古酒の隠れ家

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新任大公の平穏な日常

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【第二章 二年目の日常】
1.見たこともない王子様みたいな人がやってきました

「いらっしゃいませ!」
 正午を二時間ばかりすぎたこの時間帯が、うちの書き入れ時。他の商店は夕方までの長いお休みに入ってしまうので、その間、家に帰らない従業員や行くあてのない暇な人たちが、うちの店に食事や休憩をしにやってくる。
 おかげで狭い店内は、毎日人であふれかえっている。

「イーディス、こっちにいつもの!」
「はあい!」

 入り口のドアに取り付けた鐘が、高い音を立てて来客を告げる。私は空いたグラスを手に振り返って「いらっしゃ」……そして絶句した。
 入ってきたその人を目にした瞬間、思わず息を吸うのを忘れてしまった位だ。というのも、その人があんまり素敵だったから。

 輝く黄金色の髪に、優しげな飴色の瞳……肌は象牙のようになめらかで、鼻筋は高くすらりと通り、口元には育ちの良さを思わす穏やかな微笑が浮かんでいる。仕立てのいい新品に見えるシャツとズボンを着て高そうな上着を羽織り、背もすらりと高く手足も長くて、まるで貴族様か王子様みたいだ。ううん、首都で偉い将軍の凱旋式を一度だけ見たことがあるけど、あの時の行進でだって、この人ほどきれいな男の人は一人としていなかった。今までみたどの美人女優と比べても、彼のほうが断然きれいだ。
 少なくとも、こんな場末の食堂にいるような人じゃない。

 そう思ったのは、あたしだけじゃなかったみたいだ。
 彼が扉を開けた瞬間から、あれほどうるさかった店は急にだれもいなくなったみたいにシンとしてしまった。

「ええっと……入っても……いいの、かな?」
 その人が遠慮がちに店内を見回す。
「あ、あ、すみません、どうぞ、どうぞお客さん、奥へ」
 あたしはどもりながらも、そのお客さんへ唯一空いている奥の二人席を指し示した。
「じゃあ、失礼して……」
 彼が歩くとみんなの頭もそれにあわせてそれに動く。
 彼が座ると、みんなの頭も止まった。
 あたしはあわててカウンターに空いたグラスを置き、髪の乱れをそのグラスに写して整えてから、エプロンですり切れるほど手をふいて、その人のところへ向かった。

「お客さん、ご注文は」
「そうだね、じゃあ……」
 テーブルに用意してあるメニュー表を見ながらも、ちらちらと周囲に視線を送っている。あたしはピンときて、後ろを振り返った。

「ほらほら、みんな、こっちみない! お客さんが困ってるでしょ!」
 あたしが手を叩いてそう叫ぶと、店中がハッとしたように息を呑み、それから止まっていた時間がまた動き出したかのような喧噪につつまれた。それでもいつもより声が押さえぎみなのは、やっぱりこのお客さんに意識が向いているからなのだろう。
「すいません、お客さん。ここらじゃ、顔見知り以外がやってくることが珍しくって」
「ああ、それで」
 明らかに彼はホッとしたようだった。柔らかく笑いかけられて、あたしは思わずポーッとしてしまう。

「よかった。何かおかしなところがあるのかと思って、ビクビクドキドキしちゃったよ」
「おかしなところだなんて。みんなあんまりお兄さんが男前なんで、びっくりしただけですよ」
「お嬢さん、おだてるのが上手だね」
 ちょっと、お嬢さんだって! 生まれてこの方、初めて言われたわよ!
 ものすごい美形なのに、気取らない人だなぁ。
 ダメだ、どうしてもニヤケてしまうわ。いけない、いけない。

