古酒の隠れ家

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新任大公の平穏な日常

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【第一章 一年目の日常】
1.今、僕の目の前には、二人の美人がいます

 足が痛い。じんじん痛い。
 なぜならば、俺はもうずっと……かれこれ三時間ほど、冷たい床の上で正座をしているからだ。
 足は痛いが、それ以上に皮膚が痛い。
 ピリピリ焼け付くようだ。
 それというのも、俺の目の前に立つ……いや、正確には左前方に立つお方の、逆鱗に触れてしまったからに相違ない。

 その方の名を、ルデルフォウスという。
 誰あろう、俺たち魔族を統べる、魔王陛下だ。
 歴代の魔王様の中でも、特に美形であると名高い(ただしデーモン族の美的感覚による)麗しい魔王様である。

 だが、今その艶々と輝く緑の黒髪は怒りで天を衝き、平時には氷の魔眼と呼ばれる蒼味がかった銀色の双眸も、今は炎の光線でも発射しそうなほど、怒気をはらんで燃えている。
 ……と、思う。たぶん。
 恐ろしくて顔もあげられない。視認できるはずがない。

 一方で、俺の右前方に座り込んだ女魔族は、どこから持ってきたのか知らないが、冷たい床をふわふわのクッションや毛皮で敷き詰めた上に腰掛け、深いスリットから大きくはみ出した長い足を組み、悠然とくつろいでいた。
 ……もっとも、これも瞳の端で捉えたかすかな情報からの推測である。

 彼女が小さな欠伸をもらしたのが合図となったように、沈黙は破られた。

「で、貴様。何か見たか」

 ずばりの質問だ。
 沈黙の三時間の間に、見ていないよな、おまえは何も見ていないよな、という無言の圧力を感じていた俺の答えはただ一つ。

「何も、見ておりません」
 額から床にポタリと汗が滴り落ちる。
 声が弱々しいのは、勘弁してほしい。そもそも俺は、本日が魔王陛下と初対面だったのだ。
 いや、今までだって、遠くから見たことや、その他大勢の一員として、同じ部屋に存在していたことならある。
 一応これでも、爵位持ちだ。
 だが、こうして至近距離で、直接言葉を交わしたことなど皆無である。

 魔王陛下の全身からふつふつとわき上がっているであろう怒気の波が、ピリピリと俺の肌を焼く。未だかつて間近で味わったことのない、膨大な魔力がのしかかってくるような圧力を前に、俺のアソコはヒュンとなっている。

 そもそもこんな俺が、この魔王城の謁見室を訪れたのには理由がある。魔王とそれに次ぐ大公たちによって行われる、選定会議なる集会に出席するためだ。その会議によって俺は、大公位の末席に加えられるはずであった。
 会議の前に魔王陛下にご挨拶をと思いたったのは、臣下としては当然の嗜みだろう。

 魔族の位について説明すると、まずはすべてを統べる魔王を筆頭に、大公、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と少数の爵位もちが続き、無爵のその他大勢がひしめいている、というのが現状だ。
 デーモンとデヴィルという二種族からなり、世界のあちこちに散見して暮らしている。
 確かにデーモン族とデヴィル族の間には、いろいろな点から越えられない溝もある。だが、それは表立った対立の原因には今のところなっていない。

 まとまって暮らさないのは、別に個人主義だとか、魔族中で常に争いあっているから、という訳からではない。単に世界中すべて、どこをとっても我々魔族の領土である、という意識が根底にあり、そしてそれは事実だからだ。
 いかに人間たちが小さな国をいくつつくろうと、そんなことは我ら魔族にとっては、何ほどの意味も持たないのだ。

 そう、魔族とは、いわばこの世界の主人であり、その魔族を統べる王は、世界を統べているといっても過言ではないのだ。
 その、比す者のない至高の存在である魔王が……
 美女の、足許に……

「貴様、今、いらぬことを思い出したのではないか?」
「めめ、めっそうもございません!」
 俺だって七大大公になれるくらいだから、正直、割と強い。
 魔力も十二分に保有してるし、魔術も得意だ。腕力もそこそこある。剣を持ってのみの戦いなら、七大大公のほとんどにも勝てるかもしれない、と自負さえしている。
 ただ、いかんせん、心がちょっぴり弱かったのだ。繊細なのだ。
 間違っても他の大公たちのような、ふてぶてしい性格ではなかったのだ。

 ましてや、相手は最強の魔王陛下である。平身低頭するのが当然だろう。
 だが……

 俺はちらりと、右前方の美女を目の端で見てみた。
 ふわふわクッションの中でくつろいでいるのは、もしや七大大公の一人ではないか?
 うん、間違いない。この美貌は見間違えるはずもない……
 床まで届く絹糸のように艶やかな髪は、魔族でも珍しい純白だ。今現在は、彼女くらいしか存在しないといっていい。それに、俺と同じ赤金の瞳だって……

「きさま、今、ウィストベルをイヤラシイ目でみたな!」
「え、ちがっ」

 弁解の余地も与えられず、俺は魔王の足で後頭部を踏みつけられ、冷たい床に額を押しつけ……いや、めり込ませていた。
 これ、絶対頭蓋骨にヒビが入ってると思うんだけど! 魔族だから死なないけど、超痛いんだけど!

