古酒の隠れ家

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新任大公の平穏な日常

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【第二章 二年目の日常】
20.なんでこんなことになっているんですか?

 テーブルを間に挟んで、エミリーとジブライールが向かい合って立っている。
 二人のうち、エミリーの前だけに、俺の足下に散らばるカップと同じ柄のソーサーのみが残っている。ジブライールの前にはなにもないから、エミリーが一人で俺を待っていたところに、ジブライールがやってきたという感じか。
 ということは、このカップを投げたのは……。

「いい加減になさったらどうなんです!? 私と閣下がどんな話をしようが、あなたには関係ないでしょ!」
 そう叫んだのは、エミリーだ。
「いい加減にするのはあなただろう。閣下はお忙しい身。私は、そのお仕事の邪魔をするのはいかがかと言っているのだ」
 対するジブライールは冷静に見える。
「なにが仕事の邪魔はするなよ、白々しい! 邪魔をしてるのはあなたでしょ。そんな言い訳してないで、悔しければ正々堂々、自分だって正面から攻めればいいでしょ。一番、有利な立場にいるクセに!」
 え、なに物騒な話してるの?
 え、なにを攻めるの?

「ジブライールが誰を攻めるって?」
 俺の言葉に二人はハッとなって、勢いよくこちらを振り向いた。
「か……閣下!」
 二人は俺の存在に気がつくと、急にあたふたとしだした。
 エミリーは顔を青くさせ、ジブライールは頬を赤くしている。
 だが、今の俺に二人を思いやる余裕はない。

「も……もしかして、ジブライール」
 俺はごくりとのどを鳴らした。
「俺の大公位をねらって?」
 うわあ……正直、つらい。
 嫌われてるかもしれないとは思っていたが、まさか、大公位をねらわれているだなんて。
 まさか、そこまでとは。

「か……考え直さないか?」
 俺がそういうと、あたふたとしていたジブライールの表情が、一気にいつもの無表情にひき戻った。そして、例の沈黙だ。
 うわ、なに……怖いんだけど。
「ジブライール……?」
 そろそろと近づいていくと、ようやく彼女は深いため息をついた後、口を開いた。
「閣下。私はそんな自惚れた望みは持っておりません。これからも閣下の幕僚として、誠心誠意、仕えさせていただく所存でございます」
「あ、ほんと? よかった」
 俺はほっと胸をなで下ろした。
 せっかくの優秀な人材なのに、こんなことで手放したくない。
 それに、ジブライールはマーリンなんたらより百倍は手強そうだからな。

「では、私は失礼いたします、閣下。エミリー嬢、お邪魔しました」
 ジブライールが事務的な言葉を投げかけると、エミリーは口元をひきつらせた。
「い……いいえ、とんでもございませんわ」
 ほほほ、と、とってつけたように笑う。
「ジブライール」
 すれ違いざま声をかけると、彼女はその場で足を止め、こちらに向き直った。
「これからもよろしく」
 そういうと、少し瞳の厳しさがゆるんだ気がした。
「はい、こちらこそ、閣下。先ほどのエミリー嬢の発言は、お気になさいませんよう。私は、誰かを攻めるつもりは毛頭ございませんので」
 そうして彼女は笑っちゃう敬礼をして、部屋を出ていったのだった。

「エミリー、ずいぶん待たせたようで、申し訳なかった」
「あ、いえ……私が勝手に待たせていただいたのですから……」
 彼女はさっきとはうって変わって殊勝な様子で、下を向いてもじもじし出す。
 今日もあんまり肌の露出の少ない薄い水色のすっきりしたドレスに、ごく自然に見える薄い化粧で、外見はばっちり清楚な感じだ。
 が、以前の記憶……胸のあたりを強調したドレスに目元がなんていうか……こう、ものすごい気張った化粧をしていた彼女を思いだしてからは、違和感がハンパない。

「まあ、とりあえず座ろうか」
 俺はテーブルを挟んで対面となるよう、エミリーと腰掛けた。
 エンディオンが手配したのだろう、砕けたカップを片づける侍女と、新しい飲み物を持ってきた侍女が、せわしなく動いている。
 うん。誰がカップを投げ捨てたのか、とか、絶対に聞いちゃいけない。俺の本能がそう言っている。

「エミリーはジブライールとは知り合いだったんだな」
「あ……い、いいえ……」
「え? 知り合いじゃないの?」
 今日が初対面とは思えない激しさでしたが。
 もしかして、これも触れない方がいい話題のうちだったか?
「はい……」
 エミリーはひっそりと眉根を寄せている。

「あの、差し出がましいこととは存じますが、彼女には警戒なさったほうがよいかと存じます」
「警戒? ジブライールに?」
 ま……まさか、やっぱり大公位への挑戦を考えているのか、ジブライール。