「おだてたんじゃないですよ。ホントのことですもん。で、何にします?」
「ええっと……」
 メニューの上をざっと視線が走るが、どれもピンとこないようだ。
「ごめん、ここら辺の料理に不案内で……とりあえず、飲み物を適当にいただいてもいいかな?」
「アルコールは入っててもいいですか?」
「問題ないよ」
 私は一つ頷いて、カウンターに戻ると、この地方の特産品であるジャヴァの実をふんだんに使ったお酒を探した。料理は厨房に任せるけど、飲物はあたしが用意することになっている。ちなみにジャヴァ酒はこの店で一番上等のお酒だ。
 ふと思いついて、カウンターから顔を出す。
「それで、おつまみはどうします? なにか適当につけましょうか?」
「あ、うん。よろしく頼む」
「りょうかい」
 厨房には高い料理をいくつか伝える。男前だろうが何であろうが、いただけるものは遠慮なくいただかないと。着ている服からいっても羽振りは良さそうだから、大丈夫だろう。

 とりあえす、ジャヴァ酒を木のコップに注いで持って行く。
「それにしてもお客さん、この辺の料理に不案内ってことは、随分遠くからいらっしゃったんですか?」
 店で出す料理は、特にこの地方独特の郷土料理というものでもない。このサンテロメス王国でなら、どこででも味わえる一般的な家庭料理ばかりだ。変な名前もつけてないし、メニュー表を見ればわかるはずだ。
「ああ、そうなんだ。ちょっと旅の途中でね」

 そりゃあそうだろうな。ここいらにこんな上品な人に用があるとすれば、領主様くらいだ。だけどもしそのお客様だっていうんなら、こんな店に入ってくるはずはない。
 それにしたって、こんな辺境の町を通る旅人も珍しい。ここは特に何か見るべき観光地があるというわけではなし、これといって産業が発達しているわけでもない。むしろ、すぐ近くに魔族の領土である森があるし、住民以外でやって来るものといえば、行商人か旅芸人、傭兵ぐらいのものだからだ。
 でも、この人はそのどれにも見えない。
 どこか大国のお貴族様と言われたって、あたしは納得するだろう。
「どこへ行くんです? ここは隣国からも遠いし、とくに見て回るところもありませんよ」
「そう?」
「そうですよ。こんなところにお客さんみたいな人が来るの、珍しいです。もしかして、道を間違えました?」
「おかしいな。この町の東に、美しい湖のある森が広がってると聞いてきたんだけどな」
「東の森って、それって樹海のことですか?」
 あたしは驚いてしまった。まさか、そんなところを目指しているだなんて。

「ダメですよ、お客さん。それは担がれたんですよ」
「と、いうと?」
 王子様が真剣な表情でじっと見つめてくる。やばい。このまま目があい続けたら、あたし、足腰たたなくなっちゃいそうだ。
「樹海は観光地じゃありません。あそこは魔族の領地の一部です……とてもじゃありませんが、人間が踏み入って無事でいられる場所じゃないんです。この間だって……」
「何かあったの?」
「あったもなにも、ほら、みんなその噂ばっかりですよ」
 あたしは店内を見回した。

「それで、樹海の……」
 今も耳をすませば、必ず誰かがその話をしている。
「ああ、五十人全員だろ? 後で調査に出したら、骨すら残ってなかったってよ。むごいもんだよ」
「しかしなぁ、相手は魔族だ。そりゃあお前、しかける方が無謀ってもんだろ」
「領主様もばかなことをしてくれたもんだよ。万が一、魔族が報復として、この町に攻めてきたらどう責任をとってくれるんだか……」
「まったくだよな」
 聞こえてくるのは魔族への恐怖と、領主様への不満話ばかりだ。

「つまり、この町の領主が樹海へ自軍を派遣した、と」
 おじさんたちの噂話を聞いて、その人は真剣な顔でそうつぶやいた。
「いったい、なんのために」
「そんなの、あたしたち庶民にはわかりません。でもみんなの話では、領主様は野心家なんですって。魔族を捕まえてお城にさしだして、貴族になろうとしたんだってことですけど」
「てことは、ここの領主様は貴族ではないってこと?」
「はい。ただの大地主です」
 あたしは頷いた。領主様の土地はたくさん持っているし、代々大商人の古い家系だが、爵位はない。爵位がないと、いくら首都に屋敷を構えても、王様には会えないし権力も持てない……らしい。
「魔族を献上すれば、貴族になれるの?」
「あたしにはよくわからないけど、みんなはそう言ってます」
「そう……」

