古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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22.武官の憂鬱、ふたたび

 アルシェードが軍政本部にあるハフクレードの執務室を訪れたのは、ウィシテリア女王国から帰国して半年と半月ほどたったある日のことだった。
「お呼びでしょうか、閣下」
 ハフクレードは執務机の前で直立不動している部下を一瞥すると、椅子を指し示す。彼が座る椅子と机を挟んで正面に、二脚の椅子が置かれていた。
 アルシェードは右側に座り、ハフクレードが書類を読み終えるのを大人しく待つ。
 やがて近衛大将は手に持った書類を公文書の山に加えると、両手を机上で組み、アルシェードを直視した。
「さて、お前が復職して、半月ほどが経ったわけだが……」
 ケンホーシェル・アーボグルが起こした皇太子殺害未遂事件は、帰国後ただちに皇帝と重臣によって審理され、断罪された。

 アルシェードは現場の責任者として、部下の監督不届きを強く追求され、半年間の蟄居謹慎を命じられたのだ。
 今回の事件は大逆罪に値する。なにせ、皇太子の命を狙ったのだから。その責任を問われたにしては、軽度の判決といえた。なにせ過去には犯人の雇用主であったというだけで、事件には関わりもないのに奴隷身分に落とされた例もあるのだ。
 ちなみに実行犯であるアーボグルにまでは、皇帝の寛容も発揮されなかったとみえて、若い兵長は市中引き回しの上、公開処刑された。
「随分と体もなまっていよう。そこで勘を取り戻すためにも、お前に特別の任務を与えようと思う」
「出兵ですか?」
 半年間、彼は官舎から一歩も出られなかった。謹慎して数日後には、皇太子が剣を習いに訪ねてきたこともあって、退屈だけはしなかったが。それ意外にも自主的な訓練も欠かさなかったが、やはりハフクレードのいうように体も気もなまったような気がして仕方がない。
 帝国では通常任務が王族の警衛である近衛に属していても、士官は一般兵を指揮して戦場に出るのが当たり前となっている。だからこそ、彼は近衛少将と呼ばれず、ただの少将なのだ。
「エヴァンテ王国だ」
 ウィシテリア女王国で鋭い視線をなげかけてきた第二王子を、彼は記憶から呼び起こした。
「しかし、あそこは以前にジスクーエン少将が遠征なさった国では?」
 五年前のことになるが、国境近くでの衝突に派遣されたのは、自分ではなく別の少将だ。もっともその時はまだ彼もただの中尉で、中隊を率いるのがせいぜいの身分だった。
 その戦争では、こちらが大勝を収めていたはずだ。再度というのなら実績のあるジスクーエン少将を派遣すればいいものを、自分が出兵を命じられる理由が彼にはわからない。
「そうだ。だからこそ、ジスクーエンには今回の任務は不向きなのだ。今回の遠征は、軍を率いてのことではない」
「え?」
 アルシェードの脳裏を、嫌な予感がよぎる。
「まさか、ですよね……閣下。そんな二度も続けて、俺が」
 引きつった笑みを浮かべるアルシェードに、ハフクレードは満面の笑みで応じる。
「さすが、私の見込んだ男だ。任務を察して、期待に打ち震えておるか」
「いや、いやいやいや」
「お前の予想は当たっておろう! 今回の任務は」
「ちょ……閣下、ちょっと待ってください」
「皇太子の護衛だ!」
 アルシェードは頭を抱え込んで、執務机に突っ伏した。

 確かに帰国して蟄居中の半年間で、初めの頃よりは随分気安い間柄になった。なにせ、皇太子の来訪は、ほとんど毎日に近いものだったのだから。だが、だからといって、相手がやっかいな存在であるのには変わりがない。
「心配するな。今回は本当にただの警衛だ。フラマディン殿下はエヴァンテ王国に赴かれ、ルイ・アルフォンソ王太子と御接見になる。その警護隊を手配すればそれでよい。喜べ、今回は近習も文官も同行する。文官の一人は、魔導の力も持っている。お前の負担はずっと減るはずだ」
 オーザグルド帝国の軍は他国ほど竜に頼っていない。代々の皇帝が、彼らの支配の及ばぬものを嫌ったからだ。
 所詮、竜はウィシテリア女王国からの借り物であった。また、彼の国民のように容易く意思の疎通ができない以上、皇帝にとって竜は攻城塔のような数多ある兵器と同じものでしかないのだ。
 だが、その兵器が何より強力なのも、また事実だった。
 だからオーザグルドの歴代皇帝は、その兵器に対抗するために魔法を重視した。
 魔法を使う人々は、太古の昔から世界中のあちこちで認められていた。だがその力は遺伝性のものではなく、能力を持つ者が少数であったために、体系づけられることもなかった。
 オーザグルドではその力を国力増大に利用するために、数代前の皇帝が素質を持つ人々を集めて育成し始めた。そして、宮廷魔導士という他の国にはない地位をつくり、皇帝直属の独立した立場の官吏として重用したのだ。
 そして武断の皇帝であるフラマディンの父、スルディタン・レクスナージの時代において、魔導士たちの力は主に戦場で遺憾なく発揮されていた。
 だが、純粋な武官であるアルシェードにとって、魔導士はどちらかというと忌避したい相手だった。個人の力を誇りすぎる嫌いのある彼らは、武官の本領に土足で踏み込んで輪を乱す輩としか思えなかったからだ。
「勘弁してください……ハフクレードさま……」
「百戦錬磨の武人が、情けない声を出すな。ほれ、顔をあげろ。もうすぐ皇太子殿下がいらっしゃるぞ」
「は? なんでまた……」
 尋ねようと顔を上げた瞬間、執務室の扉が叩かれた。
「フラマディン・アインアード殿下の御成にございます」

