古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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19.騒動の結末

 目が覚めてすぐに、サディーナは喉の渇きに気がついた。
 ぼんやりと見つめる暗い天井は、まだ見慣れるには至っていない新しい部屋のものだ。
 寝返りをうとうとして、ふしぶしの痛みに眉をしかめる。そうして彼女は自分の記憶が闘技場の廊下で途切れていることを、思い出した。
「そうだ、すごく眠たくて……」
 上半身を起こしてみる。

「誰かいる?」
 声がかすれた。

 こういうとき、たいてい女官長は彼女を一人で放ってはおかない。

「女王陛下、お目覚めですか」

 やはり、女官長の声が部屋の隅から響く。
 すぐにカーテンが引かれ、薄暗い部屋が光で満たされた。

「喉が乾いておいででしょう」
「ありがとう……」
 差し出されたコップを仰ぐように口にもっていくと、冷たい水が一気に喉を満たして、思わず咳き込んでしまう。
「大丈夫ですか?」
 寝台の端に座った女官長が、サディーナの背を優しくなでてくれた。
「大丈夫、それより……」

 廊下で眠りこけてしまったときのドレスではない。ちゃんと、寝間着に着替えさせられている。
「私、眠ってしまったようだけど、あれからどの位たったの?」
 数時間しか寝てないのだとすれば、こんなに外が明るいはずがない。翌日なのだろうか?
「二日間、陛下はお眠りでした」
「ふつ……」

 二日ということは、即位祭は終わったのだ。さすがに自分でも驚いた。

 確かにこのところ、即位に向けての準備でろくに寝ていなかったが。
「無理矢理、起こしてくれてよかったのに」
「何度か声はおかけしましたが、よほどお疲れのご様子で」
「起きなかったのね……ごめんなさい。……その間の公務は?」
 即位したばかりだというのに、いきなりサボってしまったことになる。
「セレナ姫が代わりに務めてくださいました。ロックユーズ王国とエヴァンテ王国の要人のお見送りは、サディーナさまのふりをしていただきました」
「あとでお礼を言わないとね……でも、そんなことして大丈夫だった?」
 確かに二人はよく似ているが、見る者が見れば違いは分かるはずだ。

「ええ、顔見せ代に出るのと、見送りだけですから。姫も随分自重してくださいましたし。ただ一つ心配があるとすれば、オーギュスト六世殿下に対して、あからさまに好意的なまなざしを送っていらしたことですが……」
「えええ……」

 サディーナはがっくりと肩を落とした。確かにセレナはオーギュスト六世のことを気に入っていた。彼女の趣味はよくわからない。サディーナから見ると、アルシェードとオーギュストに共通点は見いだせないのだが。
「でも、待って。今の中にオーザグルドがないということは……」
 女官長は意味ありげに微笑する。
「サディーナさま。フラマディン殿下はずっと、この隣の部屋で陛下のお目覚めをお待ちなのです」
「はぁ!?」
 思わず叫び声を上げてしまった。
 まだ滞在しているのだろうとは思っても、まさかこの隣に――そこは女王の居間だ――陣取っているとは。
 だがそれはすぐに証明された。

「サディーナどの、お目覚めか!?」
「で、殿下、いけませんっ」
 フラマディンが女王付きの侍女の制止を振り切り、勢いよく飛び込んでくる。
 そのまま寝台に走り寄ってくるフラマディンを、サディーナはあっけに取られながら見ていた。
 ぎしり、と寝台がたわむ。
「ちょ! こっちこないで!」
 寝台を這うように近付いてこようとしたフラマディンめがけて、枕を思い切り投げつけた。
「うっ」
 彼は顔に当たって落ちた枕を抱いて停止し、寝台の端におとなしく正座する。
「すまない、嬉しかったものだから」
 そういえば随分と憔悴して見えた。目はうるんで真っ赤だし、まぶたは腫れている。頬には真新しい涙の跡が幾筋も見えた。それでもどこか絵になるのはさすがだ。
 もっとも今のサディーナだって寝起きで、髪を解いてもいなければ、化粧もしていない。
「なに、私、死にかけでもしたの?」
 あまりのフラマディンの様子に、サディーナは思わず女官長に訊ねる。

