古酒の隠れ家

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新任大公の平穏な日常

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【第二章 二年目の日常】
14.<不浄なり苔生す墓石城>というからといって、腐臭でも漂うかと言えば、そんなことはありません

 俺は基本的に朝風呂に入る。
 というか、朝晩風呂に入る。
 だが一人でということは、ほとんどない。
 その日も俺の寝室から続いて、庭の絶景を眺められるように造り付けた露天風呂で、五人ほどの湯殿役の侍女と入浴中だった。
 ついでに断っておくと、俺が自分で自分の世話をすることは一切ないというのも……え? もういい? あ、そう。
 まあ、とにかく、俺が入浴中のそのときに、連絡は入ったのだ。

「何? 誰が来るって?」
 知らせを持って来た従僕は、顔を真っ赤にしながらも、時々俺の左右にはべる侍女たちにチラチラと目を向けている。
「は……ジャ、ジャーイル閣下と、妹君のマーミル姫が、おいでになると……」
 従僕はとうとう目をつむりながら、震える手を差し出した。
 俺は人差し指と中指に紙片を挟んで受け取る。紙にはジャーイルの自筆でこうあった。

『ベイルフォウスへ
 急な話ですまない。本日貴城にお邪魔させてもらう。マーミルを連れて竜に乗るので、少し時間はかかると思うが、突然伺うことには変わりない。正式な先触れもなくお邪魔することをお詫びする。 ジャーイル』

 水を含んで重さを増した紙片を宙にはじくと、そのまままっすぐ湯に落ち、青いインクがにじんだ。
 俺は髪をかきあげながら立ち上がる。
「あいつ、真面目だな。俺ならこんな書き付けすら届けねえけどな」
 出口に向かって歩き出すと、両脇の侍女が艶めいた声を出しながら追い縋るように手を伸ばしてきたが、無視してそのまま進んだ。

「で、では、私はこれで……」
「待て」
 慌てて浴室を出ていこうとした従僕の肩をつかむ。
「お前、俺の支度しろ」
「ふへ!?」
「女に任せたら、時間がかかりすぎる。大事な来客だ。間に合わせろよ」
「え、ええええ!?」
 従僕は真っ青な顔でぶるぶる震えだした。
 新参か? また気の弱い奴を雇ったもんだな。
「ほら来い、とっととしろよ」
「し、しかし、ご主人様、私はその……まだこのお城に勤め始めたばかりでで、どこに何があって、何がどうやら……」
「心配しなくても、俺は何着ても似合う」
 仕方がないので、俺はそいつをひきずるようにして、浴室から出た。

 従僕に体を拭かせ、髪を乾かさせ、服を出させ、着替えるのを手伝わせ、裾まである赤いローブを羽織りながら支度部屋を出る。
「おまえ、新入りとかそういう問題以前に、とろいな」
 従僕が、俺を追って慌てて出てくる。
「す、す、すみません!」

 それはともかく、出迎えだ。
 普通なら家令に任せるところだが、まあ、何といっても相手はジャーイルとマーミルだ。それも初めての訪問とあっては、自ら出迎えない理由もないだろう。わざわざ知らせもくれたことだし。
 廊下を歩きながら東に向いた窓をのぞいてみると、ちょうど緑の飛竜がこの城へ近づいてくるのが目に映った。
 俺は足を止める。
「おい、来たぞ。とっとと髪結べ」
「あ、は、はい」
 従僕に髪をまとめさせ、それから俺は親友と弟子を迎えるために、階下に降りていった。

 ***

 そして、今に至る。
「ですからね……って、ちょっと、聞いてるんですの!?」
 ここはジャーイルとマーミル用に充てた客室だ。応接と寝室の二間続きになっていて、今、俺はマーミルと二人きりで応接にいた。
「あー、聞いてる聞いてる」
「もっと真面目に聞いてくださる、ベイルフォウス様!」
 肘掛けに頬杖をついた右手を、ぐいぐいとマーミルが引っ張ってくる。か弱い子供の力じゃ、一ミリも動かないけどな。
「だから聞いてるって。なんだっけ? ジャーイルを騙そうとしてるエミリーとかいう女の話だろ?」
「ちょっと、内緒にってお願いしてますでしょ!」
 マーミルは焦ったようにキョロキョロと周囲を見回す。ジャーイルを警戒しているのだ。
 到着するなり、こそこそと「後でご相談がありますの」とか耳打ちしてくるから、何事かと思えばジャーイルの恋愛相談だ。いや、ジャーイルに色恋話が、と聞いたときは、正直興味をそそられたが、内容を聞いてみると、たかが庭でちょっと話しただけだと? しかもたったの一回?
 それでなにが心配になるんだ。マーミルの気持ちがわからない。

