古酒の隠れ家

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女王陛下と皇太子殿下

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27.雨の湖城

 サディーナは雨が激しく水面を叩きつけるのを、困惑を抱きつつ見つめていた。湖にいるはずの水竜は、深くもぐっているのか影すら見えない。
 まだ昼を少し過ぎたばかりだというのに、あたりは夕刻を過ぎたように薄暗い。大粒の雨が時々、軒下の彼女にもかかったが、気にならなかった。
「サディーナどの。いつまでもそんなところにいては、風邪をひく。中に入られた方がよいのではないか?」
 気遣わしげなフラマディンの言葉も、今のサディーナの耳には届かない。少しでも雨の止む予兆がないかと、遠くばかりを見つめている。
「サディーナどの」
 フラマディンは薄いマントをサディーナの肩にそっと掛けた。
 彼のものでも彼女のものでもないその緑のマントは、この湖城の女主人からの借り物だ。
「大丈夫、私は丈夫だから」
「貴女はすぐにそう言うが……」
 サディーナの強情に、フラマディンからため息がもれる。だが彼はふと思い出したように周囲を見回して、我が意を得たりと頷いた。
「サディーナどの。では、せめて供のために、室内へ入ってはいただけないか。侍女は薄着で防寒着もない」
 それは痛い指摘だった。
 サディーナは慌てて周囲を見回し、彼女が露台に出たばかりに付きあわなければいけない羽目になって、震えている侍女の姿を確認した。
「ああ……ごめんなさい」
 背後に控えていた侍女の手を取り、その手が冷え切っていることを知って、サディーナはため息をつく。
「私ったら、自分のことばかり考えていたわね……」
「いいえ、陛下。とんでもございません」
 サディーナより少し年上のその娘は、こわばった笑顔を浮かべる。緊張しているのではない。寒さで表情筋が固まっているのだ。
「フラマディン皇子。ご忠告感謝いたします」
 視線を合わせて礼を言うと、フラマディンはホッとしたように微笑んだ。 

 ウィシテリア女王国とエヴァンテ王国の二国を流れる大河、そこを泳いで雨の多いこの時期に水竜たちはやってくる。
 大河には可動堰がもうけられており、その門扉を開けると、水竜の飼育湖まで低地を水が満たされるようになっているのだ。
 そして昨日ジャンヌ・マリエットが言ったとおり、フォルム公子が水竜を率いて帰路につくため、堰が開けられていた。
 ちなみに公子と、ウィシテリア女王国海竜隊が水竜で帰国し、女王とその護衛を務める空竜隊士が翼竜で、随員の残りが地上を馬車で帰ることになっている。
 せっかくだから、最後の昼餐をこの湖城で取りながら、公子を見送ろうと提案したのはジャンヌ・マリエットだ。
 そうして二人の王子には王城で別れを告げ、ジャンヌ・マリエットとの最後の昼餐を楽しむため、普段は平地のただ中にぽつんと高い姿を現せているこの古い城にやってきたのだった。
 フラマディンの同行は、招待主であるジャンヌ・マリエットの望みだ。昨日、姫の野心を聞いたサディーナとしては、異を唱えるのもはばかられた。
 そうして彼女は海竜隊一行が出発するのを湖の城から見送り、昼餐を楽しんだのだ。

「ジャンヌ・マリエット姫は驟雨だと言っていたのに……」
 暖炉には火がいれられている。
 彼女とフラマディンが長椅子に対面して座るその居間は、城の最上階、常には国王と王妃が使用している部屋だった。
 もっとも王妃は八年前に身まかられていたし、その直後から体調を崩すことの多くなった王は、ほとんどこの城にやってくることがないという。
 居間を間に挟んでもうけられたそれぞれの寝室も、ジャンヌ・マリエットによって使用許可が与えられている。
 もっとも、サディーナは雨が止めばすぐに城を発つつもりだ。
 後ろ髪を引かれることが、あるにはあったが。

 女主人を務めるジャンヌ・マリエットが、昼餐の後に急に体調を崩して、寝込んでしまったのだ。原因がわからないまま、無理に動かさない方がよいというしごく真っ当な判断から、彼らが城まで乗ってきた船を返して、侍医を呼んでくることになった。
 せめて姫の体調が少しでも持ち直してから立とうかと悩んでいたところへ、突然の雨。
 小雨なら翼竜を飛ばすのに問題はなかったが、見る間に空は暗くなり、大粒の雨が湖を打つようになってしまった。
 それでも姫が驟雨というからにはすぐに晴れるかと思っていたら、一向に止む気配が見えない。
 ジャンヌ・マリエットに尋ねようにも、医者が診断をくだすまでは、病気の原因がわからないから近寄らない方がいいと、姫が使用する一階下からサディーナとフラマディンは最上階に追いやられてしまった。
 だが頼みの医師はこの大雨で、やってくることができないという。
 結局何もできずに、今に至る。

