古酒の隠れ家

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新任大公の平穏な日常

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【第一章 一年目の日常】
14.遺書をしたため、今後に備えようと思います

「まあ、お兄さま……なにを書いてらっしゃるの?」
 居間の書き物机でせっせとペンを動かしていた俺に疑問をもってか、妹が後ろから覗いてくる。
「ん? ちょっと、もしもの時のために、遺書をな」
 今書いているのは主にベイルフォウスに向けた手紙だ。俺にもしものことがあったら、妹の身柄は同盟者のマストヴォーゼの世話になるはずだが、気安いのは何と言ってもベイルフォウスだ。なので俺は親友に向けて、妹の様子をよくよく気にかけてくれるよう、お願いする手紙を書いていたのだ。
「ちょ、ちょ、ちょ!! なんですの、これっ! なんで私があのドS大公によろしくされなきゃいけないんですの!」
 危うく奪われるところだったのを、死守してみせる。妹に渡したら、絶対に破かれるのはわかっているからだ。せっかくこの兄が一生懸命書いたというのに!

 立ち上がって腕を高く挙げると、一向に身長の伸びない妹の手は届かない。ぴょんぴょんと飛び跳ねて頑張るが、どう考えても無理だ。
「もうっ! ずるいですわ、お兄さまっ!」
「一生懸命書いたものを死守して何が悪い! お前にとられたら、この一時間が無駄になるじゃないか」
「無駄にしてしまえばよろしいのよ! 碌な内容じゃなかったわ!」
「子供には理解できないだけだ」
 暫くぴょんぴょんやっていたが、やがて妹は疲れたらしく、飛ぶのを諦めて長椅子に腰を下ろした。

「それで、なんでそんな物騒なものを書いているんですの?」
「いや、ちょっとこの間、命の危機を感じたんで、一応用意しておこうと思って」
 具体的には魔王城で、二度ほどだ。
 うまく話をごまかせたつもりだったのが、帰り際に耳元で「我は完全に納得したわけではないぞ」とドスのきいた声で言われたときは、危うく大惨事になるところだった。
「まさか、人間にちょろっと手を噛まれた位で、それほどの危機感を? お兄さまが小心なのは存じているつもりでしたが、思った以上でしたわ」
 どうやら妹は、例の「人間が攻めてきた」、という一件で俺が命の危機を覚えたと思っているようだ。
「そんなわけないだろう……魔族対人間なぞ、まともな戦いにもなりはしない」
 真実、数百人の軍勢でやってきたところで、俺一人で対応できるだろう。
 とはいえ、今回の一件を簡単に考えていいものかは疑問が残る。芽は小さいうちに摘むがいいのだ。
 だからそれに関しては、今日の午後から現場に出向いて担当者に詳しい話を聞く予定にしてあった。

「ところで、近頃、だいぶ剣と魔術の腕があがったようじゃないか」
「ふふふん。今頃ですの? 剣はイース流奥義の免許皆伝、魔術は二層三十五式までできるようになりましたわ!」
 イース流なんて聞いたことのない流派だが、とにかくマーミルは顔を後ろにそらせて、得意げに笑って見せた。
 ちなみに、魔術は火・水・風・土のいずれかの元素を発現させ増幅させ操作し、放出できるようになって初めて術式を顕せられる。術式とは真円を外周とした文様で、内の模様は人により様々だが、真円一つを一枚と呼び表し一枚で五式、五枚だと二十五式、それを他の元素の真円と重ねることで二層三層となり、最高の術式は四層五枚の百式となる。一つの術式は一陣と呼び表す。ただし、同じ規模の陣でも、当人の実力によって魔術の効果や強弱、威力には差がでる。
 二層三十五式の一陣といえば、一層目は五枚で二層目が二枚だ。だが、爵位を得ようとするなら、最低三層くらいはできるようになってもらいたいものだ。
 ちなみに、大公ともなれば、百式一陣を操れて当然だろう。

「最近では、城での指導では無理があると、外に行かないといけなくなってしまって。万が一、私の強力な魔術のせいで、城が崩れては大変ですから!」
「外? どこでやってるんだ?」
 魔王城の正面には荒地が広がっている。これはどこの大公城でもそうなのだが、マーミルをそのあたりで見かけたことはなかった。
「教師が言うには、お兄さまの跡地、らしいですわ」
「俺の……跡地?」
 何のことだかわからない。俺が怪訝な顔をすると、妹も同じような顔をした。
「先代とお兄さまが戦った場所ですわ。一帯を木も生えない荒れ地になさったでしょ?」
 あ……ああ、あそこか……あんまり思い出したくないな。
 一生男爵であるつもりだった俺にとって、あの場所は己の未熟さを思い出さずにはいられない場所だからな……。
「ま、なんにせよ、大怪我をしないように、ほどほどにな」
「お兄さまがそれをおっしゃる!?」
 驚愕に目を見開く妹を残して、俺は部屋を出ていった。

