新任大公の平穏な日常
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【第二章 二年目の日常】
御前会議は中断され、<死して甦りし城>からの使者に会いに行った魔王陛下とマストヴォーゼをのぞく六人の大公は、社交室に移動して、陛下の指示を待っていた。公爵以下の臣下も一まとめに別室で待機しているはずだ。
この部屋は二間続きでかなり広い上、いくつものテーブルセットが置かれているので、今はアリネーゼとウィストベルもそれぞれ距離をとっており、視線も合わせない。アリネーゼはサーリスヴォルフと歓談中だし、ウィストベルは……正直、確認する勇気がないのでまともにみていない。
「なあ、おい。ジャーイル」
俺はなんとなく壁にもたれ掛かるようにして
一人立っていたのだが、ベイルフォウスが赤い酒の入ったグラス二個を手に近づいてきた。こいつ、ほんとに赤、好きだな。酒までとは。
「お前、これから大変だぞ」
ベイルフォウスは俺に片方のグラスを渡し、手近の長椅子に腰を下ろした。腕を引いてくるので、俺も仕方なしにその左隣に座る。
「大変って?」
「決まってるだろ、同盟者の義務を果たさないといけないからだよ」
「同盟者の義務……ああ……」
家族に対するあれか。
同盟者は何もその相手の舞踏会に率先して参加したり、城に遊びに行って歓待を受けるばかりが役割ではない。その最大の義務は、同盟相手の命が失われたときに、その家族を保護すること、だ。
つまり我が身にかえって考えると、俺が誰かの挑戦を受けて破れ、死んだ後には、俺の同盟者がマーミルの身を保護してくれるということだ。現状その役割を果たすのは、ウィストベルかマストヴォーゼということになる。もちろん、俺はマストヴォーゼに頼むつもりだったのだが……。
逆に、俺はウィストベルとマストヴォーゼの家族に責任がある。
もっとも、ウィストベルには家族はいないようだった。
ちなみに、配下の去就は関係ない。すべての魔族は、領地に所属しているからだ。
なんたって、爵位の争奪は魔族の日常。残された家族は自身に力があればよいが、なければ処遇は相手の気まぐれに祈るしかない。だが、その身を保護してくれる同盟者がいるとなると話は別だ。
大公の同盟者は別の大公。さすがに一人に挑戦し、勝利したとして、その地位を固めぬうちから別の大公にも挑戦することはないだろう。爵位は兼任できないのだから意味はない。単に相手の命を奪うのが趣味だというなら別だが。
「知ってるか? マストヴォーゼの同盟者はお前とプートだ」
ベイルフォウスは俺の首ごと抱き込んで左肩に手を回し、耳元でささやいた。
もちろん、知っている。我が同盟者のことだからな。ちなみに、お前の同盟者がウィストベルただ一人だってことも、承知しているぞ。
とはいえ、ベイルフォウスに関しては魔王様が後ろ盾みたいなものだ。なんたって、意外にあそこの兄弟は仲がいいようだから……。
「あの温厚なおっさんが、プートなんかに家族の保護を頼むと思うか?」
意味ありげな視線をプートに向ける。
大公位第一位のマッチョマンは、待つのが嫌いなのだろう。一人座って酒をあおっているのだが、その足はずっと止まることないリズムを刻んでいた。それにあわせるよう、両足の間から垂れる蛇の尾が、細かく左右にふれているのが地味に怖い。
見るからに苛々が抑えられない様子だ。
「いや、思わない」
「だろ? だったらお前が今やっておくべきことはただ一つだ」
やっておくべきこと? 何のことだ? 思い当たるふしはないが。
が、俺を見るベイルフォウスの銀の瞳がキラリと光る。
「さっきから、ウィストベルがお前のことじっと見てる」
背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「健闘を祈る」
そう言うとベイルフォウスは意地の悪い笑みを浮かべ、俺の肩を二度叩いた去っていった。
そして、その後に……。
「よいかの、ジャーイル」
ウィストベルが座ったのだ。
「主、我に何か申すことはないか? ん? あるのではないか?」
怖い……俺、右向けない。
「こ……この間は、急いでいたもので……あんな帰り方をして、すみません……でした……」
ふっと笑った気配があった。だがそれは、きっと温厚な笑みではない。
「謝るのに相手の目を見ぬとは、誠意を感じられぬではないか?」
頬を両手で挟まれ、ぐりんと右を向かされる。
うおお、顔が近いっ! ヤバイ、鼻と鼻がつきそうなんですけど! 健全な距離じゃないよ、これ!
