古酒の隠れ家

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新任大公の平穏な日常

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【第二章 二年目の日常】
27.まだあれから一日しか経ってないんですよ、驚きですね!

「旦那様、お嬢様、おはようございます」
 マーミルに手ずから朝食を食べさせていると、サンドリミンが喜色満面でやってきた。
「おはようございます」
 妹が赤い顔ながらもしっかり挨拶を返したのを見て、サンドリミンは満足げにうなずいている。
「お嬢様のご様子も、落ちついていらっしゃるようで……本当にようございました」

「昨日はお疲れさま。今日も朝早くから悪いな……」
 さすがに俺だっていい大人だ。いつまでも恥ずかしいとか言ってられない。
 いや、エミリーとジブライールには、できればまだ会いたくないけど。
「いいえ、職務でございますので」
 そう言って俺の側にやってくると、サンドリミンは小声でささやいた。

「実は旦那様、軟膏の件でご報告が」
 なんだ。もしかして、軟膏の分析が終わったのか?
「アレスディア、ちょっと頼んでいいか? サンドリミン、出ようか」
 デヴィル族屈指の美女を前に、サンドリミンの背筋が伸びたのがわかる。おい、お前、昨日息子いるっていってたろ。妻帯者だろ?
 あ、軟膏、サンドリミンで試してもよかったんじゃないか?

「なあに、なんのお話? お兄さま。私に関係のあること?」
 マーミルが不安そうな表情をしている。
 そりゃあ、医療班のリーダーが俺に耳打ちしたんだ。この状況では自分の体調に関係のある話、しかも悪いことを想像してしまうのも、無理はないか。
「いや、心配いらない。仕事のことだ。サンドリミンは医療班の長というだけじゃなくて、軍団医務長官でもあるからな」
 俺が髪を撫でつけながら笑いかけてやると、妹は少し表情をゆるめた。

「旦那様、申し訳ございません」
 居室に移動するなり、サンドリミンが頭を深く下げてくる。
「あれから、あの軟膏と解除薬を分析・研究したのですが、満足のいく解呪薬はつくれず……」
 やはり、薬を作るのは難しいか。しかしまあ、昨日の今日でなんとかなるとは、俺だって思っていない。
「いや、気にするな。時間がかかるのは仕方ない。今日は俺も医療班に協力する。それに、一番重要なことを伝えてなかったしな」
「重要なこと、ですか?」
 サンドリミンは怪訝な表情を浮かべている。

「いや、よく考えたら俺、マーミルが呪詛にかかっているとは伝えたが、それが誰にかけられたのか、伝えてないと思ってさ」
 いくらなんでも、誰の呪詛かぐらいは知らせておくべきだろう。その情報が役に立つかどうか、わからないにしても。
 だが、サンドリミンは急にあたふたと、象の両手を振った。
「なにとぞ、ご勘弁ください。そんな物騒な情報は、耳にしたくもございません。天下にその名を轟かせる我が君の、大切な妹君を恐れ多くも害そうとするなど……そのような者はよほどの大物か、よほどの愚者でしょうから。こちらとしては、そんな者とは一切関わり合いになりたくありませんので」
 なにその俺に対する過大評価。別に名が轟くようなことは何もしてませんけど。
「我々医療班は閣下に対する絶対の忠誠のもと、その興味は現象にのみ向いているのです」
 つまり騒動には巻き込まないでね、と、言いたいらしい。

「しかし、術者がわからないでは……」
「必要ありません! ご覧ください、旦那様」
 サンドリミンは懐から透明なガラス瓶を取り出した。それは、雄牛の小瓶軟膏より一回りほど小さなもので、中には白く丸い錠剤がいくつか認められる。
「これは?」
 解呪薬は作れなかったといわなかったか?

「ご説明をいたします前に、旦那様。まずは私の状態をご確認いただきたいのですが……その、旦那様の特殊魔術で」
「んえ? なんで?」
「と、申しますのも、私は現在、昨日旦那様にお預かりした軟膏を飲んだ状態にあるのです」
 え? マジか。
 俺はサンドリミンの腹をじっと視て……その前に、念のためだ。

「わかった。確認してみるから、少しの間、目をつむっていてくれないか?」
 特殊魔術なんてものの発動は、なるべく他人に確認されない方がいい。
 それはそうだが、俺の目はじっと視るだけでいいので、傍目にはとても特殊魔術を使っているようには思われないのだ。
 だからこういうときは、俺がなにもしていないと思われないように、目を閉じておいてもらうに限る。