 ***

 午後は計画通り、人間と遭遇したという地点の現地調査に赴いていた。だが、まずは近場の城で事情聴取からだ。
「軍団長も間もなく参りますゆえ、まずはこちらで御待機ください」
 軍団副司令官のジブライールが、そう言って小部屋から出て行く。
 副司令官はあと三人いるのだが、軍団がらみの俺の外出に付き添うのはほとんどジブライールだ。なんだろう、あとの三人には嫌われているのだろうか……いや、別にジブライールから好かれている訳でもないから、単なる役割分担の結果だろうが……精神安定上の理由から、そう思っておくことにしよう。

 この小部屋は五十の配下の軍団のうち、第二十二軍団を治める伯爵の城にある一室だ。  魔族は成人すれば男女の区別なくすべて属する大公の軍団員として数えられ、有事には各領主がその指揮をとるが、平時に下っ端が召集されることはほとんどない。魔族では軍の上位に就くほど仕事が多い、と思ってもらっていい。
 つまり集団を召集しないので、駐屯地や基地はないのだ。だから軍のための特別な施設といえば、軍団長を務める魔族の城に、軍団の為の棟があるだけだ。
 しかしその棟は軍事のために建てられたために、政治のための本棟や居住棟、その他の棟に比べると堅牢ではあるが質素なことが多かった。
 他の棟にはあまりない小部屋、たとえば会議室は言うに及ばず、参謀が集まって作戦を話し合う戦略室、武器庫、軍事に関する資料室などもそろっている。

 今俺がいるのも、通常は士官による軍事会議が開かれる会議室の一室だ。長方形の広い一方の壁に、第二十二軍団の軍旗と我が紋章を施した大公旗が交差した状態で飾られており、細長くてただ重厚な黒檀の机を、背もたれの高い椅子が二十二脚取り囲んでいる。
 ちなみに俺は男爵だったときにはこんな部屋に入ったことはない。所詮小隊長止まりだからな。

 しかし、第二十二軍団か……。
 正直言うと、俺は軍団長に心当たりがあった。というのも、そもそもこの軍団は、男爵位であった頃に俺が属していた軍団だからだ。
 たぶん、やってくるのはあの人だなーと座ってぼんやり考えていると、扉がノックされた。
「失礼いたします。第二十二軍団軍団長、ティムレ、参りました」
 元気のよい声が響き、次いで本人が姿を見せる。
 ああ、やっぱりティムレ伯爵だ。

「おおおー、ジャーイル! 君とは聞いてたけど、ほんとに君かー。久しぶり!」
 気楽な様子で手をあげて近づいてくるそのデヴィル族を、俺は立ち上がって迎えた。
「ティムレ伯。お久しぶりです」
「いやいやいやー。君も出世したねぇ! あんなにやる気のなかった君が、大公だもんねー!」
 そういいながら、ティムレ伯はどさくさにまぎれて俺の尻めがけて手を突きだしてくる。毎度のセクハラをさらりと交わし、逆にその耳に手をのばして揉みしだいてやる。
「いやぁ、相変わらずのセクハラ大臣ですね、ティムレ伯爵」
「うみー。さわらせてもくれないで、なにがセクハラだ! セクハラされてるのは私じゃないかー」
 口ではそう言いながらも、俺に耳を揉まれるのはまんざらでもないのだ、この伯爵は。今もだらしなく目尻をさげ、口元には笑みを浮かべている。
「んーおっほん」
 俺はその低い咳払いにハッとして、ティムレ伯爵の耳から手を離した。
「面識がおありなのはわかりましたが、今は公式な場。友誼を深めるのは又の機会になさってください」
 ジブライールさんの怒りをはらんだ声に、俺とティムレ伯は背を正した。

 ティムレ伯爵は人の体に犬の頭と手と足、そして蠍の尾を持ったデヴィルだ。その姿はほとんど人と毛深い犬の混合なので、デヴィルの中では容色が下がるとの評価を受けているが、俺からすると逆にOKだ。毛並みがいいから白いふさふさの頭は触ってて気持ちいいし、ぷにぷにの肉球も最高だ。性格も下位に対して必要以上に偉ぶらず、デヴィルであろうがデーモンであろうが区別はしても差別はしない。
 俺はこの軍団の末席に名を連ねていたのだが、ひょんなことで覚えられてからは、随分目をかけてもらった。
 ついでに性別を明らかにしておくと、女性だ。さすがにデヴィル族であっても、男から尻を狙われては、俺だってぞっとする位じゃすまないのだ。

