古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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23.湖水の首都

 外遊に出かけるとなると、とても一日、二日の旅とはいかない。以前ウィシテリア女王国へ船で出かけた時も、往復で六十日ほどかかったのだ。
 エヴァンテ王国はオーザグルド帝国と国境を接してはいたが、それでもオーザグルドの首都からエヴァンテ王国の首都までは、馬車で十五日ほどかかる。
 最初の数日、皇太子の馬車に近習として同乗していたのは、彼の遠縁に当たる貴族の青年だった。だが会話に張りがない、返答がつまらない、などと言って馬車から追い出してしまった。
 その次の相手として、皇太子はフリード・バグロードに馬車の同乗を求めたのだ。
 以前はルイザと山ほどの侍女しか自分の領域に立ち入らせないフラマディンだったから、アルシェードから見るとそれでも進歩には思えるのだが、フリードがその申し出をどう捉えたかはわからない。なにせ、「笑っていても、無表情」と評される副大臣のことだ。

 とにかく、やや不機嫌なフラマディンの要請に従って、不満の一欠片もみせず、三十歳の若かりし副大臣は皇太子の馬車に乗りこんだ。
 もともとエヴァンテ王国にとっても、オーザグルド帝国にとっても、今回の本命は副大臣のフリード・バグロードだ。彼が外遊する予定があったところへ、タイミングよく皇太子が外国への留学を申請したということらしい。もっとも、訪問を望んだ国は別だったが。

 途中、アルシェードは二人が会話をしているのを何度か耳にした。意外にも皇子はエヴァンテ王国へ訪れる理由や目的を、フリードから教わっているようだった。訪れる国が気にくわなくても、一応は知識を蓄え、対応を検討しようという姿勢の表れに思える。
 アルシェード自身も懸念していたような、自身とフリードとの軋轢はおこらなかった。宮廷魔導士の評価に対して自省する必要を考えたほどに、彼はアルシェードに対しても丁寧だった。

 今回はハフクレードの言ったように、純粋に護衛を務めるだけでいいらしいと感じて、アルシェードはいくらかホッとしていたのだった。

 ***

 エヴァンテ王国の首都エンドレケイアは大小さまざまな五つの湖に隣接する、穏やかで美しい都市だ。城壁の二方は森に覆われ、一方に5つの湖を望み、一方を平原が占める。城壁の内側に広がる都市にもいたるところに木々が植えられ、緑豊かな印象が強い。
「こんなのどかな所で育ったとは思えんな」
 フラマディンが評したのはルイ・オーギュスト六世のことだろう。
 だが、穏やかなのはあくまで景観だけだ。
 オーザグルド帝国の一行を歓迎するために街路に集められた国民たちは、不快と嫌悪を隠そうとしない。もっともそれも理解できる。五年前の戦闘で、エヴァンテ王国はわずかとはいえ、オーザグルド帝国によって領地を奪われたのだ。それを恨みに思わない道理がなかった。
 だが、フラマディンはエヴァンテ王国の国民感情を、特に気にした様子もない。
 それというのも彼は、景観のいいこの通りを、サディーナと楽しむという妄想に忙しいからだった。
 アルシェードは主人とは違って、剣呑な雰囲気の通りを警護に気を張ったが、何事もなく一行は小高い丘に建てられた王城にたどり着く。