 彼はジャヴァ酒を一口飲むと、にっこりと笑って頷いた。
「うん、なかなかおいしいお酒だね」
「ありがとうございます! すぐ料理も持ってきますね」
 あたしはカウンターに戻り、注文を忙しくさばいていく。
 あっちに発泡酒、こっちに豚の角煮、そっちに川魚の串焼き、と。
 そして王子様のテーブルには、ひときわ大きなお皿を二つ。
「ありがとう。お嬢さんは働き者だね」
 誉められると、頬がカッと赤くなるのが自分でもわかった。

 ***

 なぜ、こんなところで私は突っ立っているのだろうか。
 決まっている、私のお仕えする大公閣下がここにいらっしゃるからだ。
 でもなければ、どうして私がこんな人間の町などに……

 ジャーイル閣下が森の件で、いきなり人間の町に行くと言い出されたときには驚きを禁じ得なかった。
「滅ぼしにでしょうか?」
 と聞いた時の、あの閣下の微妙な顔つきが忘れられない。それほど私は変なことを言っただろうか?
 大公閣下は森に踏み入ったのが、一体どこの人間たちであるのか、どういう理由からか、また、これからも魔族の領土に踏み入る可能性はあるのか、そういうことをお知りになりたいそうだ。
 それを知ることにどんな意味があるのか、こうして付いてきている今も私には理解できていない。人間など、自分たちに許された場所でおとなしくしていればよいのだ。我らが視界を侵すのであれば、排除すればよいだけではなかろうか……そう魔族なら、誰でも考えると思う。

 とにかく、手近な人間の町から当たってみるとおっしゃられ、お一人で出掛けられるというのを強引についてきた。だが、この店には一人で入ると言われ、待機を命じられてそろそろ十分……
 私の我慢はもう限界に近い。
 待つのが嫌いだというのではない。だが、今この中で、たかが人間ごときが閣下に親しく口を利いているなど、想像しただけではらわたが煮えくり返りそうだ。

 そもそも、閣下はどうやら自覚が薄いようだが、ものすごく目立つ。金髪が珍しいというのではない。ベイルフォウス大公閣下の燃えるような赤毛と違って、割と魔族にでも人間にでも多い髪の色だ。だが、一口に金髪といっても、閣下のように光をはじくだけでなく、自ら光り輝いているかのような黄金の髪は珍しい。それにあの、ウィストベル大公閣下と同じ赤金の瞳。あんな色は、お二人しか見たことがない。
 だが、たとえその髪と目を地味な色に変えたところで、それでも閣下は目立つだろう。なにせ、デーモン族第一の美男美女と言われるベイルフォウス大公とウィストベル大公、そのお二人と並んでいても、全く引けをとらないだけの容色をお持ちなのだから。

 今は人間に見られたいからとおっしゃって、瞳の色だけを赤金から飴色に見えるよう魔術で変えられているが、本気でそう考えられるのであれば、全身を変える必要があるのではと思われる。
 髪をダメージ満載のよれよれに、色もくすませて、ふさふさのあごひげで顔を半分ほどかくし、目は前髪で覆わせるかせめて片目を眼帯でもつけ、ぼろぼろの服を着る……それくらいして、やっと人間にとけ込めるのではないだろうか。
 ちなみに進言もしてみたのだが、閣下は「大丈夫、俺は隠密体質だから」などと訳のわからないことをおっしゃって、全く聞き入れてくださらなかった。
 心配である。

 ……。
 …………。
 ………………うむ、入ろう!

 私は覚悟を決め、その店に足を踏み入れた。

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