古酒の隠れ家

このサイトは古酒の創作活動などをまとめたサイトです
※一部、一次創作同人活動などを含みますので
苦手なかたはご注意ください

女王陛下と皇太子殿下

目次に戻る
前話へ 後話へ

29.深夜の訪問2

「面白い。こうなってるのね。思ったより広いわ」
 サディーナは隠し通路を進みながら、楽しげにキョロキョロと周囲を見回した。
 入り口こそ人が一人、しゃがんで通るのが精一杯の狭さだったが、いくらか進んで端に突き当たると、今度は幅の狭い階段があり、そこを降りると立って歩ける高さの通路になっていた。そうはいっても天井は低く、フラマディンでも頭がすれそうになっているから、アルシェードならば腰をかがめて歩かねばならないだろう。
 幅はサディーナが腕を体の横に折って、両手が壁につく程度。
 明りはもちろんなく、燭台は必須だ。

 国王の部屋からも王妃の部屋からも、入り口は居間とは反対側の壁に開いていた。おそらくこの通路は、ぐるりと外壁に沿って巡っているのだろう。少ししめっぽく、足許もほこりっぽいのは致し方ない。
「サディーナどの。あまり大きな声を出すと、誰かに声が聞こえるかも……どのくらいの防音性があるのか、私にはわからないのだ」
「ああ、そうね。ごめんなさい」
 慌てて口許を押さえるサディーナを見て、フラマディンは不思議な気分だった。
 起き抜けだからだろうか、どうもいつもと少し違う気がする。具体的にいえば、やや雰囲気が柔らかい。そういえば二つも年下だったと、フラマディンが思い出した程度には。
「ここから階段だ。気をつけて」
「ええ」
 再び狭い通路を四つん這いになって進んで、やっと国王の寝室にたどり着いた。

 フラマディンは本棚の脇に置いておいた椅子を足台に降りると、サディーナに手を差し伸べた。
「ありがとう」
 サディーナが躊躇無く手を握ってくれるのが嬉しくて、にやけそうになる。部屋に降りた後も握った手を離したくなかったが、ぐっとこらえて手放した。
「へぇ、部屋の雰囲気が、ずいぶん違うのね」
 暖炉とその左右の家具の種類と配置だけは同じだが、後は全てが違う。
 国王の部屋の家具は重厚な趣のものが多く、王妃の部屋の家具は繊細な造りのものが多かった。色目も国王の部屋は暗く落ち着いた色調のものが多いが、王妃の部屋は白く明るい。
 ちゃんと個人の趣味が反映されているようだ。その違いを見るのがサディーナは楽しいようだ。
 手に持った燭台を高く掲げて、部屋を見回している。
「サディーナどの」
「あ、ごめんなさい。他人の寝室をじろじろ見て」
「別に私の部屋ではないし、構わないが……いや、私の部屋であっても構わないが」
 思わず自分の寝室にサディーナが居るところを妄想しかけて、彼は激しく左右に頭を振った。妄想などにかまけている暇はない。今、目の前にサディーナがいるのだから。
 彼は部屋中の燭台に火を灯し、ある程度の明りを得てから、飾りも少ない書き物机の上に手を伸ばした。
 寝る前に広げていた本やいくつかの巻物が、雑然と並んでいる。それを一カ所に積み上げて、机の上を広く開けた。

