古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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24.水竜の湖

 例年、エヴァンテ王国に竜を伴って訪れるのは、フォルム公爵である。
 けれど今年は女王即位式への第二王子の出席の返礼として、サディーナが竜を率いることになっていた。それが決まったのは舞踏会の翌日、ルイ・オーギュスト六世との会談の席でだ。
 もっとも、こと竜のことに関しては、ウィシテリア女王国では何事もフォルム公の意思が尊重される。今回の決定も、実際は裏でフォルム公に尋ねて、彼がよしと頷いたから実現したのだ。
 それにフォルム公爵はいなかったが、彼の息子が同行していた。そして実際に竜を率いているのは、彼女ではなく彼だ。もっとも、それを知るのはウィシテリア女王国の者だけだが。
「ねえ、アルさま。帰ったら、ウィシテリアでもこんな馬車をつくりましょう!」
 前の席からサディーナを振り返り、諱(いみな)で呼ぶその少年が当のフォルム公子である。こんなたった十歳の無邪気な子供が竜を意のままに従わせられるなど、例え正直に話したところで誰も信じないだろう。
「ウォーリスは随分この馬車が気に入ったのね」
「だって、ウィシテリアのどの馬車より、外が見られます!」
 そう言ってガイミラ・ウォーリス・フォルムは、またキラキラと輝く瞳を馬車の外に向けた。
 エヴァンテ王宮の裏手から湖に続くこの道は、右手に草原を、左手に緑豊かな森林とその奥の山を望む。
 なだらかに下るその道を先導の騎馬二騎、後方に近習・宮女の乗る馬車二台と騎馬四騎を従えて、女王の乗る馬車が走っている。
 彼らの乗る馬車には広い車内に長椅子が二列、どちらも進行方向を向いて置かれている。車体はその椅子に座ると胸の高さまでしかない。四隅に伸びた柱に屋根が乗って、日差しは遮ってくれるが、窓もついていないから風は吹き抜け放題、景色も見放題だ。今は季節がいいので気持ちいいが、冬には向かない馬車だろう。
 ウィシテリア女王国の貴族は、かっちりと四方を囲われた馬車にしか乗らなかったから、ガイミラが珍しがるのも理解できる。
 四頭立てで豪華に飾り立てられてはいるが、サディーナも乗り慣れていないからか、なんとなく落ち着かない。
 前列にガイミラとルイ・オーギュストが並んで座り、後列にサディーナとジャンヌ・マリエットが腰掛けている。

「フラマディン皇子にお会いしましたわ」
 自分より一つ上のはずなのに、どうにも年下に思えるジャンヌ・マリエットがうきうきと語るのを、サディーナは静かに聞いていた。
 四人は今から湖に放した水竜と、森の竜舎に預けた翼竜の様子を見に行くのだ。女王と公子と第二王子の毎朝の日課に、今日は珍しく姫が参加した形だ。
 その理由はおそらく「サディーナと女の子同士のおしゃべりがしたかったから」だろう。ジャンヌ・マリエットは、竜には全く興味がないようだった。
「オーギュストお兄さまがおっしゃっていたような、無礼な方とは思いませんでしたわ。丁寧にご挨拶してくださいましたし……そりゃあ、手を握るだけで、口づけてくださらなかったのはどうかと思いましたけど。帝国には女性に跪いて口づける習慣はないとおっしゃって。誰も跪けとは申してませんのに」
 小さな手で口許を押さえながら、ジャンヌ・マリエットは可憐に笑った。
 こういうあからさまに可愛いタイプは、サディーナの周りでは珍しい。だから見ているだけで感心する。自分にかわいげがないことを、自覚している彼女だけに。
「武力で相手を従わせればよいと思っている、野蛮な国の皇子だ。洗練された宮廷作法なぞ、知らないのだろうし、知っていても訪問先に合わせるような謙虚さは持ち合わせていまいよ」
 妹の言葉を聞いた兄は、足を組みながら鼻でせせら笑った。
 跪かれた上に口づけられた記憶のあるサディーナには、感想を述べることもできない。
「でも、想像していた以上の美男子でしたわ」
「何を馬鹿な……白真珠の間ではあの褐色の肌は、いっそう黒ずんでみえただろうに……」
 ジャンヌ・マリエットとルイ・オーギュストは似ていなくもないのだが、雰囲気が全く違っているせいで、一見すると兄妹にはとても見えない。
「だから余計にかしら? 他の人より存在感がおありだったわ。それにあの褐色の肌は、神秘的に見えましたわ」
 妹のフラマディン評が好意的なのを知って、ルイ・オーギュスト六世は眉をしかめる。
 兄弟にとって、彼らに似ていないこの妹は可愛い存在であるらしい。ことにルイ・オーギュストには溺愛の対象なのだろうことは、この数日の彼の様子を見ていればよくわかった。ルイ・アルフォンソ二世はそれほどでもないのだが、ルイ・オーギュスト六世がジャンヌ・マリエットと会話をしている時の顔は、弛緩しきっていることが多い。
 その様子を見たサディーナは、ここにセレナがいないのを残念に思っていた。さすがの彼女でも、オーギュスト六世のそんな態度をみれば、好意を思い直すかもしれないと思ったからだ。もっとも、従姉はいつも斜め上の感想をもらすので、余計に可愛いだとか言いかねない危険もある。
「僕もまだ、フラマディン皇子にはお会いしたことがないんです。まだこの年だから、宮廷に参内するのは早いって言われて、アルさまに会いにもいけないんだから」
 ガイミラは口を尖らせながら再びサディーナを振り返る。
 フォルム公爵邸と王城は敷地こそとなり同士に建ってはいるが、誰もが気軽にあの橋を渡ることができるわけではない。普段から橋の両端を兵士が守っていて、王族なら公爵邸へば比較的自由に渡れるが、王城が公式の場でもあることから、成人前のフォルム公子が正式な用事もないのに渡ってくることはできないのだ。
「さあ、ウォーリス。機嫌を直して。湖につくわよ」
 そう言うと、少年は再び瞳を輝かせて馬車から身を乗り出し、右手前方に見えてきた大きな湖に視線を移した。もっとも、湖の際には高い壁が設置されていて、肝心の輝きは目に届かなかったが。
「みんな、今日も元気にしているかな」
 彼が気にするのは第一に竜のことだ。小さいとはいえ、彼はフォルム公爵だった。公的にはただの公子だが、実質、そうといって差し支えない。なにせフォルム公爵家には決まって男子が一人しか産まれず、そしてその子供は生まれた瞬間から竜と心を通じ合っているだから。
 馬車はやがて湖の畔にたどり着き、彼ら四人の貴人は近習の手を借りて地面に降り立った。

