古酒の隠れ家

このサイトは古酒の創作活動などをまとめたサイトです
※一部、一次創作同人活動などを含みますので
苦手なかたはご注意ください

女王陛下と皇太子殿下

目次に戻る
前話へ 後話へ

25.女王と皇太子

「ねぇ、それでね、わたくし思ったのですけれど」
 竜に興味がないジャンヌ・マリエットは、ここぞとばかりにサディーナに話しかけてくる。
「フラマディン殿下はもう、妻はおもちなのかしら? ほら、あの国って、一夫多妻じゃありません? 正妃をお迎えでないのは知っているのですけど、もしかすると、妾はたくさんいらっしゃるのではないかと思って」
 せっかく一旦はフラマディンの話題からそれたのに、と、サディーナは思わずため息をつきそうになる。だが、ジャンヌ・マリエットがサディーナと話したい話題と言ったらそれなのだろうから、どれほど違う話をふっても、結局は同じ事なのだろう。
「さあ……いかに他国の皇太子といえど、そこまでは私も存じませんけど」
 他国の王子や姫の生活事情までは、よほどの奇行でもなければ噂に聞こえてこない。とはいえ、即位式に招待する際にある程度の調査はしたから、サディーナはフラマディンが未だ側室を抱えていないことは知っていた。だが、それは愛妾がいないということにしかならない。閨に引き込む相手には事欠かないだろうし、そこまでは彼女の知り及ぶところではない。
「帝国の正妃って、どんな感じなのかしら。ねぇ、サディーナさまも気になりません?」
 どうやらジャンヌ・マリエットは、フラマディンに興味津々のようだ。
 小声でささやいているからルイ・オーギュストには聞こえていまいが、もし彼が知れば怒り心頭であろうことは想像に難くない。
「いいえ、私は」
「そういえば、サディーナさまも女王陛下におなりなのだから、そろそろ夫をお迎えになられますの? もしかして、幼い頃からの婚約者がいらっしゃるとか……」
「ええ、いいえ……私にはまだ」
「まぁ、まだいらっしゃらないの? それでは、ねぇ、女王陛下。うちの兄なんていかがでしょう?」
 より一層ジャンヌ・マリエットは声を潜めてちらりと下の兄に視線を送った。
 さすがにサディーナは苦笑を浮かべる。
「私はともかく、お兄さまがいかがでしょう」
「あら、喜ぶに決まってますわ! だって、即位式から帰ってらして、お兄さまは随分貴女のことをお褒めでしたのよ! 美しい、聡明なお方だと、それはもう、耳にたこができるくらいおっしゃってましたわ!」
 確かに彼はウィシテリアに滞在中も、サディーナのことを誉めまくっていた。ほぼ反射的に。
 だが実際には、彼がサディーナにそれほどの好意を抱いていないのは明らかだ。今も、彼女より妹のほうが気になるようではないか。
 なにより、フラマディン皇子から向けられる視線に比べて、彼からのものは儀礼的すぎる。
「そうして私が帝国の正妃にでもなれば、素敵だと思いません? 三国は私たち兄妹で結ばれて、仲良くできるのじゃないかしら?」
 ジャンヌ・マリエットがあまりにも簡単に言うので、サディーナは思わず驚くよりぞっとして、怪訝な表情を浮かべてしまった。
「あら、わたくしの発言、おかしかったですか?」
 不安げな表情を浮かべたジャンヌ・マリエットに、とっさにかける言葉がみつからない。珍しく逡巡しているうちに、慌ただしく兵士が駆け込んできた。