「彼女……ジャーイル閣下に恋心を抱いている令嬢のところを訪ねては、閣下のお仕事の邪魔をしないようにと、脅し……説いて回ったとかで」
 あれ? なんか、エミリーの声が低い。
 ちょっと怒ってる?
 えと、もしかして、そっちが地声?
 しかし、今のエミリーの言葉が本当だとすると、急に謁見が元通りになったのって、ジブライールのおかげだったのか。
「エミリーのところにも行ったのか?」
「いえ、さすがに私のところには」
 父親のワイプキーに遠慮したのかな。

「忠告はありがたく受け取っておくよ」
 まあ、正直なところをいうと、俺的には助かったのでジブライールには感謝だが。
「それで、エミリー。君は今日はなんの用件でここに?」
「あ、私は……」
 エミリーの声音がまたいくらか高くなる。
「あのぅ……すみません、こんな押し掛けるようなことをして。この間はお話が途中だったものですから」
「あ、ああ……中座して申し訳なかった」
 俺は咳払いをして、侍女が用意してくれた紅茶を一口飲んだ。
 うわ、あちっ。
 俺、猫舌なんだよな。

「それで、ワイプキー……君のお父上には話したんだけど、俺は今のところ、女性とつきあう余裕もなくて」
 こういう時は、グダグダごまかすより、正直に伝えるべきだと思う。ウダウダ言ったあげく、相手にいらぬ誤解を与えて、いっそうややこしいことになるのだけはさけたい。
「存じております。けれど閣下、私はそんな大それたことを望んでいるのではありませんわ」
 少し逡巡した様子を見せると、エミリーは思い切ったように顔を上げた。
 彼女は席を立つと、テーブルを回り込み、俺の足下に膝をつく。それからぎゅっと胸を押し上げるよう、両手を前で組み、上目遣いで見上げてきた。
 なんだろう、この狙ったような角度。

「ジャーイル閣下、どうか、私を、閣下の側仕えの侍女にしてくださいませ」
「……侍女?」
「はい」
 側仕えというのは、マーミルに対するアレスディアみたいなもので、たいてい女性につくもんだ。男には侍従がつく。少なくとも、俺の周囲ではそうだ。
 ベイルフォウスをのぞいて、だが。
「いや……悪いけど、俺は側仕えの侍女はつけていないんだ。侍従しか」
「それも存じております。ですが、ジャーイル閣下には一人くらい側仕えの侍女が必要ではないかと思うのです」
 え? なんで俺だと、必要なの?

「エミリー。ワイプキーがなにを言ったのかしらないが、そんな無理して俺に気に入られようとしなくていいんだよ?」
 どうせあの父親に、俺の好みのタイプを聞かされて、強引にせまってこいと言い含められてきたに違いない。オトしてこい、とかいうような奴だからな。
 この間も、ぜんぜん引く気なかったしね、あの髭。
「ち……父は関係ございません。それに私、無理なんて……」
「いや、どう見ても、無理してるだろ。前に会った時は、もっとこう……なんていうか、活発な感じだったよね?」
 さすがにケバかった、と本人にいうわけにはいかないからな。
 俺がそう指摘すると、エミリーは一瞬、顔をひきつらせた。それからさっと頬を赤らめ、ずいっと俺の方へ膝を寄せる。
「お願いです、ジャーイル様。私、どんなことでもいたします。ジャーイル様がお望みのことなら、どんなことでも! 決して拒みません。活発な私のほうが好きだといっていただけるのなら、そういたします」
 いや、前のほうが好きだとか、そんなこと一言もいってないんだけど。
 俺がエミリーの勢いにあっけに取られている間に、潤んだ瞳と塗れた唇が近づいてきて……近づいて?

 そのとき、バン! っと勢いよく扉が開いた。
「申し訳ありません、忘れ物をいたしました」
 ジブライールがずかずかと入ってきて、俺とエミリーの間を裂くように身体をねじ込ませ、テーブルに手を伸ばす。
 その瞬間、エミリーの方から舌打ちが響いたような気が……。
「ところで、エミリー嬢。そんなところに膝をついては、せっかくの綺麗なドレスが汚れてしまうと思うが。手を貸そうか?」
「あら、お気遣いありがとうございます、ジブライール閣下。けれど結構。一人で立てますわ」
 エミリーはひきつった笑みを浮かべながら立ち上がり、スカートをぱんぱんと払った。
 それに相対するように、ジブライールも姿勢を正す。

「それより、忘れ物はございまして? テーブルの上にはなにもなかったようですけれど?」
「ああ、勘違いだったのかもしれない」
 笑顔で向かい合う二人。
 でも、なんか……正直、ちょっと怖いです。

 ぎすぎすしすぎじゃない?
 どちらも表情だけはにこやかだが、目が全く笑っていないんですけど。
「まあ、ではどうぞ御退室なさったら?」
「そうさせていただく」
 だが、ジブライールはまっすぐ立ったまま、一歩も動こうとしない。
 ええと……。