 サディーナはフラマディンの側にやってくると、自分も持っていた燭台を机の上に置き、代わりに一番上に積まれた本を手に取る。
「エヴァンテ王国年代記……あなたのもの?」
「いや、本はここのものだ。眠れないので、少し借りて読んでいた」
「ふぅん……」
 抜け道の足台に使用した本棚には、エヴァンテ王国の建国時からの歴史を綴った分厚い歴史書が並んでいた。煩悩を紛らわせる目的でその本を手に取ったのだが、三ページも進まないうちに閉じてしまったことは、この際内緒にしておいてもよいだろう。
 サディーナはぺらぺらと年代記をめくりながら、椅子に腰掛けた。フラマディンにとっては面白くもなんともなかった本だが、彼女の興味をひくものがあったらしい。
「これが、地図だが」
 フラマディンは巻物の一つを手に取り、紐をほどいて机の上に広げる。
 サディーナは彼の隣にやってくると、内側に巻き癖のついた紙の端を手に持っていた分厚い年代記で押さえた。
 左上に方位図を置いた、エヴァンテ王国の首都を含む一部が、やや簡略化され描かれている地図だ。そうはいってもおおまかな等高線も引かれていて、河も支流まで描かれているから、ざっくりと位置を知るには何の問題もなかった。
「これもこの部屋に?」
「いや、これは帝国製だ」
「そう……」
 サディーナの瞳がすっと薄まる。
 さっきまでの年頃の少女の無邪気さは消え去り、馴染みのある厳しい女王の表情が浮かんでいる。
「この城がここ……今はこの平原が、水で満たされているわけだが……」
 地図を指で示しながらふと横を見ると、サディーナの頭頂部がすぐ顔の下にあった。反射的に匂いをかいで陶酔してしまい、言葉が途切れる。
「ウォーリスが行ったのはこう……河の流れに乗る道筋だから、船の移動速度を考えると……雨が降っていなければこの辺りで停泊していたはず」
 サディーナの指が河を辿るのにあわせて、フラマディンの側から体が離れる。残念だったが、おかげで我に返ることができた。
「それは進みすぎじゃないか? 最大船速で移動するわけでもないだろうに」
 以前なら全く何の感想も意見も言えなかったろうが、この数ヶ月でフラマディンも少しは勉強したのだ。
「いいえ、きっとそうなるわ。だって、船はきっとウォーリスを追いかけることになるもの。あの子はフォルム公と違って、まだ周囲にそれほど気を配れないのだもの。ここに来るときだって、翼竜をあんまり飛ばすものだから、私たちはついていくのが精一杯で……何?」
「いや。サディーナどのは随分、公子に甘いのだなと思って」
 子供を相手にばかばかしいとは思うが、サディーナがあんまり親しげに語るものだから、つい恨めしい視線を送ってしまう。
「あの子は大事な子だもの……私にとっても、ウィシテリア女王国にとっても」
「女王である貴女ほどではあるまい」
「私よりずっとよ……」
 サディーナの呟きは、フラマディンの耳には届かなかった。
「とにかく、もしも途中であの大雨に遭ったとしたら……降り始めの時刻が同じと考えると……」
「そのことなのだが、サディーナどの」
 フラマディンはためらいがちに切り出した。
「あんまり貴女とアルシェードが雨について不審がるから、私も色々考えてみたのだが、雨はたぶん局地的なものではないかと思う」
 サディーナは地図から視線をあげ、フラマディンを見つめた。
「なぜ? そう思う根拠は?」
「ジャンヌ・マリエット姫は雨が降り出したとき、驟雨だと言っていた」
「ええ。だから、すぐに止むのかと思っていたわ」
「この国では今の時期はよく雨が降るが、長時間に渡っての豪雨となることはほとんどない」
 フラマディンは積み上げた本の下の方から、『一年を通しての天気と気候』という本を取り上げる。
「らしい」
「そうよね……そう、私も聞いていたの。だから、変な雨だと思うのよ」
「でだ、私の国ではたくさんの魔導士がいるのだが、彼らの中には天候を操る魔術をつかうものが、ごく少数だがいるのだ。もっとも、操るといっても少し雨を降らせたり、風の向きを変えたり、少しの霧を発生させたりといったような程度のものなのだが」
「天候を操る時点ですごいわ……帝国の魔導士が、それほどとは……」
 例え自分の能力ではないこととしても、自分の国に対してサディーナの称賛を得られたことが、フラマディンには誇らしかった。
「だが、この雨はそれ以上の魔術を持ってもたらされたものではないかと、私は思うのだ。そして、昼間のジャンヌ・マリエット姫のあの疲労の具合には、覚えがある。つまり……」
 フラマディンは言いよどんだ。
「ジャンヌ・マリエット姫が、天候魔術を使っているのだ、と?」
 サディーナは表情をこわばらせた。彼女にとって、魔術は未知のものだ。それを他国とはいえ、王族が操るとは考えてもみなかったことに違いない。
「おそらく……バグロードがこの場にいれば、もっと確実なことがわかったのだろうが……」
「フリード・バグロードどの? 太政副大臣の? なぜ、彼が」
「あれは元々、優秀な宮廷魔導士であったと聞いている。魔術に対する造詣が深いと」
「そうなの……」
 帝国では広く知られたことだったが、さすがに親交が深いとは言えないウィシテリアの女王だ、太政副大臣の経歴までは知らないらしい。
「それでは、貴方はこの裏には王太子の思惑があると思うのね?」
「え? なぜ、王太子が関係ある?」
「え? なぜって……? 王太子の命令でなくて、他にどうして自分の体調を犠牲にしてまで、そんな大魔術を行う必要があるの? 姫が魔術を使って私をこの城に足止めしているのだとすれば、何か思惑があるとしか……」
「いやいや。それは勘ぐりすぎというものだろう。姫はただ、私の恋情を思いやって、協力をしてくれただけで……やり過ぎだとは思うが」
 完全な沈黙が、二人の間に流れる。次に口火を切ったのは、サディーナの方だった。
「貴方って、ぞんがい素直だったのね」
「貴女が考え過ぎなのは、あまり意外でもないな」
 二人はにっこりと微笑みあった。

前話へ 後話へ
目次に戻る
小説一覧に戻る
inserted by FC2 system