「いいえ。殿下には何度も、女王陛下はこのところの激務で疲労がたまっているため、眠りが深くなってしまっただけですと……医師ともども説得したのですが、どうにも納得なさらなくて……心配だからと、あれからずっと隣の居間を動かれず」
 さすがに寝室まで入り込んでくるような暴挙はしなかったらしい。今はこうして寝台の上にまで踏みいっているにしても。
 そういえば、服装も闘技場で会った時のままだ。
「待って、それ……まさか、みんな知ってるんじゃないでしょうね」
 オーザグルドの皇太子が、二日間もウィシテリアの女王の部屋に居座っただなんて噂が流れてしまうのは、非常によろしくない。いや、よろしくないどころではすまない。
「その点はぬかりなく……侍女も信頼できるものに限りましたし、殿下はご気分が悪いという名目で、部屋に閉じこもっていらっしゃることになっています。幸い、あちらの侍女頭どのも、殿下の名誉のためだと納得してくださいました」
 サディーナは息をつく。
 そうして改めて部屋の面々を見回した。
 フラマディンの憔悴は明らかだが、よく見れば女官長からもいつもの元気が感じられない。きっといつもの仕事をこなしながらも、折りを見てはサディーナの様子を伺いに来てくれたのだろう。
 フラマディンを止めるために寝室に入ってきた侍女も、両手を胸の前で組みながら、ウルウルと瞳をうるませている。
 今この部屋にいない者も、彼らと同じように女王を心配していたはずだ。
「心配をかけてしまったわね……ごめんなさいね」
 女官長、侍女、皇子と順に顔を見回しながら、サディーナは優しく微笑んだ。
「陛下。フラマディン殿下はこのお部屋まで、陛下をお運びくださったのです」
「そうなの? ごめんなさい。重かったでしょうに。ご迷惑をおかけしたわ」
 その言葉を聞いて、フラマディンは枕に顔を埋める。
「よかった……本当に。私はもう、貴女がこのまま目覚めないのではないかと、生きている心地もせず……」
「大丈夫よ。私は健康だもの。ただ、今回はちょっと、疲れがたまっていただけで」
 サディーナにしたところで、もし倒れて目覚めないのが女官長やフォルム公爵だったら、と考えると、肩を震わせるフラマディンを馬鹿にすることはできなかった。
「もう大丈夫だから、貴方も自分の部屋で休んでちょうだい。その様子だと、ろくに寝てもいないんでしょ?」
 フラマディンは驚いた表情で顔を上げ、それから枕を横に置いてサディーナににじり寄る。
「ちょ」
 また枕を投げつけてやろうかと振りかざした途端、彼は正座のまま両手をついた。
「すまなかった」
 叩頭とはいかないが、深く頭を下げている。おそらく彼にとっては、生まれて初めてとる姿勢のはずだ。
「え、何……」
 全く違うことを想像していたサディーナは、フラマディンの突然の土下座にとまどいを隠せない。
「貴女が怪我をしたのは、私をかばったせいだ……」
 そういえばそうだったかと、サディーナは思い出していた。
「そうだとしても、皇太子である貴方が、そんな簡単に頭をさげてはいけないわ」
 サディーナの静かな言葉に、またもフラマディンは勢いよく顔を上げる。
「それで、あの兵長はどうなったの? 貴方を襲った理由は? 原因を突き詰めなければ、今後の安全にもかかわってくるわよ?」
「こんな時でも、やはり貴女は女王なのだな」
 彼はごしごしと服の袖で顔を拭き、姿勢を正して座り直す。
「グラフィラスの調査したところでは、あの兵長の行動は突発的なものだということだ。奴には野心があった……地位と身分に対する野心だ」
「それがどうして貴方を殺すことにつながるの? むしろ、最初に望んだ通りに剣を授かるのが、一番の近道なのではなくて? 皇太子を殺したとあっては、地位も身分もあがりようがないでしょう。それどころか逆賊として、逮捕され処罰されるのは目に見えている」
「奴から見て、私がそれだけ不甲斐ない主であったということだろう」
 自嘲気味にフラマディンは顔をゆがませた。
「だが、そんなことはどうでもいい。大事なことは、私のせいで貴女が怪我をしたということ」
「けれど、貴方が叫んだから私は貴方を助けることができたのよ。貴方以外は誰も、あの男に気付いていなかったのだから。こんな怪我一つですんだのは、不幸中の幸いだわ」
 正直なところ、自分で避けるぐらいの反射神経と危機意識は持ってもらいたい、とは思ったが、そうでなくとも自分のせいだと落ち込んでいるフラマディンに、追い打ちを掛けるだろうことがわかっているので、口にはしない。
「しかし……」
 サディーナは立ち上がろうと、寝台に身を起こした。
「待って。ここでいつまでも話をするのもなんだし、部屋を……いたっ!」
 だが、彼女は足首を負傷していることをすっかり失念していた。足の痛みでバランスを崩してしまい、とっさに手を差し伸べてきたフラマディンに抱きとめられる。
「足首を捻挫しているらしい。暫く歩かない方がいい」
「あ、ありがとう……」
 フラマディンの支えでそっとベッドに座りなおす。
 右の足首には白い包帯が巻かれていた。
「とにかく……あらためましょう。疲れた頭では、貴方も冷静ではいられないでしょう? とりあえずは休んで……それからのことにしましょう。いいわね?」
「うん……わかった」
 フラマディンはようやく、ホッとしたように破顔した。