 ハフクレードとアルシェードは姿勢を正して立ち上がる。
「お通しせよ」
 静かに扉が開けられ、近習を連れたフラマディンが、少し不機嫌な様子で現れた。

「フラマディン皇太子殿下。このようなところにご足労いただき、光栄に存じます」
 ハフクレードが今まで自分の座っていた椅子を譲ると、皇太子がため息をつきながら着席し、近習はその背後に直立した。
「なぜに、父上はあのように頑強であらせられるのか。それとも単に、私の希望を踏みにじられるのが、楽しいのだろうか」
 執務机の上に頬杖をつき、遠い目で独りごちる。
「皇太子殿下、そのようにおっしゃるものではありません。皇帝陛下は殿下の成長を喜んでおられます。一層よい方向にお導きなさろうと、考えておいでなのですよ」
「それがどうして」
 フラマディンはようやく視線を、執務机の前に整列した主従に向ける。
「エヴァンテ王国への外遊になる。私が申請したのは、ウィシテリア女王国への留学であって、あんな……いけ好かない王子のいる敵国ではない」
「殿下は国際情勢を学ぶために、女王国へ留学したいと希望されたとか。皇帝陛下としては、親交の深くない女王国へ外遊されるより、今は難しい関係にあるエヴァンテ王国に赴かれる方が、学ぶべき事の多いとご判断なさったのでしょう。今回、同行なさるフリード・バグロードは、優秀な人材でもありますし」
 その名を聞いて、アルシェードは眉をしかめた。
 有能と噂の青年官吏とは、公式の場で数度顔をあわせたのみだが、あまりいい印象は抱いていない。
 元は宮廷魔導士としてキャリアをスタートさせたフリード・バグロードは、魔力意外を高く買われて文官に取り上げられ、瞬く間に太政大臣の副大臣にまで昇り詰めたのだ。
 魔導士として、彼が使い物にならなかったというわけではない。むしろ難しいとされる広範囲の攻撃魔法を得意とする彼の魔導は、宮廷魔導士としても非常に重宝されるものだった。だがそれ以上に、皇帝から官吏としての能力を欲せられた故の重用だ。
 通常、特殊技能を持つ宮廷魔導士がそれ以外の官職に就くことは稀であったから、若くして成り上がったフリードはそれなりに有名だ。巷で「武官のグラフィラス、文官のバグロード」と、平民の華と並び称されるほどには。 

「それより殿下。こちらにおいでの御理由を、グラフィラス少将にお聞かせいただけませんでしょうか」
「ああ、そうだったな」
 フラマディンが笑顔に転じて立ち上がったのを見て、アルシェードは正体不明の重圧を感じた。
「アルシェード・グラフィラス。跪け」
 執務机を回り込み、アルシェードのすぐ横にやってくる。
 アルシェードは言われた通り、大人しく跪いた。
「喜べ。お前に剣を授けるぞ」
 にこにこと、宝飾にまみれた短剣を差し出してくる。
 アルシェードはそれを見た瞬間こわばり、青ざめるのを自覚した。
 受け取ってしまえば寵を受諾するということだ。そうでなくとも謹慎中に皇太子の訪問を受けていたことは公然の事実であり、
「女王国へ外遊の間に、うまく取り入った」
 と、陰口をたたかれている。
 今でも十分なのに、これ以上の妬みそしりを受けるような立場になるのは、御免被りたかった。
 とはいえ相手は皇太子で、どう考えてもその申し出を拒否することは不可能だ。
 一応、ハフクレードの表情をうかがってみたが、彼はこの皇太子の好意を喜んでいるらしく、上機嫌で頷いてみせる。
 そもそもハフクレードからして、アルシェードに剣を授けている。いわば師と愛弟子であると公言しているも同様だったから、弟子が皇太子の寵臣となるのを喜ばないはずがない。
「つ…………謹んで……お受け…………いたします」
 両手で短剣を受け取ってから、ため息に交えて言葉を紡いだ。
「皇太子殿下には、私のような者に栄誉をお与えくださるため、このような場所までわざわざおいでいただき、恐悦にございます」
「よい。お前の心根は分かっている」
 暗く沈んだアルシェードとは真逆で、フラマディンの声は明るい。
「面倒くさい、できれば辞退したいと思っているのだろう。この半年の付き合いで、お前がそういう性格であるのは、わかっておる!」
「はぁ……」
「だが観念しろ。私はこれからもお前を重用するつもりであるからな」
 皇太子の宣言に、アルシェードは低頭した勢いでがっくりと肩を落とした。

 そうしてアルシェードの名は、この時より皇太子武官として広く認識されたのだった。

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