「大丈夫だって、うちの風呂はそんなすぐに出てこれな」
「結構です! 結構ですから、ちょっともうさわらないで!」
 俺は顔を上げ、客間に備え付けた浴室の入り口を振り返った。
 マジか、あいつ……十人も湯殿役をつけたのに、もう出てきたってか?
 ちなみに、俺の露天風呂までとはいかないが、客間につけた風呂も結構広い。
「お兄さまの入浴中に、相談しようと思ったのに……」
 頭を抱えてその場にしゃがみ込んだマーミルの向こうから、バスローブをまとって慌てて出てくるジャーイルの姿が見える。

「乙女の恥じらいはどこにいったんだよ!」
 真っ赤になりながら、浴室に向かって涙目でそう叫ぶ親友をみて、俺はマーミルの横で頭を抱えた。

 ***

 湯殿係を別口から退がらせると、応接のジャーイルの許へ戻る。
 濡れた頭を長椅子に座ってがしがし拭くジャーイルの脛を、隣に座って足で軽く蹴ってやる。
「お前が乙女かっ!」
「ベイルフォウス、お前、しゃれにならんぞ!」
 ジャーイルはタオルを投げ捨て、俺に詰め寄ってきた。
「マーミルと同室なんだぞ、なのにあんな……あんな…………」
 真っ赤になりながら、口元を押さえ、下を向く。
 マジか、こいつ。子供じゃねえんだぞ、なんでこんななの?
 男が純情気取ってどうすんの?
 だいたいこっちはマーミルがいるとわかっているからこそ、浴室でのサービスを重点的にというつもりでだな……。
 もう、めんどくさい奴だな。

「なあ、一つだけ聞かせてくれ、我が友よ」
「なんだよ」
「お前の好みの女って、どんなの?」
 そう聞いてみると、ジャーイルはなぜか背筋を伸ばして腕を組み、きっぱりと言った。
「見るからに清純で真面目でシャイ、でも胸はまあまああって、気弱に見えて実は芯が強い、可憐な女子だ。雰囲気がそんな感じなら見た目の美醜は問わない。あと、年は上でもかまわない。むしろ、年上でいい」
 うわ。何コイツ……本気か? 本気で言ってるのか?
 俺はちらりとマーミルを見た。
 兄の理想を知っていたのか知らなかったのかはわからないが、どちらにしてもその表情には絶望感が溢れている。
「お前さ、お前より年上なのに清純で可憐って、どうなのよ? それもう、何百年も引きこもってる女を自分から訪ねていくしか、探せなくね?」
「うるさい、お前のようにただれた女性観の男には、理解できなくて当然だ」

 俺はため息をつき、前髪をかきあげた。
「お前さほんとに一回、薬やるから」
「だから、マーミルが一緒だって言ってるだろ」
 しーっとばかりに指を唇に立ててくる。
 なにこの超真面目な保護者。こいつもしかして潔癖性か何かか? 兄貴だって、俺が未成年の時でも、こんなうるさくなかったぞ。っていうか、俺の隣の部屋で、普通に女連れ込んでたし。
 それともあれか、妹がいるところって、こうも品行方正にしないといけないもんなのか?
 ちょっと、真面目にマーミルの話を聞いてみるかな……。

「よし。じゃあ、マーミル、俺たちも風呂入るか」
 俺は膝を打って立ち上がった。
「は?」
 兄妹の声がハモる。
「お前、何言ってるんだ、ベイルフォウス」
 珍しくジャーイルの瞳から、殺気にも似たものが放たれている。
「や、だから、マーミルと一緒に風呂……」
 なぜか殴られた。
 あと、真っ赤になったマーミルから脛を蹴られた。
「まっ、まさかほんとにロリコンだったとは思いませんでしたわ! この変態!」
「は?」
 いやいや、俺はマーミルが内緒で話をしたそうだったから、二人きりになれるようにと思って風呂にだな……。

 おい待て、誰が子供に欲情するか、失礼な!
「マーミル、ベイルフォウスに近寄っちゃいけません!」
 俺はジャーイルに両肩を捕まれ、あっという間に廊下に放り出された。
「待て、ジャーイル! おい、ここは俺の……城…………」
 最後まで聞きもしないで、ジャーイルは扉を閉めやがった。
 くそ、なんだってんだ、あの兄妹!

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