 ***

 侍医によると足の捻挫は全治一ヶ月、完治までには半年ほどかかるかもしれないということだ。くじいた後に無理に動いたのがいけなかったらしい。
 床についていた二日の間に足首は冷やされ、今はがっちりと包帯と添え木で固定されている。ここまでしなくても、とは思うが、甘く見るとかえって悪化させるとのことなので、大人しく言うことを聞いていることにした。
 そもそも足首など、ドレスの裾で隠れて見えない。
 残っていた二国も帰国したというから、暫くは女王としての通常業務が中心のはずだ。
 今も執務室で、女王の裁可を待つ書類に囲まれている。
「さあ、今日からが本番ね。セレナにも迷惑をかけたわね。ありがとう」
 事務机の向こうに置かれた椅子に腰掛ける従姉に、サディーナは感謝のまなざしを向ける。
「いいわよ。女王ですって顔で座っているのも、面白い経験だったわ。それに面倒な事務仕事は何も代行していないし」
 オーギュスト六世への好意がひっかかったが、替わってもらった手前、何もいうことはできない。
「それより、フラマディン皇子にはビックリしたわ。まさか、貴女の側から動かないだなんてね。よほど貴女のことが好きなのね」
「自分のせいで私が怪我をしたと気に病んで、動くに動けなかったのでしょ」
「まぁ、つまらない言い方……」
 そっけないサディーナの返答に、セレナは口をとがらせた。
「それで、こちらの調査の結果は?」
 サディーナは事務机の傍らでじっと立ったままの秘書官を見る。この二日間、彼がオーザグルドの調査だけに真相の解明を任せていたとは思えない。
「犯人はケンホーシェル・アーボグル兵長、二十二歳。オーザグルド帝国の軍人にはありがちと聞いておりますが、家が貧しかったことから、十七の頃に軍に入隊したようです。昇進の速度としては、帝国の平民においては一般的であるといえるようです」
「だとすると、やはりグラフィラス少将は相当、優秀なのね!」
 セレナがお気に入りの少将の名をあげる。
「二十七で少将でございますからね。相当の実力と、運の持主でございましょうな。兵長と同じ二十二歳の頃には、もう中尉であられたとか……」
「さすが、私の見込んだ人だわね!」
 セレナはキラキラと瞳を輝かせているが、サディーナは手放しで彼を誉める気にはなれない。他国と争うことの多いオーザグルド帝国において、若さに似合わぬ階級にあるということは、彼がそれだけ戦場で活躍しているということ……はっきりいうと、それだけ大勢の人間を殺してきたからに他ならない。
「現在の帝国の将官のなかでも、最年少と聞いております。少将の存在は、兵長の心理に多少の影響を与えたやもしれませんな。あれほどの武勇を誇る身であれば、少将に比べて自分の昇進が緩いと、思わずにはいられなかったのやも」
「強さだけで昇進が決まるというわけでもないでしょうに」
