新任大公の平穏な日常
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【第一章 一年目の日常】
近頃、ジャーイルが以前ほど従順ではなくなった。
我が使いをだせば、否応なくやってきていたというのに、このところ使者は断りの返答ばかりを持って帰ってくる。
よって、我は少しばかり機嫌が悪い。
こうなったのも、あれからじゃ。
ようやく、ジャーイルが同盟を口にし、我と正式に友好関係を締結して直後からのことじゃ。
しかし呼びつけて来ぬからといって、こちらから押し掛けるのはさすがにプライドが許さぬ。
仕方がないので、久しぶりに魔王城を訪ねてルデルフォウスで遊ぶことにした。
「ウィストベル! ようやく余の妃となる決心がついたか!」
毎回飽きずにその台詞と共に両手を広げて走り寄るルデルフォウスの顔面に、おきまりのように拳をめりこませてやる。
いつにもまして機嫌が悪いのだから、いつにも奴の飛距離が伸びたのも仕方あるまい。
だが、それでもルデルフォウスは満面の笑みを消すことはなく、走り寄ってくるのだから、これはお互いの精神を健康に保つための、神聖なる儀式のようなものなのだ。
「冗談は抜きにして、そろそろ余の気持ちを世間に公表してもよいのではないか?」
珍しくルデルフォウスは真剣な表情だ。
「すぐさま嘲笑を浴びる覚悟があれば、止めぬがな」
我を好きだと公表したところで、すぐに振ってみせるが、と匂わせてみせる。だが、それでもルデルフォウスは引き下がらなかった。
「かまわん。私の意思を表すだけとなっても、それが無駄とは思わん」
そう開き直られては、なにも楽しくないではないか。
「駄目じゃ。今まで通り、我にはなんの興味もないふりを続けるがよい。あるいは、お主が我に挑戦し、名実ともに真の魔王となるならば、我とて主君が想いを公表するのを、止めようはあるまい。それどころか、主の望みのままに、我を妃とするも自由じゃ」
そうけしかけてみたが、ルデルフォウスはじっと黙りこくってしまった。我の目を探るように見つめてくる。
長い息が、ルデルフォウスの口から漏れた。
「いや、やめておこう。まだ勝てる気がしない。その可能性を諦めたわけではないが」
赤金の瞳を持ってはいなくとも、ルデルフォウスは相手と自分の実力差を計る能力に優れている。それが一度拳を交えた相手に限るとしても、他の者よりずっと勘はよい。さすがは我に次ぐ実力の持ち主と、ここは褒めてもよいだろう。
我はこれでもこの男の性質と技量を高く評価しているのだ。対立したときに滅ぼして、別の傀儡をたててもよかったのを、そうしなかった程度には、この男のことを気に入ってはいるのだ。
ただ足蹴にするためだけに、魔王につけたわけではない。
「そういえば、暫くベイルフォウスの姿を見ぬが、そなた知らぬか?」
魔王の弟は、以前は十日もあけずちょろちょろとやってきていたのに、このところとんと姿を見せぬ。別にどうでもよいことだが。
「近頃、ジャーイルの城をよく訪ねているとは聞くが、理由までは知らぬな」
「ジャーイルの?」
我の誘いを蹴る者と、付きまといをぱったりと辞めた者が頻繁に顔を合わせているということか。
なにを企んでのことであろうか?