「ティムレ軍団長。ジャーイル大公閣下に状況説明を」
「う、はい……」
 さっきまで立っていた犬耳が、伏せられている。彼女の性格からいって、やはりジブライールは苦手なのだろう。
「ん、ええと……」
 ティムレは懐から地図を取りだし、机の上に広げ、左右に犬の手の形の文鎮を置く。なんと、ぷにぷにの肉球付きだ。
「おお、なんですか、これ。すげえ」
 思わずぷにぷにしてしまう。
「だろだろ、私の手を参考に作らせたんだ! 特注商品だぜ。ほしいか?」
「うわ、欲しいですね」
「よし、じゃあ後で」
「ティムレ軍団長」
 またも、ジブライールの叱責が飛ぶ。俺とティムレは怯えに満ちた視線をあわせ、こっくりと頷きあった。

 ごほん、と一つ咳をして、ティムレは地図に手をのばした。
「そもそものきっかけは、村人の目撃情報でした」
 以前は上司でも、今は部下。ティムレは俺に丁寧語で話すことにしたようだ。たぶんジブライールさんの存在を気にしてだろう。
「うん、俺が謁見で耳にして、哨戒をお願いしたんですよね」
「哨戒といっても、相手はたかが人間。それほど警戒が必要とも思えませんでした。少なくとも私がそう判断したために、現地に派遣したのはたったの一人でした。名を、シルムスと申すものですが」
「シルムス! 俺の隊にいた奴じゃないですか? あの、ちょっと短気な」
「そうそう、そのシルムス」
「んん!」
 ティムレがにぱーと笑うと、すかさずジブライールの咳払いが入る。
 なんだかいつもに増して、副司令官の機嫌はよくないようだ。

「それで、そのシルムスがあたりを警戒していたわけですが……このあたりの森の前にさしかかった時に」
 つつつ、とティムレの指が地図の上に円を描く。
「突然、いくつもの弓矢を浴びせられたそうです。とっさのことであったために少しかすり傷を負ってしまい、かっとなってしまった彼は、相手を捕まえるべく、森に入っていったそうです。ところが相手は一人二人ではなく」
「まあ、いくつもの矢をあびたんならそうでしょうね」
 俺がいうと、ティムレは頷いた。
「ちらっと見たところでは、五十人前後はいたそうです。みんな屈強な男で、その手に弓矢を持ち、シルムスを囲むようにして、集中放射を浴びせられ」
「五十本の弓矢か~。一斉に当たったら、痛そうだな~」
「ご存じでしょうが、シルムスは爵位も持たない一兵卒。しかも魔術も不得手で剣技もそれほどではなく、射抜かれれば痛そうどころではすみません。ですが彼は数本を体にかすらせてしまったものの、次々に降ってくる矢をかいくぐり、つたない魔術を駆使して応戦し、なんとか相手の人間を一人でも捕らえようとしたそうですが、絶妙なタイミングでじりじりと後退され、気づいた時には森の奥にいたとか」
「誘い込まれたってことですか?」
 あれ? なんか、聞いてた話と違う。ゴロツキがガーっときてバーっと追い払ったんじゃないの?
「さすがに一対五十ではまずいと考え、退却を考えるも、周囲を隙間なく囲まれてしまった上、一歩動けば矢が降ってくるありさまで」
「もしやそれって、相手はシルムスを殺そうとしたのではなくて、捕らえようとしたってことですか?」
「そう、考えられます。目的はわかりませんが……」
「それで、結局どうやってその包囲網を?」
「たまたま、通りがかった方がいらしたのです、閣下。その方が人間を殲滅し、シルムスをこの城まで送ってくださいました」
「通りがかった……方? 誰が……?」
「ベイルフォウス大公閣下です」

 をいをいをい。

 知ってます? こういうの。
 灯台下暗しっていうんですよーーー!!

 ***

「あら、お兄さま、午前中ぶり!」
 妹よ、そう嬉しそうに駆け寄ってこられるとは、兄冥利につきるというものだな。だがすまん、お前のために来たのではないのだ。
「おお、ジャーイル。忙しいんじゃなかったのか?」
 遠くから手を挙げる赤毛のイケメン。もちろんベイルフォウスだ。
「いや、ベイルフォウスが俺を訪ねてきてくれたって聞いたから、こっちだろうと思って」
 俺が城にいなかったために、マーミルの特訓に目的を変えたのだろうということは、容易に想像できた。
 だから今朝、マーミル自身から特訓の場所を聞いていた俺は、迷わずこの“俺の跡地”だという場所へやってきたのだ。
 しかし、ここに来たのはあれ以来だ。マジでひどい有様だな。焦土という言葉がこれほどふさわしい場所もそうないだろう。
 ……ちょっと胸が痛い。

