りなく進み、やがて最初の剣術、棒術、斧術の勝者が決まる。
 他には誰も運が味方しなかったとみえて、結果はアルシェードの予想通りに終わった。アーボグル兵長が斧の勝者となったのだ。
 その後に行われた弓矢と格闘の試合の決着を待って、五人の勝者が貴賓席に向かい、広い闘技場で一列に並ぶ。惜しみない拍手と喝采が、彼らに与えられた。
 褒賞を授与する役目のフォルム公爵が、5人の戦士の前に立っている。
 剣の勝者には剣を、棒の勝者には棒状武器を、と武器の授与が順に行われ、格闘の優勝者にだけは手盾が与えられる。
 そうしてその他の褒賞の目録を、フォルム公爵の側近が読み上げた。
 報奨金、彼らのために開かれる舞踏会への招待、女王即位祭の勝者であることを名乗り続ける栄誉、それからフォルム公へのただ一つのわがまま。
「では、訊ねる」
 フォルム公爵がにこやかな笑みを浮かべて進み出ると、歓声に沸いた客席が静まりかえる。観客たちも、勝者たちが公爵に何を望むのか、聞き逃したくはないのだ。
「どんなことであれ、可能なことならば力を尽くして応じると誓約しよう」
 剣の勝者は空竜隊の隊士であると名乗り、フォルム公爵の直属を望んでこれを叶えられた。棒の勝者は陸竜隊の隊士であると言い、フォルム公爵との手合わせを望み、これもすぐに叶えられた。
 いったん授与式は中断され、全員が見守る中で、フォルム公との試合が始まったのだ。

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