思わず後退るが、それがかなったのは体だけだ。捕まれた顔はピクリとも動かない。この細腕のどこに、そんな力が秘められているというのだろう。
「で、何じゃと? 何と、申したかの?」
顔は笑ってるが、目が笑ってない。ちっとも笑ってない。
「その辺で勘弁しておやりなさいな」
上から降ってきた声に、ウィストベルの目が嫌悪の色を浮かべて細まる。
彼女は俺の顔に自由を与え、声をかけてきた相手をじろりと下から睨め付けた。
アリネーゼだ。
顔を覆って余るほどの大きな扇子を広げ、猫目を光らせて俺たちを見下ろし立っている。
「かわいそうに。そなたの強引な挑発に、震えておるではないの」
アリネーゼはパチンと高い音を立てて扇子を閉じると、その先で俺の顎をクイッともちあげた。
「主にはなんの関わりもないこと。よけいな口出しはやめてもらおうか」
ウィストベルが扇子を勢いよくはじく。
いてっ! ホッペタに当たった! 当たったよ、ウィストベル!
あれ、これってさ、もしかしてかすり傷ついてない?
「二人とも冷静に……ウィストベル、この間の件はお詫びしますから。アリネーゼも俺のことを気にしてもらえるのは感謝しますが、害はない……あ、いや……大丈夫なんで。とにかく」
ともかく、俺は頬をさすりながらゴホンと咳を一つ、立ち上がって二人の間に立った。
なんか、そんなつもりもないのに強引な男二人に取り合いされる羽目になった可憐な美少女の気分だ。
とりあえず二人とも、俺のために争わないで!
いや、すみませんでした。ふざけてすみません。
もとい、会議の争いをこの場に持ち越さないでください!
「今は魔王陛下の決定を、静かに待ちましょう」
はい、ポイントはこの静かな、です。静か、という言葉を胸中に刻み込んでいれば、喧嘩なぞできないはずだからです。
デーモンとデヴィル、二人の美女は暫く火花を散らした後、フンとばかりに顔をそらして正反対の方向へ離れていった。そりゃもう、磁石が反発しあうぐらいの勢いで。
ああ、疲れた……ものすごく、疲れた。
だが、おかげでというか、なんというか……ウィストベルの手からは逃れられたようだ。
俺はいくらかホッとして、崩れ落ちるように椅子に腰掛けた。
***
二人の諍いが収まってからそれほど間をおかず、魔王様とマストヴォーゼが部屋に入ってきた。
俺も他の大公も、座っているものは皆立ち上がって二人を迎えた。
「予想はついていると思うが、今回の会議は中止とする」
魔王陛下は姿を見せるなり、そうみんなに宣言した。
「みなも承知の通り、爵位への挑戦は、すべてに優先される。故にマストヴォーゼは帰城してこれを受けねばならず、会議の続行は不可能だと判断した。よってそなたら大公は、配下を連れて帰城し解散、今後の通知を待つがよい。以上だ」
静かな口調でそれだけ言うと、魔王様は踵を返して部屋から出ていった。
がやがやと、大公たちが一人二人、その後に続く。だが、俺はその場に留まって、マストヴォーゼを待った。
彼は他の大公には目もくれず、まっすぐ俺の方へ歩んでくる。
あと二、三歩の距離で立ち止まり、口を開いた。
「我は急いで帰らねばならぬ。だが、ここを辞する前にジャーイル大公。そなたにぜひ聞き入れて欲しい願いがあるのじゃが」
「同盟者としてできることであれば、いかようなことでも」
そう答えると、マストヴォーゼはしっかりと頷いた。
「同盟者にしかできぬことじゃ。我が同盟者はそなたとプート……二人しかおらぬ。だが、そなたを信頼して頼みたい。予測されておろうが、家族のことじゃ……」
「ああ、万が一の時には、必ず」
こんな時に「そんなに心配しなくて大丈夫だよ」、なんて類の気休めを言うのは無責任だ。大公位の簒奪劇には、命がかかっているのだから。
「では、今より我と共に我が城に参ってくれぬか?」
「もとよりそのつもりだ」
俺はうなずき、彼の肩を叩いた。そして。
「今宵はそちらで落ち着いた晩餐をいただきたいものだ」
結局、俺は気休めの言葉を吐いた。
けれどその言葉に、彼は微笑みを返してきたのだった。
***
そうして俺とマストヴォーゼは飛竜を駆って彼の城、<死して甦りし城>に向かった。
いつものように竜は中庭に降り立つ。が、いつものような穏やかな出迎えは得られなかった。
さすがにどこも、緊迫感に溢れている。
ちなみに、俺が大公を倒した時はどうだったかというと、そもそも俺は大公位に挑戦しにいったわけではなく、侍女を返してもらいにいっただけなので、それこそ城の誰もが冷たい反応だった。
うん、今、俺の配下にある城の人たちのことね。