「実際のところ、ウィストベル……そなた、ジャーイルのことをどう思っておるのだ?」
「どう、とは?」
「つまり、弟とか、従兄弟とか、幼なじみみたいだとか、なんの興味もわかない赤の他人だとか……いろいろあるだろう」
「同じ目を持つ者じゃ」
そう言ってやると、ルデルフォウスは不可解だと言わんばかりに眉を寄せた。
「確かにそうだが……」
「それ以上でも、それ以下でもない」
が、それだけのことが、我にとっては何より重い意味を持つ。なにせ、他の者のように、単に色が同じだ、というだけに留まらないからだ。
我の目は他の魔力を見ることができる。それは体を纏う、透明な層のようなものじゃ。その層の濃さ、厚さ、熱量、脈打つ強さ……いろんな要素から、我は相手の力量をはかる。生まれた時からその能力を得ていたために、他の者もそうだと思っていたが、違った。その能力は、我が目だけに与えられたものだったのじゃ。そう、この赤金の瞳に。
親兄弟でさえも、我と同じ目を持つ者はいなかった。
ジャーイルの他にあるは、ただ一人知っているだけじゃ。だがその者も、我との意見の相違があったために、もうこの世にはない。そもそも、そやつはデヴィルであったしな。
我は面倒が嫌いなのじゃ。平穏を享受し続けることが、我の目的……
その邪魔となるものは、すべて除いてみせよう。
この目の能力は貴重じゃ。相手の力量を知れると言うことは、つまりは自分の野望を果たすに得難い者を見極められるということじゃ。その事実を知れば、誰しもそれを利用しようと考えるものじゃ。
かつて我がその犠牲となっていたように……
我とジャーイルが敵対するわけにはいかぬ。ジャーイルの野望が何かは知らぬが、それが我が平穏を崩すものであってはいけないのじゃ。
我はそのことを、誰にも……もちろんルデルフォウスにも説明してやる気はなかった。
「招待状は届いたか?」
「舞踏会のか? もちろんじゃ」
「どの臣下を連れて行くつもりだ?」
意味ありげに見てくるのは、我の関心が今はどの臣下に向いているのかを見極めたいからであろう。
「どれとはまだ決めておらぬ。が、かなりの数を引き連れるつもりじゃ。なにせ我が同盟者の招待ゆえにな。主こそどうなのじゃ? 以前侍らせていた金髪の娘どもは、今も健勝なりや?」
「今は褐色の肌の娘にはまっている。重臣の他、いくらか連れていくつもりだ」
我に心底惚れていると言いつつも、他の女に手を出すことも辞めず、またそれを隠すこともない。そのあけすけなところも、我がこの男を気に入る要因の、一つではある。
「そうか、では我もその者らに見劣りのせぬよう、せいぜい着飾って参ることとしよう」
そう言って退出しようとした我を、ルデルフォウスが引き留めた。
「とりあえず、帰る前に一回だけ足にすがりついてよいか?」
この男は、蹴られるのがとことん好きであるようだ。
***
俺の最近のお気に入りは、金髪巻き毛の小生意気なお子さまだ。
何を言っても湯が沸騰するごとき反応が返ってくるのだからおもしろい。
最初はジャーイルがウィストベルの城へ行くのを、阻止するつもりで訪れたのだ。それが留守のことも多く、俺はせっかく来たのだから恋敵の情報収集でもと思い、家臣や妹にいろいろ聞いていたのだが……今となってはその兄に対する情報収集より、妹をからかうのが訪問の主因となっている。
別に、マーミルが言うように、ロリコンだからではない。俺は大人の女、それこそダイナマイトバディにしか食指は動かない。彼女を構うのは、そういう理由からではないのだ。その将来性を期待してのことでもない……とりあえず、今のところは。
俺には兄しかいないため、彼女を構うことで妹ができたような気がする、というのが本当のところだ。なにせ、この俺様はこれでも七大大公の一だというのに、あの娘は敬う様子を全く見せないからだ。
慣れたからではない。最初からそうだったのだから、恐れ入る。
初めての出会いで、あの娘はこう言ったのだから。
「まあ、なんですの、この無礼極まりない赤毛の来訪者は。城主たる兄の許しも得ず、よくもまあ勝手にずけずけと上がり込んで来たものですわね!」
確かに、そのときジャーイルはいなかった。が、だからといって、兄を訪ねて来た客人に、こうも毒舌を吐くものだろうか。それも、自分自身は何の能力も持たない小娘が、である。
俺でさえ兄の力を頼るばかりのときは、おとなしくしていたというのに、だ。無礼なのはどちらなのか、問いただしてやりたいものだ。
俺の身分を知らないから、そんな口を利くのだろうと疑ったのだが、知ったところでマーミルの態度は変わらなかった。
普段なら相手が大公の身内であれ、そんな無礼を許しておく俺ではないのだが、なんというか……
マーミルにはいっそすがすがしさを感じてしまい、ついつい構いがちになり、今に至るというわけなのだが……
「なに? 寝込んでる?」