「なんですの! 目的は私ではなく、ベイルフォウス大公ですの!? お兄さま、考え直してください、ホモよりシスコンの方がまだマシでしてよ!」
「お前も一度、陛下に頭蓋骨割ってもらうか?」
 俺がにっこり笑ってそういうと、マーミルは警戒して数歩跳びすさった。

「俺に用? なんだよ、また菓子の味見か? こないだ胸焼けしたから、しばらくごめんだぜ」
「誰も頼んでない」
 陛下には時々ベイルフォウスもいるとは言ったが、誰も一緒に調理しているとは言ってない。
 そもそも、まるで俺が味見を頼んだかのような口振りだが、こう見えて結構な甘党らしく、呼んでもいないのに勝手にやってきて勝手に味見をして帰るのはベイルフォウスの方だ。それを俺が無理矢理食わせたように言われるのは腑に落ちない。
 せいぜい、兄から疑惑の目を向けられ、落ち込むがいい。俺はお前が意外にブラコンだという事実に、気がついているのだからな。

「じゃあなんだよ。マーミルが心配で来たのか?」
 その言葉を聞いた妹が、瞳をキラキラさせて、こちらに突進しようと構えるのが見えた。
「いや、違う」
 腹に頭突きを食らわされる前に、即時否定だ。妹よ、むくれるでない。お前には正式に、味見を要請しているではないか。
「お前この間、俺の領地で人間を殺さなかったか?」
「ん? 人間?」
 ベイルフォウスは腕を組んだ。
 俺がみたところ、この男の人間に対する感覚は兄よりはウィストベルに近い。魔王陛下は、意外にも人間には寛容で、別種族として区別し蔑んではいても、その命を軽々しくは扱われない。だが、ウィストベルやベイルフォウスはそうではない。彼らは人間に対し、地虫と変わらぬ程度の興味と関心しか抱いていない。目に止まれば踏みつぶし、止まらなければ無視する。数の多少すら、大した問題ではないのだ。

「俺のとこの軍団員を一人、助けてくれたろ?」
「おーおー、そういえば」
 ひとしきり考えて、ようやく思い出したらしい。
「そうか、あれはお前のところだったか? そういえば、なんか鯰面のボロボロの奴を連れて、近くの城に届けた気がするな」
「で、そのときの人間たちをお前は焼いてしまったそうだが」
 あの後、俺はシルムスを伴って、現地の調査に向かった。そしてたどり着いた先にあったのは、一帯が焼け焦げ、チリ一つおちていない大地だけだった。
 いや、範囲も見た目も今立ってる場所の方がひどいって、それはまあおいといて。
「死体だけ残されてもイヤだろ?」
 俺は優しいだろ? 気が利くだろ? といわんばかりだ。
「そいつらがどんな雰囲気だったか、覚えてるか? 同じ服を着ていたとか、同じものを持っていたとか……」
「んー?」
 あーだめだ。何か情報を引き出せないかと思ったけど、こいつもシルムスと同様脳筋だ。いや、シルムスはまだ似たような格好をしていた、とか、弓が同じみたいに見えた、とか、弓矢の射撃時には号令がかかっていた、とか覚えていたが、こいつはダメだ。もともとの能力がありすぎて、対峙した相手のことに興味を持つ意味すら、わからないのだ。なにせ、逆らう相手はすべて滅してしまえばいいだけなのだから。

 まあ、仕方ないな。
 ティムレには一層気を引き締めて哨戒を複数人で行うように指示したことだし。こう手がかりを消失してしまった状態では、これ以上気をつけようもない。一応、近隣の人間の国を密かに探るように指令を出して、あとは放っておくしかないか。
「ああ、そうだ」
 俺はゴソゴソと、懐をまさぐった。
「マーミル、おみやげだ」
「まあ、なんですの!?」
 妹が手を挙げて駆け寄ってくる。俺はその鼻面に、ティムレから貰った肉球文鎮をつきだした。
「やろう」
「まああああ! なんですの、これ!! ぷにぷにですわ!」
 マーミルはさっそく肉球部を押しまくり、眦をだらしなく下げている。
「お前ももう少し、本を読むなり、参考書を開くなりして、いろいろ勉強した方が」
「ご覧になってもよろしくてよ、ベイルフォウス大公! お兄さまから可愛い妹への貢ぎ物ですわ! 張り合うように、貴方もなにかくだすっても、よろしくてよっ! あら、ちょっと、誰がぷにぷにしていいと言いましたの!?」
 おい、聞け、妹よ。
 お前が脳筋になるのを防ごうという、この兄の心がわからんのか。目の前の赤毛男みたいにならないようにと、祈るこの兄の心が!

 こうして俺の大公としての一年目は、まあまあ平穏を保ちながら、過ぎ去りつつあったのだ。

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