新任大公の平穏な日常
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【第二章 二年目の日常】
確かに、帰りの飛竜の上でも、マーミルはとても疲れた様子を見せていた。
だが、疲れは精神的なものに見えたのだが。
「双子姫によると、まずはめまいがするとおっしゃられたとか」
アレスディアも四女と五女を双子姫と呼んでいたな。どっちを先に呼ばないといけないとか気にしなくていいから、便利な呼称だな。俺も今度、本人たちにそう呼びかけてみるか。
それにしても、めまいか。
魔族というのは、基本的には嫌になるほど丈夫だ。
一生の間に外傷以外の理由で寝込むものは、ほとんどいない。
妹にしたところで、さすがに赤ん坊の時はのぞくが、生まれてから今まで、俺が特訓した時の負傷以外の理由でベッドから起きあがれなかったことは、今まで一度としてなかったはずだ。
「それで、今は?」
「どうやら、お熱があるようなのです。簡単な対処をした上で、医療班も呼んであるのですが……」
「熱?」
たかが熱、などと言えるものではない。発熱などという状態に陥るものは、魔族にはほとんどいないのだから。
例えば裸で丸一日、雪中に首まで埋もれてみたところで、微熱すら出ないだろう。
まあ、そんな実証したことないけど。
実際、俺も物心ついてから今まで、熱を出して床についたことなど、一度もないのだ。いや、そもそも、それ以外の理由でも病床にあったこともないのだが。
だが、医療班か。彼らの専門は外傷だったはずだ。
医療魔術に内的要因に対応したものがあっただろうか?
そもそも俺自身、医療班の世話になったのは、魔王様に頭蓋骨を割られてウィストベルの城で治療をお願いした、あの一度きりだ。子供のころからこの目を持っていた俺は、無駄な争いをしてこなかったので、怪我などほとんどしたことがないのだ。別にやんちゃでもなかったしな。
だから俺の医療魔術に対する知識はといえば、本で読んだものに限られる。
とにかく俺は、マーミルの部屋に急いだ。
***
基本的に有爵者の屋敷や城における私室は、どこも居室と寝室の二間続きになっていて、それぞれに衣装部屋と、場合によっては浴室が付属している。
マーミルや俺の部屋もその例に漏れず、だ。
どの部屋も居室が廊下に面していて、寝室はその奥になっている。部屋によって、寝室の位置は廊下と隣り合っているが、それでも居室を通らず廊下に出る扉は備えていない。
なので、寝室こそが完全なプライベートの空間と言える。
一般の侍女や侍従が踏み入れることができるのは居室までで、寝室ともなると側仕えでもないと、基本的には入室を許されないのだ。
実はこの城に越してきて、俺もマーミルの寝室にはまだ一度も足を踏みいれたことがない。
ほとんど毎日、執務室と部屋を往復するだけだし、妹に用があるにしても、居室で話をすれば事足りたからだ。いちいち妹の寝室をのぞく趣味もないしな。
だからこんな時だというのに、マーミルの寝室に一歩を踏み出した瞬間、その内装に驚いて足をとめてしまったとして、やむを得ないことと思っていただきたい。
マロン色の壁紙には、やたらにファンシーなクマの絵が随所にプリントされている。天井には青い背景にきらきら輝く星のまたたき、そこから下がるシャンデリアはハート型をしたピンクのガラス玉がひしめいており、わずかな光でもキラキラ煌めいてみえる。
丸みをおびたいくつかの低いチェストや書棚の上には、雑多なぬいぐるみが所狭しと並べられているが、うすぼんやりとしか照明のついていない現状では、視線が一斉に俺に集まってきているように見えて正直怖い。
極めつけに、部屋の中央に備え置かれた天蓋付きのベッド。おそらく元々は重厚感あふれる造りのはずだが、今はピンクのレースとリボンの洪水で彩られていた。
乙女チック……というには、いささかいきすぎているような様相に、思わず圧倒されて無言になる。
これはあれだ……ウィストベルの城を初めて見たときに感じたモヤモヤ感と一緒だ。
「旦那様」
アレスディアの声で、俺は我に返った。
「あ、ああ」
右手の枕元にアレスディアが立ち、双子が椅子を並べて座っていた。
三人とも心配そうな表情で、妹の顔をのぞきこんでいる。
俺は彼女らとは逆の枕元に立った。
寝台の中央に横たわる妹は、こめかみから汗をかき、息も浅く早くて苦しそうだ。
「こんなに熱そうなのに、寒気がするっていうんですの」
双子の片方が、そう言いながらこめかみの汗を拭いている。
マーミルの首の下には氷枕が、そして額にはよく絞ったタオルが乗せられていた。