「承知いたしました。ええ、旦那様。私とて特殊魔術の使い手……同じくそうである旦那様に、ご遠慮する気持ちはございますとも」
 サンドリミンは大きな複眼を、象の目で覆った。
 うん……はみ出してるね、サンドリミン。
 まあいいか。
 俺はじっと彼の腹の辺りを凝視した。
 確かに……昨日、俺の腹にあったものと同じ種類の違和感がある。もっとも、エミリーの粘つく怨念のような魔力とちがって、おとなしい感じのものしか感じないが。
 妻帯者らしいから、奥方にお願いして薬を飲ませてもらったのだろう。きっと慎ましやかな性格の女性なのだろうな、と考えると、ちょっとうらやましい気がした。

 それにしても、さっきアレスディアに対して緊張ぎみに感じたのは、これのせいか? デレデレしないように、気を張っていたとか?
 でも、おなかを壊した風もないってことは、飲んだ量が常識的な量だったために症状が軽いせいか、それともサンドリミンの誠実さがアレスディアの魅力に打ち勝ったせいか……。
 どちらにせよ、昨日の俺の体たらくがよけい情けなく思えてくる。

「確認した」
 俺の言葉に、サンドリミンは象手を両目の前からはずす。
「さて、では次にこちらを一錠、飲んでみます」
 器用に瓶の蓋をひねって開き、一錠だけを手の平にとりだしてみせる。
「ご覧ください」
 水はいらないのか? と、尋ねる間もなく、サンドリミンはそれをぐいっと飲み下した。

 俺はじっとサンドリミンの腹を見つめたままだ。
 いったい、薬を飲むことによってどんな効果があるのか、見逃すわけにはいかない。
「旦那様、実はここから、私の能力が必要になってくるのですが」
 サンドリミンの能力と言えばたしか。 「熱をとる、あれか?」
 灰色の煙が出る奴だよな。
「ええ、そうなのです」

 サンドリミンは昨日マーミルの枕元でやったように、象手をこすりあわせた。すると、やはり昨日みたような灰色の煙のようなものが、そこからにじり出てきて彼自身の腹部へとじりじりと伸びていく。
「先ほど申しましたように、呪詛を直接、消し去る薬を作るのは、無理でした。ですので、我々は着目点を変えてみたのです。呪詛本体を消すのではなく、魔術を作用させて熱源のように変化させることができないものかと。様々な組み合わせを試したすえ、ついに最適の術式を見つけたのです。それを丸薬に精製したものが、私が先ほど口にしましたもので」

 一言でいうと、さっきの薬は呪詛の性質を変えるためのものだってことか。
 確かに、サンドリミンの腹部にある異物――彼の奥方の魔力は、薬を飲んでから徐々に小さく凝縮していっている。そしてそれは俺の見ている前で、サンドリミンの内側から、その身体を覆う魔力のほとんど外側まで移動したのだった。

「ただの熱源となったものであれば、私の医療魔術で対応できる、と、そういうわけでございます」
 サンドリミンの灰色の魔力が伸びて、その豆粒のようなものを包み込んだかと思うと、ぷちりと引きちぎるように彼自身の魔力から分断する。そして灰色の煙の中で固まりは溶けるように徐々に小さくなり、やがて完全に消えてしまったのだ。

「なるほど……液体だったものを別の魔術で覆って収縮させて固形し、切り離してすくい上げて砕く、という感じか」
「は?」
 俺の説明は、ことごとくサンドリミンの同意を得られないらしい。
 目で見た感じではそうだったんだが、サンドリミンが医療魔術を使用している時には、全然違う感覚を得ているのだろう。
 そう納得はできるのだが、毎回、「何いってんのこいつ」
みたいな顔をされるのは地味に寂しい。

「つまり、こちらの薬は、相手の種類は問わず、その異物であるところの呪詛の核を熱源として変化させるのです。そうすることで、私の力で治療できるようになるというわけです。ゆえに、解呪薬は作れませんでしたが、補助薬はできたわけでして」
 サンドリミンは悔しそうにいうが、結果として解呪できているのだから、十分だとおもうのだが。しかも、昨日の今日でこの成果だ。うちの医療班、優秀だなぁと、嬉しくなるレベルだ。
「一つ問題があるとすれば、理論上はこれでお嬢様の呪詛にも効くはずだという結論がでているのですが、実際、効果をためせたのは軟膏に対してのみ、ということです。ちなみに、こちらがその結論の根拠となった呪詛と解呪、二つの軟膏の分析結果と、それをいかにして薬に応用したかの資料ですが」
 ものすごく分厚い紙束が、俺の目の前に差し出される。
 いや……俺は、本を読むのは好きなんだけど、こういうのはちょっと……。