 秘書官は手を後に組んだまま頷く。彼は女王の側に立っているほとんどの時間、資料を手にすることはなかった。必要なことは、すべてあらかじめ頭の中にたたき込んでいる、らしい。
「何か大きな陰謀があるというわけでもなさそうです。兵長は、自分は活躍の場を故意にそがれているのだ、もっと実力はあるのに、と、つねづね愚痴をこぼしていたようです。そしていつか目立つ活躍をして、名をあげると。そこで今回の任務です。ここからは私の推測ですが、突然試合への参加を命じられ、勝ち進めば我が国の者であれば王侯と直に接する機会が設けられていると知って、自分も同様の機会を与えられるべきだと思い込んだ。簡単に申しますと、自分と年の近い上官との差に焦燥感を抱いた兵長が、一気の昇進を夢見た結果と思われます」
「それが不思議なのだけど」
 サディーナは事務机の上で頬杖をついた。
「どうして皇太子を殺すことが、昇進につながるの? あり得ないことだと思うのだけど」
「陛下、オーザグルド帝国には後宮がございます。皇太子殿下には母親の違う御兄弟が、幾人かおいでなのでございますよ」
「うわぁ。これだから、一夫多妻だとか後宮だとか、そういうのは嫌なのよ」
 セレナは眉を寄せる。
「一夫一妻で飽きたらつまみぐい、が一番正しいと思うわ」
 彼女の奔放な夫婦観はいつものことなので無視だ。彼女が引っかかっているのは、夫と妻の伴侶の数がイコールでないところだけなのだから。
 サディーナは姿勢を正した。
「それじゃあ、単なる個人の愚行で片付けられないんじゃないの? 皇太子の兄弟の誰か……あるいは、その後見の誰かが、彼の命を狙わせた可能性があるということでしょ?」
「いいえ、陛下。そういう帝国の王宮事情があるというだけで、兵長が誰かに命令されたという事実はなく……むしろ彼の方からその事情を利用しようと思いついただけのようです」
「それが本当だとすると、あんまり浅慮だわ……」
 独断で思い走り、皇太子を他国で弑したところで誰が彼の後ろ盾になってくれるというのだろうか。そもそも、弑逆が成功したとして、その場には皇子の護衛隊もいれば、ウィシテリアの兵もいるのだ。なぜ自分が無事なまま、帰国できると思い込めるのだろう。
「あくまでもこちらの調査では、ですが、そういう結果でございます」
 結局は独自の調査では、他国の内情を知るには限界がある。サディーナはこの結論を受け入れるしかなかった。
「それで、兵長の身柄は?」
「拘束し、今は船に監禁しているとか。そのまま帝国に連行され、処罰をうけることとなるでしょう」
 サディーナは頷く。
「犯罪者を抱えたまま、他国に長く居ることはできないでしょうから、ほどなく皇太子も帰国の途につくということね」
「ええ。遠からず、出国なされるでしょう」
 その事実を聞いても、サディーナは残念だと感じなかった。だが逆に、せいせいとした気持ちにもならなかったのだ。

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