「それくらいでよかろう? 我はそろそろ退屈を感じてきたのじゃ」
 そういって、美女大公ウィストベルは俺の前に何かを投げ捨てた。
 ものすごく重そうな音がしたが、それが何かは顔全体が床にめり込んでいるので、見ることができない。

「しかし、ウィストベル」
「退屈だと申した。本も読了したし、そろそろ帰城いたそうかの」
「ちょ、まっ!」
 美女が立ち上がったのだろう。さっきの俺のような慌てっぷりの魔王の声が広い謁見室にこだまして、俺の後頭部から足がどけられた。

「本! 本ならまだある! この間、そう、この間手に入れた、稀少本がっ…
…確か、ウィストベルが読みたいといっていた本だ! 題名は…………ええと……」

 いやにあたふたとした魔王陛下の声は気にならないわけではなかったが、それよりも俺は自分の目の前に落ちていた本に目が釘付けになっていた。

 そこにあったのは、すべての拷問方法とすべての精神的苦痛の与え方と、すべての毒薬・毒草が、その一冊の物語に盛り込まれていると名高い、幻の書物だったのだから!

 俺は自分の立場も忘れて、振り回せば十分武器になりそうなほど分厚いその本に震える手を伸ばし、抱き取った。

「うおおおおおおおおおおおおおお!
こ、これはっ!!!!
俺のような、インテリ魔族にとっては垂涎の書!!
世 界 残 虐 大 全 !!」

 感極まって叫んだ俺に、魔王陛下はビクっと体を震わせると、若干こわばった顔で冷たい一瞥を投げかけてきた。一方、大公ウィストベルは、大きな目を見開き、うれしそうな笑みを浮かべている。

「ほう、珍しい。この本の価値がわかるものがいるとは。上位魔族は潜在魔力に頼る、脳筋ばかりかと思っておったが」
 え……この本の価値、とか言ってますけど、今貴女、この本投げましたよね。いや、見てませんが、音からいって、確実に。

「そういえば、初めて見る顔よな。お主……名は?」
 彼女は優雅なしぐさで俺の前にしゃがみこみ、その細い指で俺の顎をつかんだ。
 おおやばい。ざっくりあいた胸元に、どうしても目がいってしまう。
「ジャーイル、と申します。大公閣下」
 俺の声は掠れていた。

 近くで見るウィストベルの美しさは、息をするのも忘れるほどだ。肌理の細かいなめらかな白磁のような肌、ややつり上がった形のいい細い眉、うっすらと赤く染まった、肉感的な唇、特に長い睫に縁取られた赤金の瞳が、――同じ色を持つ者としてこう言ってしまうのも恥ずかしいが――何より美しい。じっと見ていると、吸い込まれるような感覚さえ覚える。
 俺だって、決して胸ばかり見ているのではないのだ。
「ジャーイル?? 耳にしたことのある名よな……それに、この赤金の瞳……我と同じ色をもっておるとは、珍しい」

 妖艶な美女のようでもあり、小首を傾げる様は可憐な生娘のようにも見える。  その白い首は、さも噛みついてくれと言っているようで……  ごくりと唾を飲み込んだ俺は、またしても魔王陛下の足蹴りによって、今度は床ではなく壁に打ち付けられていた。

 絶対に割れた。
 今、絶対に、俺の頭蓋骨は割れた!

「ルデルフォウス!」
「ウィストベル!」
 大公の咎めるような声と、魔王の不満声とが重なる。
「いい加減せぬか、ルデルフォウス。我の邪魔をするでない」
 ウィストベルの声音が変化する。
 地獄の底から響いてくるような、恐ろしげな声は、さすがの魔王をも黙らせたようだった。
 俺も、その空気を味わっただけで、自分の体温が五度ほど下がったような気分を味わっている。

「では、我があらためて問おう、ジャーイル。お主、さっき、我とルデルフォウスがなにをしているのか、見たか?」
 壁から頭を引き抜いた俺に、まっすぐウィストベルが歩み寄ってきた。
 魔王をも黙らせる凍える声と、残虐の色をちらつかせた瞳で射抜かれた俺に、どうすることができただろう。
「魔王陛下が、大公閣下の足許に跪き、あまつさえその脚にとりすがって足蹴にされ、満面の笑みを浮かべているところ……なら……拝見いたしました」

 ああ、こんなことなら七大大公になんか叙されるのでなかった!
 怒りで顔を真っ青にし、ぷるぷると震える魔王ルデルフォウスと、それよりぞっとするような残虐な笑みを浮かべる大公ウィストベルを前に、俺は……

 死を、覚悟した。

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