久しぶりに訪ねてみれば、いつも見かける部屋のどこにもいない。通りがかった下僕に訊ねてみれば、姫様はお怪我がひどくて本日は起きあがれないご様子、ときたもんだ。
「怪我って、何をしたんだ? 木登りに失敗して、落ちでもしたのか?」
いや、木から落ちたぐらいで魔族の子供がダメージを受けるわけはないのはわかっているが。
「いえ、その……」
下僕は言いにくそうに視線をそらす。
「俺があんまり男前で直視できないのはわかるが、そう照れずに言ってみろ。木登りじゃないなら屋根の上から飛ぼうとして、落ちでもしたか? もしくは不慣れな竜に噛まれたか? それとも、いたずらが過ぎて、兄貴からお仕置きでもされたのか?」
俺の言った最後の言葉に、デヴィル族の下僕は反応を見せた。
なるほど、ジャーイルがやったのか。
マーミルは兄はシスコンだと、事あるごとに吹聴していたが、それが本当なら可愛い妹が寝込むほどの折檻をするだろうか。
「そうか、じゃあ、見舞いに訪れねばならんな。マーミルの部屋に案内しろ」
「は、いえ、大公閣下。いかに成人前の幼い姫とはいえ、閣下をご案内いたしますわけには……」
ぶるぶる震えながらも、きっちりと主張はしてくる。その気骨は褒めてやりたいが、だからといって、俺がハイそうですかと引き下がるはずはない。
俺は下僕の肩を抱きながら、低い声で言った。
「俺があんな子供相手に、何かするとでも思うのか?」
「いえ、めっそうもございません。で、ですが……」
「それ位にしてやってくださいませんか、ベイルフォウス」
静かな声が背後からかかる。
俺はニヤリと笑いながら、その男を振り返った。
下僕は俺が手を離した瞬間に、脱兎のごとくその場を離れる。
「よお、久しぶりに顔を合わせるな、ジャーイル」
「全くですね、ベイルフォウス。足繁く通っておいでと、家令より聞いてはおりましたが」
俺は下僕にそうしたように、ジャーイルの肩を抱いた。
「ウィストベルが言ったろ、同位の大公同志で、敬語はいらんと」
「ではベイルフォウス。せっかく訪ねて来てもらったのに悪いが、妹は怪我のため、貴方のお相手はしかねる状況だ」
さりげなく、俺の手はジャーイルの肩からはずされた。まあ、俺だって男とくっついて喜ぶ趣味はないのだから、構わないが。
「いや、気にしなくていいぜ。しかし起きあがれないほど折檻するだなんて、妹君は何をしでかしたんだ?」
「折檻だなんて、人聞きの悪い。単に剣の稽古をつけてやったまでのことだよ。可愛い妹の、独り立ちのためにね」
ジャーイルは、まあちょっと、やりすぎたみたいだけど、という呟きを漏らしている。
「剣の稽古? 独り立ち? ……まさか」
俺は心当たりがありまくるその言葉に、思わず笑みを漏らした。
「叙爵を目指すことにしたそうだ、我が妹は。兄として、妹の向上心に協力するのは当然のこと!」
ジャーイルは胸の前でぐっと拳を握りしめた。
「ほうほう。爵位をな……」
なんて素直に反応するものか、マーミルは。思わずニヤついてしまう。
「お前の妹君は可愛らしいな。近年稀に見る素直な姫だな!」
「え……ベイルフォウスも!? ここにも対人評価がおかしな人が、また一人……」
ジャーイルは信じ難いものを目にしたような表情を浮かべ、俺を見る。
この男は妹の素直さを見習うべきではないだろうか。
「兄がツンデレだというだけならまだしも、弟はロリコンだなんて!」
ちょっと待て。今、聞き捨てならないことを言わなかったか? 俺はともかく、兄貴に関することで。
「バカをいえ、俺の好みは出るところが出、締まるところの締まった、大人の女だ。子供に食指が動くか!」
だがしかし、この際兄の名誉は置いておこう。まずは、自分の不名誉を回復すべきだろう。
「つまり、俺と同じだと?」
「なに、同じ? それはお前もウィストベルが好きだという告白か?」
「うわぁ。冗談きついぃ」
ジャーイルはぶるぶると顔を左右に振った。
「確かにウィストベルは絶世の美女だけど、絶っ対に、無理!」
なんだこいつ。随分ウィストベルに気に入られてるくせに、自分の方からの興味はないというのか?
これは作戦か、それとも真実なのか……
判断の迷うところだが。それはまあいい。
「ところで、妹君を鍛えるなら、俺も協力せぬではない。時々は剣や魔術の指導を引き受けようか?」
俺がそう提案してみると、意外にもジャーイルは反対しなかった。
「本当に? それは助かる。妹にはいろいろな経験をさせてやりたいと思っていたところなんだ。今日はさすがに無理だが、気が向いた折にはぜひ、ご指導をお願いしたいものだ」
実の兄の許可も得たことだし、マーミルよ、楽しみにしているがいい!
俺が責任をもって、お前を有爵者のレベルに鍛え上げてやるからな!!
同時刻、マーミルが寝具の中で寒気を覚えたのは、何も怪我が原因ではなかったと考えられるのだった。
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