古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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間話2.侍女落胆

 おのれ憎しや、あの女!

 このところ、ルイザ・フォルティネの就寝前の日課は、ある女の似顔絵を土に描いては刻み、描いては刻みすることだった。
 しかし描いているとはいっても丸に目鼻口を点で描いただけものもで、それを小刀でまた切りつけるように消していく。

 そのためにわざわざ何も植えていない平たい鉢に砂を一杯入れて、枕元に置いてあった。
 最初こそその女の姿絵を大量に買い込んできて、毎日切り刻んではいたのだが、大量の廃棄物が生成されるに至り、掃除婦に不審がられたのでやめた。

 絵心がないので子供の描くのと同じような稚拙な出来だが、脳内で映像を補完するので問題はない。

「きっと今頃は、あの女も苦しんでいるに違いない」

 ルイザは呪いを信じている。
 魔力はないが、それでもこうして毎日呪詛を繰り返せばきっと相手に通じると信じている。
「そうよ、わざわざ魔導士に聞いてきたのだから。それも、あの副大臣に!」
 聞いた相手もただ者ではない。元宮廷魔導士の、フリード・バグロードだ。
 王宮で見かけたその偶然を、ルイザは決して逃さなかった。

「例えば嫌いな相手がいたとして、その相手に暴力をふるうのではなく、けれど何か痛手を与えてやりたい場合はどうなさいます? もちろん、私がそうしたいというのではありません! 後学のためにお聞きしているだけですのよ。ホホホ~」
 どこか氷を思わすような若い大臣は、凍えるような一瞥を向けた後にこう答えた。
「そうですね。私なら奸計を用いて相手の社会的地位を抹殺させますが。その手を具体的に聞きたいとおっしゃる?」
 にっこりと微笑まれて、ルイザはぞっとした。口角は上がっているが、一向に笑っているようには見えなかったからだ。
「い、いいえとんでもございません。あの、バグロード閣下。私がお聞きしたいのは、もっとこう……平凡な……たとえば夫を寝取った女に対する、呪いのような……」
「ルイザどのはまだまだお若いですね」
「わ、私のことではございません! ですから、例えばと申しております!」
 夫とは、籍は入ったままだがもう何年も会っていない。
 ルイザの夫は商家の大家だ。実家自体もそれなりに金持ちだったので、両家の話し合いによって見合いもしないまま結婚した。夫は結婚前から愛妾を何人も抱えているような男だったが、それなりに夫婦として体面を守って暮らしてきた。だがようやくもうけた一子が死産であったために、二人の仲は決定的に壊れたのだ。
 毎日泣き暮らすルイザに夫は優しい一言もなく、愛妾の元にばかり通ってますます顔を合わせる機会は減った。
 そんな折りに皇太子の乳母をやらないかと持ちかけられ、ルイザはその話にすがりついたのだ。
 それ以来、彼女は皇太子を自分の息子として育ててきた。皇太子の実母は子供には興味を持たない人で、だからか皇太子もルイザのことを母のように慕ってくれた。
 皇太子が彼女の全てであった。
 それなのに、だ。

「あの、女……」
 ルイザは本日、四十四枚目の土の絵を小刀で切り刻んだ。
 息子のように大切にしていた皇子を、一目で虜にしたサディーナのことが許せなかった。
 戴冠式からルイザの待つ部屋に戻ってからというもの、皇太子は彼女の言葉を全く聞き入れなくなった。そればかりか、帰ったら打ち首にしてやろうかと言っていたアルシェードなどという貧民あがりの少将を部屋に招き入れて、ルイザとは目を合わせるのも避ける始末。
 これはおかしいと、色々手を尽くして状況を探ったところ、どうやら皇太子がウィシテリアの女王、あの、無礼にも船に来襲した女に恋心を抱いたというではないか。
 しかも、そのことを皇子はルイザに隠し通そうとしている。
 今までなんでも包み隠さず話し合ってきた仲だけに、怒りはひとしおだった。
 だが、その怒りをぶつける相手は断じて皇太子ではない。

「殿下に色目を使って、このオーザグルドの崩壊をもくろむつもりか!」
 フリードに会ったのは、この現状を皇帝に訴え皇太子をいさめてもらいたいと、本殿を訪れた帰りのことだった。もっとも上奏は為し得なかったが。
 だが代わりに、偶然出会った魔導の才ある副大臣から、呪いの方法を聞き出せた。
 相手の姿に似せたものを怨念を込めて害するその方法は、類似魔術というらしい。
 簡単な説明に喜び浮き足だった背後で、フリードのせせら笑う声が聞こえたような気がしたが、ルイザには気にならなかった。
 とにもかくにも、なんとしても彼女はあの女、ウィシテリア女王サディーナがフラマディン皇子に色目を使うのを、阻止しなければならないという使命感に燃えているのだ。

