古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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18.闘技場の騒動3

 棒術の勝者がふるうのは三本の鎖分銅をつけたフレイル、対する公爵が手にするのは、彼の身長ほどある長さの直線棒状の角棒だ。
 女王に頭を下げ、互いに礼をし、審判のかけ声で試合は始まった。
 まずは勝者からの一撃。
 鎖分銅を上手くつかって、公爵の棍棒をからめとろうとする。だがそれを逆手に取った公爵に、逆にフレイルを引き取られそうになって、慌てて鎖を解いた。
 二撃三撃と、勝者が渾身の力をふるって打ちつけるのを、公爵は棒を輪を描くように回して力を受け流す。
 何度か鎖分銅を振り回して角棒をからめようともするが、公爵の棒捌きの前に翻弄されて、うまく巻き付けることができない。
 なるほど、さすがに予選本選を勝ち抜いた勝者なだけあって、陸竜隊隊士がフレイルを操る腕は見事の一言だ。だが、それほどの相手であっても、公爵が飄々と相手をしているような印象はぬぐえない。
 アルシェードは思わず身を乗り出していた。
 セレナの言葉は正しかったのだ。またも、自分が参加できなかったことを残念に思う気持ちがわいてくる。
 もしも自分が相手であれば、あんな風に舞うような余裕を見せたままでは終わらせないのに、という思い。
 彼は自分が試合に引き込まれ過ぎていることを、自覚していなかった。
 いいや、彼だけではない。数多いる観客も、あちこちに配備された警護の隊士たちも。
 誰もが公爵の試合に引き込まれていた。

「とどまれ、無礼であろう!」
 大声が響き渡る。
 それが皇太子から発せられたものだとすぐに気付き、アルシェードの背に冷たいものが走った。
「殿下!」
 すぐさま身を翻して、フラマディンの元にかけよる。
 アーボグル兵長が、闘技場と貴賓席の壁を乗り越え、皇太子に迫っていた。その右手にはついさっき手に入れた、新品の手斧を固く握りしめて。
 歯をむき出しにし、獣じみた形相で兵長が皇子に斧を振り上げる。
 一瞬の差で、アルシェードは間に合わない。そうわかって、血の気が引いた。
 だが、彼は歯ぎしりせずにすんだ。
 サディーナがとっさにフラマディンの腕をひき、彼を斧の刃先から救い出したのだ。
「っつ!」
 さすがに身をかばう余裕はなかったとみえ、サディーナはフラマディンを抱きかかえたまま、背中を肘掛けに強く打ちつけた。
 アルシェードはその一瞬の間を逃さず、腰の剣を引き抜いて兵長に切りつける。
 椅子の背もたれに食い込んだ手斧を諦めて、兵長は左手の手盾をかかげた。
 アルシェードの強打に暴漢は顔をゆがませたが、それでも盾をぐいぐいと押しつけてくる。
 だが、所詮力に頼るだけの防戦は、アルシェードには通用しなかった。
 彼は盾に打ちつけた勢いでくるりと体を回転させ、兵長の側面をとらえて左下から斬りかかる。
「ぐわっ」
 押しつぶされた蛙のような声をあげ、男は手盾を離した。血の吹き出す左手を押さえながら、がっくりと片膝をつく。とても一撃が与えたとは思えないような深い傷が、アーボグルの左腕に刻まれていた。
「捕らえよ!」
 アルシェードの大声に、警護兵が殺到する。
 数人に押さえ込まれ、叩頭させられたアーボグルを確認すると、アルシェードは血糊を払って剣を鞘におさめる。
「殿下。ご無事で」
 フラマディンの膝前に駆けつける。だが、皇太子は青い顔をしてサディーナを抱えていた。
「私は大丈夫だ。だが、サディーナどのが」
 女官長が皇太子の反対側からサディーナを支え、顔をのぞき込んでいる。
「女王陛下」
 彼女の声に、サディーナが手を挙げる。
「大げさよ……大丈夫、背中を打っただけだから」
 そう言って体を起こし、顔を痛みにゆがめた。
「すぐに侍医を」
 女官長の叫びで、侍女が慌てて走り去る。
「本当に、大丈夫……私の丈夫さは、みんな知ってるでしょ」
「ええ、知っているわ」
 セレナが青い顔ながら、微笑を浮かべて応じた。
「立つから手を貸して」
「休んでいたほうがいい」
 サディーナを支えるフラマディンの手は、声と同様震えていた。
「大丈夫。早く元気だと示さないと、大変な騒ぎになるわ」
 確かに、闘技場は混乱に陥る一歩手前だった。
 暴漢に対する怒号と女王を心配する悲鳴が、観客席からあがっている。
 公爵は試合を中断し、闘技場から大声をあげた。
「静まれ。女王陛下はご無事だ」
 その力強い声で、観客は静まりかえった。観衆が息を呑んで、女王を見守っているのがわかる。
 アルシェードはこの際を利用して、副官に兵長を目立たず連れ去るよう目で合図した。
「お願い、支えて」
 女王に懇願され、女官長とフラマディンは彼女が立ち上がるのを両脇から支える。どこかの痛みのためか、サディーナは目をぎゅっと瞑った。
「足をくじいたみたい。悪いけど、フラマディン皇子。腕を貸していて」
「ああ。もちろん」
「そんな顔をしないで、フラマディン皇子。貴方も笑って。それが、王族のつとめでしょ」
 サディーナはゆっくりと、姿勢を正して立ち上がってみせる。少し顔が青ざめているように見えたが、それでも彼女はにっこりと観衆に微笑んで見せた。
「心配をかけましたが、私も皇太子殿下も無事です。このつまらぬトラブルより、せっかくの勇士たちの活躍を思い出して、みながこの後の祭りも存分に楽しんでくれることを望みます」
 ホッとしたような空気が会場を満たし、歓声と叫声が拍手とともにわき上がる。
「このまま廊下に。ゆっくりお願い」
 なるべく不自然に思われないよう、ゆっくりとフラマディンは歩いた。足が痛いだろうに、サディーナはほとんど体重をかけてこない。けれど、彼の腕を掴む手には痛いほどの力が込められ、額にはじっとりと汗の粒が浮かんでいた。