 広大で豊かな山岳を背景に、石灰岩を主として築かれた城は、落ち着いた威容をかもしだしていた。
 円塔に守られた二つの城門を過ぎ、庭園を渡ってようやく、馬車は堂々たる城の前に停止する。
 馬車から降りた皇太子フラマディンを出迎えたのは、浅緑の下地に色とりどりの小花を散らしたドレスを身にまとった、可憐な姫だった。
「遠路はるばる、ようこそおいでくださいました。フラマディン皇子」
 険のある対応をしか期待していなかったフラマディンは、この歓迎ぶりを意外なものに感じた。
「わたくしはエヴァンテ王国の王女で、ジャンヌ・マリエットと申します。以後お見知りおきを」
 兄妹と言われると、確かに目元はルイ・オーギュスト六世に似ていなくもない。だが、彼のような冷笑的な雰囲気は、この少女からは全く感じられなかった。むしろ全身から親愛の情をにじませているようだ。背はフラマディンの肩より低く、体の線はほっそりとしていて華奢だ。くせのある赤茶の髪を流れるままに、腰まで伸ばしている。
「お出迎え痛みいる、ジャンヌ・マリエット姫」
 フラマディンは差し出された小さな手を、慇懃に微笑みながら握りしめた。
「あら……」
 姫が緑色の大きな瞳を見開いて、驚いたような声をあげる。
「いかがなされた?」
「ごめんなさい……わたくしてっきり、あなたが手の甲に口づけてくださるものと期待していたのですわ。だって、どちらの殿方も、そうなさるんですもの」
 鈴を転がしたような声で無邪気にそういうジャンヌ・マリエットに、フラマディンは苦笑を向けた。
「それは、ご期待に添えず申し訳ない。我が国では男性が同位の女性に跪き、口づけをする習慣はござらぬので」
 フラマディンが手を離すと、ジャンヌ・マリエットは少し残念そうな顔をする。
「では、こちらへどうぞ。兄がお待ち申しておりますわ」
 ジャンヌ・マリエット姫に従い、下男や下女をのぞいたフラマディンの一行は、城の二階にある一室へとたどり着く。
 両開きの天上高い重厚な扉が従者によって開かれ、白くて広い部屋が展開された。
 正面の巨大な一枚絵を背景に、豪奢な椅子が二脚並んでいる。片方の椅子の前に背の高い華奢な男性が立っていたが、第二王子よりジャンヌ・マリエットと似た点の多いその人物が、エヴァンテ王国の王太子ルイ・アルフォンソ二世なのだろう。
 サディーナがかつてそうであったように、彼も病弱な国王に替わって執政としての手腕を振るっている、とは道々、フリードに教わった情報だ。
「エヴァンテ王国へようこそ。オーザグルド帝国の皇太子どの」
 見かけは弟王子よりはるかに温和に見えるが、声音に皮肉さを聞き取れるあたり、性格はそれほど変らないのかもしれない。
 フラマディンはルイ・アルフォンソ二世に歩み寄り、彼と軽い握手を交わした。
「ジャンヌ・マリエット。ご苦労だった。これより私と殿下は大切なお話があるゆえ、お前はさがっていなさい」
「ええ? だって、挨拶だけなのでしょう? だったらわたくしも同席したって」
「ジャンヌ・マリエット」
 口許は微笑んでいるが、兄の目が笑っていないのを認めると、ジャンヌ・マリエットは気落ちをした風に頷いてみせる。
「わかりましたわ……では、フラマディン皇子、また後でお会いいたしましょう」
 頭を下げて上げる頃には、もう気持ちが切り替わったのか、笑顔になっている。ジャンヌ・マリエットは軽やかな足取りで部屋を出て行った。
「申し訳ない。あれはいつまで経っても子供気分が抜けないのです。私もルイ・オーギュストも、年の離れた妹だというので、つい甘やかしてしまいがちで。あれでも貴方と一つしか変らないのですが……」
「いえ、御兄妹の仲がよろしいようで、羨ましい限りです。私も弟妹は多いが、一緒に育っていないせいか、ほとんど関わりがありません。それにあの方は姫でいらっしゃる。無邪気は長所にこそなれ、短所にはなりますまい。皇太子として自覚がないのとは、また違うのですから」
 フラマディンは半年前の自分と比較すると、ジャンヌ・マリエットの子供っぽさを責める気にはとてもなれなかった。
「そうおっしゃっていただけると助かります。さあ、どうぞ」
 ルイ・アルフォンソにすすめられ、フラマディンは彼と並んで椅子に腰掛ける。
「我らの親交を深めるまえに、まずは臣をご紹介申し上げる」
 そう言って、王太子は左手の壁にそってずらりと一列に並んだ官吏を指した。官位と名前が紹介されるが、フラマディンの耳はそれほど真面目には聞いていない。その情報が必要なのは、フラマディンに同行したフリード・バグロード以下の文官たちだ。もともと彼らのみでやってくるはずだったのを、皇帝の命令で急遽同行するはめになったのは、フラマディンのほうなのだから。
 エヴァンテ王国の官吏の紹介がすむと、今度はフラマディンが彼の臣下を紹介しなければいけない。だが半年前と違って、この件で彼は他の者の助けを必要としなかった。間違いもなく、臣下の官位と名前をそらんじる。これもフリードに馬車の中で教わった成果だった。