「姫は大丈夫だろうか……」
 フラマディンの表情は暗い。
「随分、悪そうだった」
 彼の言うとおり、ジャンヌ・マリエットの顔色は真っ青で、小さな体は小刻みに震えていた。もともと朝から少し、元気がなかったのだ。急な拵えのために無理がたたって、疲れが出たのかもしれないとサディーナは考えたが、フラマディンの心配そうな表情を見ていると不安が伝染したかのように増していく。
「そうね。この雨では、侍医を連れてくる船も出せないでしょう。休めば回復するような病気であればいいのだけれど」
 そうしてサディーナは、また窓の外を見た。
 そうはいっても彼女の心配は、ジャンヌ・マリエットの体調だけではない。
 彼女にとって、他の誰より大切な公子が、この大雨の中を水竜に乗って帰っているのだ。ガイミラが出発した頃、空は晴れていたし、この大雨には遭っていないかもしれない。それに例え大雨に遭遇していたとしても、あの少年が怪我一つするはずがないのはよくわかっている。ウィシテリア女王国の者なら誰でも知っていることだが、彼は誰にも傷つけられないのだから。
 それでも心配してしまうのは、ウィシテリアの民に流れる竜の本能なのだろう。

 サディーナは悪い考えを追い払うように頭を振って、アルシェードに目をやった。彼はサディーナの護衛である竜騎隊の隊士と、両開きの扉を対に守るように立っている。
「少将。あなた、天気は予想できない?」
「私が、ですか?」
 突然の問いに、アルシェードが少し面食らったような表情を浮かべた。
「だって、戦場にいれば天気の移り変わりは重要でしょ? だから、詳しいかと思って……あとどれくらいでこの雨が止むか、見当がつかないかしら?」
「ああ、なるほど」
 アルシェードは破顔する。
「残念ながら、陛下。部下に天気を読むものを連れて意見を聞いてはいても、なかなか自分でも分かるようになるのは難しいものです。ことに、このような初めての場所での、奇妙な天候を読むとなると、とうていお役にはたてません。私などより、この城の侍女にでも尋ねた方が、よほど正確でしょう」
「そう……そうね、変なことをいってごめんなさいね」
「いいえ。陛下」
 アルシェードは申し訳なさそうに、首を左右に振った。
「アリア。悪いけれど、下にいって姫のご様子を聞いてきてくれない? それから、この雨がいつ頃止みそうかも……」
「はい、陛下」
 サディーナの背後に控えていた侍女が、表情を輝かせて膝を折る。時々お茶のお代わりを注ぐばかりだったから、退屈しのぎの用事ができて嬉しいのだろう。
 侍女はすぐに戻ってきて、姫の容体に変化がないこと、天気はいつ回復するか、予想がつかないと言われたことを報告した。

 雨は一向に止まない。
 それどころか、弱まる気配すらなかった。
 結局彼らは、その城で一晩過ごすことになったのだった。

 ***

 本当に不自然な雨だ、とアルシェードは外を見ながら独りごちた。
 深夜になって、外は一層暗い。
 低地に建つこの古城からは、丘の上の王城の明りがぼんやりと仰ぎ見えるばかりだ。
 湖に雨を叩きつける厚い雲に隠れて、月もその姿をみせない。
 外からのかすかな光も望めない居間では、四隅に置かれた三本立て燭台四つの明りに頼るしかなかった。
 そんな薄暗い居間の中で、アルシェードは扉の前で腕を組んだまま、不動だにしていない。

 フリードが一緒でなくてよかったと、彼はホッとしている。いればどうしてもその警護にも気を張らなくてはいけないが、離れてしまえば本筋に任せてしまえるからだ。
 というのも、彼は皇太子のために護衛隊長を引き受けざるを得なかったが、もともとの計画に合わせて用意された護衛が、文官たちにはついていた。当然のようにそちらの護衛は近衛隊ではなかったから、慣れない上官の指揮を受けなくてすんで、彼らもホッとしているかもしれない。
 王城の副大臣自身にとっても、皇太子の不在は歓迎できるものだろう。思う存分、王太子との交渉に臨むことができるのだから。
 ルイ・アルフォンソ王太子としても、その思惑があったからこそ、ジャンヌ・マリエット姫の提案に許可を与えたのかもしれない。
 だが、その一方で残念に思うこともあった。
 フリードがいれば、この急に振り出して一向に止む気配のない、不自然な大雨に対する見解を、聞くことができただろう。つまりは、魔導士としての意見を。

 控えめに扉を叩く音がして、アルシェードは思考をとぎらせた。
「隊長、アウリル少尉ですが。よろしいでしょうか?」
 よく知った部下の名に、アルシェードは扉を開けて応対する。
「どうした?」
「少将閣下。こちらには部下を配しますので、どうか閣下はお休みください」
「心遣いはありがたいが、少尉。俺はただの近衛武官ではなくてな……恐れ多くも皇太子武官の任を拝したからには、ここを他の者に任せるわけにはいかんのだ」
 実際は、皇太子武官であるからといって、休んではいけないという法はどこにもないし、他の者に警護を任せてはいけないわけでもない。部下たちとて、近衛兵ばかりなのだから。
「それにな、こちらの隊士どのも食事の他は一切交代されていない」
 今この部屋には彼の他に、ウィシテリアの若い竜騎隊隊士が彼と同じように扉を守っている。
「私のことなら、お気になさらず」
 竜騎隊隊士はにっこりと微笑みながら、二人の会話に加わった。
「もともと我らは大多数が帰国しておりますので、人員が少ないのです。さらにあなた方よりずっと体も丈夫なものですから、この程度のことは平気なのですよ」
 彼は悪気なくいったのだろうが、わざわざ「あなた方より」と表されたのが少尉の気に障ったようだ。
「いえいえ、どうして。アルシェード少将の丈夫さも、あなた方に引けをとるとは思いません。なにせこの方は、並み外れて強壮なお方ですから」
 中年にさしかかった少尉が、自分をダシに若い隊士に張り合うのを見て、アルシェードはため息をついた。

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