 廊下に出た途端、サディーナは膝から崩れ落ちる。慌ててフラマディンは腰を掴んで彼女を支えた。
 ゆっくりと、その場に座らせる。
「大丈夫か。無茶なことを……」
「なんで貴方が震えてるのよ」
 サディーナは微笑を浮かべる。端から見てよくわかるほど、フラマディンは褐色の肌をいっそう青ざめ、ぶるぶると震えていた。
「ちょっと背中と足が痛いだけよ。たいしたことないわ」
 だが心なしか、彼女の声にはいつもの張りがない。
「陛下。すぐに侍医が参ります」
 女官長がにっこりと笑顔を見せると、サディーナは安心したように頷いた。
「少し……疲れた……」
 そう言って小さなため息をつくと、彼女はそのまま瞳を瞑った。
 体からがっくりと力が抜けるのを見て、フラマディンはサディーナの両手を握る。
「サディーナどの!」
「殿下。フラマディン殿下」
 女官長が崩れた女王の体を支え、フラマディンに冷静に呼びかけた。
「大丈夫です、心配はいりません。女王陛下はこのところ、忙しくてあまり寝ていらっしゃらないのです。今の出来事で、一気に疲労が襲ってきたのでしょう。少しお休みになれば、またすぐ元気になられますから」
 女官長の見立てを聞いているのかいないのか、それでもフラマディンは一応頷いてみせた。
「殿下。私が失礼して、女王陛下をお運びいたします」
 アルシェードは女王の前に跪き、皇子と女官長を交互に見る。
 だが、伸ばした彼の手を、フラマディンは制止した。
「いや、私が」
 止める間もなく、フラマディンはサディーナの体を抱え上げた。いくらひ弱とはいえ、それは軍人に比べるからであって、さすがに女性一人ぐらい抱きかかえる力は備わっているようだ。
「では、お頼みいたします」
 答えたのは、いつの間にやら廊下に居たフォルム公爵だ。
 彼はいつもの平静な様子で、一同に微笑んだ。
「私はこの場を鎮めてまいります。皇太子殿下には女王陛下をお願い申し上げる。シンシア、後はよろしく頼む」
「ええ。もちろんです」
 二人は頷きあう。
「では、私もフォルム公と残るわ」
 すっかりいつもの平静を取り戻したセレナが、優雅に微笑み扇を開いた。
「もう。すっかり肝が冷えて、喉が渇いたわ。筋肉で目の保養をしながら何か飲まないと、やってられないわよ」
 彼女の軽口で、張りつめた空気も少し和んだようだった。

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