 最後までつまらずにいえた時は、アルシェードまで感心して、思わず笑みがこぼれた。
「小難しい話は、お互い臣に任せてしまいましょう。私たちはただの友人として、交遊しようではありませんか」
 そうつむがれたルイ・アルフォンソの言葉を、真に受けるフラマディンではない。王太子の笑顔にはどうにも剣呑さが漂っている。
 もっとも、領土を奪った国の皇子を、快く歓待できるわけがないと言われればその通りだ。最近は対話を重ね、なんとか関係を改善しつつあるとはいえ、それでも友好国とは言い難い二国なのだから。
「ありがとう存じます。ぜひ、そのように願うばかりです」
 フラマディンは女王国から帰国したこの数ヶ月で、思ったままに口に出すという悪癖を、どうにか我慢できるようになっていた。間違っても以前のように、「うさんくさい」などとは言い出さない。
「ああ、そうだ……フラマディンどの、露台に出てみませんか? 我が誇る五湖が見渡せるのですが。もっとも、フラマディンどのがただの資源には興味がないとおっしゃるなら、無理にとはおすすめいたしませんが」
 王太子の言い分は、女王国でフラマディンがルイ・オーギュストに向けて放った暴言を踏まえてのことだったろう。
 二人の間に瞬間、冷たい空気が流れたが、フラマディンはそこから笑顔を作ってみせる。
「ぜひ、拝見したい」
「そうですか。では、こちらへ」
 ルイ・オーギュストは白い部屋から続く露台へ、フラマディンを案内した。
「美しい湖ですね」
 飾りもない石の高欄に手をかけ眼下を眺めると、森に平原に、大小さまざまな五つの湖が広がっている。そのうち一つの表面が不自然に波立っているのを認めて、フラマディンはじっと目をこらした。
「あれは……」
 以前よりはるかに好意的な目で見られるようになった生き物の姿を見つけて、フラマディンは瞳を輝かせる。
 かなりの数の水竜が、その湖を縦横無尽に泳ぎ回っていた。湖のぐるりには、美しい湖に不似合いな高い壁が張り巡らされている。
「水竜、ですか? こちらは内陸にあって、海軍はお持ちでないとおうかがいしていましたが」
「ええ、海軍はございませんが、水竜は擁しているのですよ。おっしゃるとおり、我が国には海がございませんので、海竜隊ではなく、湖竜隊となりますが」
「そうですか」
 閉鎖された湖に水竜を放して何の意味があるのだろう、とフラマディンは思ったが、口には出さなかった。
「とはいえ、実はこの多数は我が国に所属の水竜ではなく、ウィシテリア女王国の水竜を静養のため、お預かりしているものなのです」
「ウィシテリア女王国の、海竜隊」
 フラマディンはウィシテリア女王サディーナを思い出して、頬をうっすら上気させる。
「ええ、五年ほど前からお預かりするようになりましてね……それにあわせて、騎竜隊から人員も数人派遣していただいている。他にも水竜以上の数の翼竜を、お預かりしているのですよ。年に一度、竜の入れ替えが行われるのだが、今年はこの十日前に終わったばかりでしてね……」 
 ルイ・アルフォンソは意味ありげにフラマディンに視線を向ける。
 こうしてその現場をみせつけることで、五年前に大敗を喫したときとは自国の竜の数も、ウィシテリア女王国との結びつきも違うのだと、念を押しているようにも思える。
 だが、フラマディンはそんな彼の態度に気付いていない。むしろ、彼には別の点が気にかかっていた。
「その竜を、連れてくるのは……」
「もちろん、女王国の竜騎隊です。例年いらっしゃるのは、フォルム公爵」
「ガウルディどのが?」
 フラマディンはもはや沸き上がる笑みを押さえておくことができなかった。彼はどこから誰が見ても上機嫌であるとわかる態度で、ルイ・アルフォンソに尋ねる。
「では、公爵はまだこちらにご滞在を?」
「フォルム公爵は竜を率いてすぐに帰国される。あの方は、一時も自国の竜の側を離れたくないお方でしてね。もっとも、今年はそもそも、いらしていないのですが」
 それを聞いてフラマディンはがっくりと肩を落とした。
 他の竜騎隊の隊員がいくらいたところで、サディーナの近況を尋ねられるはずもないからだ。
「今年竜隊を率いていらっしゃったのは別の方です。同行されたおおかたの竜騎隊は、竜を伴って帰国してしまいましたが、その方はまだこちらにご滞在いただいています。どなたであるかと申しますと、他ならぬサディーナ女王陛下ですが」
 それはフラマディンにとって、世界中に存在する名のうち、最も耳に優しく響く名であった。
 その名を聞いた瞬間から、これは特例の処置であるだの、女王が招来に応じたのは、我が国に対する厚意の表れである、だのと解くルイ・アルフォンソの声は、もうフラマディンの耳には届かなかった。

 そうして彼は、目撃する。
 竜のいる湖の防護壁に寄せた、一台の馬車。
 その車体から降りる一人の女性を見た瞬間に、彼の意識は途切れた。

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