最初、ものすごい目で見られたよ。何しに来たんだ、こいつ、みたいな感じ。ただ、エンディオンだけは丁寧だったね。
一応客人扱いで、対応してくれたんだけどさ。
まあ、俺のことはおいておこう。今はマストヴォーゼのことだ。
挑戦者であっても、いや、むしろ挑戦者であればこそ、城の者は丁寧に対応する。数時間後には訪問者が主君に変じるかもしれないからだ。
打算的と思われるかもしれないが、魔族の世界ではそれが普通の対応だ。
もっとも、実際に越してくるのは選定会議が終了した後なので、十日ほど後になるが。
「お帰りなさいませ、旦那様。ジャーイル様も、ようこそお出でくださいました」
ここの家令もものすごく丁寧だ。というか、さすがに家令ともなると、礼儀にうるさい者でないとつとまらないのかもしれない。
「それで、挑戦者の素性は?」
マストヴォーゼがいつになく真剣な声を発した。
「は。それが、旦那様……爵位も持たぬ御方でして……」
家令の声にはとまどいが滲んでいる。
それはそうだろう。
男爵である俺が大公位に就いたのだって、結構な驚きを持って迎えられたのだ。その時にも言われたが、確かに大公位を得ようとする者は、ある程度の実力で名を売っていることがほとんどだった。少なくとも、これまでは。
相手が爵位も持たぬと聞いて、マストヴォーゼは気を抜いたようだった。
俺としては逆に警戒を強めたほうがいいと思うのだが。
爵位を上げて挑戦してくるのは普通だ。だが、逆に言えば、無爵位で戦いを挑んでくるのは、よほどの自信があるからということになる。最低でも、百式を展開できるということだ。
どちらにしても、マストヴォーゼは一目で相手を判断することはできない。ある程度予測ができても、俺のようにはっきりと相手の実力を見ることができないのだから……。
だが、たとえわかったところで、意味はないだろう。我々魔族にとって、爵位の挑戦を受けないと言う選択肢はないのだ。戦わずに敗北する、という選択肢も、だ。
そして大公位の挑戦にかかっているのは命。例外はほとんどない。
「奥方に会わなくて、いいのか?」
「かまわぬ。勝利の後、会う美貌の妻はいっそう美しかろう」
俺の言葉に、マストヴォーゼは自信の満ちた声でそう答えた。
そうして、俺とマストヴォーゼは、家令の案内によって<死して甦りし城>の謁見の間に足を踏み入れた。
***
挑戦者は部屋のちょうど中央に姿勢正しく立っていた。
ラマの顔にトカゲのしっぽ、背には種類はわからないが羽虫の翅といった特徴が認められるデヴィル族の若者だ。
その相手を見た瞬間、暗い気持ちになった。
マストヴォーゼは、なんだかんだで臣下をのぞけばもっとも親しいデヴィル族になっていたからだ。
相手の実力がわかってしまえば、結果も予想できる。
そう、挑戦者はマストヴォーゼより魔力の明らかに勝る相手だったのだ。
いや、だが、勝負はしてみないとわからない。魔術の相性や運び方によっては、下位の者が勝利を得ることもあるからだ。
…………まあ、稀にしかないが。
「ジャーイル大公」
マストヴォーゼも、目でみることはできなくても相手の力を感じるらしく、気の緩みは今はもうない。
「そなたが同盟を申し入れてくれたことに、感謝しておる。後のことは頼む」
さっきの自信に満ちた声はもうない。代わりに緊張感が漂っている。
「ああ」
俺はできうる限り、力強く頷いた。
「待たせたな、挑戦者よ。我が大公マストヴォーゼじゃ。そなたの名を名乗るがよい」
「もちろん存じております、マストヴォーゼ閣下」
ラマの口元に嘲笑に似た笑みが浮かぶ。
「我が名はデイセントローズ。閣下に挑戦し、大公位をいただかんと、参りました」
一応、礼儀はわきまえた挑戦者のようだ。相手によっては、いきなり殴りかかってくる奴もいるからな。
え? お前はどうだったって……?
あ、いや、俺はほら、挑戦しにいったんじゃなくて、キレただけだから……。あと、最初から殴りにいったんじゃないから。うん。
「では、デイセントローズよ。こちらはジャーイル大公、我が同盟者じゃ。このたびの闘争の公平な審判者ともなってくれるだろうし、万が一我がそなたに破れて後は、我が家族の保護者でもある」
「承知いたしました」
デイセントローズは俺とマストヴォーゼに対して一礼した。
「では、場所を移そう」
そうして謁見の間を出るマストヴォーゼに、俺とデイセントローズが続いた。
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