 しかしとにかく、中をぱらぱらとめくってみた。
 意外に面白そうか? 細かい字で説明や計算式なんかがびっしり書いてあるのかと思ったら、術式の説明が四割を占めているようだ。これなら、俺も全部読めるかもしれない。
「借りておいてもいいか?」
「もちろんです、旦那様」
 さすがに今、いちいち資料の検討をしている時間はない。

「そうだな。今、視た感じでは」
 サンドリミンの複眼が、またキラリと光る。
「ほう、ご覧になった感じでは、ですか」
 う……しまった……。さっき目を覆わせた意味がない。
 いや、ここは華麗にスルーしよう。これ以上突っ込まれないように。
「俺としては、問題なさそうに思える……もともと、昨日の薬をそのまま試そうかと思っていたくらいだ。実際に、マーミルに飲ませてみよう」
 俺はサンドリミンの試薬を承認した。

 ***

 結論を申し上げよう。
 薬は効いた。それも、てきめんに。
 マーミルが丸薬を飲むや、デイセントローズの魔力を感じるその呪詛は、サンドリミンにかかっていた呪詛同様、すぐさま固形化した。そしてそれをサンドリミンが、灰色の医療魔術によって消滅させたのだ。
 マーミルの熱はその瞬間、下がったのだった。
 すごいな、この丸薬。
 これさえあれば、どんな呪詛も怖くないってことだよな?
 あ、サンドリミンもセットでつけてもらわないと駄目だけど。

「嘘みたいですわ」
 あっという間に体が楽になったのだろう。マーミルは目をまん丸にして驚いている。
「お兄さま、ほら。さっきまであんなに熱かったのに、今はこの低体温!」
 そう言って俺の手を握ってくるが、うん。俺からすれば、今でも十分温い手だけどね。

「すごくだるかったから、その反動かしら……病気になる前より、体が軽くなったような気が!」
 そう言って急にはしゃぎだす。
 飛び回るのはベッドを降りてからにしような、妹よ。

「マーミルお嬢様。いくらなんでも、そんなに急に動かれては……お元気になられたのはよくわかりましたが、せめて今日一日くらい安静になさっては?」
 アレスディアが心配そうにマーミルの腕をつかむ。
「あら、アレスディア。もう大丈夫よ。本当にとっても気分がいいんですもの。マーミルちゃん、完全復活よ!!」
 本人の言葉通り、静かに寝ていた反動か、いつも以上にハイテンションな気がするではないか。

「マーミルお嬢様、アレスディア殿のおっしゃるとおりですよ。口にされたのは新薬でもあることですし、せめて本日、一日くらいは安静になすっていただきます。私も定期的に様子をみに参りますので」
 さすがにサンドリミンにそう言われると、マーミルも反論できないのだろう。やや不満そうな表情を浮かべながらも、ちょこんとおとなしくベッドの上に座り直した。
 それにしてもサンドリミンめ……アレスディアにデレデレした表情を向けやがって……くそ、さっきはやっぱり薬を飲んでいたから、我慢してたんだな!

「マーミル。お兄さまも心配だから、今日は寝ててくれないか? それですっかり元気になったら、ご褒美に明日はお前の好きな菓子をつくってやるから」
 こう言ってはなんだが、やはり女性と子供は甘いものでつるのが一番なのだ。
 その証拠に、マーミルはどんぐり眼をキラキラと輝かせながら、両手を胸の前で組み合わせている。
「ラズベリーケーキがいいわ! 作ってくださる?」
「ああ、いいよ」
「嬉しいわ。明日も私と一緒にいてくださるだなんて! それなら、私、喜んでおとなしく寝ていますわ」
「朝だけな」
 まあ、午前中休むくらい、かまわないだろう。もともと、念のために明日の謁見も中止にしてあるのだし。

「ただ、おとなしく横になっていますから、ネネネセとお話しするくらいはいいでしょう?」
「そのくらいかまわないだろう。うつる病気でもないし」
 俺が苦笑しつつもうなずくと、妹はベッドを足場にとびついてきた。
「お兄さま! 大好きですわ!」
「俺もお前がいつもの元気なお前に戻ってくれて、うれしいよ」

 そうして妹はその日一日をおとなしく過ごし、何事もなく元気な朝を迎えたその次の日、俺は約束どおり妹にラズベリーケーキを焼いてやったのだった。

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