「ジブライール、エミリー、あの……俺、席外そうか?」
「いいえ、閣下はここにいてください!」
 双子なみに息のあったハモリが聞けた。
「でも、二人でつもる話がありそうだし」
「ございませんわ、ジャーイル閣下! 私は閣下とお話がしたくて参ったのですわ! だれがこんな女と話なんて!」
 エ、エミリーさん、……もう淑女の演技はいいんです?
「私もエミリー嬢には何のご用もございません。だが、エミリー嬢。あなたもそろそろ退城してはいかがか? ジャーイル閣下は領外から帰ってこられたばかりで、とてもお疲れなのだ」
「ええ、もちろん、御用事がすめば、そうさせていただきますわ。どうぞ私のことはお気になさらず、先に御退室ください」
「用件なら先ほどすんだのでは? 閣下は侍女の件はお断りなさったようだが?」
「まあ、お行儀の悪い。扉に耳をあてて盗み聞きなさってたんですの? 配下の筆頭がこれでは、閣下も立つ瀬がございませんわね!」

 ちょ……なんでそんな揉めてんの?
 君たち、今日が初対面なんだよね?
 会ってすぐなのに、なんでお互いそんな敵意むき出しなの?
 ほんと、俺、今日は結構疲れてるんだけど。
 さらに疲れるようなことは勘弁願いたいんだけど。

「それに、聞き耳を立ててらしたなら、ご存知でしょう? 閣下は以前の私の活発さを、好んでおいでなのですわ」
「え、いや、俺、そんなこと言ってな」
「そうですわ、閣下。お疲れなら、私がマッサージしてさしあげますわ!」
 エミリーはそういうと、ジブライールを避けるためにぐるりとテーブルを回り込んできて、俺の左隣に腰掛けた。
「私、得意ですの。効果は保証いたします。寝室でじっくり施術させていただきましたら、明日の朝にはすっかりお元気になってらっしゃいますわよ」
 な、なにその揉み手……明日の朝って、つまりそれは一晩中ってことですか?
 えっと……未婚の女性が男の寝室で朝を迎えるって、活発で済ませていいレベルじゃないんと思うんですけど。

 そう言いつつ、エミリーが俺の膝めがけてつきだしてきた手を、駆け寄ったジブライールがはじいた。
「やはり、エミリー嬢とは一度、お話し合いが必要かと存じます、閣下。ご許可いただければ、いますぐにでも捕縛して………………いえ、別室にて二人きりでじっくりと、お互いの見識の齟齬について、議論しとうございますが、閣下」
 今にもくっつきそうだった俺とエミリーの足のあいだに、ジブライールが強引に自分の足を割り込ませてくる。
 俺は立ち上がった。

「ちょっと、一旦、落ち着こう。な? とりあえず今日は二人ともおうちに帰って、お互い胸に手をあててゆっくり考えてごらん。二人は今日が初対面なんだろ? 別にお互い相手に恨みがあるわけじゃなし……きっと、二人とも何か勘違いしてるんだよ。で、誤解が解けたなら、次に会ったときには、にっこり笑って握手しよう、そうしよう?」
 お願いですから、こんなところでキャットファイトとか勘弁してください。
 女子同士で険悪だなんて、ウィストベルとアリネーゼだけで十分です。
「だいいち、エミリー。落ち着いてよく考えるんだ。ジブライールに君みたいな子が勝てるわけないだろ?」
 相手は公爵だぞ。軍団副司令官だぞ。
 冷静なふりしてすぐ滅ぼす、とか、そういうぶっそうな発想に走る子だぞ。
 どんだけ武闘派かわかってんのか。

「まあ、それは私のようなか弱い娘が、凶暴な公爵であるジブライール閣下に害されることを心配してくださっている、ということでよろしいんですのね?」
 エミリーがきらきらと瞳を輝かせて立ち上がり、俺に歩み寄ってくる。
「いや、そんなこと言ってな」
「公爵を凶暴と言い表すのは、その上位である大公に対する暴言にもなると、思わないのか?」

 エミリーの行く手をジブライールが遮る。
 なんかさっきからずっと、こんな構図になってる気がする。
「あら、凶暴は公爵にかかるのではありませんわ。そんなこともおわかりじゃないの?」
 エミリーに皮肉な笑みが浮かぶ。
 対してジブライールは、氷のような微笑で応じている。
 少なくとも、そう見えた。

 だがほんと、そろそろ、いい加減にしてほしい。
 ただでさえ疲れてるのに、もうたくさんだ。
 俺がほんのちょっぴりキレかけたそのとき、タイミングよく扉がノックされた。
「旦那様、エンディオンでございますが」

 おお、グッドタイミング! さすができる家令!
 俺を助けにきてくれたのだな!

「入ってくれ、エンディオン」
 俺は満面の笑みで家令を迎えた。
「ジブライール閣下、エミリー嬢。申し訳ございませんが、火急の用件にて、失礼いたします」
 やってきたエンディオンは、怒れる二人の令嬢のことなどスルーして、いつになく深刻な表情で俺に歩み寄ってくると、こう耳元でささやいたのだ。
「マーミルお嬢様のお部屋へすぐにお越しください。お嬢様の一大事でございます、旦那様」

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