古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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間話1.兵舎来襲

「アルシェード・グラフィラス。お前には半年間の蟄居謹慎を言い渡す」
 アルシェードはハフクレードの厳しい言葉に低頭した。

 ***

「よぉ、アルシェード!」
 珍しい声に、アルシェードは顔を上げる。同期のウィルナージ・ションガが右手を挙げて近付いてくるのが目に入った。
「ウィル。どうした、珍しいな。こんなところに何か用か?」

 そう尋ねたのは、彼がここにいるはずのない人物だからだ。
「お前に会いに来てやったに決まってるだろ」

 ウィルナージは正面の席に座ると、肘をつく。
「長期休暇をもらったんだって? いい機会だから引っ越ししろよ」
「長期休暇じゃねーよ。謹慎だ。引っ越しどころか、兵舎から一歩も出られんわ。ところでお前も何か食うか?」
「おお、そうするわ」

 ウィルナージはキョロキョロと周囲を見回すと、一番近くにいた少年に手を挙げる。

「おう、そこの坊主。なんか適当に見繕って持ってきてくれ」
 命じられた少年は「はい」と一声、慌ててカウンターに駆け寄った。



 ここは兵舎の食堂だった。正午ではないから人は少ないが、それでも数人の姿が見える。

 ほとんどがまだ若い十代の少年たちだ。それもそのはずで、ここは下位兵士たちのための兵舎だ。通常は地位が上がるにつれ別の兵舎に移るし、将官ともなれば一軒まるごと借り与えられもする。だがそれは強制ではなかったから、アルシェードは「引っ越すのが面倒くさい」の一言で、軍に入ってからずっと同じ部屋を占領している。

「お前な……あいつら給仕じゃねーんだぞ。自分で取りにいけよ」

「俺はお前と違って客だからいいんだよ。それに、これでも貴族様だぞ」
 口は悪いが、ウィルナージは確かに貴族の一員だった。ただし一族は没落していて、その暮らしぶりは庶民に毛が生えた程度に過ぎない。
「そんなこというなら、俺はお前の上官だぞ」
「謹慎中の奴にいわれてもな!」
 アルシェードは少将で、ウィルナージは大尉だ。二人は同期だったが、アルシェードの昇進速度が異常に早かったため、地位には差が開いていた。
 ほとんどの同期はそれを妬んで、あるいは遠慮をしてアルシェードと関わりを持とうとしないが、このウィルナージだけは出会ったときと変らず軽口を叩いてくる。
 もっとも公私はわきまえていて、職場ではそれなりに丁寧な言葉遣いで会話をする二人だが。
「失礼します」

 さっきウィルナージに言いつけられた少年が、ガチガチに緊張していくつかの料理が乗った大皿と、グラス一杯の果汁を食卓に置く。
「あの、もっとお持ちした方がよろしいですか?」
「いや、いい。ありがとな」
 白い歯を見せて笑いかけると、少年はホッとしたような表情で離れていった。
「ほら、俺程度でも緊張するんだぞ。お前みたいな高位のやつがいたら、みんな気が休まらんだろ。だから、引っ越せって。俺が家を探してやるよ。いい女付きのな」
 ウィルナージは意味ありげに片目を瞑り、果汁をあおる。
「いらねぇよ。お前と俺とじゃ、女の趣味が違いすぎる」
「お前は胸がでかけりゃいいんだろ。わかってるって」
「いや、違うから。そんなことないから」
「いやいや。そのはずだ。だから、俺に任せろって」
「わかった。魂胆が見えたぞ。お前、俺の家に自分の好みの女を囲うつもりだな。奥方にいいつけるぞ」
 ウィルナージは既婚者だ。同じ没落貴族の娘を妻にもらっているが、たいそうな恐妻であるらしく、愛妾を持つのを許してもらえないらしい。