「これは、アレスディアが?」
「いいえ、エンディオン殿ですわ。私は正直なところ、発熱した魔族をみたことがありませんので、オタオタするばかりで……」
そういいながらも、冷たい氷水に手をいれ、妹のタオルをこまめに変えてくれているようだ。
俺なら思わずタオルの上に、魔術で氷をダイレクトに出してしまいそうだ。
それにしても、さすがはエンディオンだな。寿命も数千歳を数えると、非常時――魔族にとって、発熱は非常時だ――の対応も心得ているらしい。
「長い間生きているものですから、多少の心得はございます。ですが、これ以上の対処方法は、私も存じませんで……」
エンディオンはそう謙遜するが、さっきアレスディアが言ったように、オタオタしてしまう者がほとんどだろう。とっさに氷枕を用意できるものがどれだけいるか。
「いや、十分だ。ありがとう」
毒もきかず、病気に陥ることもほとんどない魔族の住居には、当然のように常備薬なんてものもない。それ以前に、解熱用の薬だって存在するものかどうか。
しつこいようだが、それほど魔族にとって発熱というのは、珍しい現象なのだ。
「マーミル」
俺が声をかけると目はさめているようで、妹はうっすらと瞼を持ち上げた。
白目の部分までが、瞳の色が移ったように赤い。
俺は広いベッドの端に深く腰掛けると、妹の頬にふれた。
「熱いな……辛いか?」
そう尋ねると、マーミルはかすかにうなずく。
いつも元気な妹が、一言も言葉を発さないとは、よほどだろう。
「めまいがしたんだって?」
そういうと、また妹はこくりとうなずいた。
「そうですの、私たち、マーミルのお部屋でお食事会の話を聞いてたんですの。そうしたら、急にめまいがするって……」
双子の片方――雌牛の角に青のリボンをつけているほうは、ネネリーゼか? ――が、妹の代わりに説明をしてくれる。
「それから、すぐでしたわ。急にぐったりとして、ふれてみたらこの高熱ですの。それで私たち、とても驚いて……アレスディアにベッドまで運んでもらって、エンディオンに知らせたんですの」
緑のリボンが口を開いた。たぶん、こっちがネセルスフォだ。
「そうか、ありがとう。ネネリーゼ、ネセルスフォ。後は俺とアレスディアにまかせて、君たちは母上のところへ帰っておいで。今日の晩餐には出られないが、後で少し顔を出すからよろしくいっておいてくれ」
「でも、ジャーイル閣下」
「私たち、マーミルが心配ですわ」
双子が口々に声をあげる。
「うん、妹を心配してくれる気持ちはありがたいけれど、原因が判明しないでは、君たちにうつってもいけないからね。様子は必ず知らせるから」
そういうと、彼女たちは顔を見合わせた。
「双子姫、あまり旦那様を困らせてはいけませんわ。大丈夫、お二人の分まで私がしっかりお嬢様をみていますから」
アレスディアは双子にむかって、二本の右手でどんと胸をたたいてみせた。
さっきまで双子と競い合っていたのが嘘のように、その表情は慈愛に溢れていた。
「さあ、お嬢様方、そろそろ晩餐のお時間です。戻らないと、お母様がご心配なさいますよ」
エンディオンのだめ押しで、双子はこくりとうなずきあう。
「わかりました、私たち、出て行きますわ」
「でも、必ずマーミルのご様子は教えてくださいましね」
「ああ、必ず伝えるよ」
俺がうなずいて見せると、ようやく双子は重い腰を上げた。
「早く元気になってね、マーミル」
そういうと代わる代わるマーミルの手を握ると、それから双子たちは寝室から姿を消した。
双子が行ってしまうと、俺はマーミルの世話をアレスディアに頼み、エンディオンと居室に移動する。
「それで、エンディオン。知っている限りのことを教えてほしいんだが、今までの例では発熱の原因は判別したのか? あと、治ったのかどうなのか、だが……」
俺も魔族の病気に関しては、本でいくらか読んだことがあるだけだ。こういうときは、やはり経験者がいるというのは心強い。
「私の存じ上げている例では、突然の発熱による病人はみな子供でございました。理由に関しては、なにせ判別できるものがいなかったために、全く推測すらできず……」
やはり、判別できる者はそうそういないのか。
「ですが、一つご安心いただける情報があるとすれば、発熱した子供たちはみな、二、三日ほど安静に寝ていた後は、熱も自然にひいて元気になったということでございます」
「三日」
その間、ずっとあんなに辛そうだと考えると、かわいそうだな。なんとか、すぐに治す方法はないものか。
俺が考えあぐねていると、エンディオンは廊下へと続く扉を開けた。