 湖壁の入り口には武装した兵士が立っている。それを見て、ガイミラはいつも顔をしかめる。
 竜を隔離する象徴のように思えて、面白くないのだろう。
 なにせウィシテリア女王国では、どの竜も広い場所でゆったりと過ごし、竜騎隊に所属の個体でも個室は与えられても閉じ込められてはいないからだ。
 今回、ガウルディが自分ではなくガイミラをエヴァンテ王国によこしたのは、他国での竜の境遇とフォルム公爵としての立場を、理解させようという考えがあってのことだった。
 だが、ガイミラの不機嫌も、中に入ってしまえばすぐに直る。
 三重の分厚くて高い、兵士の守る大きな扉をくぐって湖の側まで駆け寄ると、もう水竜たちが彼らの主を待ち構えて、水の中で列をなして歓迎してくれるからだ。
「まぁ、ガイミラどのはあんなにお小さいのに、竜が怖くないのかしら……あんなに近付いて、噛まれでもしたら……」
 ジャンヌ・マリエットはガイミラが水竜に素手で触れ、なでたりほおずりしたりするのを見て、顔を青ざめさせている。
 彼女は腰ほどの柵の内側で踏みとどまって、水竜のいる湖には近付こうともしない。水竜は陸地へは上がることができないので、もっと近寄っても大丈夫なのだが。
 ジャンヌ・マリエットがそうだから、ルイ・オーギュストも柵の内側から動かない。彼はいつもはもう少し、湖に近寄ってみせる。
 特に問題もないので、サディーナも二人に付き合って柵の内側からガイミラの様子を見守ることにした。
「ガウルディどのでもあそこまではなさらないから、私も最初に見たときは驚いたが、大丈夫らしい。そうなのですよね?」
「ええ、ご心配はご無用です。彼は、生まれた時から竜と共に育っているので……」
 サディーナは微笑んだ。
「それにしたって、竜のなつきようもすごいですわね。まるで、親鳥を慕う雛のよう」
 この国に来るとき、ガウルディがガイミラに、国でいるときのように竜に接してはいけないと注意していたことを知っている。けれど、実際の竜を目の前にすると、まだ幼いガイミラには抑止がきかないようだった。
 ウィシテリア女王国の国民は、竜の血を継いでいると伝えれている。だから他国の人々より、ずっと竜の心が分かるし友情もはぐくめる。だが、その彼らでもフォルム公爵と竜の結びつきには入り込めないし、理解を及ぼすこともできないのだ。
 ガイミラが嬉しそうだから、竜たちもはしゃいでいる。竜たちはただフォルム公爵のみに盲目的に従い、絶対の愛情を注ぐ。
 ガウルディは穏やかに接するのでまだわかりにくいが、天真爛漫なガイミラを見ていると、一層それが強く感じられるのだった。

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