「申し上げます! フラマディン皇子が」
 兵士の言葉が最後まで紡がれる前に、当の本人が登場する。
「フラマディン皇子!」
 女王と第二王子と姫の、抑揚の違う声が重なった。
 だが、呼ばれた本人は一直線にサディーナを目指してやってくる。
「サディーナどの」
 他の二人は目にも入らないといわんばかりに、息を切らせながらサディーナに駆け寄ると、倒れ込むように跪いた。
「ここでお会いできるとは」
 片膝を付き、サディーナの右手を取ってその甲に口づける。
「ちょ……」
 青ざめて周囲を見回すと、呆然とした表情の兄妹が目に入った。
「フ……フラマディン皇子、ちょっと、落ち着いて。とにかく、立って」
 落ち着いていないのは自分もだという自覚があったが、サディーナはとにかくフラマディンを立たせる。
「あなたの国では女性に跪かないし、手に口づけもしないんでしょ!」
 小声で責め立てると、フラマディンはとろけそうな笑顔を浮かべた。
「貴女は特別だ」
 サディーナは息を大きく呑み込む。
「お久しぶりです。フラマディンどの」
 咳払いをしながら、ルイ・オーギュストが声をかける。
 フラマディンはようやく周囲に目をやって、他にも人がいたのかと驚いたようだった。
「ああ……確か、ルイ・オーギュスト六世どの……いつぞやは、失礼いたしました」
 お互い笑ってみせるがどこかぎこちなく、どちらからも握手は求めない。それどころか、フラマディンはサディーナの手を掴んだままだ。
 サディーナはそっと手を引こうとしたが、フラマディンががっちりと掴んで放さないので、思わず勢いよくはじいてしまった。
 彼女は反射的にジャンヌ・マリエットの様子をうかがう。なにせ、姫はついさっきまで、フラマディンへの好意を口にしていたのだから。
「まぁ、驚きました」
 だが、それほどショックを受けた風もなく、ジャンヌ・マリエットは両手をパチンと合わせる。
「そう……そうですの。そういうことですの」
 何度も頷いてから、彼女は意味ありげな視線をサディーナに送ってくる。
「そういうことなら……」
 なんだか、とても嫌な予感がした。
「ウォ……ガイミラ、こちらへ」
 サディーナは慌ててフォルム公子を呼び寄せる。
「はい」
 少年は犬のようにぶるぶると体を振って、水竜との戯れで濡れた水をはじくと、軽やかに駆け寄ってきた。
「フラマディン・アインアードどのにご挨拶を」
「フラマディン殿下、はじめまして。ガウルディ・ウォルト・フォルムが一子、ガイミラ・ウォーリス・フォルムと申します。殿下のお噂は、父からお聞きしています。お会いできるのが楽しみでした」
 少年はその場の雰囲気を和ますように、にこにこと元気よく挨拶をする。
「ガウルディどのの……こんなに大きなご子息がおいでとは」
「はい。僕は父が二十二歳の時の子だそうです。今年、十歳になります」
「さあ、ガイミラ……ルイ・オーギュスト殿下、私たちはここを失礼して、翼竜のところへ参りませんか? ジャンヌ・マリエット姫。どうかフラマディン殿下を王城までお送りくださいな」
「あら……そんなことおっしゃらないで。どうかわたくしたちもご一緒させてくださいな。ねぇ、フラマディン殿下?」
 ジャンヌ・マリエットがフラマディンに同意を求める。
「もちろん! ぜひご同行させていただきたい」
「僕もフラマディン殿下とお話がしたいです!」
「ウォーリス!」
 ガイミラまで無邪気に賛成の声をあげるので、サディーナは思わず頭を抱えたい衝動にかられた。

「いや、ジャンヌ・マリエット。サディーナ陛下のおっしゃる通り、お前はフラマディンどのを城にご案内しなさい。フラマディンどの。兄はいかがいたしましたか?」
 ルイ・オーギュストに問われて、フラマディンは目を瞬かせた後、しまったと言わんばかりに渋面をつくる。
「た……確かに、ルイ・オーギュストどののお言葉に従った方がよいようです。ですが、ジャンヌ・マリエットどのはどうかお連れしてあげてください。私が勝手に押しかけたのですから、勝手に戻ります。どうか姫の楽しみをお奪いになられませんよう」
「あら、構いませんわ。わたくし、もともと竜が好きでこちらにいらした訳ではありませんもの。フラマディン殿下と参りますわ」
 ルイ・オーギュストは妹の返答に満足したかのように頷く。
「こちらには何でいらっしゃった? まさか、走っていらした訳ではあるまい」
「ああ、馬をお借りしました……申し訳ない」
 フラマディンがルイ・オーギュストに謝るようなことがあるとは思わなかったサディーナは、素直に驚いた。それは言われた本人も同じのようで、面食らったような表情を浮かべている。
「いえ……それでは帰りは馬車を一台、お使い下さい。では、サディーナ陛下。我々は失礼いたしましょう」
 ルイ・オーギュストはそう言いながら、サディーナに手を差し伸べた。
「ええ、ではジャンヌ・マリエット姫。フラマディン皇子。また後ほどお会いいたしましょう」
 サディーナは自分の手を彼の手に重ね、フラマディンとジャンヌ・マリエットに向かって膝を少し折る。
「行きますよ、ウォーリス」
「はぁい、アル様。では失礼します」
 ガイミラは二人が一緒でないことを、少し残念に思ったようだったが、それほど拘りはしなかった。彼にとっては竜が第一で、それ以外はいてもいなくても、たいした違いはないのだ。
 三人は再び大きな扉をくぐる。
 一つ目の扉をくぐった先に、サディーナはアルシェードの顔を見つけて苦笑を浮かべた。
 彼は苦り切った表情を浮かべながら三人に頭を下げると、入れ替わるように皇子の元に向かう。通路から飛び出した皇子の様子を、ため息をつきながら見守っていたことだろう。
「公子は、フラマディンどのをお気に召されたご様子ですね」
 ルイ・オーギュストが振り返って少年に尋ねる。
 たかが十歳の子供とはいえ、次期フォルム公爵である。
 毎年フォルム公爵の訪問を受けるエヴァンテ王国だ。ガイミラの指向を子供だからと無視するわけにもいかないのだろう。
 もっとも、第二王子はこの天真爛漫な少年のことが苦手なようで、極力話をしない方向ですませているようだったが。
「父上がフラマディン殿下は楽しい方だとおっしゃっていたので、僕も興味があるんです」
「それで、公子もフラマディン殿をお好きになれそうですかな?」
「そうですね」
 ガイミラは首をかしげる。
「きっと、好きになれそうだと思います」
 その答えを聞いて眉をしかめたのは、ルイ・オーギュストよりもむしろサディーナの方だった。

前話へ 後話へ
目次に戻る
小説一覧に戻る
inserted by FC2 system