そこには三人のデヴィルが立っていた。今まさに扉を叩こうとしていたらしい先頭のデヴィルが、拳を握りしめたまま固まっている。
「旦那様、ちょうど医療班が参ったようでございます」
うちの家令は、どうやら他者の気配を敏感に感じることができるらしい。
ちなみに俺は気配には鈍い方だ。特に、本なんか読んでいると、誰かがすぐ隣まで来ても、気づかないことがある。
さすがに相手が殺気でもまとっていれば話は別だ。壁を隔てていたって、即座に気付いて反撃するだろう。
「ああ、よくきてくれた。入ってくれ」
俺は三人を、マーミルの寝室にひきいれた。
「いま、ちょうどお眠りになったところです」
そういってアレスディアが、マーミルの枕元を医療魔術者の三人に譲る。
「では、さっそく診断をさせていただきます」
さっき扉の前で固まっていた、ハエの顔をした背の低いデヴィルがリーダーのようだ。残りの二人に指示を与えている。
「ウヲリンダ、ファクトニー。いつもの通りだ。さっそくかかるぞ」
「はい」
三人は妹の身体にむけて、それぞれ手を突き出した。
ウヲリンダの体からでているタコのような八本の触手の先には、それぞれに見たこともない小さな術式が展開されている。細かい四角が隙間なく組み合わされた、変わった術式だ。それは、彼女が触手を動かすのにつれて、一緒に移動していた。
ファクトニーの方はマーミルのへその真上、五十cmほど浮いた場所に、垂直に立てた直径七十cmほどの術式を発動させている。
そして、名前のわからないハエリーダーに至っては、術式なしの魔術を使っているらしい。
象の足のような太い両手をあわせているが、その手の平の隙間から灰色の煙のようなものが出て、妹の全身を薄く覆っている。
三者は医療専門用語らしき単語を口々に呟いていた。
「俺……医療班の仕事って見るの初めてなんだけど、いつもこんな感じ?」
俺はエンディオンに小声で尋ねた。
なにせ、ウィストベルの城で治療をうけたときには、頭の上でもぞもぞやられていただけだから、何も見えなかったんだ。
「はい。おおむねこんな雰囲気かと」
医療班といったって、熱が相手ではその魔術も全く役に立たないのではないかと思っていたのだが、意外にどうにかなりそうな気配だな。さすがに大公城所属の医療班ともなれば、こういった稀な件にも対応策があるのだろうか。
とにかく、結果を待つしかないが。
俺とエンディオンが見守るなかで、三人による医療魔術は粛々と行われていた。
そうしてしばらくして、ようやくウヲリンダの触手から術式が消え、ファクトニーの垂直術式も消え、ハエリーダーの灰色の煙が消える。
そうしてマーミルの様子を見てみると、状態はだいぶ落ち着いたようにみうけられる。
汗はほとんど引いているし、呼吸もおちついている。そしてなにより、眉間のしわもとれて、表情がさっきよりずっと楽そうだ。
「なおったのか? ええっと……」
「サンドリミンです、閣下」
エンディオンがいつものように、疑問に答えてくれる。俺が少し逡巡しただけで、相手の名を知りたいのだろうと察するとは、本当に有能だな、エンディオン。
しかし、言いにくい名前だな。サンドリミン、サンドリミン、と。
「サンドリ……ミン。妹は、だいぶよくなったように見えるが」
俺の問いかけに、ハエリーダーは首を左右に振った。
「いえ、残念ながら。ウヲリンダ、閣下にご報告を」
「はい」
彼女は姿勢をただし、上司にうなずいてから俺に視線を向けてきた。
手はタコだが、顔はヌーだ。くいっと内側に向き合った角がかっこいい。名前を聞かず見ただけでは、男性と見紛う雄々しさだ。
「私は外傷がないか調査いたしました。魔族にはほとんどの毒が効かぬのは閣下もご存じのとおりですが、稀にひどく高熱をもたらす特別な毒がございます。それはどれも経口接種ではなく、目では見極められぬほどのかすかな傷からもたらされることが多いのです。またそれ以外にも、傷によって、発熱を起こすいくつかの方法がございますので、外傷を確認いたしました。ですが、マーミルお嬢様には虫の刺した疵一つすら、認められませんでした」
俺は彼女に向かってうなずいた。
「ファクトニー」
促されて、次は二人目が口を開く。
「私が調べましたのは」
「えっ!?」
ややマッチョなその姿から、俺は相手が男で低い声を発すると予想していたのだが、意外にも子供のような声、しかも小声だったので素で驚いてしまった。
だが、そういえば顔はウサギでちょっとかわいい。
いや、筋肉質な体の上にウサギのかわいい顔が……やっぱり不似合いか。
「あ、いや、すまない。続けてくれ」
あわてて咳払いをしてとりつくろったが、気を悪くさせただろうか?