 ***

 だが、一週間、一ヶ月、二ヶ月を経てもまだあの女の不幸は聞こえてこない。
 そうして現状はますます彼女にとって気にくわない様子を呈していた。
 あろうことか、皇太子が謹慎中のはずの少将の元へ通い出したのだ。
 それも、剣の修行のためだとか言って。
 危ないからおやめ下さい、皇帝陛下となられる殿下は、御自分で御自分の身を守られる必要はないのです、と何度訴えても皇太子は聞き入れてくれない。
 そうはいっても父帝はご自身も強いではないか、と言われると、それ以上はルイザも反対できない。

 ではせめて別の者よりお習い下さい、と訴えると、フォルム公爵がアルシェードにならうのがよいと言ったのだ、と他国の将軍なんぞの言葉を持ち出して反抗する。
 それに大声で異を唱えると、今度はルイザは働き過ぎで疲れているのだとか言われて、着替えも食事も入浴も、なにもかも別の侍女を用いて彼女を避けるようになった。
 そうなると今度は自分の部下であるはずの侍女たちが恨めしい、憎らしい。
 彼女の知らない皇太子の話をする。今までとは雰囲気も態度も全く違う、見知らぬ青年のような優しい皇太子の話を。

 いつしか女王に侍女たちの土絵が加わる。
 だが、一向に誰も体調をすら壊さない。
 遠目にも皇太子の変化は著しく、時々彼女の側にやってきて体調を気遣う言葉をかけてくれる。
 そんな、誰にでも優しい皇太子を、ルイザは知らない。
 再度、皇帝に皇太子の現状を訴えようと王宮を歩いてみれば、侍女どころかあちこちから聞いたこともないような皇太子の噂話が聞こえてくる。
 今までのような、こそこそと隠れた陰険な悪口ではない。
 誰もが皇太子の変化を喜び、称えるような口ぶりだった。
 そうして彼女はようやく皇帝にたどり着く。
 そうして言われた言葉が。
「ウィシテリア女王国に皇太子を、とハフクレードに言われた時にはこうなるとは思っていなかった」
 ため息をつく皇帝に、彼女はようやく同意を得たと笑みを零した。だが。
「奴には皇太子の教育について、もっと真剣に考えるようと進言されていたが、余は耳を貸さなかった。一通りの教師はつけたし、わがままで横柄なところを好ましく思っていたからだ。それがあれの性質であると信じて疑わなかったし、帝位を継ぐに障害となるものではなかったからだ。だが、今となっては以前のあれより今のあれの方が、譲位するに相応しいものと、余も認めざるを得まい」
 そうしてよくやったと誉められてしまえば、ルイザに言えることは何もない。
 フリードに呪詛が聞かないと訴えたかったが、今度は偶然は起きなかった。
 それに皇子は未だにサディーナへの想いを、彼女に伝え相談することすらしてくれない。
 ルイザはますます意固地になった。

 ***

 呪った相手どころか、近頃では自分自身の体調が悪い。
 体はだるく、気は重く、寝台から起き上がるのも一苦労だ。
 そうして寝込んでいると、皇太子がやってきて心配そうに寝台をのぞき込む。
「大丈夫か? ルイザ。具合が悪いと聞いたが……」
「このようなところに、殿下……」
「起きるな、寝ていろ」
 フラマディンはルイザの寝台に腰掛け、彼女を強引に寝かしつけた。
「申し訳ございません……」
 皇太子の目が、ふと寝台脇の砂の鉢に注がれる。彼は怪訝な顔をしたが、その用途を問いただしてきはしなかった。
「疲れがたまっているのだろう。何か、食べたいものはないか?」
「殿下……そのお言葉だけで、十分でございます」
「この間、珍しい果実を食した……小さな房が垂れ下がった果実でな……あれを冷やして届けさせよう」
 フラマディンはそう言ってルイザの冷たい手を握りしめた。
 皇太子が子供の頃に、一度ルイザはこうして寝込んだことがあった。あのときも彼は枕元までやってきて、早く元気になれと手を握ってくれたのだ。
 思い出すと、涙がこぼれた。
「どうした? どこか、痛いのか?」
「いいえ、殿下……」
「すぐ、侍医を呼んでくる。寝ていろ」
「あ……」
 そうして皇太子は彼女の側から居なくなった。

 その日のうちに、冷たい果実がルイザの元に届けられた。
 彼女はそれを口に含みながら、決意を新たにする。「なんとしても、皇子をこの手に取り戻す」と。
 そうして彼女は闇に落ちるように、眠りについた。

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