 もっとも例え許されたとしても、大尉の給料ではそんな金銭的余裕があるとは思えないのだが。なにせ貴族の嫡子である彼の屋敷は敷地だけは広くて、維持費にずいぶんかかるからである。
「まぁ、そんなことはいいとして、だ。どうだったのよ? 例の、フラマディン皇子」
「どうって言われてもなぁ……」
 そんなぼんやりとした質問に、どう答えたら良いのだろう。
 アルシェードは眉根を寄せた。
「まぁ……船の中では辟易としたな。正直。侍女とずっと部屋にこもりきりで、気分が悪いといって出てきもせんし……着いてからも同じで、あのまま船から一歩も下りずとんぼ返りする羽目になるかと思ったぜ」
「だが、上手くやったみたいだな。ちょっとした噂になってるぞ。お前のことを、殿下が随分気に入ったって」
「俺を? 皇子が? まさか」
 確かに行きと帰りでは態度が違った。
 正確に言うと、フラマディンのアルシェードへの対応が変化したのは、サディーナへの恋心を相談してくるようになってからだ。
 アルシェードはそういう話をする相手としては向いていない。が、フラマディンが話をできたのは彼の他には侍女しかいなかった。その筆頭が、サディーナを快く思っていなかったのだから仕方がない。
 おかげで帰りの船では、随分とサディーナに対する妄想を聞かされるはめになった。

「俺しか話し相手がいなかった。だから皇子も俺も仕方なく……」
「だけどな、今回の処罰が謹慎ですんだのは、皇子の口添えがあったからだって聞いたぜ」
「本当か、それ?」
 確かにハフクレードから判決を言い渡されたとき、彼は皇帝の機嫌がよかったのだろうかとは思った。なにせ相手に比がなくても、気に入らなければ処罰する皇帝のことだ。百叩きの上、一兵卒に降格させられ、死地に出陣を命じられても、まだ軽い処罰と思えただろう。
「それに、お前、先生をすることになったって?」
「は? 先生? どこで、なんの?」
 ハフクレードには何も聞いていない。出陣ではなく、まさか転職を命じられるのだろうか、それとも新兵訓練でも任せられるのだろうか。
 アルシェードは首をかしげた。
「どこでって……あれ、そういや、どこでだ……お前は謹慎中だから、兵舎から出られないし……かといって、殿下がこちらにいらっしゃるはずも……」
「待て。だから、もうちょっと分かるように説明しろ。殿下? いらっしゃる?」
「だから、皇太子殿下がお前に剣を習うって、軍本部ではえらい噂になってるんだよ」
「は?」
 アルシェードは目を瞬かせた。
 確かに、ウィシテリア女王国で皇子はそんなことを言ってはいた。というか、フォルム公爵が薦めていた。だがしかし、本気でそんなことを皇子が考えるとは、アルシェードは思ってもいなかったのだ。
「いや、ただの噂だろ……俺は何にも聞いてねーぞ」
「そっか。そうだよな。いくら何でも、こんな兵舎にあの皇子がやってくるわけはないわな。宮廷からほとんど出たことがない、あの皇子のことだもんな」
「だろ」
 アルシェードはホッと息をついた。
 確かに半年もこの狭い兵舎から一歩も出られないのは、窮屈すぎるし退屈すぎる。何かあればいいとは思うが、だからといって、やんごとない身分の皇子を迎えられる場所ではないし、そんな珍事は起こっていらない。
「まぁ、退屈だろうから、時々顔を見に来てやるよ。腐らず訓練はしとけよ? 謹慎中に剣の腕が落ちたなんてことにでもなったら、お前に心酔してる連中が泣くぜ」
 アルシェードは指揮能力だけが優れているわけではない。剣の腕もかなりのもので、その点で彼にあこがれを抱く兵士も少なからずいた。
「だったら今日も相手してってくれよ」
「飯食った後で運動するのはなぁ……」
「お前はちょっとつまんだだけだろ」
「まぁ、いいけどさ」
 ちなみにウィルナージは昇進速度と同様、運動能力も軍では平均的だ。
 二人が食卓から立ち上がり、兵舎に備え付けの運動場に向かおうとしたときだった。
 廊下から、ざわめきが近付いてくる。
「なんだ?」
 不穏なざわめきではない。浮ついた、というか、どこか昂揚を伴ったざわめきだ。
「おい、まさか……」
 アルシェードが苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべた時だった。
「アルシェード・グラフィラスがここにいると聞いてきたのだが」
 なぜかにこにこと、満面の笑みを浮かべて現れた人物。
 フラマディン・アインアードの姿を見て、アルシェードは食卓に両手をついた。


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