「熱がどこからでているのか、また、その発熱箇所の状態はどうなっているのか、ということを調べました」
あ、大丈夫みたいだ。
気分を害した風もなく、口から小さな歯をのぞかせながら、話を続けてくれる。
「また、さきほどウヲリンダが毒について説明をいたしましたが、稀に経口接種で効く毒もございますのです、閣下。その場合、私の魔術でそれを判別できるのですが」
外傷の判別の次は、体内の検査ができる魔法か。医療魔術にいろいろあるのは知っているが、さすがに俺もそのすべてを把握してはいない。だが、どちらもかなり珍しい能力のはずだ。
この件が落ち着いたら、いちど特殊魔術事典を調べてみよう。
それにしても大公城においては、このレベルの医療魔術者がいるということなのか、それともこの城の医療班が優秀なのか。
「全身くまなく調べまして、特に熱の高い箇所を二つみつけました。それは、右腕の付け根と、背中でございます、閣下」
ファクトニーの指摘した箇所に視線を走らせるが、俺には熱の有無はまったくわからない。
「通常、内的要因によって発熱する場合、そのもとと思われる箇所にはなんらかの異常が見つかるのものですが、お嬢様の場合は異常は一つもないのです。これは大変奇妙なことなのですが」
ファクトニーは明らかなとまどいを浮かべている。
「そうして私がお嬢様の熱を吸い取れないか、試してみました。少々の効果はあったようですが、すべて吸い取るのは無理でした。つまり、旦那様。ウヲリンダが外的要因を、ファクトニーが内的要因をさぐり、私がその解決を試みたのでございますが」
明らかに落胆した様子のサンドリミンが、残念そうに左右に顔を振った。
「それで、結論としては?」
俺の問いに、ウヲリンダとファクトニーは顔を合わせ、サンドリミンはしばらく沈黙した後、思い切ったように口を開いた。
「発熱の原因が、不明なのです、旦那様。発熱をある程度抑えることはできても、取り除くことができません。申し訳ありません、我々の力不足でございます」
そういって、三人は頭をさげた。
俺はマーミルの髪をなでつける。
「いや、よくやってくれた。妹もだいぶ、楽そうだ。悪いが、時々、今みたいに熱を引かせてやってくれるか?」
「それは、もちろんですが」
「もともと、発熱なんてのは魔族には珍しいことなんだ。医療班の専門が傷の修復を主とする以上、これだけの効果を発揮してくれただけでも十分だ。あとは、俺がなんとかする」
「旦那様……」
サンドリミンの肩に手をおくと、彼は複雑そうな表情を浮かべた後、気をとりなおしたように姿勢を正し、その象の手でしっかりと広い胸をたたいた。
「全力をもって、お嬢様の解熱にあたらせていただきます」
「ああ、頼むよ。しかし治せないからといって、思い詰めないようにな」
「は、ありがたきお言葉」
彼はもう一度、ふかぶかと頭をさげた。
「では、一時間ごとに、様子を見に参ります。また、このような症例がなかったか、少しでも過去の事例をあたってみたいと思いますので、一旦退室させていただきます」
「ああ、よろしく頼む」
俺がそううなずくと、サンドリミンは二人を引き連れて、寝室を出ていった。
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